-7 『勧善懲悪』
ミレンギとノークレン、そしてユリアによる演説は、想像以上の反響を持ってファルド全土へと伝わっていた。
国民へと告げられた、英雄を助けるための竜との戦い。
恐れおののき、逃げ出してもおかしくはないその困難を前に、しかしファルドの民の結束は一層の強まりを見せていた。
英雄を解放する聖戦である。
ルーンとの戦争で疲弊しているにも関わらず、ファルドの兵たちはそう強く勇んでいた。
投降したルーン兵の中からもミレンギたちの言葉に感化された者たちがファルド軍へと編入し、戦力は想定よりもずっと早くに回復した。
それらを大河沿いの港町に分けて集結させ、いよいよルーン本土進攻も目前へと迫っていた。
全軍に言い渡された目的は、竜の殲滅ではなく、ミレンギたちをただ竜の国へ送り届けること。ユリアによって彼の地へ向かうミレンギたちのために、そのための道を切り開き、そしてファルドとルーンの地を守ること。そしてなにより、命を無駄にせぬようにと徹底して命じられた。
「竜はただ、人間が怖いだけなんじゃ。敵対したいわけではない。しかし人間は竜を滅ぼすと、過去の歴史からそう思ってしまうのじゃ」
そうユリアは悲しそうに語っていた。
それも仕方のないことだろう。
かつて人間と竜が敵対していたことは事実だし、それによって人間が勝ち、竜は竜人という不完全なものへとなってしまった。
「過去のことを恨んでおる者はもうおらん。だから、どうか竜を受け入れてやって欲しいのじゃ」
しかしそれを言うならば人間も同じだ。
そもそも竜の存在すら忘れ、空想上のものとすら思っていたのだから。
人間と竜の関係性。
これまでとても遠かったけれど、この戦いでそれも変わる。
それがきっと良い方向に進むと、ミレンギはそう強く信じていた。
ファルド軍が渡河のためにいくつかの町へ分かれる中、ミレンギはテストの町を訪れていた。
ルーンの襲撃にあったテストの町は郊外部の家屋がひどく焼け落ちていたが、住宅街や領主邸などがある中心部はどうにか無事で、港も比較的綺麗に保たれていた。
どうやら自ら町に火を放ち、ルーン軍が中に入ることを困難にさせたらしい。身を切ったその作戦は結果として町を守りきれていた。
「ミレンギ様がご無事でよかったのよ」
ミレンギがテストについた矢先、領主であるチョトス候が元気よく迎えてくれた。
「チョトスさんこそ。よく無事でしたね」
「運が良かったのよ。それに、町の皆も尽力してくれた。犠牲は出たけれど、残す物は守れたのよ」
領主の屋敷前でそう語るチョトス候の周りには、たくましく彼を見守る住民たちの姿がある。誰もが疲労してやつれた顔を並べていたが、一切の不満を表す様子はなかった。
そんな中、群衆を掻き分けてテストの兵が駆け寄ってきた。
「チョトス様。ルーン側より船が」
「船?」
ルーンの方からやって来る船。
竜の侵攻から逃げてきた避難民だろうか。
「それがその男、自分を今すぐ保護しろとうるさくてですね。なんでもノークレン様の育ての親だとか言ってまして」
「それって……」
ミレンギはイヤな予感を覚えて苦笑しながらも、チョトスと共に港湾部へと足を運んでみた。そこにはテスト兵に囲まれながら大騒ぎしている中年の男の姿があった。
やはりというか、グラッドリンドである。
対ルーンの王都攻略の際、多くのルーン将兵や下級士官が投降したものの、彼の姿は最後まで見当たらなかったという報告が入っていた。
それがまさかこんなところにいたとは。様子からして、ルーン本土へと逃げたものの、竜の侵攻という予想外の事態に慌てて戻ってきたというところか。
「ええい。俺を誰だと思っているのだ。あのノークレン様を育てた男だぞ。俺に失礼を働けばノークレン様がどのような処罰を与えるかわかっているのか」
この上なく不遜な振る舞いをしているグラッドリンドに、ミレンギは呆れて溜め息すらこぼしたい気分だった。
そして、同じように思っている少女がもう一人。
「どのような処罰をするのでしょうねえ」
ふと現れて嘆息をまじえながら言ったその少女を見て、グラッドリンドを目を丸くして口を開いた。
「の、ノークレン。何故ここに?!」
「わたくしも兵を率いてルーンへ出立しますもの。わたくしがいて何かまずいことでも?」
「そ、それは……」
自らの詐称を責め立てられるようにグラッドリンドは視線を逸らし、背を丸め込んでしまっていた。テスト兵を怒鳴っていた威勢はもうどこにもない。
ノークレンからすれば育ての親。そして裏切られた相手。そんな彼にいろいろと思うこともあるだろう。
しかしノークレンはいたって冷静に、穏やかな顔つきでテスト兵へと指示を出した。
「牢へ連れて行きなさい」
「な、なんだと? この恩知らずめ。誰がお前をここまで育ててやったと思ってるんだ」
「わたくしを育ててくださったことに恩義はありますわ。だから国家転覆の重罪人として殺しはいたしません。だから拘置所で、しばらくの長い間大人しくしておいていただきますわ」
ふざけるな、とグラッドリンドは最後まで言い抗っていたが、テストの兵数人に囲まれ、そのまま連行されていったのだった。
「あれでよかったの?」
ミレンギはノークレンの背中に尋ねる。
すると彼女は晴れやかな微笑を浮かべた横顔を見せて頷いた。
「今となっては些末ごと。わたくしも、ユリア様のように自分の身の上を語らなければならない時がきますわ。その時に、彼との因縁も決着をつけるつもりですわ」
「そっか」
ノークレンに視線がミレンギを捉える。
目が合うと、彼女は少し照れくさそうにはにかんでいた。
「わたくしはここまでこれたのはユリア様やアーセナ、ファルドのみんな……それとミレンギのおかげですわ」
「そんなことはないよ」とミレンギは首を振る。
「本物になろうと努力をしたノークレンの頑張りのおかげさ。今ではもう、みんながノークレンのことを信頼してる。この戦いが終わってから全てを明かすことになっても、きっと受け入れてくれるよ」
「……そうだと良いですわね」
ミレンギへと歩み寄ったノークレンがそっと手を取ってくる。彼女の温かい指の感触に、ミレンギは思わずどきりとした。
「ありがとうミレンギ」
ノークレンはそう耳元で囁くと、そのままグラッドリンドの連行した兵を追って去っていってしまったのだった。
成長した、偽りの少女。
もはや彼女を贋作と笑う者はいないだろう。本当の王のように堂々と、凛としている様に、ミレンギは温かい気持ちを抱いて彼女を見送っていた。
「明日の朝には全ての船の準備も整うのよ」
離れて様子を見守っていたチョトスがミレンギへと歩み寄ってそう告げる。
「……全ては、明日」
ミレンギは息を呑んだ。
明日で全てが決まる。
ミレンギのたびの行く末も。このファルドという国の未来も。
来たるべく時を待ちながら、ミレンギは遥か川の向こうにあるはずの竜の国を眺めて想いを馳せていた。




