-10『夜明け』
少年の長い夜が終わった。
東の空は少しずつ白じんできている。
指揮隊長を落とされ、残された兵士たちはばらばらになってシドルドの町の方へ逃げていった。
燃え盛っていた厩舎も村人たちの懸命な消火活動によって落ち着きを見せている。ようやく、この寂れた集落に久方ぶりの静けさが戻っていた。
「手当てをしてくれたのは感謝するけど、もうおいらたちに関わらんでくれ!」
包帯を巻かれた母親を抱きしめながら、少年は涙混じりに叫んでいた。彼の弟も呆然とした様子で寄り添っている。
「ボクたちになにかできないのかな」
「無理です。残念ながら。すぐに他の兵の追撃があるかもしれません」
ミレンギの思いは、しかしガーノルドによって引止められた。
「ボクのせいだ」
「違います。いかなる理由があろうとも、一般人に危害を加えてはならない。そんな常識すらもこの国は忘れてしまっているのです」
「忘れてるの?」
「ファルドは今、東国ルーンとの戦争を闇雲に続けています。血を流すことに明け暮れ、もはやその出血はとどまるところを知りません。いずれ血は枯れ、ファルドは死に絶えることでしょう。国が痩せれば人民も痩せる。身体も、心も。そうなればもはや秩序など残りません。生きるため、自らを保つため、なんでもするようになるのです。それがいかなる非情であっても、です」
「だから、ボクたちを捕らえるためならあの人たちも死んでもいいってことになるの?」
「今のこの国は、そうなります」
「……そっか」
「だから変えなければなりません。かつての前王ジェクニスのように、いや、偉大なる始祖アーケリヒト王のように、この世界を統べるものが必要なのです」
集落の賛辞を見ながら呆然と立ち尽くすミレンギの手を取り、ガーノルドは傅く。そして祈るように言った。
「それが貴方なのです、ミレンギ様」
数時間前まで、父のように思っていた男の傅き。
それは、ミレンギにとってはあまりに異様であった。
彼が目の前にしているのはただの少年なのだ。
つい先ほどまで客の前で曲芸を披露していた、ただの旅団員なのだ。
「……ボク、よくわからないよ。でも、一つだけわかる。こんなことが許されちゃいけないんだってことは」
ミレンギの虚ろな瞳が、蹲る少年と息も絶え絶えな母親の姿を映す。
「ごめんなさい……ありがとう」
ミレンギには、ただ遠くから、そんな言葉を投げかけることしかできなかった。
◆
しばらくして、ミレンギたちが去った集落に一足遅れてやってきた影が一つ。
転がる警ら隊の兵士たちの死体を見下ろし、その人影は唇を噛む。
焼けて煤まみれになって柱が崩れ落ちそうになっている厩舎。近くには集落の外に伸びるまだ新しいいくつかの足跡がある。
「そう、逃げたの」
その人物は胸元の鎧の下から首飾りを取り出す。竜の顔が描かれたものだ。
竜の加護を受ける国『ファルド』を守護する者――王属騎士団に与えられる紋章である。それを強く握り締め、祈りを捧げる用に天を仰ぐ。
「いよいよ私たちが動かなければいけないのね」
ふと、血まみれの女性を抱いて泣き崩れている子供を見つけた。そこに歩み寄り、淡々とした口調で言う。
「私が楽にしてあげる」
腰元の、同じく紋章のついた柄の長い剣を抜く。
「なにすんだ!」と必死に叫ぶ子供の言葉も無視し、その人影は、剣の切っ先を天高く掲げたのだった。
◆
ひとまず1章が終わり、これからミレンギ少年によるこの国の命運をかけた戦いが始まります。
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