第3話 騎士と戦士1-4 父子の情
成程――と、ヨアフォードはかすかにうなずいた。
「民と僧兵のいくらかを味方につけ、ヨアティアを捕らえ、懐かしき生家に逃げ込んだという訳だな」
「申し訳ありません、ヨアフォード殿。ご子息につきましては、殺されぬように手を打つのが精一杯でした」
イズランは謝罪の仕草をした。だが神殿長は、それに対して何も言わなかった。
「何故、ルー=フィンを連れ戻った?」
男はそこを尋ねた。魔術師は不思議そうに彼を見た。
「ヨアティア殿のことをヨアフォード殿にお知らせすると同時に、次なる指示をいただくためですが」
「お前がそうしたければ、そうすればよかった。何故、ルー=フィンを?」
「余計な気を回しましたか」
イズランは肩を落とした。
「私には妻子などありませんが、子供たちに愛情を抱く多くの親たちを見ております。ヨアティア殿の危難を知らずにルー=フィン殿が無茶をしては、と思ったのですが」
「余計だ」
きっぱりとヨアフォードは言った。
「刺されるも捕らわるも、ヨアティアの失態というだけ。生きているのは、偶々だ。計画に変更など、ない」
「では」
イズランは困った顔を見せた。
「彼らがヨアティア殿の命を盾にしてきても?」
「愚かな息子などは、不要だ」
ヨアティアの父は息子を切り捨てた。
「では……ミキーナ殿のことは」
「ミキーナだと?」
神殿長は片眉を上げた。
「あの娘が、どうした」
「ヨアティア殿は酷い傷を負われ、治療を受けました。たとえ誰も見張っていなかったところで逃げ出すことはできない状態です。彼女はどうしても残って、その看護をすると」
「ふん」
彼は唇を歪めた。
「神女でもないのに、神女のような娘だ。好きにさせておけ」
「もしも人質に取られるようなことがあれば……」
「何を考えている」
男は笑った。
「この状況下で、私がひとりの娘の身を案ずるとでも?」
「――そう仰るのであれば、これ以上の余計な気は回しますまい」
イズランは顔を伏せた。
「それにしても、ヨアティアめ」
苛ついた口調で、その父は呟いた。
「館で迎え撃てばよかったものを。こちらに連れてこようとでもしたものか、わざわざ王女を救出しやすくさせてやるなど、何たる愚策。だがエルレールをルー=フィンの妻とする予定は変えぬ。イズラン」
「は」
「殺しはやらぬと、そういう約束だったな。いいだろう、お前にはそこまではさせぬ。その代わり、エルレールだけは連れてこい」
「魔術で、拉致を?」
「できぬとは言うまいな」
「可能です。ご命令があればミキーナ殿はそうして救出が可能と考え、放っておきました。ですが、王女をと言うのは、協会の倫理に」
「連れてきたものを殺す訳ではない。ハルディールの拉致に消極的なのは、そういう理由だろう。だがエルレールは生かす」
「ご指摘は、その通りです。ですが……」
「まだ文句があるのか」
「ヨアティア殿は、よろしいので」
「よいと、言っている」
躊躇なくヨアフォードは答え、イズランは少し、鼻白んだ。
「後継者はまた一から育てるとしよう。初めからそうすべきだったのかもしれん」
ヨアフォードは唇を歪めた。
「血筋を重視した私こそ、愚策を取ったという訳だ」
そこにはもはや、父子の情などなかった。
「……もっとも、ヨアティア殿をと申されましても、大怪我を負った人間を魔術で運ぶことは思わぬ不具合を呼ぶこともあります」
言い訳めいた口調で、魔術師はそんなことを言った。
「では。エルレール殿下のみ、お連れするということで」
イズランはもう、人道について物申す手間を省いた。もとよりイズラン自身も、親子の間には無条件の愛情があるなどと信じている訳ではなかった。彼は彼の立ち位置で、ヨアフォードの考えを計ったにすぎない。
情がないとは言わぬ。どんなものであれ、完全に情を排することなど、人間にはできぬものだ。
ただ、それを隠すことならばできる。
「いますぐでしょうか」
「いや」
神殿長は首を振った。
「急ぐ必要はない。どのみち、ハルディールは殺すのだ。最期までのわずかな時間、姉弟の思い出でも作らせてやろう」
「意外に悠長なことを仰るんですね」
「エルレールがいれば、彼らは王女を守らざるを得ない。無論、王子も守るだろうが、ハルディールが曲がりなりにも剣を使えるのと違って、王女は足手まといにしかならない」
「成程」
今度は納得してイズランはうなずいた。
「王子や騎士たちはどのように始末を? ハルディール殿下に直接呼びかけられたら、ぐらつく僧兵が多いのだということは知れました。雇い兵たちであれば問題はないでしょうが……」
「イズラン」
神殿長は魔術師の弁を遮った。
「読めたぞ」
彼はそう言った。イズランは目をしばたたいた。
「何でしょう?」
「言え。――アンエスカから聞いたことを」
「は……?」
「韜晦しても無駄だ。お前は、王家の秘密に興味を持っていた。だが先ほどからヨアティアだ僧兵だと言って、つゆともその件に触れぬ。成程、ミキーナに王女のふりでもさせ、奴をおびき出して、魔術でも使ったか」
「……畏れ入ります」
完全に手の内を読まれたことを知り、イズランは軽く頭を下げた。
「ええ、認めましょう。仰るようなことを企みました。しかし、さすがに騎士たちを統べる人物だ。我が術に抵抗しきりました。何も、聞き出すことなどできず」
「イズラン」
ヨアフォードはまた呼んだ。
「どう口先を弄そうと、お前がアル・フェイルの間者であることは最初から判っている。王の命令ではないと言い出したのは、カル・ディアルの貴族とことをかまえる羽目になったとき、アル・フェイル王の指示ではなく、お前の兄弟子だという宮廷魔術師の独断であるとするため」
「穿ちすぎた見方をされています。私は、そのような」
「いいや、読めている、イズラン。お前は、私自身がアル・フェイルにほのめかした通行権を確実に手にするべく、新体制ができあがる場に同席するよう、命令を受けている」
彼は続けた。
「お前はそつなく命令をこなすつもりでいたが、シリンドルへやってきて気が変わった。〈峠〉の神に興味を抱いた。峠と神殿、王家にある秘密が、アル・フェイル国にのみならず、自らの利益になるのではないかと考えるようになった」