第1話 英雄の伝説1-1 ちょっとした失態
人生は、緩く流れる河のようなもの。
嵐に行き会えば水かさを増し、酷く濁って目も当てられないが、時間が経てばいずれ穏やかになる。清流とまではいかずとも、もともとの穏やかさを取り戻す。
そう、人生、たまには波乱もあるが、大方は緩くて穏やかなもの。
自分が生きる分だけ稼いで、大成功とまではいかなくても、そこそこ満足して死ぬことができればそれでいい。
そう思っていた。
いや、いまでもそう思う。いまだからこそ、強く。
(いったいどうして、こんな目に!)
誰に文句を言えばいいのか。あのクソガキか。それとも、神か。
ちょっとした岐路で間違った方角を選んでしまった。ちょっとした失態。普通なら、苦笑いを浮かべて引き返せばいいだけの。
なのに、振り返ってみれば背後はいつしか崖縁だ。
どうしてこんなことになっているのか。
春先の生温い風は、ちっとも心地よくない。
頭皮からふつふつと湧き上がる汗は、必死で駆け続けたために出るものか、それともこの状況に対する冷や汗なのか。
彼は額を拭った。かすかに白いものの混じりはじめた黒髪が、ぺたりと張り付いて気持ちが悪い。髪を切っておけばよかった、などと益体もないことを考えた。
弾む息を整える。若い頃にはこれくらいの全力疾走などものともしなかったのに、などと思うと悔しかった。
だが、思うままに無茶をやっても何ともなかった青年時代といまを比較して苦い思いを抱いたところで仕方がない。追われているのは四十を越したいま現在の彼であって、二十歳の頃の彼ではないのだ。
「――いたぞ!」
「こっちだ!」
ち、と舌打ちして彼は走り出した。
剣さえあれば、こんな連中は蹴散らしてやるのに。
(クソッ)
彼は、これまでの人生で聞き覚えた、ありとあらゆる罵倒の言葉を脳裏に思い浮かべた。
(俺はもう、金輪際、困ってるガキを助けるなんざしない!)
悲鳴のような誓いを胸に、彼は路地裏を駆けた。