-19『人の頂きへ』
爆炎が城の屋根を吹き飛ばし、噴煙が巻き上がった。
燭台は激しい音をたてて崩れ落ち、甲冑の列も激しい風にさらされ無惨に薙ぎ倒されていく。
からりと転がるその兜を横目に、ミレンギは土埃に目も曇らさず、イリュムを片手に駆け抜ける。
相対するガセフも盾をかざして待ちかまえる。二つの竜の武器がぶつかり合い、凄惨な火花を散らして輝く。
そんな二人の上空で、二対の竜が交錯する。碧の竜が暗緑色の炎を吐き、蒼の竜はそれをかわして喉元に喰らいつこうと上下に空を泳ぐ。
天と地。
どちらの戦いも人間の常軌を逸している。
イリュムが一度振られると空間ごと裂くような激しい衝撃が生まれ、その度にグランデの巨大な防御魔法が広がって広々とした部屋を隙もなく埋め尽くす。
誰がこの部屋に安易に入れようものか。
たちまち二人の戦士の覇気にあてられ身をすくませ、こぼれ落ちた竜の炎に灼かれることだろう。
ただただ凄惨なこの空間を、しかしミレンギは全くいとわず足を動かし続ける。
流れ弾のように降り注ぐ竜の炎をさけながら、持ち前の俊敏さをいかした素早い連撃。一打、二打。やはり防がれるが、ならば側面に回ってもう一打。
竜の憑依によって結晶で剣先を刃を延ばしたミレンギの一撃は、先程よりもずっと鋭くなっていっている。
体は熱く戦いながら、心は冷静に考える。
イリュムの一撃はグランデでなければ防げない。ならばそのために必ず防御姿勢をとる。ガセフが狙うは、その時の返しの剣による反撃。そして盾による直接なバッシュ。
守る手段のないミレンギは素直に引き下がるしかない。故に深くは踏み込みきれない。
いや、下がらなければいい。
攻め続ける。ただそれだけでいい。
反撃の隙もないほどに攻め立て続ける。一心に剣を振るう。押し返されて体勢が崩れそうになってもどうにか踏ん張り、奴の一撃がくる前に次を打ち込む。
その思い切りのおかげで、二人のせめぎ合いはわずかにミレンギが押し始めていく。
その執念の猛攻の末、ガセフの守りが一瞬ほど崩れる。それを逃さずイリュムの剣先を突き出して貫こうとするが、しかし強風と共に彼の姿が目の前から消える。
セリィとの戦いの最中、碧竜がガセフへと飛び寄り彼を上空へと連れ出していた。
直後、ミレンギの元にセリィが降り立つ。その逞しい体躯の背に乗り、噴煙を掻き分けて空高くへと追走する。
迎えたのは、赤が混じる漆黒の夜空。眼下には民家の明かりがない王都と、四方の城門に集中する松明の光が見える。そしてそのあたりをうごめく無数の兵たちも。
今も戦いは続いている。
多くの命を削りあっている。
終わらせなければ。
吹き飛ばされそうな風を全身に感じながら、ミレンギは翼を広げて舞う碧竜へと視線を据える。
噴き出されるユーステラの炎。
セリィも同じく蒼色の炎を放ち、二つの魔法が衝突して爆発する。
爆風が吹き荒む中、その煙を割るようにミレンギが飛び込み、ユーステラに乗るガセフへと襲いかかる。しかしグランデによる魔法の障壁で防がれ、弾かれたところをまたセリィに拾われる。
信頼があるからこその動き。
未熟なセリィには竜の姿を保つだけで力の浪費がすごいことだろう。それでも鞭を打って尽くしてくれる彼女のため、ミレンギはどんな無茶でもしてみせる覚悟だ。
恐れはない。
負けることがなによりの恐怖だから。
高速で二頭の竜が飛翔する。朱色に明るんで星も見えない夜空に流れ星を引くように。
動き回るそれは時折ぶつかり、互いの鋭い爪を交錯させる。ミレンギも機を狙っては碧竜の陰におさまるガセフへと切りかかり、ガセフもグランデでそれを防ぎながら、同じように碧竜ごと上空に回り込んでミレンギを急襲する。
人知を越えた一進一退の空中戦。
蒼竜の爪が皮膚を裂き、碧竜の炎が翼を焦がす。
もう何十回と夜空に閃光が走る。
やがて一瞬、セリィの動きが鈍る。魔法の負荷か。そのわずかな停滞を逃さず、ユーステラは急降下からの突進でセリィを再び玉座の間へとたたき落とした。
ミレンギを庇うように腹から落ちたセリィは、苦しそうな呻きをあげて倒れ込んだ。
「セリィ!」
振り落とされたミレンギが駆け寄るより早く、セリィの顔がふと持ち上がり、その口から火球が打ち出された。不意をついたそれは上空をたゆたうユーステラの右翼に当たり、僅かによろめかせた。
セリィは諦めていない。
けっして一度打ち落とされた程度で心を挫けさせていない。
それを感じ、ミレンギは再び視線の先をガセフへ戻した。
ガセフが竜から飛び降り、ミレンギめがけて落下してくる。
防ぐ術のないミレンギが咄嗟に飛び込んでかわすと、グランデの魔法障壁によって、元いた場所は広い範囲がぺしゃんこに潰されていた。
土煙が巻き上がる。
