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シリンディンの白鷲  作者: 一枝 唯


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第1話 英雄の伝説2-11 浄化が必要だ

「それは、確かに脅す形とはなりましたが、卑劣などと」

「いや、卑劣だった。危急の際だとは判っているが、僕はお前の品性を疑ってしまいそうだ」

 アンエスカが何をしたのであれ、王子は従者を責めるでもなく、どこか面白がるように言った。タイオスは、ハルディールという少年王子は――アンエスカではなく――、案外と食わせものなのではないかと思った。

 と言うのも、彼は気づいたのだ。

 王子は途中から、アンエスカを貶めるような発言ばかりしている。

 アンエスカが無能だと言うのでは、ないだろう。嫌味で腹の立つ男だが、王子を助けながら、カル・ディアルを渡ってくるだけの度胸と能力がある。

 ハルディールも彼を信頼している。そのことは、言葉や態度の端々によく現れている。

 なのに、アンエスカを低く言うのは――タイオスを持ち上げるためだ。

 少年には、いま、実力のある護衛が必要。眼鏡の男もそれを理解していて、タイオスを気に入らなく思いながらも、王子が彼を引き下げるのを黙って聞いている。

(――危ない、危ない)

 タイオスは内心で、気持ちを引き締めた。

(おべっかに乗せられて、能力以上のことを約束したりせんように気をつけんと)

 彼は自戒した。

 ハルディールに裏は――おそらくは――ないだろうが、この場合、 はかりごと や悪気の有無は関係ない。彼らにとってタイオスは「使える戦士」以外の何者でもなく、必要とあらば自分らのために見捨てることにも、死なせることにも、躊躇いや罪悪感を感じないだろう。

 いや、ハルディールならば躊躇いも罪悪感も覚えるだろうが、単純な話、王子がタイオスとアンエスカのどちらかを取らなければならないとしたら、彼は従者を選ぶ。彼にとってアンエスカは言うなれば「身内」であり、タイオスは他人。そういうことだ。

 それを忘れれば、陥穽にはまり得る。

 タイオスが気をつけようと思ったのは、そこだった。

「まあ、いい」

 彼はぼそりと呟いた。

「それで、何を聞いたんだ」

「あの店が特定されたのは、僕らではなく、あなたが原因だということ」

 タイオスの内に浮かんでは消えたものに気づくことなく、ハルディールはそんなことを答えてきた。

「何?」

「『タイオスがきていないか』と尋ねてきた人物がいたそうだ。店の主人はあなたの名を知らなかったが、人相風体が似通う客がいることは認めた。その少しあと、連中が無言で押し入ってきたのだとか」

「だが……」

 彼は戸惑った。

「それは何だか、おかしくないか。連中がどこかで俺の名前を知ったのだとしても」

 ふと、タイオスは思い出すことがあって、ハルディールを見た。

「そう言えばお前たちは、どうして俺の名前を知ったんだ?」

「麺麭屋のご婦人に尋ねたんだ」

「成程」

 返ってきた答えは納得の行くものだった。

「まあ、連中が〈紅鈴館〉で俺の名前を知ったんだとしても……と、待てよ」

 タイオスは自分に制止をかけた。

「おかしい」

 そっと呟く。

(ヨアティアとルー=フィンに尾けられたとは、思わなかった。仮に奴らが達人で、あろうことか俺が気づかなかったんだとしても、〈紅鈴館〉での強襲までの時間差は何だ?)

(宿や食事処だの、何よりも風呂場なんざ、娼館同様に無防備だってのに)

 警戒心の強い者であれば、短剣のひとつも身につけて風呂に入ることもあるが、その可能性を考えたのか。

 だがそれでも、そのあとタイオスが娼館に行くことなど判らなかったはずだ。無防備なタイオスを狙いたかったなら、風呂場を千載一遇の好機と考える方が自然。

(そうすると奴らは、宿も風呂場も飯屋もすっ飛ばして、〈紅鈴館〉にいる俺のところにやってきた、ということになる)

 たまたまルー=フィンが近くにいてタイオスが店に入るのを見かけた、と考えることもできるが、そうなのだろうか?

「何もおかしくない」

 ハルディールは首を振った。

「あなたは先ほど、言った。〈痩せ猫〉という有能な情報屋を知っていると」

「言ったが、それが?」

 タイオスは片眉を上げた。

「店の主人も知っていた」

 王子は続けた。

「――〈ひび割れ落花生〉に、タイオスがきているかと尋ねたのは、その人物だ」

 その言葉に、戦士はぽかんと口を開けた。

「あ……あの野郎!」

 瞬時に、腑に落ちた。

 プルーグならば、知っている。タイオスの人相風体、名前はもちろんのこと、彼が〈紅鈴館〉を贔屓にしていること。〈ひび割れ落花生〉が使える店だとタイオスに教えたのはプルーグ自身だ。シリンドル、シリンディンの騎士、という「コミンの人間が知らなさそうなこと」を知っていたのも――既にヨアティアの一派から接触を受け、タイオスのことをたれ込んだ(・・・・・)あとで、事情を探ろうと少し調べたあとだったからだ。

「なあにが、俺は旦那を売ったりしない、だ。語るに落ちてやがる!」

 突然、売るのどうのと言い出したプルーグにタイオスは首をひねったが、何のことはない。やましいことがあるからこそ、「やましくない」と言い立てた訳だ。「死ぬなよ」は、わずかな良心の呵責からでも出た台詞か!

