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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第2部 -王の奪還編- 4章 『竜の伝承』
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 -6 『竜のざわめき』

   ◆


 セリィは、どこか浮ついた気持ちで空を眺めていた。


 官舎にある中庭の隅に腰を下ろし、壁に背を預けてぼうっとしていた。広場の中央にある噴水が大人しい弧を描いて飛沫を散らし、眩しいほどの陽光をきらきらと反射している。


 セリィの傍に、いつも一緒にいるミレンギの姿はない。

 今頃は軍議の続きをユリアたちと話していることだろう。


 ミレンギから片時も離れたくなくてセリィも参加していたのに、どうにも途中からのぼせたように体が熱くなって、思わず退席してしまったのだ。


 こんなことは初めてだった。


 疲労とはまた違う。

 風邪かと言われれば、まだ引いたことがないからわからない。


 ただわかるのは、この浮ついた高揚感がミレンギの傍にいるとひどくなるということだ。ついさっき、彼に近くまで抱き寄せられて、耳元で言葉を囁かれてからというもの、そのふわふわは収まらない。


 今ここにミレンギがいないことは寂しいけれど、奇妙な感覚も落ち着きを見せていて、不思議と安堵している自分がいることに驚いた。


 それに最近は、ミレンギがノークレンやアーセナと親しげに話しているのを見かけると、何故か胸の奥がちくりと痛んだりもするようになった。その度にセリィは今のように一人きりになり、頬をぷくりと膨らませて、いじけた風に膝を抱えるのだった。


 セリィは生まれて間もない赤子のようなものである。

 自分ではまだ理解しきれていない感情の機微を持て余し、そのどうにもできなさにヤキモキした思いでいた。


「おや、何か悩み事ですか?」


 ふと声をかけてきたのはアイネだった。

 書庫からの帰りなのだろう。数冊の本を胸に抱えている。


 いつの間にか近づかれていたことに気付かなかったセリィは驚いた顔で首を横に振った。


「別に、普通」

「そんな感じには見えませんけど。あ、もしかしてミレンギ様となにかありましたか?」

「ふえっ?!」


 慌てて振り向いた顔が赤くなってしまっていた。

 図星であることを照明してしまったみたいで恥ずかしくなる。


「……アイネ、ずるい」

「え、なんでですか」

「賢いから。私の考えてること全部わかってるみたいなんだもん」

「ああ、なんだ。そんなことですか」


 持っていた本を太ももに乗せ、アイネが隣に座り込む。


「僕もまだまだですよ。人の考え方、竜の考え方。いろいろと理解しようとはしていますが、僕にはまだ、他人をわかることができていません。僕がもしそう見えるのだったら、それは多分、僕が譲れない信念を持っているからでしょう」

「信念?」


 小首を傾げたセリィに、アイネは頷く。


「絶対にこれを成し遂げる、っていう強い思いですよ。それがなければ、人であろうと竜であろうと強くはなれないんです」

「成し遂げたい、思い……」


「自分のやりたいこと。何故自分がここにいるのか。それを揺らがせず心に持ち続けること。それが大事なのです」


「アイネにはあるの? やりたいこと」

「僕は……そうですね。自分ではない他の人のことを理解することでしょうか」

「理解?」

「はい、理解です」

「……なるほど」


 思いのほか真面目に受け取られて困ったのか、アイネが苦笑を浮かべる。


「いやまあ。これは僕のちょっとした考えなので。セリィさんは気にしないでください」

「参考になった」

「いやいや、忘れてください。あははっ」


 自分のやりたいことはなんだろう。

 セリィはふと思い耽ってみたけれど、すぐにはぱっと出てこなかった。


 これまでセリィはあまり何かをしたいという気持ちを湧き上がらせたことはなかった。お腹はよく減るから「何か食べたい」とは思うけれど、でもそれも、やりたいこととは違う気がする。セリィからしてみればお金も欲しいとは思わないし、お酒や宝石も魅力は感じないし。特にこれといって不満を持ったことがなかった。


 したいこと。

 なにがあるのだろう。


 どれだけ考えてもやはり思いつかず、ぐう、とお腹の虫がなった。


「ははっ。何か食べに行きますか。食堂にラランさんがいたと思いますし」


 笑われてしまい、アイネは気恥ずかしそうに顔を伏せた。


「アイネは……軍議にはでなかったの?」


 話を逸らすように尋ねる。


「ああ、僕ですか。残念ながらお声がかかりませんでした。僕はあまり竜に近しいわけではないですからね。平民からハーネリウス候に取り上げてもらっただけですし、それにもともとは孤児ですし。後で話を聞かせてもらいますよ」 

「そうだったんだ」


 ファルドとルーンの紛争によってここ十年ほどで孤児も多くなった、とはセリィも耳にしたことはある。アイネもその一人なのだろう。


「でも、今はユリア様もいらっしゃいますし、ハーネリウス候もシドルドまで出向いてくださってます。ボクの仕事はあまり無いですかね」


「そんなことないと思う。アイネ、賢いから」

「嬉しいことを言ってくれますね。人間っていうのは褒められて悪い気はしないものです」

「そう。じゃあ、もっと褒める?」

「あ、いえ。ほどほどでいいですよ」


 あはは、とアイネは苦笑した。


「あ、そうだ」


 ぽん、とアイネが手を叩く。


「いいおまじないがあるんですよ。この前に書庫で見かけた本なんですけど」

「おまじない?」

「はい。きっとセリィさんの心の迷いも楽にしてくれますよ。どうですか?」

「じゃあ……お願い」


 アイネがこくりと頷くと、セリィに向けて指先を向け、小さく言葉を呟く。聞きなれない言語。おそらく古代竜言語だろうか。自身が竜であるセリィだが、もう失われた言葉だから理解は出来ない。


 セリィからすれば感覚は人間のそれとあまり変わりはないのだ。


 呪文を呟くアイネの指先から黒い文字が可視化され浮かび出る。それがゆっくりと宙を漂い、やがてセリィの胸元へと溶けこむように消えていく。


 まじない。

 いや、魔法か。

 けれど攻撃的な悪意は感じず、セリィは大人しく身を委ねる。


 一瞬、ぞくりと心臓を触られたようなざわつきが体を走った。

 だがそれもすぐに消え、心が軽くなったようにすっきりとしていた。心なしか胸のつかえが少し取れたような気もしている。


「これで終わりです。文献によると、これははるか昔に使われていた精神的な魔法らしいです。まあ、とは言っても具体的な効果はわかいませんし、すぐに効果はでないかもしれませんが」

「ううん。なんだか軽くなった。ありがとう」


「いえいえ。少しでも気が晴れたのならよかったです。またもし不安になったのなら、またおまじないを思い出してみてください」

「うん。助かる!」


 満面の笑みを浮かべたセリィに、アイネは満足そうに微笑んで立ち去っていった。


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