第3話 騎士と戦士3-12 宿命と言うなら
「待て、お前はくるな、俺が行く」
「しかし」
「ハル、こいつをとめろ。王女様もここに。いいな!」
タイオスは外していた剣を剣帯ごと握り締めると、部屋の外に駆け出た。
(いまのは)
彼は音の位置を考えた。
「どっちだ」
奥の方から聞こえたように感じた。だが同じ二階か、それとも三階か。祈りの広間から吹き抜けになっている空間は、音の位置が掴みづらかった。
「いやああああ、誰か、誰か!」
そのとき、二度目の悲鳴が響いた。三階だ、と理解するとタイオスは走った。
階段にたどり着くと二段抜かしでそれを駆け上がり、彼はその場に、たどり着いた。
「な……」
神聖なる空間に飛び散った、赤いもの。
それはつい先ほどあとにしてきた〈峠〉の神殿での出来事を思わせた。
もちろんこれはヨアフォードの血ではない。ルー=フィンのものでも。
「――レヴシー!」
タイオスは叫び、駆け寄った。
少年騎士は、吹き抜けを見下ろす手すりにしがみつき、背中の低い位置からどくどくと血を流していた。
「どういうことだ、誰が……」
戦士は少年を抱き起こし、素早く上衣を脱ぐと血止めにと押さえつけた。袖を使って腰に縛りつけて即席の包帯にする。
「タイ……オス」
〈白鷲〉の姿と声に、レヴシーはどこかほっとした顔をした。
「俺……油断、した。まさか、ヨアティアが……」
「あの野郎かっ」
当然だ。レヴシーはあの男の様子を見に行ったのだ。いま、この神殿のなかで、ほかの誰も〈シリンディンの騎士〉に刃を向けるものか。
「あいつ、俺を後ろから……ひ、悲鳴を上げた、ミキーナも刺して……逃げ、逃げた」
「喋るな」
「追ってくれ、あいつを追ってくれ……〈白鷲〉。逃がす、訳には」
「喋るな!」
タイオスは繰り返し、開け放たれたままの扉の向こうを見た。血溜まりのなかでうつ伏せになっている娘は、ぴくりともしなかった。
「くそ、何てこった」
問題の多くが片づいたと、誰もがそう思っていたところだ。油断をしたのはレヴシーだけではない。
「おい、誰か!」
彼は叫んだ。
「誰でもいい、誰かいないのか!」
人影が目に入った。ミキーナの悲鳴――最期の声を聞きつけたのはタイオスたちだけではなく、すぐ近くで掃除をしていた女がひとり、箒を握り締めて蒼白になっていた。
「医者を呼べ。いや、まず誰でもいい、男手を呼べ。それから医者に走れ。こいつを死なせるな! こんな……」
こんな、馬鹿なことで。
「俺、より、ヨアティア、を」
レヴシーが囁いた。
「判ってる。逃がさん。だがお前を放っておけん」
「俺……死ぬの、かな」
「死なせん。大丈夫だ、傷は浅い」
彼は嘘をついた。
得物は、短い刃物だ。ヨアティアの武装は解除していたはずであり、ミキーナが短剣を用意したり持っていたりしたはずはないから、食事に添えられたか果物を切るために置かれてでもいたナイフだろう、と戦士は踏んだ。
それは、瀕死の状態から献身的な介護で回復しつつあった男の全力で、少年の腰に根元まで差し込まれ――抜かれた。
致命傷ではないかもしれない。血が止まれば、すぐに死ぬことはないだろう。だが、内臓が傷ついていれば。
やってくるのは、苦しく緩慢な死だ。
「タイオス……タイオス。シリンディンの、白鷲……俺が、死んだら……頼む、ハルディール、様のこと」
「喋るなと言ってるだろう。それに、お前は死なん。お前はこれからのシリンドルを担うんだ。ハルの傍らで。クインダンと。アンエスカとな」
「クイン、アンエスカ……ごめん。俺、もっと立派になりたかっ……」
「レヴシー!」
くるり、と少年の目が回り、その身体から、がくりと力が脱けた。
「――クソっ」
タイオスは拳で床を叩きつけた。
「こんなことを許すのかよ、〈峠〉の神ってのは!」
峠の上ではあんなに神秘を見せつけたのに、ここでは何もしないのか。
〈白鷲〉は少年騎士を抱きかかえ、歯を食いしばった。
そのとき、かすかな気配がした。
影が、飛び込んできた。
その手に、小刀を持って。
酷く重いものが落ちてきたような衝撃が、彼の後ろから左肩を襲った。
