第3話 騎士と戦士2-6 余所者
「処刑、はどうしたんだ?」
ゆっくりと彼は問うた。
「何をおいてもヨアフォードを殺す、そのはずだったろ?」
「そのつもりだった。いまでも、父上と母上の仇を討ちたいという気持ちが失せている訳じゃない。彼らが亡くなったのに、あの男が生きているなどとは……」
少年は深く、息を吐いた。
「しかし、ヨアフォードに代わる神殿長はいないんだ。王が子供なら、神殿長は経験豊かであるべきだ。実際、ヨアフォードは有能な神殿長だった」
「どんな神殿長だったか、俺は知らないが。まあ、そうなのかもしれんな。純粋な僧兵の信仰心を利用して、王に刃を向けさせた」
「そのことは無論、罰されて然るべきだ。だが……」
ハルディールは視線を落とした。
「シリンドルには、人材が少ない」
「おいおい」
タイオスは先ほどから、感心するのと呆れるのを交互に繰り返していた。
「そこまで悲観したものでもないだろう。大物は殺されたという話だが……」
時間をかければ有能な人材が成長してくる。そのようなことを言おうとして、しかしタイオスは言葉をとめた。
ハルディールはいま、将来的な話をしているのではない。王子は、シリンドルの未来が暗いと言っているのではない。明るくしていくのが彼の務めでもある。
だがやはり、ハルディール自身も気づいているのだ。いま、現在、この状態で、未成年の王子を補佐できる人材はアンエスカしかいないのだと。
「ことは、一騎士の話では済まない。団長という話でもない。アンエスカは……ラウディール体制を知る唯一の人物なんだ」
訥々と、ハルディールは続けた。これには、タイオスも虚をつかれた。
「僕は父上の複製ではない。模倣をするのではない。ただ僕は、父が何をし、そのことが何にどう影響したか、それを知っておかなければならない。表裏を含めて僕に教えられるのはアンエスカしかいない」
無言になった戦士を前に、ハルディールは続けた。
「僕には、彼が必要なんだ」
沈黙が降りた。
重い沈黙だった。
タイオスには、それを破ることはできなかった。
「僕は」
数十秒に至ろうかという静寂ののち、声を出したのは王子だった。
「夜が明けたら、神殿に行こうと思っている」
「おいおい」
彼は乾いた笑いを浮かべた。
「判ったと言っていたが、判っていないように聞こえるぞ」
「殺されに行くんじゃない。決着をつけに。――アンエスカも言ったことだ」
「決着ね。大いにけっこうだ。だがどうやって?」
タイオスは肩をすくめた。
「やっぱりヨアフォードの暗殺か? 言っておくが、まず無理だ。クインダンは動けず、動けたとしたって、隠密行動には達人じゃないだろう。レヴシーも同じ。生憎だが、俺もだ」
彼は続けた。
「決闘でも申し込むか? だがヨアフォードにはそれを受ける理由なんてない。僧兵を動員してお前を捕まえちまえばいいだけだからな。万一、名誉を重んじて受けたとしても、出てくるのは代理人のルー=フィンだ。俺は代理に立てられても負ける。レヴシーも厳しいだろう」
「決闘、というのは少し考えた」
真面目な顔で少年は言った。
「だがタイオスの言う通りだな。僕とヨアフォードだったら五分五分かもしれないけれど、彼はルー=フィンを使うに決まっている」
「考えたのか」
それは考えなくてもいいところだ、と戦士は少し笑った。
「僕が思うのは、タイオス。ヨアフォードは思い知っただろうということなんだ」
「何をだ?」
「彼の正義を信じてついてきたはずの僧兵も神官も、いざ王子や騎士を目の前にすると、本気でかかってこられないということ」
