-3 『竜』
「――それが御伽噺となる前の、真の竜の物語じゃ」
ユリアはどこか愁いを帯びた微笑を浮かべながら、ミレンギたちにそれを語ってくれた。
その内容は驚きに満ちたものだった。
ミレンギが幼い頃から語り聞かされていた英雄譚とはひどくかけはなれた末路であった。
よく知る御伽噺では、竜が英雄の下を去るが、再び竜と共に国へ戻るという幸せな物語のはず。それに他の細かな部分も違っている。
「物語として語り継がれていくうちにいろいろと装飾されていったのじゃろう。英雄譚が美化されるというのはよくあるものじゃ」
自嘲するように言うユリアに、ミレンギは複雑な表情を向けて問いかけた。
「あの。もしかして、その幼竜っていうのは――」
「うむ。わらわのことじゃ」
大方、話を聞いているうちに予想は出来ていたため目に見えて驚きはしなかったが、衝撃的な事実であることに変わりはない。
同席しているハイネスやミケット以外は、その事実を聞いて耳を疑うようにユリアを見ていた。ハーネリウス候ですら知らなかったらしい。となると本当に、王に近しい者にしか竜の事実を知らされていないのだろう。
「だが名前が違うのではないか」と、ノークレンの近衛として付き添っていたアーセナが問う。
「ああ、伝承ではノクルタとされておったな。あれはアーケリヒトの母方の性を借りたのじゃ。わらわが竜であることを隠すために名が必要だったのでな。それと、意図的に『ユリア』という名を伏せたこともある」
「では本当に、貴女が伝承の竜であると?」
「そうなるのじゃ。もっとも、そう大層な者ではないがの」
そんなことはない、とミレンギは内心で否定する。
この国では誰もが知り、今のファルドを作った伝説に人物なのだ。
目の前にいる幼子のような少女がそれほどの偉人であると知り、ふつふつと心にわきあがってくる高揚感が拭えない。
「竜神様は遥か昔からこの地に住まい、あの北方の町すらも作ったということですのね」
今度はノークレンが質問を続ける。
聞きたいこと、知らないことが山ほどありすぎて、口が足りない状況だ。
「国を去ったわらわが北方に隠れ住んでからしばらくした後、国より追放されてきた民が北方に流れ着いた。わらわは彼らを匿い、竜の力と知恵、魔法によって生きるに困らぬ文明を与え、そうして今日のような立派な集落へと成長させたのじゃ」
「そそ。だからあたしたち先祖の恩人なんだよねー、このお婆様はー」
「これミケット!」
「うひゃあ。お尻叩かれる!」
「叩かんわい!」
ミケットのふざけた声調はいい具合に空気を緩め、聞いてる者たちの表情を崩した。
「ま、そういう訳であたしたち通商連合、いや、フィーミアの民はユリア様に恩があるんだよー。だからその恩を返す。今回の一連の支援も、全てはユリア様のためなのさ」
「そっか。それじゃあボクたちは感謝しきれないね」
ミレンギは頭が下がる思いでユリアを見やった。
彼女は相変わらず優しい綺麗な瞳でミレンギを見つめていた。その表情は温かく、自然と気負いというもの全てが失せるような安心感がある。
少しずつ暴かれていくファルドと言う国の真の成り立ち。現状の全貌。
全てを今ここで理解するにはいささか急すぎるが、ミレンギにはその忙しさがむしろありがたかった。変なことを考えずに、目の前のことに集中できる。
「ユリア様」
「なんじゃ、ミレンギ」
「その話が事実の通りなら、つまり王族は竜ということですか」
「そうなるの。厳密には竜人ではあるが」
「それじゃあ……」
「うむ。おぬしにも竜の血は入っておる」
やはり。
ミレンギは王の血を引いていると彼女が言っていた。そして英雄の遺した竜の子が代々王として君臨していたのだとしたら、ミレンギもそこに行き着く。
