第179話 アナガンの長
ほんの一瞬、ベネデッタさんは微笑むように目を細めたが、気がつけばいつも通りの淡々とした表情に戻っていた。
「馬車馬のように働かせる気はありませんが、ジンイチローさんの移動手段をお借りしたいのです。それと、ジンイチローさんの持っている『知識』もお借りしたいのです」
「俺の『知識』?」
「はい。ジンイチローさんいわゆる『異世界』の出身です。だからこそ、カフィンの知識だけでなく、カフィンを振舞うための空間―――そして雰囲気を教えてほしいのです」
ミデア店長は目を閉じてカフィンを啜っている。『異世界』の話を聞かれることに少し抵抗があったが、どうやら聞かないふりを通してくれているようだ。
「カフィンをあれほどご存じということは、あちらでも相当嗜んでいたご様子。であれば、お店を開くにあたって参考になる部分があるかと思ったんです。いずれはお願いするつもりだったんですが、少し予定が早まってしまったということです」
彼女の話に小さく頷いた。俺がモアさんと入店したエルドランの喫茶店は、この世界に来て初めて『喫茶店らしい喫茶店』だった。しかし欲を言えば、もっと喫茶店らしい雰囲気は欲しかったと思う。なんていうか―――あの店は『食堂』に近い雰囲気だった。
「カフィンの味もさることながら、それをより高める雰囲気も大切だと思うのです」
「俺もそう思う。喫茶店は味も大事だけど雰囲気作りは重要だね」
「足役としてだけでなく、そのような意見をいただける顧問としてもご活躍いただきたいのです」
エルドラン公爵の強っての願いもあったし、可能な限り手伝いたいとは思っていた。それにカフィンを手軽に飲める場が増えることは俺にとっても願ったりかなったりだし、アナガン店が成功すれば王都に出店するときの参考にもなる。
「もちろんタダでとはいいません。すぐにではありませんが契約金も差し上げたいとも考えています。雇用というよりも顧問契約を結ぶといったところでしょうか」
エルフイストリアと魔王国の親善大使とカフィン店の顧問、ベネデッタさんの足役という3つの仕事の両立はかなりハードな予感はするが、定期的な仕事をしていなくて『転移』というレアな手札をもつ俺からすればやれなくもないかもしれない。
「・・・いかがですか?」
「喜んで手伝わせてもらうよ。ただし、毎日というわけにはいかないと思う。エルフイストリアや魔王国のやり取りもあるしね」
「ありがとうございます。姐さん、許可はいただきました。これで出店に向けて一歩前進です」
「よし、ここからは私も口を出すよ」
ミデア店長は持っていたカフィンのカップをテーブルに置いた。
「私はね、この話に一枚噛もうと思ってる。ジンイチローもその気があるならどうかと思うんだが」
「つまり出資ですか」
「ああ。あんた金は持ってそうだからね。余らせたまま使わないんじゃもったいないだろ」
財布を見ずとも金の有る無しがわかるというのは、奴隷店を営む彼女の慧眼といったところか。
「ベネデッタさん、喜んで出資しますよ。これについてもぜひお手伝いをさせてください」
「ありがとうございます!!」
おっと、これまで見たこともないほどのとびっきりの笑顔が飛んできたぞ。
「ちなみに一枚噛むという話だけど、もしかしたら物件のことも?」
「察しがいいね。その通りだ。だがこれが案外高く吹っ掛けられてね。ムルノの野郎、こうなることを見越していたみたいだ」
「ムルノ?」
「ああ。ちなみに、私が目をつけた物件がどこだかわかるかい?」
どこかと言われれば、ここ最近でなじみのある場所はあそこしかない。いや、出店するとすればそこしかないだろう。
「元カーヴィス奴隷店?」
「ご名答だ。元カーヴィス奴隷店といっても、別館にしていた立地の良い方の店だけどね。長の命令か何かは知らないが、ムルノがカーヴィスの野郎が失脚したと同時にあの建物と土地を押さえやがったんだ。土地と建物を扱う店を差し置いての速すぎる対応ーーーまるでこうなることを見越していたようだね」
カーヴィス奴隷店は2店舗あり、俺がよく知るのは本店にしていた立地の悪い方、別館はその昔本店にしていたという大通り沿いの立地の良い場所だ。あの捕物帖があった裏でそんなことをしていたとは、ムルノ―――いや長よ、なんという抜け目のなさか。
