-6 『歴史に名を刻む者たちの声』
竜の伝承の偽りと、ファルド建国における真実。
かつて始祖竜の口から語られた本当の歴史を、ミレンギは集まった群衆へと伝えていった。
これまでその事実はユリアたち一部の人間にのみ知られ、世間には伝承として美化されたもののみが口伝えられてきた。それをもはや隠し続けず、民たちに知ってもらいたい。
ユリアはそれを国民が簡単に受け入れるものかと心配していたようだが、
「もう、この国に生きる誰もが無関係の話じゃない。これから竜との戦争が始まる。とても強大な力を持つ彼らと戦う時に、何も知らずに戦わせるなんてのは可哀想が過ぎるって思うんだ」
そう言ったミレンギにほだされ、ユリアは不安そうながらも頷いてくれた。
「ずっと守ってきてくれてありがとう」
ミレンギを。
そして国を、人間を。
彼女がいなければきっと、人類は戦争に明け暮れたまま滅び行っていたかもしれない。
「でももう大丈夫だよ。人は――ボクたちはもう、弱くはない」
ミレンギは信じている。
必ず竜の支配に打ち勝てると。
「――それがこの国の真実。そして、英雄アーケリヒトは未だ、竜の国に捕らえられたまま苦しみながら生き続けているんだ。この国の平和は彼の犠牲の上に成り立っている。今この時にも、ボクたちは彼の献身にすがりつづけているんだ」
立て続けに言葉を並べて説明したミレンギに、民衆はただ息を呑んで耳を傾けることしかできていなかった。あまりに突然のことで理解が追いついていないのかもしれない。皆、幸せに終わる空想の伝承を幼子の時から聞かされていただけあって、その差異にまた戸惑っているのだろう。
しかし先の戦争でセリィやユーステラといった竜を目の当たりにした者も少なくない。それを嘘八丁との出鱈目だと野次する者はほとんどいなかった。
極めつけとばかりに、彼らの頭上に突如、一頭の竜が姿を現した。ユリアである。驚嘆の声を上げた彼らの真上で、その煌びやかな竜は巨大な翼を羽ばたかせた。
「りゅ、竜神様?!」
経験なる竜の信者はそう崇めて膝をつき、そうでない者も目の前の巨獣に
恐れおののいて足を竦ませる。
やがてその竜は光を纏い見目麗しい少女へと変貌すると、ミレンギとノークレンの間へと降り立ったのだった。彼女はそこで赤く瞳を力強く見開き、大手を広げて人々を向かい合った。
「わらわは竜人。竜の人と書いて竜人じゃ。決して神などではない。わらわたちは人と同じように生き、同じように暮らしておる。違いといえば寿命の長さと、姿形を獣に変えられることくらいじゃ。どうか、わらわたちを特別と思わないで欲しい。竜はそなたらの隣人なのじゃ」
それは心から搾り出したような切なる言葉だった。少女の頭がゆっくりと、深く下がる。
「どうか、竜も共に住まわせて欲しいのじゃ。おぬしたちと一緒に」
偉大で強大な竜神と思っていた竜のあまりにも低いその姿勢に、民は皆そろって面食らっている様子だった。まさかそのように腰を低くして頼み込まれるとは思うはずもない。そこにいる小柄な少女は、自分たちの思っている竜とはあまりにかけ離れ、それでいて身近すぎた。
言葉を迷ってどよめきだけが漏れる彼らの前で、ミレンギはユリアへと寄り添う。
「ボクからもお願いします。彼女は英雄アーケリヒトと共にこのファルドを作った。伝承ではノクルタと名付けられている竜だ。アーケリヒトを失ってからも、彼女はずっとこのファルドのために陰で尽くしてくれていたんだ。ルーンとの戦争だって、彼女がいたから勝利を得られた」
その献身ぶりはもはや疑いようがない。
いましがた話を聞いたばかりである者も、彼女がその伝承の竜であると信じた。しかしだからこそ、そんな凄い竜が自分たちに頭を下げていることに困惑していた。
「彼女が望むのは支配じゃない。人と竜の共存だどちらかが虐げず、虐げられず、共に生きる。かつての人類には無理だったけれど、竜の優しさを知った今ならば、きっとできるはず。彼らはただただ獰猛な獣ではないとわかっているから」
