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王が齢三十を迎えた年の、ある乾期の日


「その線より一歩も内側に入るな、愚か者よ。

 わたしは踏み入れた者を殺す機構。例外なく、生きては帰せない」

「ふん」

 セメルケト王は、自分の足下、爪先から数寸先の地面を見た。

 青く光る奇妙な炎の線。そこから先は、見たことのない材質の地面になっていた。とても自然のものとは思えない、少しの凹凸もない白い地面。

 視線を上げると、声の主と、その背後のやはり見慣れない建物が見えた。建物は、神の屋敷だと言い伝えられていた。その神は、とうに去って不在なのだとも。にも関わらず、建物は異様な神聖さでそこにあった。

 声の主は、人面の獅子だった。中性的な女性の顔の牝獅子。

 王は、人面の牝獅子に問いかけた。

「貴様の後ろにある館には、人の命をも蘇らせる宝があると聞く。

 真実か?」

「真実だ。今生の人の生死など、わたしの主の前では玩具に過ぎない」

「気に入らぬ物言いだが、まあいい。貴様の主など気にはせぬ。何年何十年と不在らしいからな。何百年何千年とも聞くが。

 その宝を譲り渡せ。俺はそれを手に入れるまで引き下がらぬ」

「愚か者よ。あなたの願いは叶わない」

「そうか、そうだろうな。何度も俺はそう言われてきた。

 だが、それでも奪ってきた。王権も、国も、土地も」

 王は、背後に控えていた多数の兵たちに目配せした。

 兵たちが一斉に矢をつがえ、人面の牝獅子に向けて射た。その数五十を下らず狙いもあやまたず。たちまち牝獅子は針鼠のように矢だらけになるだろう。そう思えた。

 だが。

 矢が青い炎の線の上を通り過ぎた瞬間。

 微動だにしていなかった人面の牝獅子の身体が、金属に変わった。一瞬遅れて矢がその身体に到達したが、金属の身体は矢を一本も通さなかった。

「……ふん」

 王が、また背後の兵たちに目配せした。

 がらがらと音を立てて、車輪のついた大筒が運ばれてきた。人の頭ほどもある鉛の砲弾が詰められ、角度が調整され真っ直ぐに牝獅子に向けられ、点火された。轟音とともに発射。いかに堅牢な金属であろうと、その威力の前には破砕するだろう。

 だが。

 やはり砲弾が青い炎の線の上を通り過ぎた瞬間。

 今度は、牝獅子の身体が毒々しい色の霧に変わった。

 それは恐ろしい腐食性を帯びたものであったらしく、砲弾は霧状の身体に潜り込んだ瞬間、中空で溶けて液化した。形を無くして牝獅子の後方地面に飛び散った後、さらに瞬く間に気化した。牝獅子の形を保った霧は無傷だった。顔の部分が、じっと王を見ていた。

 王が、また背後の兵たちに目配せした。

 恐れを知らぬ兵たちが、数十人横に並んで、一斉に歩を進めた。その後ろにも、何列にも並んで兵たちが控えていた。

 王は言った。

「あの牝獅子を倒す必要はない。数人が足止めせよ。

 残りは奥の建物へ向かえ。目についた物を手当たり次第持ち帰れ。

 牝獅子を足止めした者にも、何かを持ち帰った者にも、一生暮らしていけるだけの財をやろう。

 進め」

 職務に忠実であろうとする者も、褒美に目がくらんだ者も、皆全て、一斉に殺到した。牝獅子と、その先にある建物に向けて。

 だが、彼らが青い炎の線を踏み越えた瞬間。

 牝獅子の姿がどろりと溶けて、一瞬で液体化して地面に広がった。

 毒々しい暗紫色の水たまり、いや、泉、いや、湖と表現するべきほどに広がって、奥の建物から手前の青い炎の線まで全てを覆い尽くした。

 既に足を踏み入れていた最前列から数列目までの兵たちが、足を止めることもできず、その液体の中にドボンと落ちていった。悲鳴を上げる間のあった者は悲鳴を上げて。そうでない者は悲鳴を上げる暇すらなく。共通しているのは、一度沈んだ者は二度と浮かび上がってこなかったこと。

 まだ線の外側に踏みとどまっていた兵たちは、どうすることもできず、立ち止まっていた。誰ともなく、彼らに命令を下した王に目を向けた。

 王は眉一つ動かさず、目の前の惨状を見ていた。

 やがて線の先に広がっていた毒の湖は収束し、人面の牝獅子の姿に戻った。その顔が王を見た。王は言った。

「俺は諦めぬ。

 俺には財がある。人を集め、昼も夜も攻め立てよう。

 いつか貴様の宝を手にしてみせる」


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