-21『王』
「ルーセント、馬鹿な男。もっと堅実に、注意深く戦えば勝てたものを。身の程も知らず、急いで力ばかりを欲するからです。やはり彼はその器ではなかった」
広場の真ん中で横たわった隻腕の男を見つめながら、ユーステラはそう吐き捨てた。
「まあ、探し物が見つかったという点では意味のある死でしょうか。無駄死にではなくてよかったですね、ルーセント」
先ほどまで共闘していた相手とは思えぬ口ぶりである。
ミレンギとアーセナは、血溜まりに伏せた一人の戦士を前に、未だ余裕の表情を浮かべて孤立する竜の少女を見やった。
ルーセントは死んだ。ミレンギの一撃によって。
もはやこの広場にユーステラ以外にルーン軍の姿はない。
孤立無援の状況だというのに、ユーステラの表情は至って焦りを窺えない様子だった。
「随分冷めた物言いだな。他人事ではないだろうに」
アーセナがユーステラに対して剣を構えなおす。
「私はそこの未熟児とは違い、自衛はできますので」
「まだ竜の姿にはなれないのだろう。どこまでその余裕が持つか」
「どうでしょうか。少なくとも、もう私が負けるということはなさそうです」
「どういうこと?」とミレンギが思わず尋ねるが、彼女はそれ以上答えはしなかった。
「ならば無理やりにでも弱音を吐かせるのみ」
アーセナが駆け出し、ミレンギもそれにあわせて蒼白の剣を掲げて走り出す。
先手必勝とばかりに二人の剣がユーステラへと襲い掛かろうといた瞬間だった。
「…………っ?!」
二人の剣はユーステラまで届かず、直前で阻まれた。
ユーステラのすぐ目の前。僅か一寸手前といったところに、突如として巨大な壁が現れたのだった。それは半透明であり、僅かに碧色のしていることからも、ユーステラが出現させたエルドラグの結晶なのだとわかる。
しかしユーステラは微動だにしておらず、魔法を発動した痕跡もなかった。
突如として目の前に現れた巨大な結晶の壁。
渾身の力でミレンギが¥とアーセナが剣を打ち込んだにも関わらず、それはかすり傷一つついていなかった。逆にアーセナの剣が刃こぼれしそうなほどである。
しかしそれ以上にミレンギたちが驚愕を覚えたのは、その壁の向こう、ユーステラの傍にいつの間にか現れていた人影の方であった。
「お早い到着で、主さま」
ユーステラが傅くようにその人影へ身を伏せる。
その忠誠を向けられた、獅子の鬣のような金色の髪を揺らす大男――ガセフは、不敵な表情を浮かべてそこに立ち尽くしていた。
「ルーン王、ガセフ!」
アーセナの言葉でミレンギも気付く。
あれが、ルーン国の王ガセフ。
クレストと共にジェクニスを謀殺した仇。
いざ目の前にしてみると、これといった憎悪は芽生えることはなった。ジェクニスの件に関してはミレンギもほとんど知らないこと。だから特別これといって思い入れはない。
しかし敵国の王であることは事実であり、この戦争を終わらせるためには彼を討つしかないということも理解できていた。それ故に、目の前に対峙したミレンギの、剣の柄を握る手にも自然と力が入る。
しかしそれ以上に感情をあらわにしていたのはアーセナだった。
「どうしてここに」
アーセナの問いに、しかしガセフはまったく耳も貸さない様子でユーステラを見やる。
「ルーセントは駄目だったか」
「はい。私の力を扱いきるにはまだ器が足りなかったようで。やはり私の力を使いこなせるのは主さまだけです」
「ふん。まあよい。目的のものは半分手に入った。口を割らすのにてこずったが、まあ所詮は小娘よ。じっくりと悲鳴を聞かせながら大方も殺しきらぬうちに吐くとは。やはり人間はか弱すぎる。だからこそ守る盾が必要なのだ。貧弱な人間どもを守る、最強の盾が」