ミレンギはユリアにそっと手を伸ばし、彼女の細い指先を触れる。ただの子供のように小さなそれは、とても人間らしい温かみがあった。
「みんなには、どうか彼女の悲願をかなえる手伝いをしてほしい。彼女の最愛の男、アーケリヒト。最果ての地でボクたちのために苦しみ続けている彼を、救う手伝いをしてほいんだ。どうか、おねがいします」
ミレンギまで頭を下げる。
傾聴していた民衆の動揺は更に増していくばかりだった。
どうすればいいのか。
自分たちはどう応えればいいのか。
ミレンギの言うことは、竜と戦うということだ。その力の凄まじさを目の当たりにした者からすれば背筋が凍るような話である。しかし伝承の真実を聞かされ、絶え間なく長い献身を捧げ続けてきたその竜の少女に温情を抱き、無碍にできずに歯がゆさを覚える者も多いようだった。
それぞれが他人の様子を窺いながら反応を困らせている。ざわついたどよめきが場を満たした。
ルーンとの戦争が終わり、一度は訪れた平和。
いずれはこの地にやってくるかもしれないが、わざわざ自分たちから竜の最中へ行って戦わなくてもいいのではないか、という臆病性が心を萎ませる。
やはり彼らには重荷すぎるか、とミレンギは内心で諦めかけた。
そんな滞りをぶち破ったのは、ノークレンの勇み良い大声だった。
「英雄に与えられただけの平和で良いのか!」
民衆が――ミレンギすらも驚いて彼女を見やる。
「わたくしたちがいま掴んでいるのは、英雄アーケリヒトに与えられた平和。それをよしとして甘んじたままで良いのか! いや、良くはない! わたくしたちは自分で、自分たちでそれを得なければならない。でなければ安全な柵に入れられた家畜と同然。それで良いのか! みじめとは思わないのか!
わたくしは人間としての尊厳と誇りがある限り、それに甘んずるつもりはない。決して人道を失わず、自らの選択を持って真の平和を勝ち取ってみせる。それがわたくしたち、人類という群れの有様ですわ!」
重く厳かな力強いノークレンの言葉は、まるで世界中の隅々にまで染み渡って響いていくかのようだった。耳を傾けていた民衆はそれぞれに深く聞き入り、心を掲揚させ、胸を熱く叩いたり涙を浮かべ拭う姿を見せていた。
「勝ち取るのです、平和を!」
「お、おおっ」と群衆の一部から声が沸く。
「掴み取るのです、未来を!」
「おおー!」と更に一際大きな歓声が上がった。
「人類の、わたくしたちの歴史をいまここに、誰でもない、わたくしたちの手で刻むのですわ!」
民衆が一斉に沸き立った。
これ以上ないほどの歓声が溢れ、空気を振るわせた。
「やってやるぜ!」
「俺たちで英雄様を助けるんだ!」
口々に威勢の良い声が湧き上がっていく。間欠泉のように激しいそれは、この広場全体をすぐに満たし、遠くの空にまで響き渡っていった。
みんなが応えてくれた。ミレンギたちを支持してくれた。
ただそのことに嬉しくて、ミレンギは思わずこめかみを熱くする。
思えば最初は、ハーネリウス候の屋敷の小さな中庭で、それほど多くはないアドミルの仲間たちを集めて共に歩き出した道。それがはるばるここまでたどり着いて、今ではファルドの多くの国民たちを前にしている。
随分と長い道を来たものだと、今更ながらに途方にくれた。それと充足感。
ここまで来たのだという達成感がミレンギを埋め尽くす。ガーノルドに胸を晴れることだろう。
――やっとここまで来た。もう少しだよ、と。
ノークレンの言葉に鼓舞された民衆を眺め、ミレンギはぐっと拳を握る。
「竜の伝承はまだ終わっちゃいない。これから真実の続きがまた紡がれるんだ。人間と竜の関係の行き着く先。その主役は――ボクたち全人類だ」
握り締めた拳を高く掲げ、ミレンギはそう力強く叫んだ。
嘶きのような民衆の応える声が、地鳴りを起こして彼方まで轟いていった。