「くっそう! あんの、クソ猫め! 今度会ったら、けちょんけちょんにしてくれる!」

 タイオスは思いつく限りの罵りの言葉を連発した。アンエスカは顔をしかめ、ハルディールも片眉を上げる。

「しかし……」

 思い切り吐き出して少し落ち着くと、戦士は両腕を組んだ。

「しかし、待て。それはまずい」

 タイオスは、上がった血圧が一(リア)で下がった気がした。

「俺はたったいま、〈痩せ猫〉に会った。あいつが、お前たちはこっちだと教えてきたんだ」

「ということは」

 アンエスカが細い目を更に細めた。

「ここは危ない。早く離れなければ」

 三人の身体に緊張が走った。

 連中はタイオスを知っている。アンエスカを知っている。ハルディールの変装も、もうばれた。

「宿へ行こう。荷物をさっさと引き上げて、夜中だろうと準備が足りなかろうと、発った方が」

 得策かもしれない、とタイオスは言い終えることができなかった。

 月の女神(ヴィリア・ルー)がその美しい半身を露わにし、影が小道に差し込んだ。

「……いたな」

 声がした。

「王子に、アンエスカ。それに〈白鷲〉も」

「ええい、しつこい!」

 タイオスは叫んだ。

「寝言は寝て言うもんだぞ、ルー=フィン!」

 ばっと彼は剣を抜いた。

「ルー=フィン」

 ハルディールは顔を青くした。

「殿下」

 素早くアンエスカが彼の主人の手を引いたのは、ルー=フィンの更に向こうに、人影を見つけたからだった。

「これはこれは」

 マント姿のシルエットが言う。

「獲物が勢揃いで、けっこうだ」

「――ヨアティア」

 ハルディールはきゅっと拳を握って、彼を追ってきた男の名を口にした。

「はい、殿下。御前に」

 ヨアティアは芝居がかった動きで、ハルディールに向けて礼をした。

「ご無事でいてくださって、何よりでございます。万一にも町のごろつきに殺され、どこかに埋められでもしておいででは、困りますのでね」

 茶金の前髪をかき上げながら、ヨアティアは首を振った。うしろで束ねた髪が揺れる。

「俺が欲しいのは、殿下らしき子供が死んだようだなどという曖昧な噂ではない。はっきりとした、死の証」

 シリンドルから王子を追ってきた男は、誤解しようのない言い方で、自分が王子の命を狙っていると告げた。

「こんなところまで……」

「追う」

 呟いたのはルー=フィンだった。

「どこまでも、追いかける。お前を弑し、物事を全て正常に戻す。それが、神の望むことだ」

「何が、正常」

 アンエスカが歯ぎしりをした。

「お前たちの方が狂っている! 殿下の死を望むのは神ではなく、ヨアフォード。全ては、奴の薄汚い欲望のためにすぎん」

「王の側近がそうして神の代弁者を貶める、それが異常でなくて何だ」

 ヨアティアは含み笑いをしながら言った。

「シリンドルは汚れた。浄化が必要だ」

 淡々と、ルー=フィンが続ける。

「は……まじで狂信者ってか」

 タイオスは嫌な予感が当たったとげんなりした。

「正義を信じ込む悪党ほど性質たちの悪いもんはない」

 戦士は手にした剣の重さを確かめるようにゆっくりと振った。

(少し、軽いな)

(長さも足りん)

 自分の愛剣と比較すれば、心許なかった。

(だが、持ってるもんで戦うしかない)

 熟練の戦士は、思い浮かぶ負要素を数えることを割愛した。

「ハル。アンエスカ。下がってろ」

「気をつけて。ルー=フィンは手練れだ」

 王子がかすれる声で言った。

「試験を受けたなら、優秀な成績で騎士の座を射止めること、間違いない」

 審査の厳しいという〈シリンディンの騎士〉。

 つまりルー=フィンは、シリンドル有数の剣士であるということだ。

「あんな男を騎士の座につけるなど、団長が許しませんよ」

 アンエスカが鼻を鳴らした。

「能力だけでは、〈シリンディンの騎士〉にはなれない」

「なるつもりもない」

 ルー=フィンは返した。

「騎士団の歴史も、もう幕を閉じるところだしな」

 得たりという顔で、ヨアティアが言った。

「何だって」

 ハルディールははっとなった。

「レヴシーは。クインダンは。――エルレールは!」

 王子は蒼白となって、国元に残る騎士たちと、そして姉王女の名を叫んだ。

「案じずともよい」

 ヨアティアは首を振った。

「王女を殺すなど、するものか。彼女は神の巫女となるべく育てられた。つまり」

 そこで男は、くっと笑った。

「我らのものだ」

「貴様!」

 かっとなって、ハルディールは飛び出そうとした。

 冷静さを保って見せていたシリンドル王子の、それは初めて感情を露わにした瞬間だった。

 タイオスは少し驚いた。それと同時に、納得をした。

 大人びたふうを装っていても、ハルディールはまだ、十代も前半の少年なのだ。

「殿下、なりません!」

 即座に、アンエスカが王子を抑えた。

「この場は」

 王子の従者は戦士に目線を送った。

「――タイオスに」

「言ってくれるねえ」

 タイオスは剣をかまえる。

「信頼してくれてるんでも、生け贄に差し出すという意味でも、けっこう。こうなりゃ、やることをやるまでさ」

 月が隠れる。薄闇が訪れる。

 戦士は、隙のない姿勢の若い剣士を見据えながら、果たしてどうなることかな――と他人事のように考えた。


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