「物件は押さえられてはいるが、私はね、この元奴隷店2店舗を買おうと思ってる」
「2店舗も?」
「ああ。大通り沿いの方を喫茶店にして、裏通りの方を従業員用の住居としたい」
「なるほど。奴隷のいたあの部屋を住居用に改修すると?」
「その通り。だがな、これら改修には金がかかる。物件をいじるだけで金貨2000枚といったところか」
「・・・2000か」
「積み立ててある資金と予備費を使うつもりだ。しかしな、カーヴィス奴隷店が潰れたことで嬉しい悲鳴というかなんと言おうか、ウチはそのために流れてくる客と奴隷のための準備が整っていないんだ。本来なら設備投資や住居拡充に回したかったんだが・・・そう考えるとスヴェンヌは上手くやったね。あいつは店の隣の建物を買って、先月増築を終わらせたんだ。カーヴィスがいなくなったことで買い取る奴隷も増えるだろうからね」
「あの人は強かですね。カーヴィスのきな臭さをどこかで感じていたかもしれません」
「ベネデッタの言うとおりだね。しくじっちまったのは仕方ない。冒険者時代の勘の鈍さがここにきて再発しちまったかね」
苦笑いを噛み締めるような僅かな憂いを目に宿らせたミデア店長は、瞼を下ろしてすぐに開き、快活な笑いを響かせた。
「はははっ!まぁ私の昔話は置いといてだね、つまりはこの街の長に吊り上げられた物件を買うための資金がほしいのさ」
「いいですよ」
「ほう・・・即決だね。女には優柔不断に見えるが、ここぞって時に決める男は嫌いじゃないよ」
褒められたとは思えないその言葉に思わず顔がひきつってしまった。
「諸々の契約事項は後日取り交わしましょう。まずは物件の購入についてムルノさんを通じて長に伝えてもらいます」
「ベネデッタさん、多分だけど、そんなに慌ててムルノに話をもっていかなくても、きっと大丈夫だよ」
俺の話に顔をしかめて首を傾ぐベネデッタさんに、ミデア店長はなるほど、と小さく呟いた。
「あんたは、長があの物件を他の奴に売らないって言いたいのかい」
「ええ、まあ、なんとなくですけど。こういうことになるのを既にわかってるんじゃないかってね」
「奴隷店にならないのに物件をベネデッタに売る、長のその真意は計りかねるが、少なくともこの街のためになると見込んだことになるね。ジンイチローの言うとおり長がそう考えているのかがわからないが、先ずは話だけでも通しておいたほうがいいだろう」
「はい、姐さん」
ということで、俺とベネデッタさんは早速ムルノのもとへと向かった。ムルノは閉じられていた正門の前にいた。
「お二人ともお待ちしておりましたよ」
「話があるって聞いたんだけど」
「ええ、しばらく会えなくなりそうだったのであいさつだけでもと思いまして。ですが、ベネデッタ様といらっしゃったところを見れば、どうやらまだまだあなたとの縁は続きそうですね」
俺はベネデッタさんの耳元で声を絞った。
「・・・言っただろ?やっぱり俺達の動きは筒抜けのようだ」
「そのようですね」
そんな俺達の様子を見てもムルノは笑みを絶やさないが、どことなくそれが柔和に見えるのは気のせいだろうか。
「ジンイチロー様、カーヴィス奴隷店のあったあの物件は誰にも買われないよう押さえておきましたからね」
「ベネデッタさんの思惑はお見通しというわけか」
「詳細は知りませんよ。ですが、ベネデッタ様がカーヴィスの店から連れていった奴隷達の後ろ姿を見て、奴隷店ではない違ったお店を開こうとしてるのではと思いました」
「ああ、間違いではないよ」
「口は固いので、長に伝えるためにも教えていただけますか」
ベネデッタさんに目配せすると頷いたので、ベネデッタさんの計画と俺のしようとしていることを話した。ムルノは黙ったまま何度も頷いて俺の話を聞いていた。
「・・・なるほど、承知しました。長には伝えましょう。さて、そうなりますと物件をいくらで売るかという話ですが―――」
「いやいや、ちょっと待ってほしい。どうしてムルノがそんな話をするんだ?長と直接やり取りした方がいいだろう」
「報告はしますが、この件については全権委任されておりますからね。ご安心を」
