第178話 ベネデッタのお願い
泣き止んだクリアナに渡せるハンカチは、大容量を誇る魔法袋を持っていてもただの1枚もなかった。申し訳ないと謝る俺に彼女は優しく微笑んで許してくれた。
『イグル神の欠片』とやらは精霊石で囲んで封印をした。封印魔法が使えるとかそんなんじゃなく、ただ単に囲っただけである。そのまま持っていたくはなかったというのが一番の理由なのだが、パーキンス公爵をそのまま閉じ込めたようなものに対してそう感じてしまうことに気後れしてしまい、おくびにも出せなかった。とはいえそのまま持っているのも邪魔なので、魔法袋の中に突っ込んだ。こうしておけば誰も盗ることはできないだろう。
しばらくしてから、静寂に包まれたホールに『爺』がやってきた。激しい戦いが凄まじい音を立てて繰り広げられたため近づけなかったが、静かになったところでおそるおそる覗いてみれば俺たちだけしかいないことに気づき扉を開けてみたのだという。簡単に今までの事情を話すと、公爵を止めてくれてありがとうと頭を下げられた。
ちなみにこの爺の名はセバスチャン。まさに執事の鑑のような名を持つ人だ。
話によると、セバスチャンは公爵が何をしているのかは全く知らなかったようだ。それでもこの家に残り続けたのはひとえに公爵に対する忠誠心があったからだとか。公爵は居残ることに反対していたそうだが、それを押し切って最後の最後まで仕えていたそうだ。しかし、いくら知らなかったとはいえ罪を重ねた公爵に仕えていたとあってはどんな沙汰が下されるかわからない。セバスチャンには沙汰が下されるまでこの屋敷で待つように伝え、国王にもその旨報告すると話した。
俺とクリアナは『魔人石』30個すべて回収したところで王城へ転移。密室での王との謁見を希望した。部屋に通されるとすぐに王がやってきたので、連れて行った兵士全員の死亡と、パーキンス公爵の死亡を伝え、それに至る経過と事情も話した。念のため変わり果てた兵士達の姿である『魔人石』を見せると興味深そうにそれを観察した王だったが、王城に置いていても危なっかしいといわれ、結局それも俺の魔法袋に収めることがが決定した。セバスチャンへの処分は追って下されるらしいが、悪いようにはしないとのこと。どうやら極刑は免れそうだ。
イリアの帰還について尋ねられたが、心身の疲労もあるだろうとしてもう1日アナガンに滞在する許可をもらい、俺たちは早速アナガンの宿に戻ることとした。
アナガンに戻ってきたとき、外は夕暮れの色を纏おうとしていた。
「ジンイチロー!!」
転移して早々、アニーが抱擁して出迎えてくれた。
「ただいま」
「おかえりなさい。随分遅かったわね」
「ああ、うん。まあね」
浮かない顔で返事をした俺に、アニーは何が起きたのか察したようだ。
「ごめんなさい、クリアナ。悪気があったわけじゃないの」
「アニー様、私は気にしておりません。ジンイチロー様はお父様を救ってくださったのですから。しかしながらジンイチロー様、本日は・・・色々ありすぎて疲れてしまったのも事実です。このまま暇をもらっても構いませんか」
「もちろん。今日はゆっくり休んでいて。みんなには俺から事情を話すから」
「ありがとうございます。皆さま、失礼いたします」
一礼したクリアナの表情は見るからに疲弊していた。作り笑いを浮かべていても疲労の色は隠せない。彼女が部屋から出るのを見届けて後に、アニーが小声で尋ねてきた。
「ジンイチロー、何となく何があったかはわかるんだけど、どうなったの?」
すぐに答えようとも思ったが、一度に話した方がいいと結論付け、この場にいなかったイリアとメルウェルさんをモアさんに呼んでもらい、揃ったところで今日の出来事を話した。ちなみにだがベネデッタさんはまだ宿に戻っていないのでこの部屋にはいない。シアさんに至っては話さなくてもよいだろうと判断して呼んでいない。なお、話をした後にクリアナのフォローのため、その役を立候補したモアさんにお願いした。
そして、アナガンを発つのは明日と決めたところで、今日は解散となった。
余談だが、アニーの話によると再三踊り子劇場からのお誘いがあったようだがキッパリ断ったと自慢げに語った。さらにムルノからは、出立前に門に寄ってほしいという伝言を預かったとのこと。転移で王都に帰るのでムルノとはそこでお別れとなるだろう。
そして俺は、イリアの部屋のドアをノックし、外に誘った。宿の周りを少し散歩でもしようかと思って誘ったのだが、イリアからとある提案をされた。
「ふふ、なんだかいけないことをしてるみたいね」
