-18『復讐の男』
「やっと見つけたぜぇ……」
ねっとりと耳に絡みつくような声が、広場にいたミレンギの元に届いてきた。
その声にアーセナが振り返る。
彼女たちが馬車でやって来た方向。
その道の先から、一人の男が歩いてきていた。
漆黒の髪に白い肌。切れ長の目。
深緑の鎧を纏った若い青年である。しかし奇妙に目が留まるのは、その男の右腕だ。
いや、右腕と呼んでいいのかもミレンギにはわからなかった。なぜならばその男の右肩の付け根から伸びているのは、生身の肉ではなく、まるで樹木のように太くごつごつした半透明の結晶であったからだ。
それは間接部で曲がり、まるで本物の腕のような造形をしている。淡い碧色の結晶は、縦にまっすぐ筋が入った氷柱のよう――エルドラグの結晶だ。
そんな摩訶不思議な腕を生やした男は、鼻息を荒げるようにしてミレンギたちの前へとやって来てきた。
「よお……よおよお……。会いたかったぜ、ミレンギぃ」
獣の唸り声のような低い声調を向けられ、ミレンギは背筋が震えるような寒気を覚えた。
「まったく。やっぱりあのうさんくさいオッサンなんかには任せられなかったな。親父さんが保険のために俺を寄越してなきゃ、今頃はファルドの連中に捕まってみじめったらしく泣いてたろうに。いや、助けずにわざとその様を見てやるのも一興だったか?」
はっはっはっ、と盛大にルーン兵は笑う。
「この人は……この前の」
ミレンギはその顔に覚えがあった。
先日の撤退戦。テストから王都に向かう道中、関所でミレンギたちを封鎖しようとしたルーン兵だ。出で立ちや雰囲気からして、おそらく若いながらも体調格。セリィが身を庇ってくれなければ彼の刃でミレンギは倒れていたことだろう。
グルウによって失われたはずの腕を、しかしそのルーン兵は結晶で代用するかのように動かしていた。指先まで再現されたその半透明の腕で腰に差した剣を起用に抜いてみせる。まさに本物の手であるかのようだった。
「すげえ腕だろ、ミレンギ」
「エルドラグの結晶でそんなことができるなんて」
「竜の力ってすげえよな。そりゃ親父さんも欲しがるわけだ」
硬骨な表情を浮かべながら、その男は自分の腕を見やっている。
彼との距離を測りながら、アーセナがミレンギに言った。
「グラッドリンドを捕まえる直前、突然奴が現れたんだ。あの奇妙な腕を使って瞬く間にファルド兵を倒した。私も応戦しようとしたが、ノークレン様や他の諸侯たちを巻き込まないよう逃がすことで手一杯だった。シェスタもこのごたごたで散り散りに……」
「そんな。無事なの?」
「わからない」
煮え切らないアーセナの返事に、ミレンギは血の気が引くような思いに駆られた。
「ミレンギ、そいつはやばい。相手にするな」
「え?」
咄嗟にアーセナがそう警戒を促したのも手遅れだった。
「無視してるんじゃねえ!」
隻腕の男が、剣を掴んだ結晶の腕を思い切り振り抜く。その衝撃波がかまいたちのように鋭く刃を持ち、ミレンギたちの足元の地面を切り裂いた。
魔法だ。
風圧も凄まじく、竜巻が起こったかのように突風が足元を駆ける。
「すげえ。すげえよ親父さん。これがあれば、俺はルーンで……いや、この大陸で一番の戦士になれる。引く手あまたで褒章ももらい放題だ」
もう一度男が剣を振ると、傍にあった酒の入った木樽が豆腐を裂くようにすらりと真っ二つに両断された。
結晶の腕だけではなく、剣の切っ先まで淡い碧の光に包まれている。
それはまるで――。
「このっ!」
自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた男の側面から、突然、不意をつくように人影が飛び出した。
シェスタだった。
彼女の無事を知って安堵したミレンギだが、その少女は一目散に隻腕の男に向かい、自慢の拳を見舞おうと振りかぶっていた。