「・・・そうか。それなら言うことはない。物件は確保してくれるっていうなら、急いでこの場で交渉することはないな」
「そうでございますね」
胸の奥で疑念の芽が顔をだし、チリチリとかするような気持ち悪さをおぼえた。やはりムルノは・・・。
「ベネデッタさん、ここまで来てもらって申し訳ないんだけど、物件のことはもう大丈夫だから、ミデア店長と今後のことで打ち合わせをしてきてもらえないかな」
「そうですね、では先に戻らせていただきます」
一礼して来た道を戻るベネデッタさんの後ろ姿を追い、十分離れたところでムルノと向き合った。
「さて、そろそろ話しても構わないな。あんた・・・アナガンの長なんだろ?」
腰を曲げて肩を震わせるムルノの口から、くつくつと愉快そうに嗤う声が漏れる。
「何をおっしゃるかと思えば、面白い冗談でございますよ」
「偏屈に思われるかもしれないが、闇オークションを潰した礼くらい長から直接聞きたいだろ?だが一向にその気配もないし、別れの挨拶といって呼び出したのは長じゃなくムルノだ。オークションを潰したあのときでさえ、登場したのは長じゃなくこれもムルノ。大口の物件購入の話し合いですらあんただとすれば、市長のような立場の長は何をしている?ましてや悪いことをすれば罰を下せるほどの実力の持ち主だとすれば、寝たきりの年寄りでもなさそうだ。となれば、アナガンのことを隅から隅まで知ってるあんたしか『長』には適さないことになる」
まとわりつくようなニヤニヤとした笑みは変わらず、ただ頷いてムルノは俺の話を聞いていた。
「なるほど、そうお考えですか。ふふふ、やはりあなたは中々の『強者』のようですな」
「つわもの?」
「私の『思考阻害』が効かない方は初めて・・・いや、彼の方以来でしょうか」
「どういうことだ?」
その時だった。背後から地響きのような音が聞こえ、咄嗟に振り向くと、通りの向こうの空が黒い雲に覆われ、青白い稲妻が幾重にも降り注いだ。稲妻を落とした黒い雲はすぐに霧散し、元の清々しいほどの青天にたちまち戻ってしまった。
あまりの突然の出来事に声も出せず、ただただ小鳥が羽ばたく空を眺めるほかなかった。
「・・・私はね、最愛の人を殺されたんですよ。それも、奴隷紋を刻んだ人間によってね」
「え?」
「憎かった。そんなことしか頭には浮かばなかった。だが、最愛の人を殺したはずのその人間を恨むことなどできなかった。なぜだと思いますか」
「・・・」
「殺したときも、そのあとも、その人間は泣いていたんですよ」
「・・・」
「殺したくないのに、殺せと命じられたから殺した。そして彼は泣きながら私にこう言った。殺してくれ、と」
ムルノは稲妻の走った空を遠い目で見つめた。
「不思議とね、彼を殺そうとは思えなかった。なんと哀れなやつか、なんと愚かなことか、そしてこんな人間に殺された彼女を守れなかった私はもっと愚かだったと、私は彼を殺すどころか握られたナイフを奪って自分の脚を何度も何度も刺しました。溢れる血なんかどうでもよくて、そんなとめどなく流れる自分の血を見ているうちに気が付いたんです。なぜ彼を使ってまで彼女が殺されなければならなかったのか。彼を雇ったのはとある貴族で、とある呪術使い・・・今でいうところの奴隷紋を刻む魔法士です。そいつの繰り出す呪術で逃げられなくなった彼に行動制限と命令順守を授けて殺害に及んだのです。まったくもって馬鹿げていると思いましたよ。だってその貴族は、私の能力を買って雇ってくれた貴族、その人だったんです。そう、その貴族は私を殺そうとしたんです。ですが、寸でのところで私は彼女に守られたわけです。自分で殺ればよかったのものを、それができないぐらいに怯えて、怖がり、他人の人生を奪ってまで私を殺そうとした他力本願な姿勢に反吐が出ましてね・・・」
まとまりのない、しかし心の奥に眠っていた感情を吐き出すかのように休みなく話すムルノの言葉に、俺はうなずきもせず耳を傾けていた。
「・・・っと、いけませんね。こんなことを話すつもりはなかったのですが。ジンイチロー様、先ほどの稲妻はご覧になられましたか」
「あ、ああ・・・」
「あれが『長』の裁きの雷です。おそらくあの通りの向こうでは、2人の男が倒れていることでしょう。油断して外に出てきたのが運の尽きでしょうな」
