-2 『伝承の真実』
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『その昔、一匹の竜がおった。
その竜は生まれながらにして才気に溢れ、竜の国でも一目をおかれるほどじゃった。
国を治める赤竜という竜の王は、その竜にとある使命を託した。
それは優れた人間を竜の国へと連れてくること。
竜として半端者である彼らには人間が不可欠であった。まるで欠乏した半身を求めるように、人間の生命力――つまりマナを餌とし、吸収する必要があったのじゃ。それはわれら竜が有する生物的な欠点じゃった。
さらにはもう一つの欠点が繁殖力の低さじゃ。竜は無理やりな配合のせいか、竜同士ではまともな子を産ますことができんかった。人間が介入せねば子孫を残すことも不可能だったのじゃ。もともとの竜の繁殖力の低さも相まって、血の存続は大きな問題であった。
そのため数年に一度ほど人里を訪れては人間を攫ったりもしておった。
しかし年月が流れるにつれて、竜の数も増え始めてきたのじゃ。それに加え、人間界では凄惨な戦争が長く続いておった。
このままでは人間が減り竜の国にも悪影響が及ぶ。
そこで竜の将来を託されたのが、生まれたばかりの才気目覚しい幼竜じゃった。
「彼の地をただし、優れた人間をつれてくるのだ」
赤竜は任務を課す。
そうして右も左もわからぬまま幼竜は人間界へと放り出され、そこで一人の青年と出会ったのじゃった。
彼の名はアーケリヒト。
これといった功もない平凡な一兵じゃった。
アーケリヒトは竜の国から放り出されたばかりの幼竜が野山に倒れているのを見つけると、手厚く介抱し、世話をした。それはもう元気になるまで無償に尽くしてくれたその青年に、幼子の姿をした幼竜は大層懐いたのじゃ。
幼竜はすぐに元気を取り戻した。
アーケリヒトは妹でも授かったようにその幼竜を可愛がっていたものじゃ。
とはいえ時代は群雄割拠の戦乱の世。
止まぬ戦火に、アーケリヒトもその身を投じ続ける日々であった。
幼竜は任務を忘れ、その青年を大切に思うようになっていた。彼との時間を大事にしたいと感じていた。そうして幼竜は、己の竜としての力を使い、その青年を助けていくのであった。
才気溢れる幼竜の力は凄まじいものじゃった。
本来ならば半端者である竜はその力を満足に行使できぬはずじゃが、その幼竜は底を知らぬかのような強大な力を駆使し、アーケリヒトのいる数多の戦場で猛威を振るったのじゃ。
彼女の魔法は百の兵を焼き払い、千の兵を退けた。
そしてアーケリヒト自身の能力を向上させる魔法により、彼の戦功もまた嵩んでいった。
一年とかからずして彼の名は各地に広まり、いつしか領地すら獲得し、一国の将とまで成長していたのじゃ。彼は武人としても強く、また人心を得る才能に溢れた優しき男じゃった。
竜は彼に力を授けた。
竜の牙より作られた、何ものも切り裂く至高の剣。
竜の鱗により作られた、いかなる攻撃をも通さぬ鉄壁の盾。
ただの人間が扱うには過ぎた代物であったが、アーケリヒトは天性の資質か、それを見事に使いこなして見せた。まさしく彼は人類最強の戦士として光臨したのじゃった。
やがてアーケリヒトは、彼の元に集まった者たちと共に奮起し、大陸全土を駆けた。その勢いは波紋のように大陸全土へと広がって、やがて内乱を全て鎮圧せしめたのじゃ。
そうして一つの国が出来上がる。
アーケリヒトを初代国王に迎えた国――ファルド。その始まりじゃった。
大陸は平定され、争いは確実に減った。
人間が無駄に数を減らすことはなくなり、幼竜の役割の一つはおのずと達成された。
しかしもう一つの役割を思い出したとき、救世の英雄と崇められ始めていた男を傍で見守っていた幼竜は、己の宿命を悲嘆に嘆いたのじゃ。
――優れた人間を竜の国へ連れ帰る。
それは人界で名声を得たアーケリヒトをそこから奪い取るというものじゃった。人民に愛され、戦争を終結させた彼は資格としては十分すぎる。いや、彼の他にないというほどじゃ。
幼竜は決断に迫られる。
かの地を定めた英雄をさらって良いのか。
幼竜にも人界への愛着が湧き始めていた頃じゃった。アーケリヒトの仲間たちとも交流を深め、人間としての文化を学んでいる最中じゃった。
アーケリヒトがいなくなれば、再び世界は戦乱の世に戻るかもしれぬ。そうすれば、仲良くなった仲間たちの命までもがまた危機にさらされる。
竜を救うか、人を救うか。
