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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第1部 -ファルド内乱編- 1章 『少年の一番長い夜』
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1-1 『ミレンギ少年の平和で平凡だった日常』

○プロローグ


「……時が来たか」


 男は独り、玉座に座り込む。

 空しき呟きを聞く者など誰もいない。


「竜の子よ。もう少しだ……」


 それは、終わりのための言葉。

 終わらせるための、始まり――。



  1  少年の一番長い夜



 シドルドの町は大陸を東西に繋ぐ交易路の中継町の一つとして栄えていた。


 百年以上続く大陸最大の王国、ファルド。その東に隣接する新興の軍事国家、ルーン。


 おおよそ十年前、かつては一つであった二国が分裂し戦争が始まってからというもの、ファルド北部の西端に位置するこのシドルドという町は、他国の文化や物品が取引される数少ない場所だった。


 中央を二分する大通りには路馬車や物売りが所狭しと並び、毎日が祭りのような賑わいを見せている。おそらく王都に次ぐ人口を誇る町だ。


 路銀商、酒屋、踊り子や占い師、道端で論説する思想家まで。

 数多の人種が雑多煮されたこの町には、戦時中ということを忘れてしまうほどの活気が満ち溢れていた。


 その中でもより多くの賑わいを見せている集団がいる。


『アドミル旅団』


 その名前を聞くと、みんなは一笑してこう答える。

「ああ、あの奇妙な動きをする連中のことだろ」と。


 七年ほど前にでき、多くの荷馬車を率いて町を巡っては公演を行っている曲芸集団だ。


 おおよそ二十人の構成員からなる大規模な一団で、低料金ながらも本格的な演目が見られるともっぱらの評判である。


 町一番の広場の一角を占める巨大な黄色い天幕の周りには、今日の公演を楽しみに集まった観客たちがひしめいていた。


 公演が始まると、仮面をつけた道化師や踊り子がノリの良い音楽とともに曲芸を披露していく。側転、バック転、さらには前転宙返りなどを何度も繰り出し、観客たちを更に盛り上がっていくばかりだ。


「今日のお客さんもいい受けだね」


 舞台袖で準備をしていたミレンギは、照明の当たる壇上を見ながら興奮気味に言った。


 今日の公演は大入り満員の大繁盛である。

 これほど人が集まるのもシドルドが商業都市であるおかげだろう。


「すごいなあ。緊張するや」


 拳を握りこんで唾を飲み込んだミレンギの頭に、後ろからやってきた赤毛の女性が手を置いた。撫でるように優しく擦り、


「緊張したからって失敗しちゃ駄目よ」


 その女性――ラランが優しい口ぶりで諭す。

 大丈夫ですよ、とミレンギはおどけて笑って返した。


 そんなミレンギの後頭部を、栗色の髪をしたポニーテールの少女が叩いてくる。


 ミレンギの幼馴染の少女、シェスタだ。切れ長の目でいつも高圧的にちょっかいをかけてくる。物心ついた頃から一緒にいるせいで実の兄妹のように育ってきた仲だ。


「大丈夫って言って失敗するのがあんたでしょ」

「う、うるさいなぁ、シェスタ!」

「あははっ。悔しかったら頑張ってみなさい」

「うう。くっそう」


「こらこら。二人とも、仲が良いからって痴話喧嘩はやめなさいよ」

「「よくない!」」


 二人揃って強く言い返されたラランは、微笑ましそうに口許を緩めながら、やがて舞台袖に戻ってきた前座の踊り子たちと入れ替わり壇上へ躍り出ていった。


 ラランが手にしているのは、彼女の身の丈ほどはありそうな細長い棒だ。先端には銀色の装飾が施されていて、彩色な照明を虹色に反射させて綺麗に映えている。その棒を上に、下にと振り回し、くるりと横に薙ぐように一回転。


