-18『分かり合う勇気を』
「そんな……僕とアーケリヒトが、負けた?」
アイネは驚愕に表情を震えさせて立ち尽くしていた。
アーケリヒトはアイネからの竜の憑依が途切れた途端、崩れ落ちるように倒れこんでいた。呼吸は僅かにあり、ただ気を失っただけのようだ。
ミレンギは激しく肩で息をして、そんな二人を見やった。セリィも、力の浪費で息も絶え絶えといった風に冷や汗を流している。糸が切れたように緊張が解け、もはやもう一度戦うには体が動いてくれるかどうかも心配だ。
しかし目の前のアイネはというと、まだ抗うでもなく、ただただ茫然自失としていた。
「ボクとセリィの絆が、人間を憎んでいるアイネと操られたアーケリヒトに負けるはずがない。そういうことだよ。きっとユリア様とアーケリヒトだったら怪しかった」
「僕が悪いって言うのか!」
ミレンギの言葉にアイネは苛立ちを隠そうともせず声を張り上げた。そんな彼に言葉を返したのはミレンギではなかった。
「違うよ」
セリィが優しく首を振る。
「アイネは人を信じられなかった。操るばかりで心を通わせていなかった。だから動きもアイネの思った範疇でしか動けない。それじゃあ何も成長できない。ずっとこの大樹に根を張って変われなかった竜と一緒だよ」
「幼竜が、知った口をっ」
「でも人間の優しさはよく知ってる。少なくともここにいる竜の人たちよりは」
いつにないセリィの力強い言葉。
それをミレンギは嬉しく思った。
「変化を受け入れる時が来たのじゃ」
そう、優しく諭すように声が届いた。
ユリアだった。アーセナに肩を貸され、ミレンギたちへと近づいていく。不時着した飛竜船からここまでどうにかたどり着いたのだろう。彼女を守るようにシェスタも同行している。
ユリアは地に伏せるアーケリヒトを一瞥して目を細めた。
「アーケリヒト。これまでよく頑張ってくれたのじゃ。ゆっくりと休むが良い」
そっと歩み寄り、眠るように目を閉じた彼の輪郭を優しく撫でた。とても慈愛に満ちた表情だった。口許は緩んでいるのに目許には涙が浮かび上がり、表情が混雑している。
そんなユリアをアイネはしかめた顔で睨む。
「ユリア……そんなに人間が恋しいか」
「ああ、恋しいとも。わらわには人が必要じゃ。いや、わらわだけではない。竜人には人が必要なのじゃ。彼らのマナをわらわたちは欲する。しかし貪るまでもない。ただ一緒に、仲良くいるだけでそれは事足りるのじゃ」
「でも、いつ人間が牙を剥くかわからない」
「それはわらわたちも同じじゃろう」
諭すような優しいユリアの言葉。
「お互いに恐れあって、排除しようとして。そうしていては、お互いどちらかがいなくなるまで争いの火は絶えん。それはなんと悲しいこととは思わぬか」
アイネが顔をしかめた。
そんな彼にミレンギは歩み寄る。
「アイネ、一緒に生きよう」
立ち尽くすアイネにミレンギは歩み寄り、なるたけの笑顔を浮かべて手を差し伸べた。
アイネは目を疑うようにその手を見た。
「はっ、ふざけているな。僕たちはいま、殺し合いをしていたんだぞ。これからの種族の生死をかけて、未来をかけて争っていたんだ。そんな相手に慈悲の心でも差し向けるつもりか?」
そのおかしさをミレンギもわかってはいたが、いま、向けるのは剣ではなく手であると思ったのだ。
「いいや、そういうのじゃない。最初からそう思ってたんだ」
「最初、から?」
「人と竜は仲良く生きられる。争う必要なんかないって。だってそうだろう。人と竜が争わなければならないなら、どうしてボクとセリィはこんなに仲良しでいられるんだ?」
「それはお前たちが英雄の血の元で結ばれているからだ」
「じゃあ、どうしてアイネと一緒に暮らせてたの?」
