第1話 英雄の伝説1-3 夜は必ず明ける
空腹だからと言ってがっつけば、病の精霊が腹にいたずらをして、下させてしまうものだ。あまりに極端な場合は死に至ることもあるが、そこまでの飢餓状態ではなさそうであり、タイオスもその心配はしなかったものの、苦しまないようにと忠告をした。
子供は少し勢いを弱め、口をもぐもぐとさせては、汁椀に口を付けた。タイオスはその様子を見守って、ふと気づいた。
(薄汚れては、いる)
(だが……)
乞食だとは、最初から思わなかった。何旬も水浴びすらせず、蚤がたかっているという様子はないのだ。おそらく、親のない子供が懸命に仕事を探したが、巧くいかずに一日か二日食えていないのではないかと、そんなふうに考えていたのだが。
(手はきれいだな)
泥汚れこそついていたが、がさがさに荒れている感じはなかった。
(まあ、仕事にあぶれて一日かそこらなら、そんなに酷い状態にもならないか)
そう考えることでタイオスは、何となく感じた違和感を整理してしまった。
子供に声をかけたことがひとつ目の失敗ならば、これが彼のふたつ目のそれだった。
「食ったな」
しばらくすると、子供はふたつの麺麭と汁物をきれいにたいらげ、口の周りについた食べかすを躊躇いがちに袖口で拭き取った。
「椀は俺が返しとく」
タイオスが手を差し出せば、子供は黙って汁椀を彼の大きな手に乗せた。
「まあ、苦労はいろいろあるだろうが、夜は必ず明けるもんだ」
知ったふうな様子で、戦士はそんなことを言った。
「頑張れよ、坊ず」
子供の頭をぽんと叩いて、タイオスは立ち上がる。子供も同様にした。
「あり……ありがとう……」
「ようやく素直になったな」
彼はにやっとした。
「もっとも、さっきの警戒は悪くない。甘い言葉にゃ気をつけろ。じゃあな」
ひらひらと手を振って、タイオスは踵を返した。
そのまま歩き出そうとして――抵抗を感じる。
「ん?」
振り返れば、子供が彼の腰帯を握り締めていた。
「何だ?」
「……じゃない」
「うん?」
「僕は、乞食じゃない」
粉物の力だろうか、子供の声は先ほどよりずっとはっきりしていた。
だが、まだかすれている感じがある。
しっかり食事を取って元気を取り戻せば、張りのあるいい声を発するだろう。
「判ってる。ちょっとばかし、巧くいかなかっただけだろ? 物乞いだなんて思ってないから、気にすんな」
もう一度タイオスは、彼の肩ほどまでしかない小柄な子供の頭を軽く叩いた。
「しっかりやれよ」
そう言ったが、手は離れない。
「おい。……俺にできるのは、いまのちょっとした飯だけだ。お前の仕事は見つけられないし、これ以上の飯も宿も、世話できんぞ」
餌をやったのはまずかったかなと思い、彼ははっきりと言った。「この人なら助けてくれる」などと思われてはたまらない。
だが子供は首を振った。
「そんなことを、言っているんじゃない。僕は、乞食じゃないから、施しを受ける謂われはないと、そういうことを」
「判っていると、言ってるだろう」
タイオスは顔をしかめた。
「哀れまれたのが嫌だと言うなら、立派な自尊心だ。だがなあ、自尊心なんて生きてなんぼよ。生きるか死ぬかってときに、誇りなんて役に立たない。実際、お前は俺の『施し』を受けて飯を食ったろ」
そう言うと、気まずかったか、子供はうつむいて手を放した。
「気にするなと言ってる。お前がいまのを借りだと感じるなら、頑張って働いて大人になって、いつか同じようなガキを見つけたときに、同じことをして返してやればいい。恥だと思う必要はない」
三度、タイオスは子供の頭に触れた。今度は叩くのではなく、撫でた。
「じゃあな。今度こそ、俺は行くぞ」
頑張れよ、とまた言って、タイオスは子供から離れた。今度はもう、子供も彼を引き止めなかった。
そのまま戦士は、振り返らずに歩いた。
恵まれない子供に施した、などと考えていい気になっていた訳ではない。金が入る前なら、無視をした。ただの気紛れだ。
取りようによっては「いい気なもの」だし、自分より惨めな者を救うことで優越感に浸る偽善とも見えるだろう。
だが、別にどうでもよかった。
タイオスはたまたまあの子供を見かけ、たまたま懐と気分が豊かだったから、ちょっと思いついたことをたまたまやった。それだけだ。
誰かに褒められたい訳でもないし、糾弾されてもかまわない。
いつか同じ場面に行き会ったら、同じことをするかもしれないし、しないかもしれない。
それはちょっとした、運命の岐路だ。
だが、右に行こうと左に行こうと、大した代わりはない。
その――はずだった。