-3 『運命』
街の北部の山際に建てられたお城のような屋敷にミレンギはつれていかれた。
背の二倍はある石造の大きな門扉をくぐり、迎えてくれた執事服の老人の誘導で敷地の中を歩いていった。
やってきたのはミレンギ、ガーノルド、シェスタ、――セリィの四人である。
本当は三人の予定だったのだが、意地でもセリィがついてくると言って譲らなかった。
「……ではせめて失礼のないように」とガーノルドは頭を抱えながらも許してくれた。アニューはラランの世話とともに留守番だ。
四人で応接間に通され、深い椅子に腰掛けてしばらく待っていると、扉が開いて厳かな正装を纏った初老の男性が現れた。
ハーネリウス候だ。ガーノルドとシェスタが頭を下げ、つられてミレンギも慌てて礼をした。セリィは相変わらずの調子でぼうっとしているだけである。
「これはこれはミレンギ様。お会いしとうございました。どうか頭をお上げください」
「は、初めまして。ミレンギです」
「ええ。ガーノルド殿から重々伺っております」
ハーネリウス候がゆったりとした足取りでミレンギたちの対面に腰掛ける。
彼はまるで孫を見るような和やかな表情でミレンギの顔をまじまじと見つめた。
「あ、あの。どうしたんでしょうか」
「いや、申し訳ありません。少し嬉しくて」
「嬉しい?」
「はい。私は前王ジェクニス様に深い恩がありました。その昔、私はとある諸侯の策略に嵌まり、あらぬ濡れ衣を着せられることになったのです」
軍事費の不正利用などを理由に、かつて前王ジェクニスの忠臣の一人であった諸侯が地方へ更迭された事件だ。それに関しては色々と謎が多く、それ以上の情報が市井に出回ることはなかった。
「諸侯たちは国の中心に携わるものたちの多くと企て、議会にて私を断罪しました。果てに罪を着せられ、絞首刑が決まったのです。前王は私の無罪を信じてくださっておりました。しかし、諸侯たちは前王すらも想像だにしないほど、あまりにも力を持つようになっていたのです。
結局、前王が寸でのところで止めてくださったおかげで私は命を拾い、その責の代わりとして、いまだ未開地となっていたこのシュルトヘルムの開拓の任を命じられました。支援もあったおかげで鉱山の採掘も軌道に乗り、私はここまで再興することがきたのです」
「しかしそれが他の諸侯たちの反感を買ってしまった……」
ガーノルドが肩を落として言う。
ハーネリウス候も同じく顔を曇らせて頷いた。
「そう。思えばそれも、彼らの策略だったのでしょう」
「彼ら?」
「前王の両腕として政や軍事の補佐をしてきた臣下、クレストとガセフです」
その名はミレンギも知っていた。
内政に力を注ぎ政のほとんどに目を通していた、国王と遠縁の名門貴族の長男、クレスト。前王が倒れた後は現ファルドの王として座している男である。
反して主に外交を担当し軍事関係に権力を持っていた『武将』ガセフ。当時は王属騎士団を従える最高権力者であり、今も軍事国家としてルーンを率いている。
「前の王様が亡くなったから、その後継者としてクレストって人が選ばれたっていう話だよね。でもたしか、ガセフっていう人にも後継者の話が来てたとかで、どっちが王様になるか揉めて、そのまま国が別れちゃったって」
「その通り、いまの政府によってそのように喧伝されております、ミレンギ様。しかし真実は違。彼らは前王に託されたのではありません。彼から奪い取ったのです。その、王の座を」
「え?」
ハーネリウス候の話に初耳だったミレンギは動揺した。
しかし、他のシェスタたちは少しも反応をみせていなかった。
「前王が没されたあの日、彼らは兵を率いて宮殿を攻め込みました。それは夜中に、迅速に行われたそうです。ガセフは親衛隊でもある王属騎士団の一部を私兵として用い、寝室を襲撃。クレストは賄賂などの手回しによって身近なものたちを買収、もしくは暗殺して目撃者の抹消を図りました。
それはあまりに用意周到で、前王は信頼していた臣下二人によってあえなく命を落とされてしまったのです」
