-15『英雄』
ミレンギと瓜二つの風貌をした青年は、静かに自分の手足を眺めると、その感覚を確かめるように指先を動かしていた。
アーケリヒト。
伝承の中で謳われたその男がいま、ミレンギの目の前に立っている。
英雄。
それでいて、ミレンギの父。
アーケリヒトはまるで過去の人物とは思えぬほど自然であった。しかし彼の瞳はどこか虚ろだ。その目の焦点はまるで合っていない。王城で見た、アイネに操られているセリィのようだった。
アイネはアーケリヒトへと魔法を注ぎ込む。するとアーケリヒトの手に魔法の武器が形作られた。それはミレンギにも酷く見覚えのある造形をしている。
「……そんな、あれはっ」
「そう。キミたちに竜の武器と呼ばれているものだよ」
アーケリヒトが手にした武器はまさしく、ミレンギがいま手に持っているイリュムそのものであった。色こそやや赤みがかっていて違うものの、その形状はほぼ同じである。そしてもう片側の手にはやはり、グランデが手首に巻かれていた。
「イリュムとグランデについては僕を人間界で勉強させてもらったよ。直接ミレンギに触らせてもらえることもあったしね。その構造さえ分かれば、僕にかかれば複製だってできるのさ」
出鱈目である。
しかしアーケリヒトがイリュムを試し切りのごとく一振りすると、近くに散乱していた竜結晶がたちまち真っ二つに切り裂かれて割れてしまった。竜結晶をも砕くその力はまさしくイリュムと同等である。
竜の武器を手にしたアーケリヒト。
それはまさしく、伝承にも語られし英雄そのものであった。
――そんなものに勝てるのか。戦わなければならないのか。
怖くて逃げ出したい気持ちを必死に押さえ込み、ミレンギは逡巡した。
アーケリヒトを救いに来た。それなのに彼と戦うなんて本末転倒だ。殺さずに気絶させれば大丈夫か、などと余裕を持って考えられるような場合ではないだろう。ならばアイネを倒すか。いや、アイネだって赤竜と呼ばれるほどの存在だ。生半可に片手間で倒せる相手ではないだろう。
「……やるしかないのか」
唾を飲み込み、ミレンギはイリュムを構える。
「見せてもらおうか。感動的な親子対決というやつを」
嘲笑うようにそうアイネが言った直後、アーケリヒトは表情をそのままに全力で地を蹴ってミレンギへ走り出した。
速い。
すぐさまミレンギの元へたどり着いた彼は、一切の迷いのない刺突をミレンギに浴びせてきた。
つい先ほどまで悠久の時の中で縛られ続けていたはずなのに、一切の鈍りや衰えを感じさせない。アイネの竜の憑依の効果もあるのだろう。セリィの加護がないミレンギには到底対応しきれる速さではない。
咄嗟に身を捩ってかわしたが、それで精一杯だった。反撃をする余裕がない。ミレンギのもつイリュムやグランデも、竜の魔法がなければただの剣と盾だ。
アーケリヒトの連撃は続く。
縦に一閃。横にかわしたミレンギに続けて横薙ぎ。
懐に踏み込んでくる一歩が速くて、ミレンギが距離をとることを許してくれない。
その強さ。その迫力。
まさしく生ける英雄。
凄みのあるその重圧に、ミレンギは心までも気圧されていた。
逃げるために踏ん張る足が震える。自分の足が枯れ枝になったかのように心細い。
「どうしたの。その程度じゃアーケリヒトにやられちゃうよ」
アイネが蚊帳の外から嘲笑を浮かべる。
「彼を助けに来たんでしょ? それなのに倒されちゃうなんておかしな話だよね。まあ僕としてはキミが新しい苗床にさえなってくれたら、アーケリヒトはもう用済みなんだけどね」
「ふざけるな。人間を道具みたいに!」
ミレンギが思わず激昂してアイネを一瞬だけ見やった隙を、アーケリヒトは見逃さない。視線を向けた方向と正反対の死角から、イリュムを上段めがけて降りぬいた。
反応の遅れたミレンギは咄嗟に自らのイリュムで受け止める。しかし竜の魔法もかけられていないそれは、アーケリヒトのイリュムを受け止めはしたものの、刃は砕かれて粉々になってしまった。
綺麗な白銀の刃が砕け落ちる合間にも、アーケリヒトは手を休めずもう一撃を横一線に見舞う。やはりかわす余裕のないミレンギはそれをグランデの根元で受け止めた。抉り取られるように、イリュムと同じくグランデまでが破砕する。
大急ぎで身を後ろに跳躍させやっとどうにか距離はとれたものの、いよいよミレンギは丸裸となってしまっていた。
もはやイリュムは折れ、まともに戦うことはできない。
それを操られているアーケリヒトも察したのか、攻撃の手を止め、虚ろな表情でミレンギを見つめていた。
「なんだ。もう決着がついたの?」
呆れ調子でアイネが肩をすくめる。
「歴史的な戦いかと思って息を呑んで見守っていたのに、がっかりだよ。ミレンギ、まさかキミがそこまで弱いとはね」
アイネの言葉は無茶のある煽りであった。
どれだけ修羅場をくぐってきてもただの人間に過ぎないミレンギに、竜の憑依を受けているアーケリヒトを倒すなど、赤子に大人を倒せと言っているようなものだ。
しかしそれを言い訳にはできない口惜しさに、ミレンギは奥歯を噛み締めた。
これは練習試合なんかじゃない。
圧倒的不利なんて言い訳になり得ない。
命を、いや、人類の未来すら賭けた戦いなのだから。
絶対的窮地。もはや敗北は明白だ。
しかしミレンギは諦めるつもりも、下を向くつもりもなかった。
どうにかできないか。何か勝つ方法はないか。
こういう時にやはり思い浮かぶのは、いつも隣にいてくれた少女の顔。
「まったく。セリィがいなければキミはアーケリヒトには及ばないんだね」
「……そう、みたいだ」
やはり彼女がいてくれなければならない。
ミレンギは孤高に戦える英雄ではない。悠久の時を独り耐え切れるような器を持っていない。完璧ではないのだ。
欠けた器を埋めてくれる少女が要る。
「やっぱりボクにはキミは必要だよ……セリィ」
「女々しい泣き言はもういいよ。大人しく苗床になってくれ」
無情なアイネの冷たい言葉と共に、ミレンギの周囲を大樹の蔦が纏い始める。ミレンギを取り込み、餌としようとしているのか。
もはや抗う手段もなく、ミレンギは立ち尽くした。
そんな時だった。
――ミレンギっ!
どこかからそう呼ぶ声が聞こえた。と思った瞬間、ミレンギの足元から全方位を囲うように、巨大な竜の結晶の柱がせり上がってきた。
その結晶は細い蔦を全て引き裂き、ミレンギを守るように包み込んでいる。
「な、なんだ!」とアイネが驚く。
しかしそれ以上にミレンギが驚いていた。
ふと、ミレンギのすぐ目の前に一人の少女が現れたからだ。
その少女へとミレンギは無意識に手を伸ばし、顔の輪郭に指先を触れさせる。絹のように滑らかなその感触を確かめるように。
「…………セリィ」




