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シリンディンの白鷲  作者: 一枝 唯


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第3話 騎士と戦士1-9 幻想の信仰

 西へ沈み行く太陽(リィキア)が、シリンドルを赤く染めていた。

 もう少しすれば、辺りはすっかり暗くなるだろう。

 代わりにふくよかな月の女神(ヴィリア・ルー)が顔を見せれば少しは明るくなるが、この日の女神は痩せた身体で太陽神を追いかけていた。

 アンエスカは〈峠〉の入り口を示す門柱の裏に回ると、しまってある角灯を取り出した。

 本来、これは毎晩点いているものだ。神官たちは近頃、仕事をさぼっていると見えた。

 点ければいくらか目立つが、矢で射られるようなこともないだろうと考えて、彼は角灯に火を入れると門柱に取り付けた。

 ――〈シリンディンの騎士〉は嘘偽りを述べてはならぬ、とされている。

 だがアンエスカは、既に過去の〈白鷲〉が死んでいると知りながらハルディールをその捜索に連れ出したことにはじまり、タイオスの提案だったとは言え自らの死を偽装したり、このところ、虚偽ばかりだ。

 神殿の様子を見てくると言ったことも、嘘である。

 しかし、騎士として神の王家を守る、という大前提のために嘘をつかねばならないときは、どうすべきか。

 アンエスカは、誓いを破ることを選んだ。

 これが正しいことかどうか、彼には判らない。もしクインダンやレヴシーがそうした岐路に立ったとき、彼は助言をしない。それは、彼ら自身が決めることだからだ。

 魔術師イズランがまだきていないことは、驚くに当たらない。

 何しろ魔術師だ。シリンドルのどこからでも――或いはアル・フェイルの首都アル・フェイドからでも、一(リア)で好きな場所に現れることができるのだろう。そう考えた。

 もっとも、厳密なところを言えば、それは正しくない。

 魔術師たちは基本的に、自らが足を使って訪れたことのある場所でなければ、魔術を使って跳んでいくことはできない。

 例外は、特定の人物や物体に、魔術でしるしをつけたときだ。そうしておけば、人物や物体が移動しても、その先に赴くことができる。

 アンエスカの魔術の知識にそこまでのことはなかったが、イズランがこの付近を訪れていたり、アンエスカ自身に「しるし」をつけていれば、結果は彼の考えと同じことだった。

 待ちながら彼は、少し身体を動かした。イズランを相手に剣など役に立たないことは思い知らされていたものの、不意をつけば可能なこともあるかもしれないと考え、そのときに身体が強張っているようではそれこそ役に立たないと思ったのである。

 それから時間は、十(ティム)ほど経っただろうか。

 薄闇のなかをゆっくりと歩いてくる人物がいた。

 それは、点いた灯りに〈峠〉への詣でを思いついた町びとでは、ない。

 人影が〈峠〉の入り口をではなく、ほかでもないシャーリス・アンエスカを目指してやってきていること、彼には判った。

「これは……驚いた」

 何者がやってきたのか確信に至ると、彼は呟いた。

「――伴ひとり連れず、散歩にでもきたのか。余裕があると言おうか、立場をわきまえないと言おうか」

 声の届く距離になると、アンエスカはそう言った。

「それとも、私に見えぬ形でイズランが随行しているのか。お前に伝えることはするまいと考えたが、誤りだったようだな」

 ふたりの間は、およそ三ラクトまで縮まった。

「私を殺しにきたか、ヨアフォード」

「お前こそ、私を殺したくてたまらないのだろう」

 ヨアフォード・シリンドレンはそれからあと数歩を進めると、足をとめた。

「殺したいと望むことと、殺すべきだという判断は異なるが」

 アンエスカはまず、そう答えた。

「ラウディール王陛下を殺害した反逆者は、処刑されるべきだと考えている」

「もちろん、お前はそう考えているだろう。何の面白味もない返答だ」

「私は道化(バルーガ)ではない。誰かを――殊にお前を面白がらせてやる義理などはない」

「そうだろうとも。騎士殿」

 ヨアフォードは揶揄たっぷりに礼をした。

「自分は清廉潔白であるとでも言い張るつもりか、アンエスカ。罪を犯したことなどないと?」

「私が聖人か不心得者か、どちらであろうとかまわぬだろう。問題なのはお前の行動だけだ、ヨアフォード」

「私の」

 繰り返して神殿長は肩をすくめた。

「お前たちはみな、心得違いをしている」

 彼は言った。

「私が、私利私欲のためにラウディールを殺したと」

「違うとでも言うのか?」

 アンエスカは顔をしかめた。

「私は真実、シリンドルのためを思っている」

 神殿長は堂々と言った。

「これは、また」

 騎士は首を振った。

「ずいぶと私を馬鹿にしてくれたものだ。その戯言を信じてお前につく者もいるのだろうが、私が同じようにするとでも?」

「きれいな言葉でお前を騙せるとは思わぬ。真実だからこそ」

 ヨアフォードは峠を見上げた。

「シリンドルは富み、栄えることができる。この国に秘められた大いなる可能性を眠らせたまま、伝説の血筋だというだけで王の座に就いてきたシリンドル家は、そろそろ思い知るべきであったのだ」

