-8 『騎士団の少女』
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一方、王都ハンセルク。外れにある町で最も大きな教会に、深々と祈りを捧げている少女の姿があった。
騎士団長補佐、アーセナである。
「我らの正義の志に、どうか竜神様の加護があらんことを」
無骨な甲冑とは酷く不似合いなほどの端正な顔立ちの少女に、彼女を見た巡礼者は度々驚きと奇異の目を投げかける。
「なんだいあの子は」
「ああ、彼女は騎士様さ」
たまらず漏れた疑問に司教が答えるのが、もはや見慣れた光景である。
「なんでも任務に出向かれる時は必ずここへ通うようにしているのだとか」
「へえ。っていうとルーンとの戦かい? いよいよご自慢の騎士団を出さなきゃならないところまで来たって?」
「いや、今度の行き先は北らしい」
「北?」
「ご存じないかな。なにやら北方のシドルドあたりで反乱が起こっているそうだ」
「本当かい司教さん。戦争ばっかで国がこんな有様って時に、余計に世の中を乱して何を考えてるんだか。せっかく前王様が遺してくださったこの国を潰すつもりかねえ」
憤慨する巡礼者。だが、司祭は複雑そうに顔をしかめる。
「それが実は、反乱している連中には前王ジェクニス様の子がいるそうだ」
「なんだと。それは本当なのか」
巡礼者が目を丸くして驚いた。
事実、アドミルの台頭は国内に多くの衝撃を与えていた。
その何よりも大きな要因となったのは、前王ジェクニスの子と謳うミレンギの存在である。
十年前、病魔に倒れたとされる前王ジェクニス。
彼は若くして国王の座を継ぎ、百年以上争いの耐えなかったファルドにて、瞬く間に各地にあった内乱を収めて太平の世を作り上げた偉大なる人物だった。
彼の功績を称えるものは多い。跡継ぎに恵まれないまま逝去したと伝えられた当時、彼の葬儀には、国中の三割もの民衆が駆けつけたと噂されているほどである。そんな彼に隠し子がいたという風の噂は、あっという間に国中へと広まっていった。
血統を受け継ぐことを絶対的としていた王制であった当時のファルドと比べ、臣下であるクレストが統治する今のこの国を『竜の加護失いし贋作の国』と罵るものも少なくない。
実際、クレストが王として君臨してからというもの、枝分かれしたルーンとの戦や内政の窮迫によって、かつての栄華あるファルドとは程遠い状況となっている。
「本当にジェクニス様の子なのだろうか。思えばクレスト王に変わってからというもの、竜神様の加護もなくなったように国は寂れてしまった。どうせこのまま国が腐るのなら、そのご子息に後を継がせて竜神様に許しを請うのがいっそのこと得策なのじゃあなかろうか」
巡礼者の弱気な声に、司祭も顔を落ち込ませる。
そんな二人に、「何を言ってる!」と、祈りを終えたアーセナが割って入った。
「前王様に子などおられなかった。それは前王様自身がおっしゃっていたことだ。クレスト王は亡き前王ジェクニス様に生涯の忠義を誓い、ファルドの今後を任せるとというご遺志を託されたのだ。いまだファルドに、ジェクニス様に信心を保つならば、この国を乱す俗物を淘汰し、兵を鼓舞することが民衆の役目だろう」
凛とした少女の強い言葉に、巡礼者たちは何一つ言葉を返せずに、ただ頭を平伏させていた。
アーセナは不機嫌に教会を後にする。
町の外れは貧困が激しく、昼間だというのに、路地もどこか陰が差したように薄暗い。路端にはぼろい布切れ一枚の子供が座り込んでおり、まるでここが国の中心部だとは思えないような光景だ。
王都の中心部から一歩足を踏み出れば、決して小さくはない貧困街が広がっている。ここ数年、その広がりは顕著であった。
国が傾こうとしている。
いや、実際はもう傾いているのかもしれない。
「アーセナ」
騎士団の駐舎に戻ってきたアーセナに声をかけたのは、隻眼の大男だった。
丸く剃った頭が特徴的な、非常に大柄の黒人である。まるで鬼の仮面をつけているかのような鋭い目つきと堀の深い顔立ちは、見ただけで子供が泣き出しそうなほどに凄みがあった。
「団長。どうかされましたか」
「征伐の命が下ったそうだな」
獣のような重低音で、団長と呼ばれたその男が言う。
鬼人という言葉を体現したようなその鍛え抜かれた巨躯と形相。その男こそが、王属騎士団にて現騎士団の最高峰に位置する男――騎士団長グランゼオスだ。
「ファルドの兵として恥ずる戦をするなよ」
「心得ています。私の思いは常に、ファルドと共に」
「再来週にはクレスト王も出席される祭事が行われる予定だ。女子の貴様が顔を出せば、少しは奴の機嫌も取れよう。くだらぬ雑兵の反乱などさっさと鎮圧して必ず戻って来い」
「かしこまりました」
まだ年端もいかないとはいえアーセナも一端の騎士団兵である。そんな彼女すら、彼の出で立ちから感じられる物言わぬ威迫に思わず気圧されてしまいそうだった。
東方にて小競り合いの戦が止まぬ中での北方への遠征。
天下泰平。
ファルドはその名目の元に戦を繰り返している。
クレスト王による統治という前王の遺言に反し、国を分けて対立した反逆者ガセフ。彼の討伐を前王に捧げる聖戦として祭り上げるファルド王政に対し、民衆の不満の声は少なからず上がっている。
このままではファルドは本当に崩壊する。
数十年、いや百年以上にも渡るこの国が歴史から消え去ってしまう。
そうはさせたくない、とアーセナは心から願う。
愛するこの国が再び豊穣の平和を取り戻すその日まで、少女は竜の加護受けし騎士団の紋章を片手にひた走る。
うら若き騎士団長補佐――アーセナ=アンクリーネ。
彼女の瞳は、強き志と共に常に前を向いている。
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