それを割って、ガセフはミレンギへと駆け寄り追撃の剣を振るう。それをイリュムの刃でどうにか受けとめ、ミレンギは再び距離をとって噴煙に身を紛らせた。
行方をくらませたと同時に、体を持ち上げたセリィがガセフへ火球を放つ。しかしそれは急降下してきたユーステラの翼の風と厚い皮膚によって阻まれる。
さらに濃くなった爆発の煙に乗じて、ミレンギはガセフの背後に回り込む。
「ここだっ!」
「なっ?!」
それはミレンギが唯一見つけた勝機。
攻撃を警戒してグランデを前方に構えていたガセフのがら空きの背後であった。
「横に魔法を伸ばすことはできても全方位は守れない」
そう、ガセフを守る魔法の障壁は決まって平面に形成されていた。だからこそのユーステラの援護。死角を隠すための偽装的な動き。それが前提なのだ。
ガセフとユーステラの不意をつく。この機会をずっと狙っていた。
「うおおおおおっ!」
飛びかかるように突き出したイリュムの刃。決着を迎えさせる渾身のそれは、しかし不意に目の前を遮った巨大な翼膜によって遮られた。
代わりとなって貫かれたその翼が裂け、血が噴き出す。
ユーステラがその身を投げ出して主人を守ったのだ。
苦痛にゆがむ竜の咆哮が、屋根をなくした広間に通り抜けるように響く。
それに対してなにより驚いていたのは、ミレンギでもセリィでもなく、ガセフだった。
竜の結晶をも裂くイリュムの一撃は相当な痛手だったのだろう。ユーステラは竜の形状を維持できず、人の姿に戻って膝をつかせた。背中からは大量に血を流している。痛みに眉間をしわ寄せ、肩をうなだれさせながら、それでも立ち上がろうと歯を食いしばっていた。しかし竜の力を行使した消耗も相まってか、震えた足は持ち上がらず、しまいにはガセフへの憑依魔法も途切れさせてしまっていた。
それは静かな決着の合図だった。
いくらガセフといえど、竜の憑依をなくしてミレンギたちに勝てるとは思えないだろう。
うなだれる碧竜の少女を見やりながら、盾の機能を失ったグランデを下げ、ガセフは静かに瞳を閉じた。
「なぜ俺を庇った」
静かな問いが投げられる。
それに対し、ユーステラは土に汚れた顔を持ち上げると、ミレンギの方を一瞥して見せた。同じく竜の姿から戻ったセリィがミレンギの傍に寄り添い立つ姿を見せ、寂しく、どこか羨ましそうに微笑む。
「私には貴方しかいないのです。貴方を守る。それが私の役目――生きる意味だから」
「道具のように扱われてもか」
「私は、貴方が好きなのです。この感情はきっと刷り込みのようなもの。貴方しか知らず、貴方のために生まれた私が、望むわけでもなく抱かされたものかもしれない。でも、それでも――」
震えた瞳でユーステラがガセフをみる。
「私の家族は貴方しかいないのです」
どうしてそこまでの献身ができようか。
ミレンギは不思議に思うと同時に、彼女の姿がセリィと重なった。
「貴女もわかるでしょう? 生まれながらに主人を好きになっている気持ち。そこに疑いはない。けれどそれは刷り込み。その人を本当に好きになったのかもわからない」
呼吸を荒くしながら、今度はセリィへとユーステラは言葉を向ける。
「貴女がミレンギを守りたいという気持ち。一緒にいたいという気持ち。それもすべて刷り込み。都合良くねじ曲げられた自分の心。それが根幹にあるせいで、ずっと気持ち悪かった。私は彼が好きなのか、それとも嫌いなのか、ずっとわからなかった。けれど、やっぱり護りたくなった。だから体が勝手に動いた。失いたくないと、そう思ってしまったから」
ユーステラの瞳から涙がこぼれた。綺麗な滴は、薄汚れた彼女の頬に一筋に線を描く。
「私は……私は、違う」
ユーステラの言葉にセリィは強ばった声で首を振った。
「本当かしら。貴女は彼の何を好きになったの。どうして一緒にいるの。その気持ちを説明できるの」
「私は……ミレンギが好きだから……」
「その感情が、生まれる前から刻み込まれた作り物だとしたら?」
「それは……私は…………」
「どうせ一方通行だとしても、好きにならずにはいられない。私たちはなんて不幸なのかしら」
すっかり憔悴しきったユーステラの体が崩れ落ち、床に倒れ込む。
ただ黙って傍聴していたガセフが彼女へと歩み寄ろうとした時だった。
「――やれやれ。道具として使命を全うできているんですから十分に幸せじゃないですか。持ち主を好きかどうかなんて、そういう人情的な竜の心情はどうでもいいんですよ」
凄惨な戦場にはひどく不似合いな、凛とした、大人しい声が響いた。
その声にミレンギは驚愕した。どうしてここでそれが聞こえるのかと自分の耳を疑った。
名残の噴煙もやがて風にさらわれ、その奥から小さな人影が姿を現す。
かすかな月光に照らされながら露わになったその人物に、ミレンギは目を丸くして声を張り上げた。
「――アイネっ?!」




