-17『想定外の訪れ』
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ノークレンがグラッドリンドに刃を突き立てたのと時を同じくして、ファルアイードの町中はまた、別の混乱で埋め尽くされていた。
広場で行われていた収穫祈願祭。
ただ住民たちが酒を持ち寄り、所によっては余興に音楽を流して踊ったりしていた華やかな雰囲気は、しかしほんの数刻も経たず一変していた。
「我らが御旗を掲げしファルドのために!」
誰かが町中に聞こえんばかりにそう叫んだ途端、広場を埋め尽くした住人たちの動きはぴたりと止まった。そして酒の代わりに彼らが手にしたのは、どこからか持ち出した剣であった。
彼らの豹変振りに、巡回中に巻き込まれたり非番で立ち寄り一緒に酒を呑んでいたルーン兵はひどく驚いた様子でいた。
つい先ほどまで同じ酒をあおり、同じく顔を赤くさせ、肩を組んで騒いでいた真隣の男が剣を抜いてきたのである。
そうして瞬く間にルーン兵たちは組み伏せられ、あるいは抵抗しようとした者は切り捨てられ、広場は剣を持った住人たちによって制圧されたのだった。
もちろんルーン兵が酒に酔っていたとはいえ、容易に制圧されるほど非力というわけではない。この地に駐屯するルーン軍の中でも小隊長級の強者もいたが、咄嗟に反攻しようと剣を抜いた彼を、一人の少年が風の通り抜けるがごとく一瞬にして切り倒したのだった。
「ミレンギ様。広場の制圧は完了いたしました。領主邸への増援もそろそろノークレン様と合流している頃かと」
「わかった。こっちも移動しよう。ルーンの人たちが混乱したのを立て直す前に。それに、ノークレンを連れ帰らないとだしね」
瑠璃色の珠が埋められた白銀の剣を振って切っ先の血を払うと、ミレンギは町外れの高台にある領主の屋敷の方を見やった。
おそらく今頃はノークレンによって和平交渉が決裂していることだろう。
事の発端はこの日より少し前。
前代未聞のファルドの窮地打破のために軍議を積み重ねていたとある頃に、ずっと顔を見せていなかったノー暮れんがアイネを連れ立って現れた。
そこで彼女は提案した。
『自分を餌にしてほしい』と。
軍議に参加していた誰もが耳を疑ったが、語るノークレンの目は真剣そのものだった。
固い決意を抱いたのだろうとミレンギは感じ取った。
ミレンギもまた、アミリタの町でアーセナに奮い立たされ、新たな覚悟を決めたばかりだったからだ。
「わたくしにはミレンギのような戦う力はありませんわ。かといってセリィのように魔法も使えず、アイネのように知恵が回るわけでもない。そんなわたくしが務めを果たすためには、この身を投げ出してでも無茶をする他ないと、そう思ったのですわ」
まだ一抹の不安や心細さがない混じっているようだったが、しかし引きもしないという強い意志が感じられた。
「そんな無茶な」
「万が一のことがあればどうするのか」
傾聴していた一部の参加者たちが囁きあう中、ミレンギはノークレンに問いかける。
「後悔はしませんか?」
「……後悔ばかりですわ。けれどわたくしは、何も出来なかった後悔よりも、前に進んだ後悔を選びたい。もう、ただの人形でいることはイヤなのですわ」
これまでグラッドリンドに利用されるばかりだった彼女の覚悟。人々を救いたいというのはまさしく彼女の本心だった。しかし理想への道はゆがめられ、真逆にファルドの民を苦しめる事態にまで陥っている。
ノークレンの提案は償いでもあった。
それが伝わってきたからこそ、ミレンギは彼女の提案を払いのけられなかった。
「わたくしが行くとなればきっとグラッドリンドが出てくるはずですわ。あの男はわたくしに対して、絶対の自信を持っていますもの。油断させるには十分かと」
「わかりました。それじゃあ、その方向で考えてみよう」
ミレンギが頷いたのをきっかけに、軍議はノークレンを中心に回りだした。そうしてアイネや他のみんなによる意見交換の結果、今日の和平交渉へと至ったのである。
全ては何日も前から入念に計画されたもの。
戦況を覆す一手となりかねない重要な作戦。
それを遂行するためには多少なりの諸侯の協力が必要である。
その諸侯には和平交渉の場を提供してもらい、その上でミレンギたちが市民として紛れ込めるように融通してくれる人物でなければならない。故に重役であり、つい先日ルーン軍に各地の諸侯たちの一部を丸め込まれたように、下手な人物に頼っても情報を流されかねない以上、協力を求める相手の選定も念入りにされた。。
そこで白羽の矢が立ったのが、かねてより前王ジェクニスへの信心が深かったファルアイード領主イグニスであった。
戦火を免れるため早くからルーン軍に降伏していた彼は、密書によって協力を求められたことを最初は渋っていたという。
そもそもノークレンという少女は何者なのか。本当に王の子だったのか。そんな疑問は彼だけでなく、多くの諸侯らが思っていることだろう。
しかしノークレンの熱い嘆願により、イグニスは重い腰をあげ、協力を容認してくれた。そうして町ぐるみの罠が計画され、本来ならばやや時期が遅いはずの収穫祈願祭を催し、その騒ぎにミレンギたちを紛れ込ませてくれたのだった。
場は用意した。後はノークレンがどうするか。
彼女の真贋を見極めんとばかりに、イグニスはこの日を迎えたのだろう。
「あとはイグニスさんたちがノークレンを認めてくれるか、だね」
酔いつぶれたルーン兵たちを拘束したミレンギは、事が行われている領主邸からの吉報を待った。
やがて、ラランやハロンドが率いるファルド兵たちによって他の区域のほとんどをも制圧できたという報せが入った。
「シェスタ、大丈夫かな」と、ミレンギの傍らで市民の変装をしていたセリィが心配そうに呟く。
シェスタもまた、ノークレンの侍女として領主邸にいる。イグニスの協力の元、屋敷の制圧は完璧に行われるはずだが、万が一のことがあればと思うとミレンギも心配だ。
しかし不安で下を向いてしまっては、自分から勢いを殺してしまうようなもの。
「大丈夫だよ。あ、ほら」
領主邸の方からファルドの馬車がかけてくるのを見て、ミレンギは一瞬作戦の成功を察し安どの表情を浮かべたが、しかしすぐに異変に気付いて口許を引き締めた。
馬車が異常なほど全速力で駆けてくる。それは間違いなくノークレンが使っていた馬車なのだが、もはやこの広場には味方しかいないのに、それはまるで何かから逃げるかのごとく全力疾走であった。
かと思えばミレンギたちの前で急に停車し、中からアーセナが飛び出してきた。
「アーセナさん。どうしたんですか」、
ミレンギが問う。
ノークレンの身に何かがあったのかと思ったが、しかしよく見れば客車の席にノークレンはしっかりと座っている。
しかし多分に慌てた様子で駆け寄ってきたアーセナがミレンギに言った。
「ミレンギ! ルーンの碧竜だ!」




