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シリンディンの白鷲  作者: 一枝 唯


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第2話 シリンドル4-7 目眩

 手短に済ませたい、とイズランは杖を撫でた。

「ヨアフォード殿に、私の興味をお話ししてしまいましたから。あの方は愚か者ではない。私が命令に関係なく動く可能性を考えはじめていると思います」

 知られないようにしたい、と魔術師は言った。

「彼としては王女殿下をここ置いたまま、ヨアティア殿にあなたを迎え撃たせるつもりでいたものと思いますが、なかなか完璧には行かないものです」

 知ったふうな口調でイズランは灰色の頭を振った。

「何にせよ、ヨアフォード殿はあなたを捕らえ、拷問でも何でもして秘密を吐かせるつもりだ。結果として知ることができるなら手段はどうでもよいのですが、ヨアフォード殿にお任せしては私に教えてくださらないと思うので」

 笑みすら浮かべてイズランは語った。アンエスカは黙っていた。

 剣は鉛のように重く、足は釘付けられたかのように動かない。この状態でできることは何か、男は青い瞳の奥で素早く考えていた。

 魔術。

 話に聞き、知識はあるものの、彼にはそれだけだった。

 ルー=フィンやタイオス――の演技――のように反射的な嫌悪感などは見せないが、それはシリンドルに魔術師がおらず、偏見の抱きようもないからだ。アンエスカは若い頃に余所の町にも行ったが、ある程度の価値観が作られたあとであれば、偏見も染みこみにくい。

 嫌悪はない。そして、必要以上の恐怖もない。正直に言えばいまの状態はとても怖ろしかったものの、きっとどこかに打開策があるはずだと彼は信じていた。

「何か狙っていますか」

 イズランは首を振った。

「生憎ですが、無意味だ。タイオスにまた会うことがあったら、彼に話を聞きなさい。敵対する魔術師がいれば、とにかく面と向かわないようにするのがいちばんです。一度術にかかってしまえば、どうしようもありませんから」

 アンエスカは、黙っていた。

「諦めましたか? それならけっこう。抵抗はお互い、時間の無駄にすぎない。では」

 魔術師は杖をかまえ、アンエスカも反射的に剣を対峙させようとしたが、動かぬ足は重いものを持ち上げるために床を踏みしめることも拒否し、彼は均衡を崩しただけだった。

「シャーリス・アンエスカ。私の声を聞きなさい」

 では、とアンエスカは思った。

(聞くな)

 敵を目前にして意識を逸らすことは危険だ。だがイズランに意識を集中することは、彼の魔術に協力することになると、男はそう考えた。

 館の外。ハルディールは危惧するが、民たちの蜂起は歓迎できることだ。彼とて死者を出したくはないものの、犠牲を皆無にとは虫がよすぎる。

 ハルディールの考え方を責めるつもりはなかった。他者に犠牲を出すくらいなら自らの右腕を切り落としてもよいというほどの臣下や民への愛情は、在って然るべきだ。

 ただし、その「右腕」に値するのが彼であり、クインダンであり、レヴシーである。

 犠牲を強いる王などは困るが、犠牲を払わねばならぬときもあるのだと――。

「意識を逸らしていますか。私を見ながら、器用にやるものですね」

 感心するようにイズランは首を振った。

「ですが意味のない努力だ。ほら」

 とん、とイズランは杖の先で床を叩いた。アンエスカはそれを無視できなかった。眉の辺りがぴくりとする。

「完全に気を逸らせば、『忌まわしい魔術師』に何をされるものか判らない。難しいところですね。魔術、魔術師に耐性のないシリンドルの民としては、本当にご立派ですけれど」

 ここまでですとイズランは笑んだ。

「気になることはたくさんあるんですよ。ヨアフォード殿は〈峠〉の通行権を売ろうとしながらも、穢れの日云々という迷信めいたことを完全否定している訳でもない。奇妙なことに、彼が否定するのは神ではなく――王の権力であるように思える。いえ、神殿長という職種を思えば奇妙どころか当然なのかもしれませんが」

