1-1 『空虚な日常』
――セリィが王城を飛び去ってから数日が過ぎた。
終章 -竜の国編-
赤竜の姿も見えなくなった後、駆けつけたラランたちによってガセフの死亡が確認され、ルーン軍の投降を持って戦いは終わりを告げた。長きに渡るファルドとルーンの戦争はこうしてひとまずの終結へと導かれたのだった。
此度の戦争で、王都は破壊や火災により多くの被害を受けた。かつての繁栄の華々しさはなりを潜め、廃墟の並ぶ物悲しい町へと変わっていた。
シドルドを暫定的な首都とする案もあがったが、竜信仰の象徴である聖堂がある王都ハンセルクを好む者も多く、ノークレン指導の下でそのまま復興が始められることとなった。
今ではシドルドに非難していた住民たちが戻り、被害のない区画を中心に生活を取り戻そうと励んでいる。
そんな中、ガセフを失ったルーン軍はもはや主だった主導者もなく、国家としても瓦解していった。竜の国の支援もなくなった彼らにはもはや戦う意思も、意味すらもなくなったかのようだった。
この戦争で明らかになったことがいくつかある。そのうちの一つがガセフの真の目的だ。
「あの方は最初から竜への隷属なんて缶上げていなかった。先史時代の人類のように、竜こそが人に隷属させられるべきだと考えていたのでしょう。けれどそれも赤流には見透かされていた。私の、せいで……」
背中に包帯を幾重も巻きつけた半裸の少女――ユーステラが、王城の一室で寝台に身を伏せながらそう語った。
「あやつがイリュムとグランデを是が非でも欲しがっていたのは、ファルド統一のためではなく、赤竜討伐のためだったんじゃな」
そう推察したユリアの言葉に、ユーステラは「おそらく」ともの悲しげに頷いていた。
戦争が終わり、かつての主君をなくしてミレンギたちにただ独り助けられた碧竜は、まるで生気を失った抜け殻のように呆然とした様子だった。
そんな彼女をユリアの隣で眺めていたミレンギは、そんな彼女の儚さに目を奪われた。
目の前にいるのは竜だが、セリィではない。
どんな時も一緒にいてくれたあの少女は、もういない。
その寂しさが胸を歯がゆく締め付けた。
「傷はどう、ユーステラ?」
つい先日まで敵対していた竜になるたけの笑顔を作り、ミレンギは微笑みかける。
「もう大丈夫です。力は……まだ使えるほどではありませんが」
「当然じゃ。イリュムは竜の皮膚でも鋭く貫く。それでできた深い傷を、己の竜の力で無理やり保護して生きながらえておったのじゃ。わらわの力を分け与えておらねば、どのみち生命力が枯れ果てて死んでおったじゃろう。感謝するが良いぞ」
ふん、と得意げに胸を張るユリアに、ユーステラは曖昧な微笑だけを浮かべて返した。
ガセフを愛していた竜。
果たして彼を失って、生きながらえたことが彼女の幸せだったのだろうか。そう思うと、ミレンギは彼女を助けたことを一概に喜べなかった。
「まあ、今はもう安定しておる。この調子ならばすぐに元気になるじゃろう。それまで安静にしておくのじゃぞ」
すっかり牙をなくした碧竜を衛兵に任せ、ミレンギとユリアは部屋を出た。
黙々と隣を歩くミレンギを、ユリアはそわそわした様子で横目に窺ってきていた。
「……すまぬな、ミレンギ。アイネが赤竜であることを見抜くことができなんだ。ましてやその見聞の広さゆえにいずれアミリタへと行き着いてしまうだろうと考え、こちらから招いてしまっておった。
いまにして思えばわらわと同じほどの時を生きる奴が博識であることは当然じゃ。しかもおそらく魔法によって遥か昔とは姿も変え、魔力の痕跡も隠しておった。言い訳になるが、奴の偽装は完璧だったのじゃ」
申し訳なさそうにユリアはそう言った。
「じゃからセリィが連れ去られたのはわらわの甘さが原因じゃ。お主のせいではない」
気遣って励ますようにユリアは言葉をかけてくれる。大切な人を失い相当に落ち込んでいるだろう、と。