 手首の捻りと棒のしなりで、まるでしなやかに麻布が宙を舞っているかのように見せる曲芸だ。


 蝶のように軽やかな足踏みは見る者の心を奪い、煌く銀色の穂先は誘蛾灯のようにみんなの注目を集めた。


 演目を終えて舞台袖にラランが戻ってくる。


「ラランさん、お疲れ様。今日も凄かった」

「ふふっ。ありがとう、ミレンギくん」

「ミレンギ、褒めてもらおうとしてるのバレバレ。まったくお子様なんだから」

「うるさいな、シェスタは!」


 からかうように耳元で囁いてきたシェスタに、ミレンギは顔を真っ赤にして叩いた。そんなミレンギの背後から不意に、


「ぐるるるる」という野性味ある重低音が聞こえてきた。


「ミレンギ、邪魔。どいて」


 今度は正反対に、可愛らしいか細い声だ。

 その持ち主は、いつの間にかミレンギの背後にやって来ていた。


 銀色の髪を二つに結ったあどけない女の子がミレンギを見下ろしていた。しかし驚くべきは彼女の足元で喉を鳴らしている獣だ。


 少女が跨っているのは、優に大人一人分ほどの高さはある四速歩行の巨獣だった。漆黒の毛が白銀の少女の髪と対照的で、赤い瞳は千里先まで見通してそうなほどに鋭い。野生の狼を数倍ほど大きくしたような獣が、ミレンギのすぐ後ろで、鋭い犬歯をちらつかせながら佇んでいた。


 劇団の猛獣使いアニューと、魔獣グルウである。


 どちらもまだ十一歳で、幼い頃から一緒に過ごした兄弟のような存在だという。なんでも言葉を解さずとも意思疎通ができるらしい。


 そのため、魔獣とは本来、森の奥深く、人の立ち入らない秘境に生息する獰猛な肉食獣なのだが、グルウはアニューの言いつけを守って人間界でも大人しく生活できている。


  それでもミレンギは、グルウの迫力のある恐顔が、今にも噛み付いてきそうな気がして慣れないでいる。


「うわあ、びっくりしたじゃないか」

「グルウ、いい子。家族、食べない」

「そうは言うけど……」


 ミレンギが試しに撫でようとすると、グルウは大口を開けてその手に噛み付こうとしてきた。慌てて手を引っ込める。


「やっぱり食べようとするじゃないか!」

「違う。じゃれたいだけ。グルウ、すっごく優しい」


 冷淡に表情も変えず言うアニューは、果たして本気で言っているのか冗談で言っているのか、長く一緒に暮らしてきたミレンギでもわからない。言葉遣いはまだたどたどしくて幼いが、普段は明るく良い子だ。


「アニュー。早く行くんだ」


 道化師の仮面をつけた男がアニューたちに合図を送る。シェスタとアニューの実の父親で、この一座の責任者の男、ガーノルドである。


「はい、パパ。行くよ、グルウ」

「ぐるるるるる」


 アニューがグルウの首元を一度叩くと、颯爽と地面を蹴って壇上に飛び出した。


 勢いよく登場してきた魔獣に、観客席からどよめきの声が上がる。

 本来獰猛なはずのそれがいきなり目の前に現れたのだから当然の反応だ。


 座らせたり、伏せさせたり、転がしたり。アニューとグルウは、迫力のある遠吠えや、台座から台座への大きな跳躍も披露させて見せた。


「すごいぞ!」と場内が湧き立っていく。


 舞台袖にまで聞こえてくる歓声に気持ちを滾らせながら、ミレンギは首からさげたブレスレットを握りこんだ。瑠璃色の珠がついた、ミレンギにとって家族よりもずっと一緒にいた大切な宝物だった。いつも肌身離さず持ち歩き、曲芸の本番前には必ず祈りを捧げている。


 この首飾りはミレンギが孤児院にいた時から持っている唯一のものだった。


「どうか幸運の加護がありますように」


 珠にそっと口づけをし心を固める。

 そこには、魔獣に怖じけていた少年の顔はもう無い。


「よし、ミレンギ。出番だ」

「はい!」


 ガーノルドの合図で、戻ってきたアニューと入れ替わりで壇上に飛び出す。天幕の屋根まで伸びた細長い鉄の支柱に掴まり、腕の力だけで登っていく。決して大柄とはいえないミレンギのその妙技に観客たちは驚きの声を上げる。


 ミレンギは肉体こそ華奢ではあるが、そのほとんどは鍛え上げられた筋肉でできていた。孤児院から引き取られてからというもの、はやく家族の一員になれるよう、一日たりとも欠かさず訓練を続けてきた成果である。


 息一つ乱さずに、やがて屋根あたりまで登り詰める。さらには棒をまたで挟んで手を離して見せたり、片腕の力だけで維持して見せたり。間違えれば死と隣り合わせの荒業を、ミレンギは涼しい顔を作ってやってみせる。


「行くわよ!」とシェスタの声が会場に響く。高所の台座に待機しており、軽快に空中ブランコに乗って宙を飛んだ。振り子で勢いをつけながら、自身は座るための板に両膝を引っ掛けて宙吊りになる。その状態でミレンギへと手を伸ばす。