「それは、確かにあるようだが」
僧兵たちがハルディールにかしずく様は、まるで都合のいい夢のようだった。だがあれは現実であり、誰もが正義と平和を求めているのだと王子に知らせた。
「ヨアフォードの命令と僕の命令と、どちらが強いか。いや、ここでそれを張り合おうと言う訳でもない。僕が考えているのは……」
ハルディールは唇を噛んだ。
「タイオス。こんなことは、エルレールや騎士たちには言えない。あなただから、相談に乗ってほしいと思う」
「何だって?」
少年はまっすぐに戦士を見上げており、タイオスは少し戸惑った。
「何を言い出すつもりなんだ」
「……僕は」
王子は息を吐いた。
「決着をつけなくてはならないと思う」
「そうだな」
繰り返された言葉に、タイオスは短く、同意した。
決着。どういう形でそれが成されるか。そこを問う必要はなかった。
王を殺害した謀反人は、処刑されるべきだ。
だがそのことは、誰もが考えていることのはずだった。タイオスは、ハルディールが何を言おうとしているのか見極めるべく、余計な口を挟まなかった。
「それで?」
「アンエスカは、忍び込んで暗殺、というようなことを考えたようだ」
「成程」
タイオスもそのことは考えた。ただ彼には、殺害の方はともかくとして、侵入する能力がない。力ずくの突破も、不意をつけば可能かもしれないが、運に頼ることになる。
「僕は……それだ、とは思わなかった。正当な復讐だからと言って、暗殺に暗殺で返すなど」
「成程」
戦士はまた言った。
(若く、まっすぐな王子様)
(古典に出てくるような、理想的な)
ハルディールと話すようになってから抱いた少年への印象は、変わっていなかった。
目の前で父親を裏切り者に殺されたにもかかわらず、彼の内にあるのは私怨ではなく、咎人を罰するべきだという考えだ。
タイオスはハルディールのそこを気に入り、そこを危惧している。
「それで?」
あくまでも戦士は、自分の意見を述べず、王子の考えを引き出そうとした。
「僕は」
ゆっくりと、王子は続けた。
「ヨアフォードに、取り引きを持ちかけることを考えている」
「何だって?」
少し驚いて、タイオスは言った。
「いったい、どういう」
「……僕の王位を認めさせる代わりに、彼の神殿長位も剥奪しない。それから儀式の規模は、財政が破綻しない程度に、もとに戻していく」
再び、ハルディールは息を吐いた。
「新王の座は、僕に。その代わり、彼の罪は問わないと」
「あー……」
タイオスは頭をかいた。
「ヨアフォードを生かしておく? それだけじゃなく、向こうの主張まで認めると? 正統な王座に就くために、お前からそんな譲歩をするのか? そんなことをすれば」
弱みを見せることになる。
彼はそう忠告しかけたが、そこで言葉をとめた。
ハルディールがアンエスカを救いたいと考えていることはよく判った。アンエスカがいなくては「ハルディール王」は立ちゆかない、それはタイオスも考えたことだ。
王子のこれは、アンエスカを救うための、取り引き。
「あー……」
彼はまたしてもうなった。
「ハル。気持ちは判るが」
「聞いてくれ、タイオス」
ハルディールは片手を上げた。
「そうじゃないんだ」
「……何?」
「僕があなたにこの話をする理由は、この先にこそある」
「何だって」
タイオスは目をしばたたいた。
(ヨアフォードと取り引きするなんて言ったら、王女殿下や騎士連中はこぞって反対するに決まってる)
(だから俺に相談を持ちかけたんじゃないのか?)
