第2話 シリンドル4-9 神は金貨など欲さない
鮮血が飛び散る。
その手に握られた剣の切っ先は、対峙した男の脇腹を容赦なく貫通した。
「こ……この、騎士、めが」
苦しげに呪いの言葉を吐いたのは、ヨアティアであった。
クインダンはヨアティアの懐に飛び込むと、負傷した右手でそのあごを砕かんばかりに強く打った。よろめいたヨアティアの右腕をひねると剣を奪い、そのまま、突き刺したのだ。
「おのれ……よくも」
切れ切れにヨアティアは恨みの言葉を発する。クインダンもまた息を切らしながら、突き刺した剣を容赦なく抜いた。騎士はわずかによろめいて、その剣は抜かれる際、斜めに空を切った。
かしゃん、と何かの落ちる音がした。
「神の、神の怒りを、知るがいい。僧兵、ども……!」
怖ろしい形相をしながらヨアティアは傷口に手を当て、僧兵に命令を下した。
僧兵たちは迷っていた。ヨアフォードの息子につこうとした者たちも、こうなっては気が削がれて当然だ。
がくり、とヨアティアは膝をつき、そのまま白目を剥いて倒れた。
「誓いは……」
それを見ながら、クインダンは荒い息の合間に呟いた。
「果たした」
ラウディールに反逆した神殿長の息子と言うにとどまらない、エルレールを汚そうとした不埒な男を剣にかけるという言葉は、果たされた。クインダンはがくりと、膝をつく。
「クインっ」
叫んでレヴシーが彼に駆け寄った。
「ヨ、ヨアティア様をお助けしろっ」
そこではっとしたか、ひとりの兵士がかすれ声で叫んだ。幾人かが慌てたように剣を取り直す。
そのときであった。
うぎゃあ、と悲鳴が上がった。
「そこまでにしとけ」
ふん、と誰かが鼻を鳴らした。
「馬鹿な真似はするな。こいつらの勝負はこいつらの勝負。まともな神経の持ち主なら、ここは見事勝利した騎士を祝福するところだろうが」
「タ……タイオス!」
エルレールとレヴシーは異口同音に叫んだ。
背後から僧兵の腕を強く掴んで悲鳴を上げさせ、物騒な武器を取り落とさせたのは、ほかでもない、ヴォース・タイオスであった。
「とにかく、まずはクインダンの止血だ」
戦士は何より先にそう言った。
「レヴシー、応急処置をして、医者を呼びに行ってこい」
「駄目だ」
と絞り出すような声で言ったのは、当のクインダンだった。
「自分で行く。お前は、エルレール様といるんだ」
「馬鹿か、クイン。あんたは動いたらまずいに決まってるだろ」
レヴシーは慌てて、青年騎士を少しでも楽になるように座らせた。
「私が医師を呼びに行くわ」
「何を……仰るのです」
クインダンは目を見開いた。エルレールは断固として続ける。
「私について、レヴシーもくる。これならば、あなたにも何も文句はないわね」
きっぱりと王女は言い、負傷したクインダン以上に青い顔で、血まみれの愛しい騎士を見つめた。
「すぐに、戻るわ。安心して」
「――お傍に付き従えぬこと、この傷よりも、心が痛みます」
クインダンは呟き、耐えかねて目を閉じた。
「ぶっ倒れないとは大した根性だよ。まじで〈シリンディンの騎士〉ってのは、すごいんだな。お前と言い、ニーヴィスと言い」
彼は感心したように首を振って、あとにしてきた男の名を口にした。
「ん」
ふとタイオスは、地面に落ちているものに気づいた。
「何だ、こりゃ」
深い考えのあるでもなく、彼はそれを拾い上げた。
「タイオス」
レヴシーが、困惑したように戦士を呼んだ。
「なあ、どうしたら……」
「何がだ。ああ、そうか」