実際、王都での戦いが終わってからと言うもの、ミレンギはどこか心ここにあらずといった様子だった。戦後の処理も全てノークレンやユリアたちに任せ、独り、ただぼうっと黄昏ていることが多かった。
そのせいだろう。
ミレンギを気遣って、不用意に声をかけることすらみんな躊躇しているほどだった。
――しかしミレンギはそうではなかった。
「大丈夫だよ、ユリア様」
「…………む?」
「ずっと考えてたんだ。ボクはこれからどうしようって。人間の戦争は終わった。きっとこれから、ノークレンたちによって新しいファルドが作られる。そこにもうボクの必要はないだろうし、このまま歴史の表舞台から消えてもいいのかもしれない。
けれどユーステラを見て思ったんだ。彼女はもうガセフを取り戻せない。どうしたって愛する人と一緒にいる日々に戻ることはできないんだって。大切なものを失った人は、あんな顔をするんだ」
それがたとえどれだけ歪な関係だったとしても、ユーステラにとってはかけがえのないものだった。その最愛たるガセフを失い、自失の底にいる彼女を見て、ミレンギはユーステラの消沈する横顔にセリィの面影を重ねていた。
「セリィもきっと、連れ去られた先で同じように悲しんでくれてる。けれどボクたちはまた死んじゃいない。永遠の別れじゃない。これかrなお可能性を残せてるんだ」
「……ミレンギ」
「ボクは行くよ、竜の国に。セリィを取り戻すんだ」
力強く言うミレンギに、しかしユリアは眉をひそめて顔を伏せる。
「しかしそれは危険じゃ。赤竜はお主を悠久の大樹へ捧げる贄にしようとしておる。そうやって自らやって来るのを、手をこまねいて待っているのじゃぞ」
だからこそアイネ――赤竜はセリィを攫った。
本来ならばあの場でミレンギも連れ去るつもりだったのだろう。しかしユリアによる邪魔が入ったために計画を変えたのだ。アーケリヒトに代わる苗床とするミレンギを竜の国へと誘うために。
しかしだからこそミレンギは確信できていた。セリィは無事でいる、と。
「ボクを誘うつもりならセリィを殺したりはできないはず。だったら連れ戻す機会もあるはずだよ」
しかし、
「それは駄目じゃ!」
ミレンギの思いに反し、ユリアは力強く首を振った。それはいつもの冷静な彼女らしくなく、まるで見た目相応の子供じみた駄々のようだった。
そんな彼女の頭にミレンギは優しく手の平を乗せ、あやすようにそっと撫でる。
「大丈夫だよ。ちょっと大切な人を迎えに行くだけだよ。だから安心してほしい」
「……そう言って、奴もこの国からいなくなったと聞いたのじゃ」
竜の伝承で語られるのとは違う真実の過去。それが彼女の中で想起されているのだろう。
「……アーケリヒトはわらわのせいで悠久の時に囚われてしまった。お主にもそうなってほしくはない」
それは涙すら浮かべた悲痛な声だった。
それだけ、かつての自分を悔やんでいるのだろう。自分が竜の国へ戻り、それを追いかけてきたせいでアーケリヒトは囚われた。その再現をしようとしている。
けれどミレンギは一切の不安を取り除くように首を振った。
「ボクは伝承とは違う。今を生きてるんだ。これからの未来はボクが決めるよ。大丈夫、アーケリヒトのように帰ってこなくなったりしないから。むしろ助けてくるよ。セリィと一緒にね」
にっと、ミレンギは笑ってみせた。それはセリィを失った悲しみを隠す強がりと、取り戻す自信をないまぜた力強い笑顔だった。
ユリアの顔が持ち上がり、ほだされたように緩んでいく。
そして何か覚悟を決めたようにぐっと拳を握ると、彼女はおもむろに口を開いた。
「わかったのじゃ。ならばわらわも覚悟を決めよう」
薄っすらと潤んだ瞳を拭い、その赤き瞳をミレンギへと据える。
「紹介したい子がおるのじゃ」
「紹介したい子?」
「うむ。お主にとって大切な、それはそれは大切な人じゃ」
もったいぶった言い方をするユリアに、ミレンギは不思議そうに小首を傾げていた。