「僕は」
三度、ハルディールは同じように少し間を置いてから続けた。
「そんな話を持ちかけたら、ヨアフォードは僕と面と向かって会わざるを得ないだろうと、思うんだ」
少年は言い、じっと戦士を見た。
「そのときには、僕の隣に、レヴシーではなくあなたにいてもらいたい。〈シリンディンの騎士〉ではなく、王家と公式に関わりのない、戦士の、あなたに。……判ってもらえるか、タイオス」
「ハル……お前」
戦士は口を開けた。
「暗殺に暗殺で。それは望まない。でも……それしか、ないのならば」
では、少年王子はこう言っているのか。
取り引きを持ちかけるふりでハルディールがヨアフォードと対面する。そのときにタイオスが同行し、隙を見て――ヨアフォードを殺せと。
「――タイオス。僕は」
「言うな。みなまで言うな」
戦士は手を伸ばすと、少年の頭を抱いた。
「そんな考えは、お前の柄じゃない。つらかったな。よく頑張った。考えたことも、俺に告げたことも」
彼は王子の頭を撫でた。
「言うな。忘れろ。いや」
首を振って、タイオスはハルディールを抱き寄せた。
「それは俺の考えだ。いいな、ハル」
「タイオス? 何を」
「お前は、アンエスカを解放してもらえないかと神殿長に頼みに行く。だが、俺が独断で、反逆者を成敗するんだ。お前の命令じゃない」
「何を言っているんだ」
「俺は余所者だ。汚名は俺が着る。それがいい」
「そんなつもりじゃない。タイオス、僕はそんなつもりじゃ」
「いいんだ」
彼は、慌てたように言う少年の背を子供をあやすように撫でた。
「忍び込むのは危険性が高すぎる。かと言って突撃じゃ玉砕しかねない。そうするしかない。だが」
俺が考えたんだ、と戦士は繰り返した。
「王になれば、つらい決断をしなければならないときもくる。お前の親父がそうされたように、よかれと思ったことがそしりを受けることもあるだろう。だがそれは、まだ先でいい。王になるお前が、騙し討ちで敵を倒したなんて言われかねない状況は作らない方がいいんだ」
「タイオス、でも」
「アンエスカもそう言う。彼が戻っていれば、彼が提案したはずだ。お前じゃなく、自分が行くと言っただろうがな」
十二分に有り得ると思った。アンエスカこそがヨアフォードに取り引きを持ちかけるふりで、タイオスに反逆者を殺させる。彼ならばそうした計画を立てたのではないか。当然、武器などは取り上げられるだろうが、その気になればタイオスは、素手でも人を殺すことができる。
だがアンエスカとタイオスでは、ヨアフォードも警戒するだろう。ハルディールであればこそ――成功するかも。
「ルー=フィンを退ける必要はあるな。難しいかもしれんが、何とか考えよう」
タイオスは頭をかいた。
「朝、夜明けとともに出るか。王女様たちには、何も言わずにな」
「それは、そのつもりでいた」
「よし、決まりだ。今度こそ眠れ。睡眠不足で赤い目をしてりゃ……まあ、悩んだという信憑性は増すかもしれんが、必要なところで頭が働かなくなるかもしれん。悲壮な決意をした演技をするには、休息を取らなけりゃ」
わざと気軽な調子で言って、タイオスはハルディールを放した。王子は躊躇いがちに彼を見上げた。
「有難う、タイオス。でも、あなたに汚名を着せたりは」
「そのことはあとで話し合おう。ことが済んで、アンエスカも混ぜてな。初めてあいつと共闘することになるだろうが、お前も俺たちを説得したかったらすればいい。とにかく」
あとだ、と戦士は告げた。数秒のあとに、少年はうなずいて立ち上がった。
「有難う」
彼はまた言った。タイオスは首を振る。
「それも、済んでからだ」
「そうだな」
ハルディールは少し笑った。
「おやすみ、タイオス」
「ああ、おやすみ」
安心させようと、戦士は笑みを浮かべて手を振った。ハルディールも手を振り、そっと闇へと姿を消した。
(――巧く行くかは、判らんが)
それを見送って、タイオスは考えた。
(単独で侵入をするよりはずっと、成功率の高い計画だ)
神殿長に相向かう前に殺される可能性は、ぐんと低くなる。
仮に巧く行ったとしても、その後のことは、判らない。あのときと同じように僧兵たちを王子側に転ばせることができるものか、確証はない。下手をすれば、取り囲まれて、彼もハルディールも殺される。
だが、何をどうしたって、危険がなくなることはない。
王子は心を決めた。危険を承知で、やってみるほかはないと。
彼はそれを支えることにした。〈白鷲〉がどうのというのは、関係ない。彼は英雄を気取りはしない。だいたい英雄は、暗殺などしないだろう。
タイオスは窓の外に視線を戻した。
逃亡の一日が終わり、最後の一日がはじまろうとしていた。