第1話 英雄の伝説2-6 「相応」ではあなたを買えない
「それは面白い感想を聞いた。それに、ちょっとした偽装にもなるな。ハルディール、ハルディールと連呼されて、ヨアティアの部下が近くにいたら大事だ」
王子は笑いながら従者を見た。
「ではアンエスカ。いまからお前も、僕を『ハル』と呼ぶように」
「できません」
「命令だ」
「……致し方ない」
アンエスカは深いため息をついた。それから、タイオスを諸悪の根源だと言うように強く睨みつける。タイオスはにやにやした。
「報酬だったな。無事に〈白鷲〉と出会うことができれば、あなたに騎士の称号を与えたい」
「それは断る」
次にはタイオスは顔をしかめた。
「そんなもんは要らん。騎士ヴォース・タイオス、なんて韻を踏みすぎて気持ちが悪い」
「白鷲の騎士であれば、なおさらか」
ハルディールは笑った。タイオスとアンエスカは、それぞれ異なる理由で笑えなかった。
「名誉より、金だ。金額で提示してくれ」
「もちろん、そのつもりだ」
ハルディールはうなずく。
「いますぐには出せないが」
「成功報酬でけっこうだ」
彼は繰り返した。護衛戦士業では、前金をいくらかもらうこともあるが、仕事が終わったあとに約束の金を受け取るのが普通だ。雇う側からしてみれば、契約の途中でとんずらされてはたまらないからである。
「では、成功報酬として、金貨で三百枚」
「多すぎる!」
と叫んだのはアンエスカのみならず、タイオスもだった。
一般的な通貨は、ラル銀貨とスー銭貨。
意匠は国によって違うが、通貨単位は各国共通であり、特定金属の含有量と重さ、大きさは慣例によって定まっている。そうしたものを計る器具は普及していて、偽造はどこでも重罪だ。
銀貨にはそれぞれ種類があるが、十ラル銀貨一枚でも「銀貨十枚分」という言い方をする。
ごく普通に見られるのはせいぜい百ラル銀貨までであり、その次の単位――銀貨一千枚、つまり金貨一枚となると、庶民は一生で一度もお目にかからなくても不思議ではない。
それを三百枚など、タイオスごとき庶民の戦士には、想像の範囲外である。
「そんなもん、死ぬまでに使いきれん」
「どこから財を引っ張ってくるおつもりです、殿下」
「『ハル』」
「……ハル様」
「〈白鷲〉が見つからなければ、民の税金も全て、ヨアフォードの懐だ。国の宝物庫が空になっても、〈白鷲〉を見つけることの方が重要」
金貨三百枚は大金だが、それで空になる国の宝物庫もあるまい。とタイオスは思ったものの、もしそれが事実ならば、本当にシリンドルは小国なのだとも気づいた。
(カル・ディアの成金より、貧乏王家なのかも)
「空になる」はいくらか誇張だとしても、それに近いのではないか。富豪やちょっとした貴族の年収より少ない財源でまかなっている王家。
「あー、何だ。百もあれば十二分だ。もっと少なくたっていい」
ざっとタイオスは計算した。
戦士の仕事は日割りではなく、たいてい契約ごとであるが、大雑把に平均すれば一日百ラル前後。割のいい仕事なら百五十から二百ほどいくこともある。
仮に二百として計算しても、ひと月分で金貨六枚。半年かかると考えたって、その六倍。
いったい〈白鷲〉捜索にどれだけ時間をかけるつもりか知らないが、早く探し出したいはずだ。金貨が三桁など、破格すぎる。
「報酬を安く上げたがるのは、報酬を出す側かと思いましたが」
ハルディールは片眉を上げた。
「命を安売りするのか。おかしな人だ」
「安売りなんざ、せんよ。世間を知らない王子様に忠告してるだけ。行って、金貨五十が相応だ」
これでも多めだ。遠慮がちに言っているが、普通ならふっかけているも同然。
「『相応』ではあなたを買えないと思う」
しかし王子はそんなことを言った。
「金貨で、三百です」
彼は繰り返し、アンエスカは頭をかかえた。
「銀貨三百だって、多すぎるほどだ」
「俺はそこまで安くない」
「高値を付けるのは勝手だが、価値を判断するのは買い手だ」
「そう、買い手だ」
少年がうなずく。
「僕はあなたにそれだけの価値を見出す、ヴォース・タイオス殿」
「……俺は、お前に飯をやっただけだぞ」
念のため、タイオスは言う。
「お前は、俺の腕なんか知らんのに」
「玄人だと言い切ったのは、はったりですか」
「それで食ってることは本当だ。だが」
「やめましょう。成功報酬だと言った。つまり、あなたにそれだけの価値がなければ、あなたも僕もアンエスカも死ぬだけ。シリンドルの財産は悪党の手に渡りますが、死んでしまえば、僕らにはどうしようもないことですね」
「どうにもやけっぱちに聞こえるが」
「賭け、ではあります」
「成程」
タイオスはうなずいた。
「三百か。成功して悠々自適か、失敗してラ・ムール河行きか」
彼は冥界を流れると言われる大河の名前を口にした。
「俺の趣味じゃないが、やるしかないな」
戦士は覚悟を決めた。
「有難うございます」
少年王子は目を輝かせた。
「それで、どこへ行くつもりでいたんだ。〈白鷲〉の居場所を明確には知らんようだが、手がかりくらいはあるんだろう」
「ええ、あります」
ハルディールは認めた。
「首都カル・ディア」
王子は答え、従者は眼鏡をいじった。
「カル・ディア」
タイオスは繰り返した。さもありなん、という気がすると同時に、待てよと思った。
「それだけか?」
かの街は、首都。大都市だ。ひっきりなしに人々が出入りすること、コミンの比ではない。人口だって何倍、何十倍だか知れない。単純に、広さもある。
「もう少し、あるよな?」
「ありません」
ハルディールは首を振った。タイオスは乾いた笑いを浮かべる。
「あのな。カル・ディアと一口に言っても、広いぞ。人間も、異常なほど多い」
タイオスはかの大都市を訪れたことがあるが、人の多さに辟易した。面積は、端から端まで歩くのに半日を要するほどもあるのに、どこへ行っても人、人、人。
「判っています」
王子はうなずいた。
「ですが、それだけを頼りに、カル・ディアルを斜めにずっと渡ってきた」
「そうか。アル・フェイルとの境界にあり、山脈の麓ということは、そういうことになるな」
戦士は頭のなかに地図を描いた。