まるで相手にされないことに、アーセナはらしくない苛立ちで眉間を寄せていた。
しかしそれも仕方がないことかもしれない。この戦の元凶、敵の総大将がすぐ目の前にいるのだ。さすがのアーセナでも気が逸って仕方ないようだった。
「ファルドの仇敵! 覚悟!」
アーセナが突出してまた切りかかろうとする。
しかしガセフが左腕を前にかざすと、またしても結晶の壁が広範囲に広がり、その切っ先の行く手を遮ってしまった。
まるで絶対に越えられない境界がしかれたかのよう。たった一枚の半透明の壁の向こうがひどく手の届かない遠い場所に思えるほどに、その壁は強固で広大であった。
やがてその結晶壁がまた薄れ、姿を消す。淡い光となったそれは、ガセフの左腕に巻かれた小さな籠手へと吸い込まれるように収まっていった。
その籠手――いや、盾だろうか。それにしては盾の部分が余りに小さく、腕の一本をどうにか隠せる程度の大きさしかない。それに形もどこか幾何学的で、薄っぺらい菱形の鉄板を幾重にも組み合わせているかのようだった。
「いい盾だ」
ガセフが自身の左腕を眺めながら、満悦そうにそう呟く。
アーセナが駄目なら今度はミレンギが切りかかるが、それもやはり、突如現れる巨大な結晶の壁によって阻まれてしまった。
「いかに英雄の剣といえど、最強の盾は破れぬか」
「最強の盾?」
「ミレンギ、といったな。なに、今日は挨拶をしにきたまで。ここに新たなる人類の王が座したことを祝してな」
「人類の王? ……っく?!」
ガセフの全身が淡く碧色に光る。ユーステラの強化魔法だ。
それに気づいた時には、ミレンギの体は突然の衝撃とともに数メートル後ろへと吹き飛ばされてしまっていた。
セリィの強化魔法もあってどうにか倒れずに踏みとどまったものの、ミレンギはその力の強大さに愕然とした。
ユーステラの強化魔法が、ルーセントの時よりもずっと強力になっている。対象であるガセフを纏う碧色の光は強くなり、より濃く、より暗いまばゆさを含ませている。
「……強すぎる」
ルーセントのような攻撃的な恐ろしさはない。
しかし反して、屈強とたたずむガセフの守りを崩せる気がしなかった。
「これぞ英雄の盾の力。ファルドを築きし片腕の力だ」
「英雄の盾っていったい」
「知らぬのか。いや、知らされておらぬのか」
ガセフが怪訝にミレンギを見やる。
ただものではない威圧を感じた。
クレストのような小者ではない。群れを率いる長の貫禄がそこにはあった。
「ミレンギ、援護を」
「わかった」
アーセナが素早く地を駆け、またしても正面から振りかぶった剣を打ち付ける。しかしやはり、ガセフの腕につけられた盾によって真正面に結晶壁が張られ、事もなく防がれた。
「なぜ学ばん」
「試しているのさ」
「くだらぬ言い分だな」
「模索する手を止めぬことが成功の道だ」
「詭弁だな」
ふっと不敵に笑んだガセフの真横に、回りこんだミレンギが一気に詰め寄る。
「てりゃあっ!」
壁のない側面。
ここならば、と渾身の一振りをガセフ目掛けて叩き込んだ。
しかしそれにあわせるように、結晶の壁は立方体を描くようにして側面までもを覆ってみせた。ミレンギの剣はその薄く頑丈な壁に弾かれ、手ごたえなく火花を散らすのみであった。
直後、ミレンギ側の壁がすぐさま消え失せ、そこからガセフが前に出てくる。彼は脚を踏み込ませてミレンギに寄ると、左腕の盾を思い切り振りかぶり、ミレンギへと叩きつけてきた。