 そこで、とイズランは続けた。

「王家だけが知る秘密。神殿長が知ろうと、或いは排除しようとしている〈峠〉の秘密が、あります」

 彼は断定した。シリンドルの男は何も言わなかった。

「いったいそれは何のため、誰のための秘密なのか? 神の? 王家の? 興味があります、教えて下さい」

「何のことか、判らぬと」

 しばらくぶりに、アンエスカは言葉を発した。

「本当に?」

 イズランは杖を突きつけた。アンエスカの口からうめきが洩れた。

「もう一度だけ、問いましょう。〈峠〉にはどんな秘密が?」

「それは……」

 彼は目眩を覚えた。

 秘密。

 何をしてヨアフォードが秘密と考えているか、彼には判っていた。

 もっとも、イズランは勘違いをしている。ヨアフォードは秘密を知りたいのではない。神殿長はそれを知っている。

 歴代の王と神殿長は、そのからくりとやり方を秘密として胸に抱いてきた。秘密を保ったまま、死んだ。信頼されて打ち明けられた、わずかな側近たちもまた。

 しかし、ヨアフォードはそうではない。

 〈峠〉の――いや、王家の秘密と言うべきか。

 ヨアフォードはそれを白日の下にさらそうとしているのか。ほかでもない、ラウディールに近しくあったアンエスカに証言をさせて告白文でも書かせるか、それともヨアフォードの用意したものに署名でもさせる気か。

 それとも――。

 アンエスカはもうひとつの可能性を考え、そっと首を振った。

 どちらにせよ、ヨアフォードの思う通りにさせる訳にはいかない。秘密の一端とて、イズランに知られることもならない。

 アンエスカは意識を逸らそうと、ほかのことを考えようとした。

「私の声を聞け」

 イズランが再び言った。その声ははっきりと、アンエスカの耳に入った。

「あなたの知る、秘密とは?」

「秘密……」

 頭がくらくらした。視界が歪み出す。告げるのだ、と声が聞こえるようだった。隠すことなど何もない。この男に知られたからと言って、何だと言うのか。

 彼は「あれ」には反対だった。だがそれを進言できる立場ではなかった。ラウディールはハルディールに伝えるつもりでいただろう。しかしこうなったいま、アンエスカは王子には何も知らせないつもりでいた。彼が墓まで、抱えていくつもりで。

 だと言うのに、いまは、声がした。

 話してしまえと。全てあますところなく、と。

「さあ、アンエスカ。言えば、楽になります」

「〈峠〉の……」

 のろのろと、まるで自分のものではないように、舌が動いた。

「上の神殿には……特別な……場所が」

 駄目だ、と彼は首を振った。

 自分は何を言おうとしているのか。

「強情な」

 イズランは舌打ちした。

「もっと強い術をかけて差し上げてもいいんですが。心が壊れ、廃人のようになってしまっても問題が生じる。意地を張るのはやめて、私に協力してください」

 もちろんアンエスカには、魔術師に協力する必要も理由もない。イズランも判っていて言うのだ。

「気を張らずともよいのです。私は何も悪いようにしない」

 魔術師が手を振るたび、男の目眩は酷くなった。

 言え。心の声は命令の様相を呈してくる。話せ、全てを。

「神殿の、その場所には何が?」

「――白い……」

「白い?」

 イズランは杖をかまえながら、もっとよく聞こうとばかりに身体を前に傾けた。

 斬るなら、いまだ。わずかに残る理性が、アンエスカにそう告げた。だが剣を持ち上げることもままならない。足も動かない。

(いや――動く)

(重く感じるのは剣であって、我が腕ではない)

 次の瞬間、アンエスカは大事にしている細剣から手を放した。それは無造作に捨てられたかのように。

 イズランは彼が剣に抱く思いを知らない。ただ、魔術のためにぼんやりして武器を手放してしまったものと考えた。

 しかしそうではなかった。

 アンエスカは、腰の短剣を引き抜くと、それをそのまま振り上げた。

 それは間違いなく、好機であった。魔術師はまさか自らの術下にある男が攻勢に転じるとは考えていなかった。

 刃は届いた。わずかに、イズランのあご先に。

 くぐもった悲鳴が杖持つ男の口から洩れたが、それだけだった。

 イズランには運があった。あとほんの十ファインも身を乗り出していたら、彼の鼻は削ぎ落とされただろう。アンエスカが踏み込むことができていたら、鼻どころではなく、命も。

 足が床から離れないだけなら、彼はもう少し大きく動けた。剣を振るわぬ魔術師が意図したものかはともかく、足のみでなく下半身を動かせないというのは、剣士に致命的だ。

 アンエスカは舌打ちした。イズランは鮮血したたるあごを押さえ、よろよろと後退した。

「何と……」

 イズランは血を止める術とアンエスカの武器を落とさせる術と、どちらを先に行使すべきか逡巡した。

「剣を捨てろ」

 彼がまず選んだのは、既にかけている術をそのまま利用することだった。

「我が声を聞け。そのようなものはあなたに必要ない。手を放すんだ」

 イズランはそう言ったつもりだったが、痛みのためにほとんど動かせない口からは、聞き取れるような言葉が出ていなかった。

 魔術師は呪いの言葉を吐いて、更に大きく退く。王女の部屋の淡い色をした絨毯に、鮮やかで不吉な赤い模様が描かれた。

「そのまま、動くな」

 もごもごとイズランは命じ、流血と痛みを抑えるべく、術を編み出した。

動くな(・・・)、と)