「私の指揮外にいた騎士団の連中が不穏な動きをしていると知り、宮殿に駆けつけた時にはもう手遅れでした。前王を囲んでいた兵達を薙ぎ倒し近づきましたが、もうすでに虫の息。手を施せる状態ではありませんでした」
そう語るガーノルドの拳に力が入っている。
よほどの後悔の念がそこにあるのだろうとわかった。
「私が兵の不審に気付けなかったばかりに」
「ガーノルド殿が自身を責めるものではありません。私なんかはこのような僻地でのうのうと暮らし、訃報を知ったのも随分後のことでしたから。
彼らは昔から、前王と親交が深く傍にいつもいた私を、目障りだと難癖つけてきていましたから。おそらくその頃から反抗を企てていたのでしょう」
歳いった二人の男が揃って語気を沈み込ませる様は、とても言葉に言い難い重さがあった。
ハーネリウス候が言葉を続ける。
「そんな経緯があり、いまこの国はできあがっています。つまり、ファルドはもはや『ファルド』ではないのです。彼らに乗っ取られた別の国家になってしまっているのです。
更には権力争いでこじれたのか、クレストとガセフは対立し、国は二分されています。前王が望んでいた恒久なる平和とは程遠い、あまりに目を覆いたくなる惨状です。ですから私は決意をしました」
ハーネリウス候の瞳がまっすぐにミレンギへ向けられる。
「亡きジェクニス様の忘れ形見である貴方様を御旗に、もう一度、この国の再興に尽力することと」
「それが亡くなられる最後の言葉でもありました。孤児院にいる隠し子の存在。そして、竜の加護ある者と共に再びこの国に光を照らすこと。
その者とはもちろん、ミレンギ様のことでございます。彼の御遺志に忠ずるため、この十年、私は貴方のそばでこの時を待ち続けていたのです」
「然り」
ガーノルドとハーネリウス候がミレンギの前に跪く。
シェスタも続いた。セリィは興味なさそうに窓の外をぼうっと見ている。
三人の視線がミレンギに浴びせられる。
熱い期待。
しかし、ミレンギにとってはあまり気持ちのいいものではなかった。彼らの目は、ミレンギではなく、ミレンギの中にいる前王の遺志に向けられているみたいだったからだ。
と、ミレンギの肩にセリィがもたれかかってくる。どうしたのかと振り向くと、しかしただ退屈で眠ってしまったらしかった。この場で一人だけ呑気に寝顔を曝す少女に、その肩の重さとは正反対に、心は軽くなった気がした。
「ボクが本当にその忘れ形見かはわからない。……でも、もう戻れないって事はわかった。
だったらボクは進むよ。旗にでも何にでもなってやる。だから、もうあんな――国のためなら死んでいいって、正しくある人でも死んでいいって、そんなふざけたこの国の形を変えてみせる」
それが、ミレンギの抱いた覚悟だった。
前王の遺言なんて知ったことではない。
ただ、ミレンギの瞳にはいつまでも、あの集落の親子の姿が焼きついて離れないでいた。そして、酒場で倒れた家族たちも。
彼らが死んで、傷を負って、それで済む世界であっていいはずがない。
それは弔いと報復。
少年の些細な反抗心だった。
そこに大人の事情を乗っけるのならば乗っけてやる。
「本当に……ずるいよ、ガーノルドは。ボクの意志も関係なくいろいろ周りを固めちゃうんだもん」
「申し訳ありません。貴方様を、自らの駒のように利用したことは事実です。どんな処分も受ける覚悟であります」
「それじゃあ首を斬れ――なんてボクが言えると思う?」
ミレンギは苦笑した。
知らずとはいえ、一度走り出してしまった。もう戻れる場所などない。
楽しく、馬鹿らしく、曲芸をして国を周っていたあの頃にはもう戻れないのだ。
扉を叩く音が聞こえ、「入れ」とハーネリウス候が応える。
すかさず中に入ってきた侍女に耳打ちされ、彼はミレンギに向き直って言った。
「ミレンギ様。準備ができました」
「準備?」
「はい」
ハーネリウス候はそう力強く頷いた。
「我々の夜明けでございます」




