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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第2部 -王の奪還編- 3章 『通商連合』
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 -14『ふざけた条件』

   ◆


 ほぼ時を同じくして。

 ファルアイード領主邸の別室で、優雅に葉巻をくわえながら一服をつく男の姿があった。


「ぷはぁ。たまらんわい」


 煙を吐き出し口許を卑しく緩めたその男は、皮椅子に腰掛けて上機嫌でいた。


「グラッドリンド様。あまりお吸いになられてはお洋服に臭いが染み付いてしまいます」


 従者の男にそうたしなめられるが、その男――グラッドリンドは構わずもう一度葉巻をくわえ、堪能するように深く吸い込んでは吐き出した。


「構うものか。わしはもう何年と我慢してきたのだぞ。煙草の臭いでノークレンに嫌われてはかなわんし、他にも悪印象を持たせかねないと気を遣って控えておったのだ」

「ですが、本日もノークレン様がお目見えになっているわけですし」

「知ったことか! あいつのご機嫌なぞ、もはやどうでもいいわ」


 交渉すらまだだというのに、もはやノークレンは自分の物になったつもりである。


 その実、グラッドリンドはノークレンが多少無茶なお願いをして降伏を申し出てきても、ある程度ならば口聞きしてやるつもりだった。そうして恩を売り、グラッドリンドに対して絶対的に逆らえないようにしてやろうと思っていたほどだ。


 相手は、所詮は小娘。

 それも、彼女が小さな時から一緒にいたのである。その性格、臆病さ、流されやすさ、小心ぶりを、グラッドリンドは誰よりも知っているつもりだ。


「わしの可愛いノークレン。いい女に育ってくれた。ああ、早く取り戻し、これまで抑えていたものを全てぶちまけたいものだ」


 思わず内心から湧き出てくる劣情に卑しく口許を緩め、グラッドリンドは、これから行われる和平交渉を今か今かと楽しみに心躍らせていった。


「それにしてもイグニスのやつ、良い葉巻を揃えておるわい。庶民に出回っておる安物と違っていい香りだ」


 領主からせしめた贅沢品に機嫌まで有頂天に達し、もはやこの世の絶頂期であると確信するほどだった。


 そんな折、ふと、窓の外が騒がしいことに気付く。なにやら複数人の男たちが騒ぎまわっているようだ。


「何だ?」と従者に尋ねる。


 事件かと思い表情を引き締めて窓の外を見た従者は、しかし外の様子に他愛ない微笑を漏らした。


「どうやら住民たちが酒を持って騒いでいるようです」

「こんな時間に酒とは」

「そういえば、どうやらこの町は今、収穫祈願祭なるものをしているらしいです。来年の豊作を願っては、三日ほど、町全体で酒を飲んだり踊ったりして賑わいをもたせるのだとか」


 季節の節目などには良くある話だ。王都にも似たような習慣はある。


「しかし、はて……収穫の時期はまだ少し先。この町は随分と風変わりな季節に行うものですな」

「馬鹿馬鹿しいわい」


 それを聞き、ふん、とグラッドリンドは鼻を鳴らした。


「侵略されたばかりのこんな時に。やはりファルドの連中は呑気なものだ。むしろ酒でも飲んでいなければ正気も保てんとでもいうわけか」


「かもしれませんね。それにしても随分と人が多い祭りのようで。ファルドの中では比較的大きな町とは聞き及んでおりましたが、この町にまだこれほどの人口がいたとは、町を訪れた時はもっと少ないかと思いましたのに」


「ふん。祭りの気にあてられて、これまで敗戦を受け止められずに引きこもっていた連中たちもいよいよ観念して外に出てきたのであろう。哀れな連中よ」


 煙草の煙を吐き出しながら、グラッドリンドは面白おかしく嘲笑を漏らした。


「どうやらルーンの兵たちも混じっているようですが」

「馬鹿どもめ。まあ、今日のわしは機嫌がいい。好きにさせておけ」


 そんなことよりも、ルーンがファルドを制圧し、ノークレンを譲り受けてからの隠居生活を夢想することの方が忙しいのだ。


「一度はしくじったが、こうも上手く好機が舞い戻ってくるとはなあ。わしはことごとくついている男よ」


 もはや抑えきれなくなった笑い声を醜く漏らし、グラッドリンドは至福に顔を歪めて葉巻を吸った。


「それで、奴らの様子はどうだった?」

「ノークレン様たちですか」

「様はいらん」

「は、はあ。ノークレンはなにやら領主のイグニスと一瞬の揉め事を起こしていた様子です。すぐに収まったようではありますが」

「当然だ当然だ。国を売ろうとしているのだからな、奴は」


 順調に事が進んでいる、とグラッドリンドは確信した。


「ノークレンは国を売った。もはや奴がこの国の表舞台に立てることはないだろう。今日が、奴の名が歴史に載る最後の日よ」

「グラッドリンド様。ファルドの方々が席につかれたようです。こちらもご仕度を」

「わかっておるわい」


 愉快に腰を持ち上げて、ルーンの紋章の入った止め具に繋がれた飾緒を指でなぞる。黄金色に輝くそれは、ずっと見入ってしまいそうなほどに美しい。


 ルーンに与した証とその功績の褒美、そして此度のルーンの正式な使者として、ルーン王ガセフから直々に授かったものである。それはつまり、ルーンの人間になったという証明であった。


