『少年が得た幸せの箱』
シドルドの町はその日、華やかな雰囲気で満たされていた。
町中の外灯には色鮮やかな花が飾られ、その下を埋め尽くすほどの人がごった返している。綺麗な洋服で身を包んだ婦人から薄汚れた麻布の服を着た子どもまで、いろんな人が大通りを行き交っていた。
道の脇には多くの商店が立ち並び、食べ物を焼いた芳ばしい匂いを漂わせたり、煌びやかな宝石をたたき売りしたりと大賑わいだ。
戦争の頃からすっかり立ち直ったように、行きゆく誰もが生き生きと輝かせていた。
そんな心地よい喧騒を遠くに感じながら、ミレンギは天幕に囲まれた部屋で仮眠をとっていた。そこはシドルドで一番大きな広場に設けられた仮設の天幕だ。個室のような手狭な場所だが、簡易的に休むには十分だ。持ち込んだベッドに腰掛け、支柱の柱にもたれかかっている。隣にはセリィも寄りかかるように寝息を立てていた。
布越しに天頂から降り注ぐ太陽の温かみを感じながら心地よく転寝を続けていると、「失礼します」という声と共に天幕の扉が開かれた。
ミレンギが目を覚ます。
入ってきたのは耳長族の女性フエスと長老のハイネスだった。
「ハイネスさん、それにフエスも。来てくれたんだね」
「こんにちは、ミレンギ様」
「わしはこのようなものに興味などないのだがな。どうしても孫たちが行きたいと言って聞かないから仕方なくだ」
ふん、と鼻を鳴らしたハイネスに、フエスがにこやかに肩を掴む。
「またまたお爺様ったら。今日一番に起きて出掛けの準備をしってたのは誰でしたっけ」
「わ、わしは周到な性格なんだっ」
ハイネスはそう言うと顔を隠して背けてしまった。
「素直じゃないんだから」とフエスが笑い、ミレンギも釣られて表情を崩した。
「そういえばヘイシャは?」
「ここについてすぐ、アニューのところに走っていっちゃいましたよ。いま集中してるだろうから邪魔しないようにとは言ったんですけどね」
「ははっ。きっとヘイシャが来てくれたほうがいい気分転換になって喜ぶよ」
「そうだといいんですが」
「ボクも、フエスが来てくれてすごく嬉しいし」
そう言って微笑むと、フエスは豊満な胸を抱えるように腕を組み、照れた風に頬を赤くして掻いた。
「もう、ミレンギ様ったら」と言い返すが、満更でもなさそうに喜んでいる。そんなフエスを横目に見て、ハイネスがしたり顔を浮かべた。
「ほうほう。どうだミレンギ。この際、英雄の血を耳長族にも分けようとは思わんか? しばしわしも考えてみたのだが、箔をつけるという意味では後々のためにも良いと思ってな。村の者たちも、人への抵抗が更に減るじゃろう」
「ええ?!」
「ちょっとお爺様!」
驚きの声を上げるミレンギとフエス。
そして嫉妬したようにセリィが少し頬を膨らませて見つめてくる。
しかし最も騒がしかったのは、
「ちょ、ちょっと待ったーっ!!」
天幕の扉を破くような勢いでいきなり駆け込んできたシェスタの声だった。
それに対してもミレンギたちは驚いたが、シェスタはそれも構わずミレンギに詰め寄ってきた。
「ど、どういうことよ子供って!」
「ええっ?! ハイネスさんが急にそう言い出しただけだよ」
なだめようとなるたけ優しい声をかけるが、シェスタはどうやら変に興奮して収まらなくなっているようだ。
「ぬ、抜け駆けは駄目なんだから!」
「抜け駆け?」
「…………っ! ち、違う。いまのは――」
「その話、わたくしたちも興味がありますわね」
途端に熟れた果実よりも顔を真っ赤にしたシェスタを遮り、ふと天幕の入り口から声が転がってくる。ミレンギたちがぱっと振り向くと、そこにはノークレンとアーセナの姿があった。王女様らしく気品のあるドレスを身に纏った正装だ。アーセナも王属騎士団の鎧を着てよく似合っている。