タイオスは、判ったとうなずいた。若い騎士たちは腕はいいが、実際の戦闘や負傷など知らないのだ。意味もなく騒いだりこそしないが、年若いレヴシーは恐慌状態に近い。「止血」という簡単な行為すら、方法が判らなくなってしまったのだろう。
「何でもいいから、包帯代わりになるものを。怪我人の悲鳴は無視して、傷口をきつく縛れ。いや、俺が」
やろうか、と足を踏み出しかけたタイオスだったが、その場はまだ、完全に平穏ではなかった。
「ヨ、ヨアティア様……」
「俺たちはどうしたら」
倒れ伏した神殿長の息子を前に、僧兵こそ恐慌状態だった。
「どうもこうもあるもんか。俺たちは彼の命令に従わないと」
「でも」
「あいつだ」
誰かの指がタイオスを差した。
「まずは、あいつから」
賛同のような声が上がった。騎士でもない男に剣を向けることを躊躇う理由は彼らにはないという訳だ。
「よせ!」
張りのある声が叫んだ。
「剣を収めろ。これ以上、無駄な血を流すな」
「こら、ハル」
タイオスは呟いた。
「隠れていろと、言ったのに」
不穏な事態に行き会った戦士は、王子にじっとしているよう言ってからクインダンを救うべく駆けつけたのだが、ハルディールもいつまでも黙ってはいられなかったのである。
「王子殿下」
「ハルディール様だ」
「ど、どうする」
指示者を失った僧兵は可哀相なくらいにおろおろしていた。彼らはハルディールを見つけ次第殺せとの命令を受けていたが、騎士に剣を向けられなかった者たちが王子に打ちかかれるはずもなかった。
「だ、だが、このままおめおめと戻れるか」
「そいつだ! せめてその戦士を」
「何だ? 戦るのかよ? どうしてもそうしたいなら、俺ぁ、かまわんがね」
タイオスはそう嘯いてから息を吸うと、思い切り大声を出した。
「てめぇら、王子殿下の前で、頭が高いっ。武器を収めろ、ひざまずけ、馬鹿野郎どもっ」
品のない命令ではあったが、数名がはっとしたように従った。それを目にして泡を食ったように真似する者もいれば――タイオスを睨む者もいた。
「妙だと思っていた」
ひとりの僧兵が言った。
「やはり、間者だったのか。ふざけるなよ、タイオス」
「オクランか」
見覚えのある年嵩の僧兵に、中年戦士は鼻を鳴らした。
「俺の何がふざけてるって? お前らが忠誠を誓った相手は誰なんだ? ハル、もとい、王子殿下じゃなかったとしても、王か、それとも神か、どちらにせよ」
「ラウディール王は、〈峠〉の神をないがしろにした」
「父はそのようなことをしていない!」
ハルディールは声を荒げた。
「何故、そうしたことを言うのか。ヨアフォードが、そう言いふらしているのか」
「かの王の即位時より、儀式や供物がどれだけ減らされたか、殿下はご存知でいらっしゃらない! そのために数々の災害が起きた、それを正し、シリンドルを浄化しようというのが神殿長様のお考えだ」
「そうではない! 神は金貨など欲さない。神殿への寄進より、国のために使うのが正しいと、父上はそうお考えになった!」
「まあ、待てよ」
タイオスが片手を上げた。
「なあオクラン。それから、お前ら」
彼は立ったままの僧兵に呼びかけた。
「よく考えろ。その、首の上についてるもんが飾りじゃなかったら、ヨアフォードの言葉を鵜呑みにするんじゃなく、自分の頭でな。いいか、仮に……仮にだぞ、怒るなよ」
と戦士が言ったのは王子に向かってだった。ハルディールは目をしばたたく。
「仮に、殺された王様のせいで、面倒があったんだとする。仮に、彼を殺害することで、面倒が絶たれたとしよう」
その言葉に王子は眉をひそめたが、この場はタイオスに任せようと、口を挟むことはしなかった。