「て……てめえ」
「俺を侮った罰だ、タイオス」
ヨアティア・シリンドレンは小刀の柄を握りしめたまま、狂人のように笑い声を上げた。落ちくぼんだ目と眼の下のくまは死の瀬戸際まで行った様子を思わせるが、興奮のためにか、頬は均衡悪く紅潮していた。
「いいざまだ」
「この……」
背後から、ぶつかるように刺してきた。深い。
タイオスは刺さったそれを抜かせまいと右拳を振り上げ、ヨアティアを殴りつけた。男は簡単に吹っ飛んだ。
「よ、よくも」
ヨアティアは何か恨み言を口にしようとしたが、タイオスの拳が当たった頬はあっという間に腫れ上がり、言葉は不明瞭となった。
「くそ」
神殿長の息子は頬を押さえ、歯でも折れたか、口から流れる血を押さえた掌の向こうから、ぎろりとタイオスを睨んだ。
「覚えていろ。――〈白鷲〉め」
本当にそう言ったものか、やはりヨアティアの言葉はタイオスにはよく聞き取れなかった。
「忘れるまでもない」
戦士は立ち上がった。
「いまここで、天罰を加えてや――」
神の代わりなど不遜だとも、自分らしからぬとも思うより、タイオスは怒りに燃えていた。剣を抜き、彼がそれを振り上げようとしたとき、しかし全身に激痛が走った。
身体を大きく動かしたことで、肩のうしろに刺さる刃が、ねじ込まれるように動いたのだ。
「うっ……」
がくりとタイオスの膝が折れ、剣は下を向いた。
「は、ははは」
ヨアティアは引きつりながらも笑った。
「ざまあみろ。何が〈白鷲〉、何が〈峠〉の神だ」
「この、野郎」
タイオスは歯を食いしばった。
「お前は、このシリンドルで生まれ育った人間だろうが!」
何故だか無性に腹が立った。
ハルディールが。アンエスカが。クインダンが。レヴシーが。ルー=フィンや、ヨアフォードまでが、この国を愛し、〈峠〉の神を信じてきたのに、こいつはそうした思いを何も持っていないのか。
タイオスには関係のないことだ。そう思っていた。いや、いまでもそうした意味合いで、シリンドル人と同じ感情、感覚を持ってはいない。持つこともないだろうと思う。
ヨアティアの言葉は、むしろタイオスにはよく判る。
何が、神だ。
(だがこいつは)
(〈峠〉の神に守られた国で、生きてきたんだろうに!)
神に守られ、父に守られて。
腹が立った。心の底から。
「ヨアティア!」
彼は大声を出すことで気合いを入れると、痛みを無視しようと剣を振るった。
しかし、踏み込みが足りなかった。彼の意志とは裏腹に、生命を守ろうとする本能が、彼に本来の力を出させなかった。
剣先は、硬直したかのようなヨアティアを斬り倒すことなく、わずかに男の左頬をかすめるにとどまった。
「クソ」
ヨアティアは悲鳴を上げたが、致命傷にはほど遠い。踏ん張ろうとしたタイオスの足に力は入らず、彼の膝はくずおれた。
激痛が、全身を襲った。身体が震え、頭は割れそうに痛み出す。
(何てこった)
(ヨアフォードを後ろから刺した俺が、その息子から同じように刃を受けて)
(これが、宿命とか言うもんなのか)
苦痛にゆがんだ顔を上げれば、ヨアティアがほうほうの体で逃げていくのが見える。
「待て――」
追わなくては。だが、膝が伸びない。
「タイオス様!」
「レ、レヴシー様。これは、いったい」
女が呼んできたのか、やはり悲鳴を聞いたのか、駆けつけた神官たちは愕然とした。
「お、お医者様をすぐに」
「俺より、レヴシーを。それから」
かすれる声で、タイオスはようよう言った。
「ヨアティアが、逃げた。クインダン……いや、アンエスカに」
痛みで声が出ない。だが必死で、言葉を続けた。
「知らせろ、早く……」
戦士は、神殿の床に手をついた。
(俺はいい、俺は)
(宿命と言うなら……受け入れるさ)
(だが、レヴシーだけは)
(こいつは、これからのシリンドルに必要なんだ)
薄れゆく意識と戦いながら、〈シリンディンの白鷲〉は祈った。
(どうか、神よ――)
ずっと拒否し続けてきた〈峠〉の神への祈りを心に上せ、ヴォース・タイオスはきつく瞳を閉じた。