「わたくしたちもぜひ混ぜて欲しいですわね。ねえ、アーセナ?」
「わ、私は別に……。そういうのは似合わないので」
「あらあらー、そうだったの?」
ノークレンがわざとらしく尋ね、ついにアーセナの顔が照れたように赤くなる。
「も、もちろんです」とやや声を上擦らせてアーセナは答えるが、ふとミレンギと目があうと気まずそうに慌てて背けていた。
「お姉ちゃん、ミレンギ様と結婚するの?」
「ミレンギ、する?」
いつの間にかアニューとヘイシャまで天幕に入ってきていて、ミレンギを困らせてくる。
ただでさえ広くはない仮設の天幕が、彼女たちのせいで狭苦しくなってしまった。けれどそこにいある誰もが優しい顔をしていて、ミレンギはまたかけがえのない家族を持てたみたいで嬉しくなった。
「心が通じておれば、それは家族じゃ」
「うわっ!」
知らぬ間にユリアが背後に現れ、ミレンギは素っ頓狂な声を上げて飛び跳ねた。
「ここにおる者たちは皆、ミレンギが頑張って歩んできた道の軌跡じゃ。形をなって現れたそれを、いつまでも大切にするのじゃぞ」
まるで心を読まれていたみたいだ。
「ユリア様……いきなりビックリしたよ」
「ほほっ、こっそり裏から入ってみたのじゃ。いやはや、ミレンギもセリィも、二人とも元気そうじゃな」
「うん!」と元気よくセリィがユリアに抱きついた。
彼女がセリィの実の母親とわかり、最近では少しずつ甘えるように懐きはじめている。ユリアもそれが嬉しいようで、顔も見ず離れ離れだった時間を埋めるように、親馬鹿のごとく寵愛していた。
親子仲良くてなによりだ。
そうミレンギが口許を綻ばせているところに、ふと後ろから肩へと手がかけられる。振り返る戸、アーケリヒトに手を引かれてやって来たフェリーネがいた。
「こんにちは、ミレンギ。元気そうでなによりよ」
「……フェリーネさん」
お母さん、とは言えなかった。
なんだか気恥ずかしくて、まだ実感もなくて。
けれどフェリーネはとても穏やかに優しく微笑み、ミレンギを確かめるように触り続けていた。
そして父親――アーケリヒトも、彼女に並んでミレンギを見やる。
「ミレンギ。お前の選んだ道を見守らせてもらう。俺ができなかった、本当に一つになった世界を築けると信じてる」
「うん、ありがとう!」
やはりお父さんとも言えなかった。
けれど、いつかはそう言えるようになれたらいいな、なんてミレンギはひたすら笑顔を浮かべて返したのだった。
「あらあら、大盛況ね」
天幕の賑やかさに気付いてか、外を歩いてきたラランまでが中に顔を覗かせてくる。大きな袋に担いで荷物持ちをさせられているハロンドも一緒だ。
「さっすがミレンギ様でさあ。可愛い子がいっぱいだ。英雄色を好むってねえ。一人くらい分けてくだせえよ」
「馬鹿を言わない! 私もハロンドさんよりは断然ミレンギがいいわ」
「いでぇっ!」
ラランにがつんと頭を叩かれ、亜hロンドが大袈裟に舌を出して顔をしかめる。
それを見た全員が声を上げて大きく笑った。
「おーい、元王子くん! チケット完売だよー!」と、大量のお金が入った麻袋を片手にミケットがやってくる。
「もうすぐ時間なんだから準備してよー。せっかくあたしが会場から何まで手配したんだからさー。遅れて返金騒ぎにでもなったら一生恨んで追い掛け回してやるからねー」
「わかった、すぐ行くよ」
よろしくねー、と去っていたミケットに手を振り、ミレンギは力を込めて立ち上がる。
よし。それじゃあ行こうか」
セリィとシェスタに声をかけ、ミレンギはユリアたちに見送られながら天幕を出て行った。
次回更新は8月9日を予定しています!