「だが、それはラウディール王の罪だ。ハルディール王子は? 彼の息子だというだけで、神への反逆者だとでも? シリンドル王家への忠誠はどうした。王家じゃなくて神に忠誠を誓ってんのか? それにしたって、彼らは神に選ばれた王家なんだろうが。シリンドル国が何百年の歴史を持つのか、俺は知らんがね。〈峠〉の神様とやらは、ずっとシリンドル王家が治めるシリンドル国をこそ、見守ってきたんじゃないのか」
「それは……だが、神は……」
オクランの勢いは弱くなった。
「気にしてるのは、その腕輪か」
タイオスが指摘すれば、僧兵はぴくりとした。
「俺ぁ、お前がそうしてびびってるから、てっきり余所もんだと思ってた。そうじゃなかったんだな」
「怖れてなどは!」
「命ぁ握られてびびらん奴はいない。びびって当然なんだよ」
戦士が言えば、僧兵は黙った。
「神様のために、と自害するようなのは、狂信者ってんだ。死が怖いのも、死ぬのを怖れるのも、ごく普通。なあ、オクラン」
彼はまた呼んだ。
「約束する。その危ない腕輪は、外させる」
「ふざけたことを。これは、一度はめれば外せんのだ。余所者は、三年で外されるという噂を信じているが、決して」
外れないとオクランは苦々しい口調で言った。
「はめたもんが外せないことがあるか。力ずくじゃ無理だとしても、技術はいくらでもあるさ。俺が探してやる」
約束する、と彼は繰り返した。
「死の恐怖を振り払って、それから、俺の言ったことを考えて、それでもヨアフォードが正しいと思うなら、それでも俺はかまわん。それでもハルディール王子殿下を斬ると言うなら、俺が相手だ。答えを出せ。いますぐだ」
タイオスは時間を与えてやらなかった。
「どうだ、お前ら」
オクラン以外にも声をかける。ぽつりぽつりと、彼らは剣を下ろし、地面に膝をつけた。
「よし」
厳しい表情を作りながら、タイオスは内心で安堵した。
戦いの熱気のなかであれば、手柄を立てようと思う者もいただろう。だが神殿長の息子が倒れたこの場で、王子を殺害せんと剣を振り上げることのできる者はいなかった。代わりにせめてタイオスをというすり替えも利かなくさせることができた。
ヨアフォードはおそらく、こうしたことを怖れていただろう。タイオスは思った。だからこそ、騎士の見張りや町びとへの牽制を余所者にやらせ、この連中を王女の護衛に回した。
(巧く行きそうだな)
(もっとも、それは俺の演説のせいと言うより)
(オクランがいてくれたからか)
年嵩の僧兵は見事に、彼ら自身の考えと迷いを代弁してくれたのだ。ハルディールこそが正統なる王子であるというまともな理屈と、死なないように――殺されないようにしてやるという助力と、どちらか片方だけでも、全員を従えることはできなかっただろう。
(よくも悪くも純朴な田舎もんってやつだ。いくらかの見栄を張ったり、場合によっては下心なんかがあっても)
(〈峠〉の神を心底から崇め、「神殿長に」仕えているのではないと考えることができてる)
そうする方が都合がよさそうだから、という打算も皆無ではないだろう。だがまがりなりにも神に誓った者たちだ。忠誠や誓いの意味を考え、大事にするところがある。
(死を怖れるのは、信心深いのも深くないのも、都会も田舎も、関係ないが)
中年戦士が息を吐いた、そのときであった。
「俺は……俺は、向ける矛先を容易に違えはしない!」
最後まで立っていたオクランは、顔を赤くして叫んだ。かと思うと、年嵩の僧兵は手にしたままでいた剣をかまえた。
「やめろ」
タイオスはぱっと距離を取りながら、忠告した。
「お前じゃ、俺には敵わないぞ」