「富と繁栄を願っているのは誰だ。お前だけではないのか、ヨアフォード」

 アンエスカは青い瞳を細めた。

「――そうして国が富めば、お前も富むな」

「無論」

 間髪を入れず、神殿長は答えた。

「富を望むが悪徳である、という考えは一面的過ぎる」

「神殿長の言葉ではないな」

「風はどちらの方角からも吹くものだ。時代が流れれば風向きも変わる。我らが〈峠〉の神は、いつまでも古臭い清貧ばかりを美徳とはしない」

「風の流れを自ら作り出そうとしているようでは、神の御心とは言えまいだろうに」

「これまでのように細々と、ろくな娯楽も贅沢もない暮らしが永遠に続くことを願っているのは誰だ?」

 ヨアフォードはそう返した。

「誰もいない、アンエスカ。誰もが、もっと上の暮らしを望む。シリンドルでそれが成せないと気づいた者は余所へ行く。残るのは、諦めている者たちだけだ。彼らはいまの生活に満足している訳ではない」

「なかには、そうした者もいるだろう。だがシリンドルの民は、いまのシリンドルを愛するからこそ」

「くだらぬ」

 一蹴してヨアフォードは手を振った。

「十年、いや、五年で充分だ。五年後を楽しみにしているといい。少しの雨でぬかるむ道は舗装され、夜になれば街灯もつく。大風で倒れそうな建物などはなくなり、天候に左右される農作物の心配をせずとも、余所からの金で誰もが潤うようになる」

「――大国の真似事をしたいのか。お前の望みは、それなのか」

「猿真似と笑うか? 小国は小国らしく、貧乏臭くやるべきだと? 馬鹿げている。この国は小さくとも、大きくなれるのだ。何故、誰もそうしてこなかった?」

「その必要がなかったからだ。〈峠〉の神は」

「お前に神の何が判る、アンエスカ」

 ヨアフォードはアンエスカの言を遮った。

「お前の頭にあるのは所詮、シリンドル王家が作り出してきた幻想の信仰にすぎん。ああ、私が神を信じていないとは思うなよ。イズラン辺りはそう思っているようだが、そうではない。私とてシリンドルの民だ、〈峠〉の神を崇め、敬意を抱いている」

「それは安心できる台詞だ」

 アンエスカは唇を歪めた。

「仮にも神殿長たる男が、神を金儲けの媒体としか考えずに生きてきたとあっては、お前の神殿で祈りを捧げた者たちが気の毒というものだからな」

「私は〈峠〉の神を崇めている」

 ヨアフォードは繰り返した。

「だからこそ、ラウディールの愚行が許せなかった」

「――『私の方がよい王になれる』」

 アンエスカの言葉に、ヨアフォードは片眉を上げた。

「覚えているか、ヨアフォード。かつてお前はそう言った。『眠っていても玉座が手に入るものと何の努力もせぬラウディールより、私の方がよい王になれる』と」

「よく覚えている」

 神殿長は答えた。

「お前は、それに対してこう言ったな。『そう考える誰も彼もが王に名乗りを上げていては、反乱の治まる日がない』」

 肩をすくめて、彼らは互いの過去の言葉を語った。

「お前は新王の座にルー=フィンを据えるつもりらしいが、本当は自分が王になりたいのか」

「シリンドレン家を乗っ取り王家などと呼ばせるつもりはない」

 ヨアフォードは口の端を上げた。

「私が王である必要はない。王が私の言葉を聞けばよいだけだ」

「私は、シリンドル国の王家を傀儡王家と呼ばせるつもりはない」

 アンエスカはヨアフォードの言い方を真似た。

「それほど奴らに忠誠心を抱く理由は何だ、アンエスカ。奴らが確かなのは血筋だけ。お前たち〈シリンディンの騎士〉のように、個人で志を持ち、努力をしてきた訳でもない」

「血筋。ほかでもないシリンドルではそれが重要なこと、お前とてよく判っているはず。シリンドレン家は、血筋で神殿長になっているのではないのか?」

「それは、その通りだな」

 ヨアフォードは皮肉めいて拍手などした。

「――シャーリス」

 それから彼は、目前の相手を名で呼んだ。

「お前は、私の誘いを断り、騎士になったな。廃れゆくだけのかび臭い地位を手に入れて、満足か」

「私にお前の夢は見えなかった、ヨアフォード。いまでもだ」

 アンエスカはそう答えた。

「私の地位がかび臭いのであれば、お前の望みは手垢にまみれている。他国の金などシリンドルには必要ない、それが私の見解だ」


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