「僕、と……?」
「そうだよ。ボクたちはアイネとずっと一緒に暮らしてきた。いろんな戦いを乗り越えて、その合間にも楽しく過ごしてきた。ラランと楽しそうに書庫で話してたのも知ってる。あの光景を誰がどう見て、お互いに敵対しあう者だって思うんだい?」
「あれは……違う。あれは赤竜ではなく『アイネ』だったから」
「それとどう違うの? アイネは赤竜なんでしょ。あの時の些細な感情までもが全て、ボクたちを欺くための演技だったって? ボクはとてもそうは思えないよ。だってアイネは当たり前のようにそこにいて、一緒に目標に向けて頑張って、同じように笑える仲間だったんだから」
「仲……間……」
アイネは絞るように声を漏らした。
「確かに人と竜の争いは昔にあったかもしれない。そこで人間が竜にした仕打ちもひどいものだ。それはちゃんと謝る。けれどボクたちはそんなどこまで野蛮じゃない。過去の過ちを知り、分かり合えるはずだ。ボクとセリィがそうだったんだから」
「……人間の全てがミレンギみたいとは限らない」
「そりゃあそうさ。けど、それはどんな種族にだって言える。それを言って最初から全てを否定してたら、そこにある可能性を見失ってしまう。それは挑戦するよりもずっと悪い事だよ」
善人がいれば悪人がいる。
ミレンギだってよくわかっている。ガーノルドや他の仲間たちのように良い人もいれば、ノークレンを騙したグラッドリンドのような悪い人もいる。
そういった清濁が合わさっているのが自然なのだ。そしてそれは分離できない。一つの悪がなくなれば善の中から新たな悪が生まれる。フィーミアを追放したにも飽き足らず耳長族まで追い立てたように、人の悪意は必ずどこかに生まれてくる。
けれどそれを理解した上で、少しでも良くすることはできるはずだ。
「まずは歩み寄ることから。それからボクたちはどうにだってなれる。悲劇で終わった英雄譚が、ボクとセリィならそうならなかったように」
ね、とミレンギがセリィを一瞥すると、彼女は眩しいほどの笑顔で頷いてくれた。
ミレンギはどこまでも強く信じている。
だからこその心からの誘いだった。
「……本当に」
ぼそり、頭を俯かせたアイネの口から言葉が漏れる。彼はふっと小さく笑い、口角を持ち上げた。
「本当にキミたちは変わった人間だ。こういう人間たちばかりなら僕たちもきっと――いや、僕たちはそれを探そうともしていなかったんだろうな」
「アイネ……」
「わかったよ。キミの言う竜と人との可能性。それをもうしばらく見ていてやろうじゃないか」
「本当に?!」
アイネが頷く。
しかし目許はきりっと睨むようにミレンギを見やる。
「勘違いしないでほしい。決して融和したわけではない。もし人が道を違え、竜に害なすとわかれば、また再び僕たちは牙を剥くだろう」
「わかってる。そうならないように努力するよ」
「ならば……僕たちも少しは努力をしよう。
ふん、とアイネは顔をそらしてそう呟いた。
「アイネ!」
「うわっ、なにするんだよ!」
セリィが駆け寄り、飛び込むように抱きつく。
「アイネ、わかってくれると思ってた。だって優しいもん」
「何を。僕の何を知って――」
引き剥がそうとするアイネに、ミレンギが微笑む。
「よく知ってるよ。だってアイネは、ボクたちアドミルの家族だもん」
ミレンギの言葉にアイネは顔をはっとさせた。そして顔を背け、ミレンギから隠す。どこかまんざらでもなく、赤らんだ頬が持ち上がってるのは気のせいだろうか。
そして手をそっと差し出し、伸べられたミレンギの手を優しく握り返していた。
人と竜が手を取り合う。
まだまだ困難は長いけれども、それでも、確かな一歩を互いに歩み出せた瞬間であった。