(つまり)

動ける(・・・)

 とっさに、アンエスカは判断した。魔術師は同時にいくつもの術を継続させることができないのだと。

 その瞬間を逃すまいと、アンエスカは集中した。ふっと、まるで厳寒の屋外から快適に暖められた室内に入ったかのように、凍っていた足に感覚が戻った。

 何も考えなかった。

 彼は落とした細剣を素早く拾い上げると、先に果たせなかった一歩を大きく踏み出した。イズランは目を見開く。

「くるな!」

 魔術師は血に塗れた手で印を切った。差し出した杖の先端から、何かが飛び出した。アンエスカは危険を感じて、目に見えない何かをよけるべく左方へ跳んだ。彼の背後で卓上の花瓶が、手品か何かのように真っ二つに割れた。

「冗談ではない」

 アンエスカは呟いた。

 魔術。シリンドルに魔術師はおらず、彼はそんなものを知らない。だが知っていたところで対処できるものでもなく、いまのが風を鋭い刃にして放つ術だと判ったところで何の役に立つものでもない。

 必要なのは、魔術を知ろうと知るまいと、危機を切り抜ける能力。

「動くな」

 もう一度、イズランは言った。言葉はいくらか、聞こえやすくなっていた。出血は術によって一時的に止められ、痛みも幻術で消されたのだ。

「私があなたを傷つけないと思ってでもいるのですか。攻撃術を振るわずにいたのは、痛めつけて白状する気質ではないと判断したからにすぎないんですよ。苦しい思いをしたいのならいくらでも」

 イズランは杖をかまえた。

「うるさい」

 アンエスカは呟くと、かまわず床を蹴った。

「人が黙っていればいい気になりおって」

 実に苦々しく本音を口にし、男は斬り込んだ。警戒して足を止めることこそ、魔術の標的になると考えたからだ。

 それは正解だった。イズランは攻撃術ではなく、防御のそれを使わねばならなかった。

 一撃で仕留めんと繰り出した細剣は、しかしアンエスカの腕に、壁を突き刺そうとしたかのような衝撃を伝える。壁、まさしく魔術の防御壁と呼ばれるものであることは、知らずとも理解できた。

「――全く」

 イズランは息を吐くとまた首を振った。

「驚嘆させられます。あなただけじゃない、〈シリンディンの騎士〉と名乗り呼ばれる男たちには」

 魔術師は赤い線の刻み付けられたあごから手を放し、正面からアンエスカに対峙した。

「見くびっていたと言わざるを得ない。所詮は田舎の英雄、お山の大将とね。ですが認めよう、アンエスカ殿」

 灰色の髪の男は、その夜蒼の瞳に賞賛のようなものさえ浮かべた。

「あなたは、年長だというだけでその地位にあるのではありませんね」

 彼はそれには特に何も答えず、次の一閃を繰り出した。再度、それは見えぬ壁に阻まれる。だが、彼は気づいた。

 彼の腕が見えぬ壁にぶつかって衝撃を覚えるとき、イズランがわずかに顔をしかめること。

「成程」

 彼は呟いた。

「お前の魔術の盾は、通常の盾と同じように、お前に衝撃を伝えるか」

 アンエスカは繰り返し、打ち込んだ。

 何もないと見える場所で剣が弾かれるのは滑稽な喜劇のようだった。

 だが生憎とアンエスカは笑っていられない。繰り返すことで壁の位置を見極めると、執拗に一箇所を攻撃した。

「何と」

 イズランの息が荒くなった。

「大した目と、そして判断力をお持ちだ。実に惜しい、実に……」

 魔術師はぶつぶつと呟き、不意に夜色の瞳をきらめかせた。

「仕方がない、アンエスカ殿。認めましょう、この場はあなたの勝ちだ。ですがお忘れなく。秘密は必ず、聞き出させていただく」

 アンエスカが次に打ち込むために剣を引いた瞬間だった。イズランは杖持つ片手を上げ、もう片方の手で印を切り出した。

「本当に、アル・フェイドに欲しいですよ。――アンエスカ騎士団長」

 そう言うとイズランは印を完成させ、現れたときと同じ魔術で、姿を消した。

 残された最年長〈シリンディンの騎士〉にしてその団長はしばらくそのままじっとしていたが、やがて息を吐くと、〈峠〉の神殿で王から下賜された騎士の剣をそっと鞘に収めた。


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