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シリンディンの白鷲  作者: 一枝 唯


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第2話 シリンドル3-3 神の啓示に証拠はない

結婚。ルー=フィンの――王位請求。

 続いたそれらの話はハルディール少年を打ちのめした。

「アンエスカ」

 ゆっくりと、王子は声を出した。

「お前は知っていたのか。ケイダール叔父に、男児のあったこと」

「いえ」

 男は首を振った。

「ケイダール様が囲っていらした妾が孕んだということは知っておりましたが、死産であったと聞いておりました」

「そうか」

 ハルディールは呟き、黙った。

 本当にルー=フィンがケイダールの息子であるならば、彼の従兄ということになる。シリンドルの法律では何の身分も地位もないが、市井に下った王族の姓であるシリンドラスを名乗る権利がある。そうと知っていれば親しく言葉を交わし、ハルディールはルー=フィンから剣を教わるようなこともあったかもしれない。

「しかし、本当なんでしょうか」

 胡乱そうにニーヴィスが言った。

「アンエスカも知らなかったのなら、偽物ということも」

「だが証明できない」

 首を振ってアンエスカはそれを考えたことを伝えた。

「当の女も、ケイダール様も既にラ・ムール河だ。取り上げた産婆を探してみてもいいが……おそらく、無駄だろう」

 まずは産婆を特定することが難しい。王弟の子ということを隠して出産していれば、産婆もいちいち記憶していないだろう。もとより、真実であれ偽装であれ、それを隠すための手段は既に取られているはずだと、アンエスカはそのようなことを言った。つまりは賄賂を送るなり、脅すなり、口封じをするなり、ということだ。

「仮に偽物であれば、神殿での儀式でぼろが出ることになる。神が認めるはずもないからな。しかし、王にのみ開かれる扉が開いたかどうかを確認するのは神殿長の役割だ。神を欺くことさえ厭わなければ、どうとでも言える」

 〈峠〉の神殿にある、一枚の扉。新たに王となる者はその前で誓いを述べ、鍵も取っ手もない扉に手をかける。

 通常、押しても蹴っても――蹴る者はいないが――びくともしないその扉は、神が認めた王の前でだけ、開く。認められなければ、決して扉は開かない。

 もっとも、シリンドル史上、神が王を認めなかった例はないとされている。

 無論、ハルディールの父ラウディールも認められた。その当時の神殿長は、ヨアフォードの父親だった。

「仮に真実であるならば、彼はこのために……僕から王位継承権を奪うために、素性を隠していたのだろうか」

「隠していたのはルー=フィンと言うより、ヨアフォードと言うべきでしょうね」

 アンエスカはそう応じた。

「どこからルー=フィンのような子供を見つけてきたのかと不思議には思いましたが、うかつにも調査はいたしませんでした。才能ある子供を名剣士に育て上げ、信頼できる護衛に仕立てる程度の目的と」

 うかつでした、とアンエスカは悔しそうに繰り返した。

 早い内に――平和な頃に調査をしていれば、事実かでっち上げかは、すぐに判ったかもしれない。アンエスカの言うのはそういうことだった。ハルディールは黙った。

「殿下……何かお飲み物でもお持ちいたしましょうか」

 ニーヴィスが腰を浮かせて尋ねた。王子は首を横に振ったが、アンエスカが指示するようにニーヴィスにうなずいた。うなずき返して、元騎士は席を立つ。

「殿下、少しお休みを」

「お前は、そればかりだな」

 ぎこちない苦笑めいたものを浮かべてハルディールは言ったが、すぐに笑みは消えた。アンエスカはじっと少年を見る。

「殿下がお倒れにでもなることが、いまいちばんの不具合です。指導者にも休息は必須、義務でさえある」

「僕は大丈夫だ」

 彼は胸を張った。

「タイオスは旅の間、僕に気遣ってくれた。体力は充分だ。倒れるようなことは断じてない」

「それでも休める内であれば休むに越したことはございません」

 アンエスカは軽く両手を打ち合わせた。

「殿下がお戻りになっていることを公表すれば、容易にルー=フィンの即位を宣言する訳にもいかなくなりましょう。ですがそれは諸刃の剣。殿下か、ルー=フィンか。民は殿下を支持するものと信じますが、ヨアフォードはそれを抑えようと僧兵たちを動かす。民を巻き込んでの内乱になります」