ただの鉄塊を打ちつけてきただけだというのに、それは巨石が降り注いできたかのような激しい衝撃で、咄嗟に剣で受け止めたミレンギの体を遥か後方へと吹き飛ばしていた。
受け止めたはずなのに胸が押されたような圧迫を感じ、手が痺れる。
「盾というのもあなどれんだろう? 強度があれば殴打武器としては十分に凶器たりえる。物というものは使いようだ」
ガセフが、脇に立っていたユーステラを一瞥する。そしてその鋭い眼差しをミレンギへと戻した。
「竜の力。貴様はまだ使いこなせてはいないようだな。」
「この……」
「ふん。今のお前に俺は倒せん」
「やってみなくちゃわからない!」
もう一度ミレンギが馬鹿の一つ覚えのように駆け出した。
ルーセントの結晶の腕を切り落とせたように、どうにかして結晶の壁も打ち砕けないか。全力を込めて再びの一撃を振り下ろしてみるが、しかしやはり結晶の壁が立ちはだかり、傷一つつかずに受け止めらてしまう。
立て続けならばどうか、と一箇所を集中して剣戟を浴びせる。
それでもかすり傷一つつかず、再び盾を突き出してきたガセフに弾かれて足を擦りながら後ずさった。
先ほどよりも強く跳ね返された。
だがそれはガセフがより強力に返したわけではなく、むしろミレンギの踏ん張りが弱くなっていたせいだった。剣の切っ先を纏っていた光がやや弱りを見せている。
振り返ると、ミレンギたちの後ろで魔法の光を注ぎ続けてくれていたセリィが苦しそうに眉間を歪ませていた。撫で肩のように背を垂れさせ、それでもミレンギに魔法を送ってくれている。
しかし表情は見るからに苦悶に満ちていた。
「セリィ」
「だい、じょうぶ……」
「幼竜ともなれば憑依を維持することすら難しくあるか」
ガセフが嘲笑を飛ばす。
「これ以上戦っても、貴様らはおのずと窮地に立たされていくだけだぞ。様子から察するにさほど長くはもつまい」
事実、セリィはルーセントと戦っている時からずっと魔法を使い続けている状態だ
静寂の森やグランゼオスとの戦いで『竜の憑依』というのをしたのもせいぜい僅かな時間。それに比べて今日はもう何十分と続いている。思っていたよりも負担が大きいようだ。
。まだ成熟していない彼女にとって、無理な魔法の使役は駄目だとユリアにも忠告されていた。
このままでは王都から撤退したあの時のようにまたセリィが倒れかねない。また彼女に負担を無理強いし、つらい思いをさせてしまいかねない。
かといってセリィの力がなければガセフ――彼の操る竜の力には及ばない。
ミレンギがただの人間だから。
竜であるセリィに任せきりで何も出来ないから。
「セリィ、もういいよ」
「駄目っ。まだ、頑張れる」
「これ以上はセリィが無理だ。また倒れちゃう」
「大丈夫。やれる」
「……セリィ。いいや、無理だ。このままじゃセリィが」
「イヤだっ!」
諭そうとするミレンギに、セリィは彼女らしくない大声で拒絶した。初めて彼女自身の感情を大きく露にしたのではないかと思うほどで、ミレンギは思わず耳を疑うようにして振り返った。
「ミレンギは負けない。私が護るから」
体を不安定に揺らがせながらも必死に大地を踏みしめて立ち続けるセリィ。
彼女の姿を見て、ミレンギはふっと口角を持ち上げた。
「そうだね。ボクには信じてくれている人がいる。一人じゃないから、今まで、こんなところまでやって来れたんだ。諦めはしないよ、ボクも」
ガセフへと向き直り、剣の柄を強く握り締めて掲げ上げた。
その途端、
「その通りですわ!」
耳を劈くような大声がミレンギたちに届いた。
振り向いたその先――広場の入り口には、堂々と勇ましく佇む一人の少女の姿。