完全な奇襲をかけた彼女だったが、しかしそれは結晶で出来た彼の右腕にいとも容易く受け止められた。まるで赤子がぺしぺし叩くのをあしらうかのように男の表情はまったく変わっていない。
「邪魔するんじゃねえ!」
「きゃあっ!」
男は受け止めた拳をシェスタの身体ごと腕を振るって払いのけた。羽虫を払うような気軽な仕草だったのに、シェスタの小さな体躯は激しく叩きつけられるように近くの家屋の壁にぶつけられた。
汚い呻き声が漏れ、シェスタは崩れ落ちる。
「シェスタ!」
痙攣したように体を震わせており、どうにかまだ息はあるようだ。しかし立ち上がることも首を持ち上げることすらもできない様子である。
しかしミレンギが急いで駆け寄ろうとすると、隻腕の男がその奇妙な腕を持って行く手を塞ぐのだった。
「邪魔だ!」
剣を抜いて払いのけようとするが、隻腕の男はミレンギの一太刀を容易く、その結晶の腕で受け止めた。
「どうした、その程度か!」
「……くっ!」
このままではシェスタの元へたどり着けない。
――いや、それどころではない。
受け止められた剣を押し返されたミレンギが一歩引き下がる。そこに、隻腕の男は剣を握り締めた結晶の腕を殴るように振り下ろす。
激しく地鳴が響き、地面が陥没した。
凄まじい力。
まるで一人の男のものとは思えない。
彼の体格を遥かに凌ぐ魔獣ですら及ばないほどだ。
その人外じみた力。そして腕や剣に纏う結晶。
やはりミレンギはあるものに思いいたり、苦く顔をしかめた。
「ミレンギ。ここは退くべきだ。今の私たちでは奴に敵うかどうか」
「わかってる。わかってるけど」
シェスタを置いてはいけない。
「アーセナさん。アーセナさんはノークレン様と一緒に脱出を。ボクはシェスタを連れてから追いかけます」
「そんな無茶だ」
「無茶なのはわかってます」
一薙ぎすれば刃を纏った風が襲い来る。地を叩けば星を砕くような強大な轟音を響かせる。その力はとても、人間のそれを遥かに凌駕しているようだった。
たった一瞬の交戦で、それが肌身に感じられた。
デタラメに思うほど強大な力。まるで竜のように。
けれどミレンギも引き下がるつもりはなかった。
「ボクはもう家族を失いたくない。ガーノルドの代わりに、みんなを守れるくらいに強くならなきゃいけないんだ。だから、絶対に置いてはいけない」
「……わかった」
思いのほか潔くアーセナは頷いた。
決して譲れぬというミレンギの心を察したのだろう。
ノークレンをお願い、と言おうとしたミレンギの隣にアーセナが並び立つ。
「お前たちはノークレン様をお守りし、ここから離れろ。こいつはミレンギと、私もなんとかしてみよう」
そう、近くにいた兵士に声をかけると、剣を抜き、正面の隻腕に向けて剣を構えた。
心配になったのか、ノークレンが馬車から顔を覗かせる。
「アーセナ、大丈夫なんですの?」
「きっと大丈夫です。私も、竜の加護を信じていますから」
アーセナがミレンギと、その傍にいるセリィに一瞥を送る。
「――そう。わかりましたわ。シドルドで待っていますわよ」
「かしこまりました、ノークレン陛下」
御者に鞭打たれた馬が嘶き、ノークレンを乗せた馬車はそのまま町の外へと走り去っていった。それにあわせて他の兵士たちも、拘束したルーン兵をそのままにして追うように広場を離脱していく。
伝令兵が走り、他の区画にいるラランたちの部隊にも撤退が知らされることだろう。
残されたのはミレンギとセリィ、そしてアーセナのみ。
逃げなくて良かったのかと尋ねようとしたミレンギに、アーセナが先んじて微笑を浮かべ制す。もはやそれ以上の言葉は野暮であると言わんばかりに。
「まずは大切な貴方の家族を助ける。話はそれからよ」
「……わかった。ありがとう」
二本の剣――かつては敵として向け合っていた二つの切っ先が、剛胆と佇む隻腕の男に向けられた。
GW明けの次回より、しばらくの間隔日更新とさせていただきます。
かならず完結はいたしますので安心してお読みください。




