-22『ファルドの形』
「追いかけるよりも、今はひとまずの無事を喜ぶのじゃ」
下手に追撃をして消耗するよりも、着実に地盤を固めるべし。そう説いたユリアに従い、ミレンギたちはファルアイードで体勢を整えることにした。
ファルアイードの穀倉地帯を取り戻せたことで、ファルド軍が長期の戦争による飢餓の心配はひとまず避けられた。更にはこの場に居合わせた兵士や住人たちも、ルーン王を退けたことを反撃の狼煙とばかりに活気付いている。
その中でファルドへの愛国を滾らせていたのは彼らだけではなかった。
「先の和平交渉前での失言、誠に申し訳ありませんでした」
シドルドに戻る馬車の用意などを待っている間、広場でミレンギたちが休んでいると、領主邸よりやって来たイグニスがノークレンに対し傅き、深く頭を下げていた。
「いいえ。貴方の言葉は当然でしたわ。全てはわたくしの責任。わたくしがファルドを乱したせいなのですから。けれどもう違う。わたくしはこのファルドを良き方向へ導いていくと決めましたの。だから、手伝ってくださるかしら」
「御意」
忠誠深く頷いたイグニスを倣うように、周りにいたファルアイードの兵士たちも同じように膝をついて頭を垂れていた。その一斉に傅いた数にノークレンは驚き、しかし嬉しげに口許を緩ませていた。
そんなノークレンの傍にユリアが歩み寄る。
「よい顔じゃ」
「竜神様。まさか竜神様が来ていらっしゃるとは思いませんでしたわ」
「いつまでも子供らにばかり働かせておくのも忍びないからの。古くからの知人である耳長の長にも声をかけておいたのじゃ。まこと、間に合ったよかったのじゃ。まあ、わらわはもう竜としての力もほとんどなくて、そうそう出歩けるような体ではないんじゃが。たまには体に鞭を打ってでも気張らねばのう」
「そうは見えませんわ。外見はわたくしより若いですし」
「言うたじゃろう。外見だけじゃ。もはや力は全盛期のほども残ってはおらん。しかしわらわにとって、おぬしらは我が子や孫を見るような気持ちなのじゃ。そのひとつの巣立ちというべき今日を、おぬしらの覚悟を、見届けようと思っての」
ユリアの言葉には、決して人間には計りきれない重みのようなものがあった。
「力を使うのはどうも体がこたえるのお」
肩を押さえながら自嘲するユリアに、ミケットが頭に腕を組みながら笑う。
「まったくー。気をつけてよ、もうご老体のおばあちゃんなんだからー」
「ご老体とは言うなといっておるじゃろ!」
「はいはいごめんなさい、おばば様ー」
「ぐぬぬ……」
同い年くらいの少女の触れあいに見えるが、これで本当に長寿というのだから竜人族というものは不思議なものだ。
こほん、と気を取り戻し、ユリアはノークレンを見やる。
「腹は決まったようじゃの」
「はいですわ。おかげさまで」
「うむ。よい子じゃ」
ユリアは満足そうに、この広場に集まった多くの人間たちを見やった。
一度は侵略されたファルドの土地を奪い返したという事実に、そこにいる人たちは種族の垣根なく喜び合っていた。その中には耳長族の姿もある。
「彼らにも協力してもらったんだー」と、ミケットが顔を出す。
「あら、貴女もいましたの?」
「まあねー。といっても今回は裏方だったけどねー。どうせ衝突するだろうと踏んで前々から準備してたけど、大勢の耳長の人たちを運んでくるのは大変だったよー」
あははー、とミケットは陽気に笑う。
そんな彼女の傍には、薄緑の民族服を着た耳長の少女――フエスの姿がある。
「本当に、頭が下がりますわね」と畏まったノークレンに、フエスは穏やかな微笑を浮かべたままやわらかく首を振った。
「いいえ。これも全て、ミレンギ様やアーセナ様たちが我々を救ってくださったおかげ。人間に歩み寄るきっかけをくださったからですわ」
彼女の綺麗な瞳が、他の人間と束の間の勝利を讃えあっている耳長族たちを映す。
「これからは、私たちも出来る限り協力いたします。ともに、新しいファルドを歩む仲間として迎え入れてもらえることを願って」
「ありがとうございますわ」
そうしてフエスとノークレンが握手を交わしていた。
その光景を、ミレンギは地面に座り込んだまま微笑ましく眺めていた。疲れきって眠ってしまったセリィを膝に乗っけている。
疲弊しているのはセリィだけではない。ファルアイードの他の地区でもルーン軍の抵抗はあったらしく、ユリア率いる通商連合や耳長族の戦士たちの加勢でどうにか凌いだものの、消耗も激しくなっていた。
アーセナもルーセントとの戦い中に片足を痛めていたようで、それを今までひた隠しながらも、一息ついた今になってつらさに顔を滲ませていた。
「無事でよかったですわ、ミレンギ」
フエスと話し終えたノークレンがミレンギの下にやってきた。
腰が抜けたように尻がすっかり地面にくっついてしまっていたミレンギは、情けない腑抜けた笑顔を浮かべてノークレンを見上げた。
「助かりますたよ、ノークレン様」
「たいしたことありませんわ。逆臣ガセフも逃がしてしまいましたことですし。そ、それに……わたくしに対して敬語は結構ですのよ」
「え?」
ふとノークレンの頬が赤く染まり、視線が逸れる。
「ほら……その……。貴方には竜神様がついていて、わたくしにはありがたいことに今も多くの民衆がついてくれていますわ。竜と人。そこに何の立場の違いもないでしょう? だから、わたくしのことは気軽にノークレンと呼んでもらって結構ですわ」
さすがに仮にも現ファルド王である彼女に、現状しがない一般人であるミレンギがそう呼ぶのはどうかとも思ったが、ノークレンなりに思うことがあるのだろう。
「わかったよ。ありがとう、ノークレン」
ミレンギが爽やかにそう言うと、ノークレンは途端に顔を上気させ、気恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
「こ、これからよろしくお願いいたしますわ」
「うん。よろしくね」
これでひとまずは、ファルドの方向性が国中に示されたことだろう。
ファルドはまだ死んでいない。
その反撃の狼煙が上がったことを示す民衆たちの声に耳を傾けながら、ミレンギは、ノークレンの後ろに立つユリアを見やる。
目が合うと彼女は思い悩むように目許を細め、嘆息を漏らした。
「わかっておるよ。もはやおぬしらには語らねばならんのかもしれん。いや、できればもう少し成長を待ちたかったのじゃ、ガセフの動きも思うたよりも早かったからの」
ユリアの真剣な瞳がミレンギたちへと向けられる。
「話そう。わらわのことを」