 ここ一番の大技。


 これから起こることを察した客席にどよめきが走る。しかしミレンギには微塵の恐怖もなかった。


 シェスタがちょうど最も近づいてくる機を狙ってミレンギは棒から飛び立つ。照明に当てられ眩いばかりに輝いた彼の身体を、見事にシェスタが掴んで受け止めた。


 この日一番の歓声が場内を包んだ。


 この瞬間がたまらない。


 最高の興奮。最上の喜び。

 このために自分は生まれてきたのだと言えるくらいに命を輝かせている。


 最前列から最奥まで、上から眺めた観客席には、埋まりきらないほどの笑顔がいっぱい並んでいた。そんな光景を、まるで金貨の詰まった宝箱の中を見るように、ミレンギは満足な笑いを浮かべて眺めたのだった。




 公演は大成功のうちに幕を閉じた。

 終始活気に溢れ、その微熱が残っているのか、打ち上げの祝いの場でも興奮が冷めやらぬほどだった。


「すごい。すごいよ今日は。いままでで最高の出来だった」


 場末の酒場で集まった一団の家族たちを前に、ミレンギは嬉しそうに言った。


「お疲れ様、ミレンギ。すごく良かったわよ」とラランが頭を撫でてくれる。母のような優しい仕草に、ミレンギはたまらなく破願させた。


「ミレンギ大袈裟すぎ。いつものことじゃん」


 隣で飲み物を飲んでいたシェスタが呆れ顔で茶化してくる。

 その後ろでは、アニューが机上に並んだパンなどを麻布に詰め込んでいた。おそらく外で待っているグルウに持っていってあげるつもりなのだろう。


 他の団員たちも、思い思いに酒をあおったり飯を食い散らかしたりしている。公演時の歓声にも負けないほどの大騒ぎぶりだ。


 それも仕方のないことだろう。大きな町で大きな公演が大成功に終わったのだ。皆がそれぞれの演目について話し合い、笑ったり落ち込んだり、いろんな表情を見せている。


 ミレンギはそんな光景が大好きだった。


 明日も、明後日も。公演で一汗流しては、こんな他愛もなく愛おしい時間を過ごせるのだと、疑うことなくそう思っていた。


「ミレンギ!」


 一際大きい声がミレンギを呼んだ。

 その声の主は、一団の長であるガーノルドだ。


 道化師の面はなく、髭面で屈強そうな鋭い目をした顔が露になっている。


 歳は五十近くだというが筋肉質な体型からは想像もできない若々しさがある。物腰に威厳があり、常に落ち着いていて、一団の中でもみんなの父親のような存在だった。


 彼は険しい顔つきでミレンギへと歩み寄ってきた。


「な、なにさガーノルド。もしかしてまた説教? ボク、今日は一度もヘマをやらかしていないと思うんだけど」


 萎縮した口ぶりでミレンギは伺う。公演後のガーノルドによる反省会は毎度のことで、酷い時には二刻ほど潰されることもある。


 やれ「あのふざけた登りかたはなんだ」やら、やれ「登ることに必死すぎて登りかたが美しくない」やら、厳しい言葉は腐るほどに聞き飽きている。


 今日もどんな罵声を浴びせられるのかと覚悟していたが、しかし今日は、彼の様子が少し違うことにミレンギは気付いた。いつも実直であるガーノルドの瞳が微かに揺れている。


 気付けば彼だけではない。先ほどまで酒盛りをしていた家族全員が、まるでミレンギたちを見守るかのように傾注していたのだ。


 その異常さにミレンギは息を呑んだ。


「どうしたのさ、みんな」


 問いかけに誰の返事はない。

 場はしんと静まり返り、いつも穏やかに微笑んでくれるラランも今ばかりは厳しい顔つきをしている。


「ね、ねえみんな。どうしたの。本当に、いったい」

「ミレンギ」

「なに、ガーノルド」


 不意に、ガーノルドがミレンギの目の前で膝をつく。


「誕生日、おめでとう」

「……え?」


 ミレンギにとって予想外の言葉だった。しかし同時のほっとした。


「なんだ。驚かせようってことだったんだね。というより今日がボクの誕生日だったの? ガーノルド、ボクの誕生日がいつか知ってたの? それだったらボクにも教えてくれてよかったのに」