「油断して?何があったんだ?」
「ふふふ、イリア王女を誘拐した『赤獅子』の面子ですよ」
「っ!・・・そうか、残党がいたか」
「これで全部ですね」
ムルノはそう言ってから城門の横に据えられていたレバーを下ろすと、そのレバーは元の位置に戻り、その代わりに音を立てて入り口の門が開かれた。外には馬車の渋滞が見えた。
「これで営業再開です」
俺たちの傍を馬車群が駆け抜けていき、一方は東区、一方は南区へと駆け抜けていく。奴隷を買い求めに来た客も何名かいて、笑顔で通りを歩いて行った。
「アナガンには『長』がいます。そしてそう話せば大抵の人間は私の『思考阻害』で怪しみません。優秀な奴隷店の店長達ですら少し考えればわかる私のことを、考えようとも思わないぐらいこの幻惑に魅せられるのです」
「あんた、やっぱりそうなのか・・・」
「勘違いしないでいただきたい。私は案内人のムルノ。これ以上も以下もない。長はちゃんと別にいますから。ジンイチロー様もそのつもりでいてください」
「わかってる。ムルノはムルノ、長は長だ。俺だって犯人探しをするような気持ちで聞いたわけじゃないし」
「はい。それで結構でございますよ」
ムルノの過去の一端がアナガンを作ったきっかけになったのは間違いない。ムルノはどんな職についていたのか、最愛の女性はどんな人だったのか興味は尽きないが、自身で話を終わらせてしまったのでこれ以上の詮索は無用だ。それに聞きたいことは他にもある。『思考阻害』とは何なのか。『裁きの雷』とはなんなのか。そして、犯罪者を区別し把握する術は一体何なのか。
思考阻害、その名から判断するに、ある一定の思考を止める力ということだろうか。ムルノの場合、『長とは何者か』という思考の経路を止めてうやむやにさせ、それは奴隷店の店長たちですら抗えない。だが・・・
「ムルノ、それでも気を付けたほうがいい。あんた特有の何かだとは思うけど、『擬態魔法』と同じで自分より高レベルな相手には効かないんじゃないか?だとしたらそれに頼りすぎると恨みを持った奴に足元を掬われかねないぞ」
「ご忠告ありがとうございます。ふふ、あの方と同じことをおっしゃるなんて、まさかあなたは『大賢者』でいらっしゃいますか?」
「大賢者・・・おい、まさかあの方って、マーリンさんのことか?」
「やはりお知り合いでしたか。ええそうです。このアナガンを作ったときにご協力くださったのもマーリン様ですし、『裁きの雷』のシステムを構築してくださったのもマーリン様です」
あの人はどんなところにも顔を出すんだな。俺はまだ一度しか会ってないし、おまけに分体だったし。
ん?しかし、このアナガンが作られてどれくらい経ったんだ?マーリンさんは結構若く見えたけど・・・。
「ちなみに、このアナガンはできてからどれくらい経つんだ?」
「そうですねえ・・・ざっと40年は経っていると思います。自分の歳すら数えていませんからはっきりとは思い出せませんがねえ」
ということは・・・マーリンさんの年齢は一体・・・。王城の水晶で聞いた声はかなり若かったような気がしたが・・・。
「そういえばマーリン様も奴隷を一人購入なされましてね。うさぎの耳のついた女性の獣人でした。このアナガンでも獣人はかなり珍しいですから、よく覚えていますよ」
「・・・うさ耳だと!?」
「ええ、モフモフがたまらんといって連れて行かれましたよ。ちなみにモフモフとは何ですかね?未だによくわかりません」
どうやらこの世界は俺の知らないことがまだまだたくさんあるようだ。
そして俺とムルノは近いうちにまた会う約束を交わし、転移でフィロデニアに帰ることを伝え了承をもらった。アナガンでやることができたが、まずはフィロデニアに帰って英気を養おう。孤児院の子どもたちもシアさんの帰りを待っているだろうし、ばぁばもみんなも待っている。
ミデア奴隷店に待たせている皆を思うと、足取りが不思議と軽く感じた。
いつもありがとうございます。
随分と投稿がご無沙汰になってしまい申し訳ございません。GW明けからのゴタゴタがずっと続き、執筆が全く手につかない状態です・・・。それでもこの度はようやく投稿までこぎつけられました。
しばらく不定期投稿にはなってしまいますが、今後もよろしくお願いします。