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シリンディンの白鷲  作者: 一枝 唯


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第3話 騎士と戦士2-10 〈峠〉の神殿

 〈峠〉の神殿。

 神のおわすところに最も近い場所。

(――決着を)

(けりをつけよう)

 そう言ったのはアンエスカであり、ハルディールであり、ヨアフォードであった。

 〈峠〉の神殿。

 新たなる王が即位するとき、彼は〈峠〉の神殿にこもって神の許しを得る。

 これまで、それが得られなかった例はない。

 だが、複数の人物が王に名乗りを上げたという記録も、なかった。

 原則として、ひとり目の嫡男が第一王位継承者になるという、ここはシリンドルも多くの国々と変わらなかった。あまりにも病弱であるだとか、誰もが認めざるを得ない問題があれば、二番目の王子やごく近い血筋の者がそれに代わるという現実も変わらない。

 だが、特異な点もあった。跡目争いが、皆無に等しいことだ。

 長子以外が継承をすることになっても、その交代は平和裡に行われた。

 どんな国でも避けがたい身内の争いというものは、シリンドルでは稀だった。

 神の国。

 理想的、時に夢想的と言われそうな、非現実的な王国。

 だが現実だった。

 それが現実であるなどと驚いているのは、しかしタイオスやイズランという余所者だけだ。シリンドルでは、太陽(リィキア)が東から昇るのと同じくらい、当たり前のこと。

 ひと月ほど前までは、ということになるが。

「アンエスカ、お前はどう思う」

 慣れた道を歩きながら、神殿長は声を出した。

「何故、シリンドルには醜い骨肉の跡目争いがなかったのか」

「誰も彼もが高潔な人物だったからだ――とでも言えばいいのか」

「本当にそう思うのか?」

「お前こそ、思うのか」

 アンエスカはヨアフォードを睨んだ。

「自分の方がよい王になれると……なれたと、いまでも」

 その台詞に、ルー=フィンもヨアフォードを見た。

「王座に魅力は覚えない」

 神殿長はそう答えた。

「本心か?」

「無論。お前は私を『ラウディールを追い落とし、王位を乗っ取る極悪人』に仕立てたいのだろうが、そうはいかない。お前が何を思い、どう言い立てようと、私はシリンドルのためを思い、ルー=フィンを王座に据える」

「誰への言い訳だ」

「何だと」

「アル・フェイルに対するものか。僭王との糾弾を免れるための」

「それも皆無ではない。だが、いまから私が王になって何をする? 私が王になれば、神殿長は? ヨアティアと父子でシリンドルを支配でもすれば、お前が思うように私利私欲のためと言われるだろう」

「成程、警戒充分という訳だ。つまりルー=フィンは、上辺だけの王か」

「――もし私を反発させようとでも思っているなら」

 そこで若者は声を出した。

「無駄なことだ、騎士団長。私はヨアフォード様のご判断を信頼している。私は王位を望んだのではなく、ハルディールを狙うのも復讐心からだ。だがハルディール亡き後、ヨアフォード様が私を王にと仰るのであれば従う」

「そういう王は、傀儡と言う」

 視線をルー=フィンに移して、アンエスカは告げた。

「かまわない」

 それが若者の答えだった。ヨアフォードは笑う。

「生憎だったな、アンエスカ。ハルディールがお前を信じるように、ルー=フィンは私を信じるという訳だ」

「それは間違った置き換えだ」

 きっぱりとアンエスカは言った。

「殿下はご自身の考えをお持ちになっている。私は彼に意見するが、判断するのは彼であり、決して私ではない。お前たちとは違う」

「年若い王子を言いくるめて、ハルディール自身と周囲に、王子が判断したものと思わせるのだろう。お前の方が回りくどく、悪辣だ」

「違う、と言っても無意味であろうな」

「無意味だ」

 ヨアフォードは応じた。

「もっとも、お前がそう考えたいならそう考えるといい。お前と王子の間にあるのは崇高なる信頼。美しくてけっこうだ。お前の好む気高き理想論。現実の役には立たない」

「お前こそ、そう思いたいならそう思うといい」

 アンエスカは返した。

「自らの理解できぬものを自らの理解できる段階まで引き下げて、好きなように貶めればいい」

「ほう、自分が上だ(・・)と言う訳だ」

 けっこう、とヨアフォードはまた言った。

「我らが言い合っていたところで、〈神官(アスファ)若娘(セリ)の議論〉。答えは出ない」

 神官が教義を説き、娘が恋心を語るように、立場の異なる者同士がどれだけそれぞれの主張を述べ立てたところで、決して互いに納得いくことはない。反乱を起こした神殿長と王家に忠誠を誓い続ける騎士団長との間に、妥協点のあるはずもなかった。

「判定は我らが〈峠〉の神に委ねようではないか」

 すっとヨアフォードは指を差した。

 ほど近く見えてきた、それは〈峠〉の神殿。

 神殿――という言葉から、タイオス辺りが想像しそうな壮麗さは、そこにはない。

 麓の神殿の方が、余程それらしい(・・・)

 それは田舎町の片隅にあるような、小さな教会程度の大きさだった。

 白い壁と数多い柱、神聖なる存在を表す印章が刻まれた扉がなければ、大きめの猟師小屋とさえ見えたかもしれない。

 もっとも、建物の手前五ラクトほどの位置に建てられた、入り口を示す二本の白柱の間を通ったなら、そこが聖域であることは自ずと知れる。

 ヨアフォードとルー=フィンは、足をとめて神に敬意を示す仕草をした。両手を縛られたアンエスカは同じことができなかった代わりに、深く一礼をした。

 それは敬虔なる信者たちと見えただろう。

 いや、彼らはその通りのものだった。

 シリンドルの民は、みな〈峠〉の神を崇めていたが、神殿長と騎士団長であればその手本となるべき存在であり、また彼らは「そうあるべきだ」と理屈で考えるのではなく、自然と湧き出る畏敬を素直に前に出すのに過ぎなかった。

 そう、ルー=フィンのみならずヨアフォードでさえ。

 彼らは、タイオスが狂信者と感じるほどに、心から〈峠〉の神を信奉していた。

 心から。

「――これを解け」

 アンエスカは腕を動かした。

「私が武器のひとつも身につけていないことは承知だろう。それに、この場所で、お前たちにだろうが暴力を働くことはしない。もとより、そうしたところでルー=フィンには敵わない」

「……いいだろう」

 ヨアフォードはルー=フィンにうなずいてみせた。若者は短剣で、拘束していた縄を切った。アンエスカは手首をさすり、拳を握ったり開いたりして、血の巡りを戻そうとした。

「ではいざ、神に祈りに行くとしようではないか」

「神がルー=フィンを認めると、本当に思っているのか」

「思うとも、騎士団長。王にのみ開かれる扉は、ルー=フィンの血を受け入れる」

 神殿長は銀髪の若者を招き寄せた。彼が近寄ると、男はその手を取る。

「新たな王が生まれれば、お前の忠誠は彼のものということになるな。全てを話す準備をしておけ、シャーリス」

 アンエスカはヨアフォードにもルー=フィンにも視線を返さず、聖なる神殿の入り口に目を注いでいた。


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