「竜に力で及ばぬのなら、わたくしたち人間は数で凌ぐまで!」
金色の髪を揺らした少女の号令に合わせ、その後ろから数十……いや、数百にものぼるような大勢の人影が姿を現す。鎧を着た兵士。ぼろい麻布を纏っただけの農夫。まだ歳の若そうな青年から腰の曲がった老人まで。それぞれが剣を、鍬を、持ちえる全ての武器を手に、その少女の背後へと立ち並んだのだった。
広がった光景は壮観の一言。
立ち並ぶ群衆の中にはラランやハロンドたちファルド兵。更にはどこから集まったのか、通商連合の外套を羽織ったフィーミアの民や、深緑の外套を深く頭に被った耳長族の姿まである。
その陣頭に立った少女――ノークレンは、やや遠目に向かうガセフへとにらみ合うように相対した。
「他の区域にやってきたルーン軍はわたくしたちが撃退いたしましたわ。残るは貴方たちだけですわよ」
「ノークレン様。みんなと一緒に逃げたはずじゃ」
「いいえ、わたくしは逃げないと決めましたもの。どんな困難でも、貴方一人には背負わせはしませんわ」
「そうだそうだ」、「俺たちもいるぜ」とノークレンの背に立つ人々が声を上げる。
しかしルーセントによるルーン軍の増援で一時は押されていたはずの情勢。そう容易くひっくり返るとも思えない。
「みんな、どうして」と不思議に思うミレンギに、ノークレンはにこりと笑む。
「わたくしたち人間には心強い支えがありますのよ」
そうして、群衆を分け入って中から小柄な少女が現れた。
「ユリア様?!」とミレンギは思わず驚きの声を上げた。
そこにいたのは竜神と呼ばれた竜人族の少女、ユリアだった。
目を疑って見つめるミレンギよりも、より深く執拗な視線を向けているのはガセフである。幼き容姿の竜と厳しく表情を固めた男の視線がぶつかり合う。互いに険しさを孕んだ顔つきに、見ているミレンギも息を呑むほどの緊迫感を覚えた。
ユリアが空高く腕をかざす。途端に彼女の周囲に術式のような古代竜言語で書かれた文字が並び、指先に輝かしい金色の光が宿ったかと思うと、鏃のような巨大な結晶となってガセフ目掛けて射出された。
光の速さで飛翔したそれは、しかしガセフが瞬時に出現させた光の結晶によって阻まれる。巨大な轟音が響き、崩れ落ちると共に地面が揺れた。
驚くべきはその攻撃までの速さもそうだが、ユリアの一撃は、完璧であると思われたガセフの結晶の壁に僅かな切り傷を刻ませていた。
「今のわらわではこれが限度か……」
嘆息を漏らしてユリアは呟く。
それに対し、ガセフはここに現れて初めて愉快そうに口許を緩めていた。
「……始祖竜め。今更人の前に現れてなんのつもりだ。再び人間を竜の呪いに縛り付けにきたか」
「いいや、違うのじゃ」
白く長い、綺麗な髪を揺らして首を振る。
「ガセフよ。これがわらわの示す答えじゃ」
ユリアは、彼女の背後に大勢並ぶ人間たちを一瞥する。
そのほとんどはおそらく初めて見た彼女の結晶魔法、そして眼前の敵国の将ガセフを見て、緊張と驚愕の念を抱いてこちらを眺めている。
「わらわは人と共に生きる」
そう言い切った竜の後ろに立ち並ぶ大勢の人間たち。
彼らは眼前の竜こそ知らぬが、ガセフに対する敵対の心は同一である。
その一致団結とした何十もの矛先に、ガセフは面白くなさそうに舌を打った。
「くだらん、興が冷めた。戻るぞユーステラ」
「よろしいのですか?」
「俺の言葉が聞こえなかったのか?」
「……かしこまりました」
傅いたユーステラを待ちもせず、ガセフは踵を返す。
「良いか、始祖竜。人の価値は人が決めるものだ」
そうして彼は、町の外へと消えていったのだった。