「それは駄目だ」

 ハルディールは唇を結んだ。

「民に被害をもたらすことはしたくない」

 王の暗殺、それに準じる大臣連の殺害は、小さなシリンドルのごく一部で起こったことだった。

 王女を捕らえるまではヨアフォードも僧兵を町に放って暴力を働かせたが、少なくとも死人は出ていない。兵には充分な報酬が与えられていた上、死の腕輪の恐怖もあってか、あからさまな略奪暴行などは行われなかった。

 ただし、痛い目に遭わせるぞと脅して金を払わないことはあったし、一部の商店主は逆らって、実際に痛めつけられた。酒場で酔った僧兵という名のならず者が、若い娘を酷い目に遭わせることも皆無ではなかった。

 それらは見せしめとなり、人々は彼らを怖れた。いまのシリンドルは、平穏の仮面を再びかぶっているということになる。

 以前の平穏は陰謀の顔を隠したものであり、いま、仮面の下にあるのは恐怖だ。

 ヨアフォードの行動に義憤を覚える者は多くいるが、彼らは荒事を知らない。自警団などと言っても、警棒を片手に、野良犬テュラス程度の獣を追い払うくらいしかやったことがないのだ。

 彼らは怒りを胸に、じっと耐えるしかなかった。〈峠〉の神が、彼らの国に、真なる平和と真なる王をもたらすことを願いながら。

 真なる王。

 現在のシリンドルは、国王不在、ということになる。

 本来ならば、そのようなことあっても数日で息子たる王子か、嫡子がなければ市井に下っていた王弟などの親族が王座に昇ることになる。王子が成年に達する前であれば、大臣らや神殿長が相談をして摂政を立てる。

 生憎と言おうか、明文化されているのは「王には成年に達した継承者が就く」ということだけだ。ヨアフォードはそこを突き、神殿長が摂政となり、新王を任命する権利があることにしてしまった。

 ハルディールが死ぬか、或いは戻らなければ、人々は涙を呑んでヨアフォードの決定に従うか、それとも反乱を起こすかしかなかった。

 混乱のひと月が過ぎ、ここ半月強、表面上であろうとシリンドルは静かだ。

 人々は息をひそめて次なる出来事を待っている。

 ヨアフォードのもともとの計画は、ハルディール王子の旅先での「不幸な事故」による死亡を公表し、血縁たる若者ルー=フィンの即位に持っていく、というものだった。

 だが王子は逃げ延び、その間に神殿長も考えを変えた。

 ハルディールの死は、おとなしくしている人々の間に大きな反発を呼び起こすことが十二分に有り得る。暴動などは力ずくで押さえるとしても、恐怖政治を敷いていたのではいつまで経っても足元が固められないということになる。

 冷酷な殺人者はその辺りを踏まえ、まことしやかに王子逃亡の噂を流していた。ハルディールに王位継承の資格なし、という土台を作って、ルー=フィンとエルレールの婚約を発表する気でいる。

 それが王子を支援する者たちの考えだった。

 ヨアフォードにはこれ以上、無駄に暴虐を重ねるつもりはないだろう。外にも内にも、「ちょっとした悲劇はあったが、王が変わっただけで、シリンドルは以前のように平和だ」という形を作る心づもりに違いない。