究極の決断に迫られた竜は、ある日、一つの決心をする。
それは、なにも言わずにアーケリヒトの元を去るというものじゃった。
竜は人知れず彼の元を発ち、竜の国へと舞い戻った。人の世は平定できたが、連れて帰るに足る人間はいなかったという報を携えて。
それで幼竜の使命は終わり。
二度と戻れぬ人界を忘れて竜の国で独り生きる生涯を歩むだけ――となるはずじゃった。
しかししばらくして、アーケリヒトはたった独りで竜の国を捜し当てたのじゃ。幼竜がいなくなったと知り、国が落ち着いた頃合をはかって追いかけてきたのじゃった。
幼竜はたいそう喜ぶと同時に、哀しんだ。
「これほどの人間がいたとは。おまえの報告にはなかったが。いや、まあ良い。この男ならば十分すぎる栄養となるだろう」
アーケリヒトは竜のよって捕らえられ、幽閉されたのじゃ。
幼竜は懇願した。
彼を解放してほしいと。
しかし赤竜は首を縦に振らぬ。
「奴がいればこの先何年、いや何十年何百年とわれらの栄養となり得るであろう。それだけの資質にあふれた者である。悠久の大樹に縛り付け、その体を延々と生かし、われらの餌としよう」
それは竜に長寿の恩恵を授ける魔法の大樹。竜の国に遙か昔から存在し、遙か昔に人間に負けた時もその存在を隠し続けた竜の宝具とも呼べるもの。その力を受ければ永き時を生きると言われている。
「これで竜の国は安泰である。素質あるこの男のおかげで当分は人間を気にかける必要もなくなった。もはや人間を下にみる必要もないのである」
赤竜の命によってアーケリヒトは悠久の大樹に埋め込まれたのじゃ。竜を繁栄へと導く苗床として。
「竜の力によって人間の地を豊かにさせたのだ。ならば、その代償に人間の血をもってわれらを豊かにするのは当然であろう」
そんな――そんな――。
幼竜はひどく後悔したのだ。
自分が彼を英雄に祭り上げてしまったから。
数多の戦場に勝利させ、人類の頂点へと成長させてしまったから。
そして立ち去った自分を探しにやって来てしまった。
自分のせいであると、幼竜はひどく絶望した。
己を否定したくなるほどじゃった。自分がいなければ彼がこのような仕打ちにあうこともなかったはずじゃと。
絶望した幼竜じゃったが、才気溢れる竜といえど一人では何も出来ぬ。結局、幼竜は最愛の友と呼ぶ男を救い出すことは出来ず、逆に竜への反抗心を見抜かれて竜の国から追放されたのじゃ。
幼竜は独り、愛する者の遺した人間の国へと戻った。
王が不在であるそこで、信の置ける近しいものだけに事情を話したのじゃ。
彼らは憤りこそすれども幼竜を責めはしなんだ。
皆、この国が再び瓦解し戦乱に巻かれることをアーケリヒトがなにより嫌うとわかっておったからじゃ。
そうして幼竜がアーケリヒトに成り代わり、政を行い、彼の存在をひた隠した。
故に以来、王の顔を見た者はおらん。謁見の場ですら偽者を用意するほど周到に、その秘密は王家に関わる者のみで守り通されたのじゃ。
ほどなくして、幼竜が子を授かった。
竜は人のように体を使った交尾を必要とせん。
個として成熟した竜が子を欲しがった時、人間のマナを使って卵を生み出すのじゃ。
竜の血筋は一子相伝。
親竜は生み出す卵に己の力のほとんどを分け与え、末代に託す。親竜は残された力で余生を過ごすが、そのほとんどは二度と卵を作れるだけの力も無く生涯を終えるのじゃ。竜の繁殖力が低い所以じゃな。
そして幼竜が授かったのは、アーケリヒトの子じゃった。国を追放される前、悠久の大樹へと忍び込んだ幼竜が授かった子宝だったのじゃ。
その子が卵から生まれたのは、父親が竜の国に姿を消しておおよそ十五年もの年月が経った頃じゃった。
その頃には人間の国も安定を見せ、頃合と見た幼竜はその子に王の座を譲ることにしたのじゃった。
竜の子は正式に王位を継承し、国を取り纏めていった。
その子は竜には珍しい男じゃった。彼は悠久の大樹の恩恵を授からなかったため極普通の人間として育ったが、後に人間の少女と恋をし、無事に世継ぎを残した。
そうして人間の国は王族によって代々統治されていくこととなったのじゃ。
国は安定し、幼竜は想い人の悲願である平和の世を達成した。
もはや余生を過ごすだけとなった幼竜は隠居を決め、人知れず去っていった。
我が子らの繁栄を陰ながら見守りつつ、手も届かぬ愛する人を想い馳せながら、悠久の時を過ごし続けたのじゃった』
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