-5 『短くも大きな一歩』
王城のすぐ隣にある竜の聖堂。
そこにある広々とした中庭に、多くのファルド兵と、それに混じってハンセルクの市民達が所狭しと詰め寄って集まっていた。
彼らは暫定政府を統括するノークレンによって召集されていた。これからのファルドの体制について未だ戦後処理などが片付いてはいないが、先の戦いでファルド王として先陣に立った彼女を覚えている者も多い。正式な次の王へ、彼女が即位するものだろうと予想する民衆は決して少なくはなかった。
そんな中、彼女によって呼集がかかり、兵や市民たちはなにごとかと心をざわつかせながら、彼女が現れるのを待っていた。
そんな群衆を見下ろすように、隣接した王城のテラスにノークレンはいた。ミレンギも、まだ袖に控えて姿を隠している彼女の傍に付き添っている。
ノークレンは綺麗なドレスを身に纏っていて、誰がどう見ても麗しい令嬢のようだった。それに反してミレンギはあまり気に留めていない薄汚れた普段着だったから、並ぶとなんともみょうちくりんで惨めさを醸し出していた。
「うーん。そんな大それたものじゃないと思ってたんだけど。ちゃんとした服を用意したほうがよかったかなあ」
「だから言ったのよ。あたしは借りてでもちゃんと良い服を見立てなさいって」
隣でノークレンの髪型を整えていたシェスタに口を尖らせながら言われてしまった。そんなやり取りを聞いて、ノークレンがくすくすと笑う。
「わたくしは良いともいますわ。ミレンギらしくて」
「ノークレンはミレンギを甘やかしすぎ」
「ひどいなあ、シェスタは」
「ひどくないわよ」
「もうちょっと優しく言ってくれてもいいのに」
「あんたが優しく言ってもしっかりしないからでしょ。強く言われたくなかったらシャキっとしなさいよ」
シェスタはちょうど今日退院して、すっかり元の調子に戻っている。普段から元気な彼女は相当に有り余っているのか、いつになくミレンギに高圧的だ。けれども他愛のない痴話げんかを繰り広げるのもなんだか懐かしくて、ミレンギはつい言い返すものの、悪い気はまったくしなかった。
「ふふっ。二人は本当に仲良しですわね」
「よくないよ!」
「よくないわ!」
「あら、本当に仲良し」
目を丸くしたノークレンに、シェスタは食い下がってまで否定を続けていた。
「ミレンギ様。ノークレン様。そろそろ準備が整いました」
やがて王属騎士団の鎧を身に纏ったアーセナがやって来て声をかけてきた。
「そろそろよろしいかと」
「ありがとう、アーセナ」
「ミレンギ様。応援しています」
「うん」
深く頭を下げてアーセナは後ろに退いていく、
見えない眼下から聞こえてくる人々のざわめきを耳にしながら、息を呑んで時を待つミレンギとノークレン。
どちらもファルドの王をめぐって翻弄された二人。
そんな二人が今、並んでここに立つことの意味は、ファルドの歴史においてとても大きな意味を持つことだろう。
「ごめん、ノークレン」
「ミレンギ?」
小さくミレンギは言葉を漏らした。
「こうしようって考えもなく言ったけど――もしそれでノークレンがみんなに糾弾でもされたりしたら……」
沈んだミレンギの声に、ノークレンは引っ張り上げるような明るい声調で口許を緩ませる。
「問題ないのですわ、ミレンギ。わたくしも、こうしなければと思っていたところ。どのみちいつかは話さなければならないもの。だったら今がきっと、一番いい機会ですわ」
「ありがとう、ノークレン」
「こちらこそ。ありがとうですわ、ミレンギ」
そのノークレンの感謝は心からのものなのだと、ミレンギはひしひしと感じ取った。
きっとミレンギたちがいなければ、彼女はグラッドリンドの傀儡としてその生の意味を見出せていなかったことだろう。しかし今ここにいる彼女は偽王などではなく、まさしく王として器を広げた顔つきを見せている。
ミレンギもそうだが、ノークレンの成長もまた目を見張るものであった。
「それじゃあ行こうか、ノークレン」
「ええ、いいですわ」
互いの目を一瞥しあった後、ミレンギとノークレンは揃って足を前に踏み出した。
「おおおおおおおおお!」
ミレンギたちが王城のテラスから顔を出すと、敷き詰められた砂利のように埋まった民衆たちからどよめきと歓声の声が上がった。それは激しい音の波になって、気圧されるようにミレンギたちにまで届いてきた。
「ノークレン様だ!」
「あれは、ミレンギ様か?」
「誰だいミレンギって」
「知らないのか。逆賊クレストからファルドを解放したお方だぞ。あのガセフも倒したって噂だ」
「はあ、それは凄いねえ」
口々に誰かが言葉を投げる。
その一言一言が、重圧を持ってミレンギにぶつかってくる。
これほどの人数の前に立っているのかと思えば思うほど、緊張と恐怖で足が竦みそうになる。
整列したファルド軍の中にはアランやアニュー、ハロンドたち見知った顔ぶれも並んでいた。それが少しミレンギの緊張感を削いでくれた。聖堂の建物の脇にはフェリーネの姿もある。やはりまだ彼女が母親だという実感はないが、一度目に入ると、不思議と心が軽くなっていく気がした。
「がんばんなさいよ」と、後ろから小声でシェスタが後押ししてくれている。
大丈夫。自分ならできる。
きっと民のみんなはわかってくれる。
そう願いながら、ぐっと拳を握り締める。そして、下がりそうになる頭をぐっと持ち上げ、ミレンギは堂々と口を開いた。
「これからみんなに、本当のことを話したいと思う」
しんと場が一斉に静まり返った。
その重たさにも構わず言葉を続ける。
「いきなり何を言うのかと疑問に思う人もいるかもしれない。けれどこれは、きっとみんなが知らなければいけないことだと思ったから。だからみんなに、本当のことを話したいと思う。今回の戦争のこと。ファルドのこと。そして、竜の伝承のことを――」
そうして、傾聴する何百何千というファルドの民たちへと言葉を紡いでいったのだった。