 そこに「王子の帰還」による騒乱を作り出すのは、しかし、ハルディールの本意ではなかった。

 騒ぎは、それを起こした者と、起こされた者の間だけでとどめるべき。少年王子はそう考えていた。

「生憎と、そうは行かぬやもしれません」

 真剣な表情で、アンエスカは返した。

「どうにか神殿内に入り込んで、ヨアフォードを暗殺する――というのが最小限の被害にとどめられそうではありますが、理想は殿下の名による捕縛、新たな神殿長を迎えての裁き、そして処刑だ。名乗りを上げ、市街で僧兵と戦うことになっても、そうすることでこそ、示しがつく」

「示しなんてものはどうでもいい」

 ハルディールは言った。

「もっとも……暗殺に暗殺で返す、というのは、いくら正当な復讐だとは言え、心は弾まない。正々堂々としたい、という気持ちは僕にもある。だがそれでも、民たちを巻き添えにはできない」

「お気持ちは判りますが、そうはいかない場合も」

「でも、アンエスカ」

 盆に杯を三つ載せてニーヴィスが戻ってきた。

「現実問題、こちらには兵力がない。僧兵団と正面からやり合ったら、討ち死にで終わりです」

「……そこだ」

 苦々しい顔でアンエスカは差し出された杯を受け取り、ハルディールの前に置いた。

「クインダンとレヴシーを無事に救い出せたとしても、あとはニーヴィス、私も勘定に入れたところで、まともに剣が使えるのはそれだけ」

「タイオスもいるじゃないか」

 王子は指摘した。

「彼は数に数えません」

 きっぱりと男は言った。

「何故だ」

「シリンドルの民ではありません」

 それがアンエスカの主張だった。

「だいたい、数えてみたところで、あまり変わりありませんがね」

 彼は息を吐いた。

「全くもってその通り。戦力は少ない。だがシリンドルは軍を持たぬままで数々の危機を乗り切ってきた。戦力の少なさは、不安要素ではあるがそれだけだ」

空言(からごと)に聞こえますよ」

 ニーヴィスは呟いた。アンエスカは顔をしかめた。

「わざわざ、士気を落とすようなことを言うな」

「レヴシー坊やなら目を輝かせて同意するかもしれませんがね、アンエスカ。俺はもう少し、あんたという人を知ってるんです」

「可愛げのないことだ」

「あったら不気味でしょう」

「僕もアンエスカをいくらかは知るつもりだが、ここは彼に同意を示そう、ニーヴィス」

 湯気の立つ茶杯をもてあそびながら、ハルディールは言った。

「神は必ず我らをお救いくださる」

 そればかりを頼みにする訳ではないが、と王子は言い訳じみてつけ加えた。

「僕の考えを言う。アンエスカ、ニーヴィス」

 王子は彼に忠実なる年上の男とかわるがわる視線を合わせた。

「――僕は、タイオスが此度の〈白鷲〉ではないかと考えているんだ」

 もちろんと言おうか、即座にアンエスカはそれを否定した。

「畏れながら、殿下。それはお心得違いもよいところです」

「どうしてだ?」

 ハルディールは引かなかった。

「〈白鷲〉は神の護符とともに現れる。サナース・ジュトンは山で護符を拾ったのだとお前は言ったな。タイオスは」

 少年は肩をすくめた。

「見知らぬ子供に押しつけられた」

「それは殿下ご自身のことではありませんか」

「もちろん、そうだ。その通り。僕はタイオスに礼をしたくて、どうにか彼と僕の間をつないでおこうと思った。でもそれにしたって、ほかにやりようがあったんじゃないかと思う。自分で言うのもどうかとは思うが、僕の取った行動は不自然で奇妙だ」

「空腹でぼうっとなっていらしたんですよ」

「僕も同じことを思った。違うとは言えない。――神の啓示に証拠なんてないのだから」

「殿下」

 男は神経質に眼鏡の位置を直しながら呟いた。

「仰る通り。神の啓示に証拠はない。ご自身のお考えが、何の根拠もございませんこと、もちろんお判りとは思いますが」

「でも僕はそう思うんだ」

 ハルディールは〈白鷲〉の対なる護符を取り出すと、そっと卓上に置いた。

「彼は僕の……僕らの英雄になる人物だ」


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