 急に真面目になって吃驚したよ、と笑うミレンギ。

 しかし眼前に伏すガーノルドも、他のみんなも、一笑すらこぼしていなかった。


「十六歳の誕生日でございます。ご成人、心よりお喜び申し上げます」

「え、どうしたの。急にそんな丁寧に」


「ミレンギ様は本日、成人を迎えられました。前王ジェクニスの遺言としてこの十年、貴方様をお守りし続けられたことを光栄に思います」

「ガーノルド?」


 戸惑うミレンギ。

 気付けば、他の家族たちも皆一同にその場で膝をつき、ミレンギに向けて頭を垂れていた。あのいつも強く当たってくるシェスタすらもだ。驚かすにしてはあまりに異様なその事態に、ミレンギはまったく理解が追いつかなかった。


「前王ジェクニス様は子宝に恵まれず、百年と続いてきた王族の血はその代で潰えたとされてきました。しかしジェクニス様には王城の外で出会った女性と密かに子をなしておられました。その事実は前王によって秘匿されてきましたが、彼の亡くなる間際、そのことを私におっしゃったのです。そして遺言として、国王として、私に最後の命を下しました」


「最後の、命?」

「はい」


 ガーノルドが深々と頷く。


『我が落ちた後、国は乱れる。なれば我が王家の血を継ぎし彼を率いて、再び世を安寧の光に照らせ』


 ガーノルドは一言ずつを噛み締めるようにそう言った。


「それが、ボクになんの関係が」

「我々を見てもうわかっておられるでしょう」


 たじろぐミレンギに、しかしガーノルドは鋭い目つきで言い放つ。


「貴方がその、唯一にして王族の血を引く正統なる後継者、ミレンギ様なのです」


 あまりに突拍子もないことを言っている。しかし、耳を傾ける他の皆からは戯言だと笑い飛ばす声が上がらない。一同に、真面目な顔つきでミレンギを見つめている。その状況が、嫌でもミレンギに言葉の裏づけをさせているようだった。


「な、何を馬鹿なこと言ってるんだ。ボクは孤児だ。王族なんかじゃない。孤児院の頃の記憶だってあるんだから」


「お母上は流行り病で命を落とし、前王との関係も明かせない彼女は、死の間際にミレンギ様を孤児院にお預けになられたのです。まだ言葉も話せないような歳のこと。記憶にないのは致し方ありません」

「そんな……」


 いつも高圧的な物言いで自分を叱ってくるガーノルドの腰の低い口調がミレンギにはとても気持ち悪かった。


 まるで現実味がなく、まだ彼らが自分を驚かせようと企てていて、ほら話を信じたところで、一転嘲笑してくるのではないかと、きてほしいと、期待をしていたほどだ。


 前王のことなど話で聞いたことしかなかった。


 自分はただの孤児で、これから曲芸団が大きくなって、大陸中に知れ渡るほど有名になって、ミレンギもその一員として活躍したい。


 そう思っていたのだ。

 心の底から、そう願っていたのだ。


 なのにこれはどういう訳か。


「なんで……なんで……」


「前王の御遺志でございます。貴方様を旗印に、この戦乱にまみれたこの国を平定する。この『アドミル旅団』も、私ども全員も、正式に王位を継承できる成人の歳まで貴方様を御守りし、この日を迎えるためのものでした」


「そんなの……」


「貴方様はこの国を救ってくださる救世主でございます。以下十九名。貴方様の忠実なる臣として、どうかご命令を。その御旗を掲げ、この国の明星とならんご決意を、どうか」


 ガーノルドの頭が更に深く下がる。

 シェスタも、ラランも、アニューも、家族であるはずのみんなが平伏す。その異様な光景に、ミレンギは息ができないような苦しさを覚えた。


 わからない。どうすればいいかわからない。


 いきなりそのようなことを言われても、ミレンギはただの平民なのだ。しがない雑技団で曲芸を生業としているだけの、ただの少年なのだ。その華奢な体躯には、突きつけられる責がひどく釣りあわない。


 いますぐここから逃げ出して布団にもぐりこみたいくらいだった。そして朝になれば何事もなかったように今日の演目の準備をして――。


「大変だガーノルド! 政府軍の連中に嗅ぎ付けられた!」


 不意にけたたましい声が響き、全員がその方向を見やると、一団の一人が息を切らした様子で店に入ってきた。


 それは、ミレンギの日常が崩壊する先触れの音だった。


物語が本格的に動き出すのは二話からです。

これからいろんな困難にぶつかっていくミレンギ少年の英雄譚、どうかお付き合いくださいませ。

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