 グラッドリンドは軽い足取りで部屋を出た。


 和平交渉が行われる、領主邸で最も広い、縦長に続く食堂。頭上には豪奢な燭台が飾られ、高級そうな絨毯が所狭しと敷かれたそこの中央に置かれた長机に、現ファルド国王であるノークレンが座していた。


 食堂であるのに眼前の机上には何のお持て成しもなく、ただの水が入ったグラスだけが置かれている。そんな彼女の後ろには、元騎士団の団長補佐であったアーセナという少女と、もう数名の近衛騎士の姿。しかし武器は取り上げられ、ノークレンにはまるで、今のファルドを体現しているかのようなみすぼらしさが感じられた。


 そんなノークレンからやや距離を置いた椅子に、未だルーンへの忠誠を誓わないファルドの諸侯たちを座らせる。今回の和平交渉により彼らの心を砕き、ルーンへの献身を抱かせることも思惑の一つである。


 グラッドリンドの想像した通り、諸侯たちは一様に不安げな表情を浮かべて事を見守っていた。


 準備は万全。

 全てが思い通りに進んでいる。


 グラッドリンドがノークレンの対面の席に腰掛けると、彼女はこちらを一瞥し、萎縮した風に眉をひそめていた。


 久方ぶりの対面。

 時間が空き、彼女も自分の境遇はさぞ理解できていることだろう。


 ――相も変わらず怯えておる。


 そうグラッドリンドは内心の余裕の笑みを浮かべた。


 所詮はこれまでずっとグラッドリンドに操られてきた駒である。一度手元を離れようと、再び掌握することは難しくないに違いない。


「グラッドリンド殿。この度はこのような場を設けていただき、感謝の気持ちを――」


 畏まって頭を下げて言うノークレンに、グラッドリンドは笑いを噴き立たせて払いのけた。


「そういう堅苦しいのはいらん。さっさと用件だ」

「ですが……」

「何か問題があるのか?」


 凄んで返してみせる。

 ほんのちょっと気迫を込めただけで、ノークレンは言葉を失い、喉の奥へと引っ込めてしまっていた。


 ――ああ、やはり他愛もない。この娘はどこまでいっても、わしの可愛い操り人形だ。


 愉快すぎて表情が崩れそうなのを必死に我慢した。


「それで、お前たちがルーンに降るという話を聞いてわざわざここまで来たのだ。それは真だろうな?」

「……はい。こちらにはその準備があります」


 またしてもグラッドリンドは、軽視するように鼻で笑い飛ばす。


「であればこんな手間をかけずとも、身包み剥いだ格好で、手を挙げて王都に戻ってくればよかっただろうに。こんな手間をかけさせて、お前と言う奴はどこまでも使えない奴だ」


 もちろんその言葉は嘘である。

 しかし内心現状を喜んでいることを知らぬノークレンには、重い言葉をとなってぶつかっていることだろう。不機嫌そうにグラッドリンドが眉をしかめると、その一々の機微すらも気にかけるように、ノークレンはこちらを窺い見ている様子だった。


 ああ、愉快。

 なんと心地の良いことだろうか。


「それは……条件を、提示したく」

「なんだと?」

「民の安全などを保障してもらうために、降伏に際してのこちらの条件をのんでいただきたいと思ってここに馳せ参じた次第ですわ」


 今度こそ、ふん、と本当にしらけた笑いが出た。


「この期に及んでそんなことを言うのか。お前は敵国の王。命があるまま降るだけでも十分なほど幸運だというのに。温室で育ってきたわがまま姫はこれだから困る」


 無条件降伏ならばまだしも、差し出がましく条件を持ってくるなど。たかがノークレンごときが、とグラッドリンドは舐められた思いに気を悪くした。


 まだ義父と思ってすがってきているのだろうか。頼み込めば許してくれると思っているのだろうか。そんな都合の良いことがあるはずがない。


 やはり、ただの小娘であった。世間を知らぬ、凡愚の。


「いいか、ふざけるなよ。お前たちは選べる立場ではないんだ。今はガセフ様が侵攻の手を緩めてくださっておるから無事でいるだけで、貴様らなど、真に竜の加護を受けたルーンにかかれば瞬く間に消えて潰える存在なのだぞ」


「わたくしたちも、先の戦いは圧倒的な敗北であったと認識しています」

「であれば! お前たちが贅沢を言える立場ではなかろう!」


 思わず拳を丸めて机を叩きそうになったのを必死に堪える。

 しかしノークレンは変わらずしたたかな物言いで返してくる。


「グラッドリンド殿。ここに、わたくしが降伏にたる条件として項目を挙げさせていただきました。これらを漏らすことなく呑んでくださるというのでしたら、わたしくしは今すぐにでも貴方がたへ身を降らせる覚悟でございます」


 ノークレンに付き従っていて背の低い侍女が、彼女から書状を受け取り、グラッドリンドの元まで運んでくる。


 不躾に思うほど半ば押し付けるように渡されたそれに目を通したグラッドリンドは、直後、こめかみの血管がはち切れんばかりに頭を沸騰させた。


「なんだこれは! 王都の無血解放。ファルドとルーン共同によるアマルテ大橋の復旧工事。援助として王都修繕費用の一部負担。ルーンの在ファルド拠点を王都と周辺の町数箇所とすること……」


 読み上げるグラッドリンドのの声が、書状を持つ手と共に震え始める。


「更にはそれに加え、ファルド、ルーンの文官を交えた新政府を立ち上げ、ルーンに属する独立国として、税収などの政策すべてを一任させること……だと?」


 それはあまりに馬鹿げた内容だった。


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