「とはいっても、先代のジェクニスにいたってはもはや普通の人間じゃった。代が変わることに、人間の血で薄まっていったのじゃろう。竜としての力もまったくなく、特別なことは何一つできない男じゃったよ。その分、誠実さは十分すぎるほどじゃったが」
ただでさえ竜人は人間と竜の交配種。薄れていた竜の血が更に薄まっていくのは仕方のないことだろう。
「しかし、竜の血が流れておるのはもはや王族だけというわけではないのじゃぞ」
「え?」
「その特徴が赤き瞳じゃ」
ユリアの視線がノークレンへと向けられる。
彼女もまた、ミレンギとよく似た赤い瞳を持っている。
「その瞳は竜の名残。遥か昔から続く王族の血筋から外れ、遠戚となった者たちにも、先祖返りのようにたまに竜の血を濃く示す者もいる。その代表的なものが魔法を使える者たちじゃ」
ノークレンの視線がふとアーセナに向けられる。彼女の治癒魔法が使える。
「魔法を使役するには才能が必要であると言われておる。しかし実際は、竜としての血が濃く現れているかどうかなのじゃ」
「それはつまり、アーセナたちにも竜の血が混じっているということですの?」
「どれほどの濃度かはわからぬがな」
それを聞いたアーセナが自分の体を眺め回していたが、傍にいたミレンギからしても彼女はただの人間だ。瞳も赤くはないし、目立った特徴もなにもない。
そう考えると、もしかするとファルドにはすでに多くの竜の血が流れているのかもしれない。
「竜って以外と身近なものなんだね」
そう呟き、ミレンギは自分の腰に手を当ててくっついているセリィに目をやった。
彼女のつぶらな丸い瞳が見上げ、小首を傾げる。小動物のように可愛らしい仕草からは、この少女が強大な力を持った竜とは到底想像しがたい。
いや、竜と言うより竜人か。
そして人間の多くにも竜の血が流れているのだという。
それなら、もはや竜と人間に果たしていったい何の差があるというのだろう。
「ひとまずわらわの話をまとめようかの」
こほん、とユリアが咳払う。
「わらわはこの国を守りたい。あやつが――アーケリヒトが作ったこのファルドを守りたいのじゃ」
だから彼女はミレンギたちを手助けしてくれていたというわけだ。
「この国はわらわにとって子や孫のようなもの。愛おしいのじゃ。このような老いぼれになってもまだ、もっと先までその繁栄を夢見ていたいくらいにはな」
母の慈愛に満ちた安らんだ微笑みを浮かべてユリアは言う。そんな彼女に、しかしミレンギはふと浮かんだ疑問を投げかけた。
「でも、ジェクニス王は国を売ろうとした。クレストが死ぬ間際にそう言いました。これまでの王族同様に前王ジェクニスがユリア様の支援を受けていたとしたら、それはユリア様の言うことと正反対になる……。クレストは出鱈目を言っていたってこと?」
「それがどうにも。あながち間違っているわけではないのじゃ」
「えっ?!」
「そしてだからこそ、ジェクニスは忠臣に裏切られ、殺された」
「ジェクニス様が愚王であったといいますか!」とハーネリウス候が声を荒げて立ち上がる。ガーノルドと同じくジェクニスの忠臣である彼は、ユリアの言い方にやや納得がいかない様子だ。
しかしユリアもそれをわかっているのだろう。決して咎めることもなく、落ち着き払った声で返す。
「ジェクニスは心優しき王じゃった。優しすぎて心配になるほどにな。できうる限りのすべての者に手をさしのべ、耳長やフィーミアたちをも見捨てなんだ。あまりに優しすぎるが故に、奴はすべての人間を救いたいと思うようになったのじゃ。そして、それを成し遂げようとした」
「すべての人間?」とノークレンが小首を傾げる。
「人間の国の平和は、とある男の犠牲の上に成り立っておる」
「それって……」
ミレンギは気づいた。
その頭に浮かんだものを確信づけるようにユリアが頷く。
「アーケリヒト。彼はまだ生きておる」