眼科に広がるのは夕闇に包まれ始めたフィロデニア王都。俺達は転移し、王都を眼下に並んで立っている。
「どうしてここがよかったの?」
「どうして?う~ん・・・楽しかった思い出があるから・・・かな?」
確かにここは俺とイリア、アニーと3人で魔法の練習をした思い出の場所だ。ずっと昔のように感じるが、まだそれほど経っていないことをあらためて思うと、これまでの出来事の濃さというものをしみじみと感じる。この短い間に、俺とイリアの身にたくさんのことが降りかかってきた。
「ここは・・・本当に懐かしいわね。なんだか随分昔のように思えるわね」
「俺もそう思った。色々ありすぎたせいだね」
「そうね。ふふ、それに、初めてあなたに会った時の私はまだまだ世間知らずなところもあって随分と余所余所しかったわね。そんな私に色々と気にかけてくれた優しいあなたのことを、私はすぐに好きになったのよ」
ほんのりと冷たいイリアの手の感触が伝わり、俺はその手をちょっとだけ強く握り返した。
イリアがまだ魔法発動できなかったころ、魔法が使えない人のための魔法陣が描かれた紙を使って練習した。当時の俺はまだ駆け出しで、この世界に全く慣れていなかった頃。魔法すら慣れない中での王城での魔物襲撃によって、怪我の功名というべきか、その後は彼女との関係も深くなった。ハピロン伯爵とのゴタゴタによって大きく成長した彼女を傍らで見ていた俺にとっては、今隣にいる彼女の落ち着いた雰囲気は至極当たり前のように感じるのだが、しばらく彼女に会っていない人からすれば変化のある彼女の様子に驚くだろう。誇らしく思う気持ちはまるで親が子を見るような、成長した妹を優しく見守る兄のような、不思議な思いに駆られる気分でもある。そよぐ風を長い群青色の髪が受け止め、暗くなりつつある景色の中で輝いて見えた。
「・・・ねえ、誘ってくれたってことは、何か話があるんでしょ」
「ああ、そうだね。大事なことの、まず一つ目・・・」
俺はイリアに体の正面を向けた。イリアもそれに倣った。まだ彼女に話していないこと、それは俺がこの世界の人間ではない、召喚された人間だということだ。ばぁばの家で話した時にイリアがいなかったので、彼女にはまだ告げられていない。今更それを告白してどうするもこうするもないし隠し通してきたという実感もないのだが、話して信じてもらえるかどうかわからなかった気持ちもぬぐえない。ばぁばの家で話したときはばぁばという人がいてこそ信じてもらえた気もする。でも、アニーが信じてくれたのならイリアもまた信じてくれる、そういう確信は少なからずともあった。
「突飛な話かもしれないけど・・・俺はこの世界の人間じゃない。異世界から来た異世界人なんだよ」
イリアの眉間に皴が寄った。
「夢みたいな話かもしれないけど、本当のことなんだ」
「・・・いやよ」
「え?」
「帰っちゃダメ!元の世界に帰るとか、そんなの絶対に許しませんから!!」
予想外の言葉に思わずポカンと口を開けてしまった。
「これだけ私の気持ちを高めておきながら・・・そんなの・・・」
「あの・・・イリア?勘違いしないでほしいんだけど」
「なに?」
「俺は元の世界に帰ろうとは思わないよ」
「そ・・・そうなの?」
「帰り方がわからないし、何よりもイリアを置いて元の世界に帰りたいなんて思わないよ」
「そうなんだ・・・私てっきり・・・」
「ごめん、勘違いさせちゃって」
「そんな話されればね・・・でも・・・ふふふ、イリアを置いて帰りたいなんて思わない、か。たまにはいいこと言うじゃない」
優しく微笑んでいるようにみえて、艶っぽさを感じる緩く吊り上げられた口に、ほんの少しどきりとしてしまった。
「でもちょっとびっくりね、他の人とは何か違うと思ったけど、そういうことだったんだ」
「まぁね・・・」
こっちの世界に来た時にはミストレルの干渉もあったようだけど、その話はまた追々することにしよう。秘密にしたいわけじゃないけど、ここで話すことでもないか。
「ねえ、もう一つ『大事な話』があるんじゃない?」
「・・・」
二人っきりになれる時間はこの先どれくらいあるんだろうか。アナガンから王城に戻るこそすれ、ミニンスクで政務にあたることはおそらくないだろう。警備を厳重にすれば叶わぬことではないが、事件の直後とあって、さすがの王も許可はしないはず。ともすればこうして二人で話をする機会もそうあるものではない。今日みたいに転移で飛ぶこともできるのだが、突然王城から彼女が消えたと分かれば再び大混乱となるだろう。その犯人が俺とあっては、アナガンで捕らえられた盗賊たちと大差なくなってしまう。
それに、イリアの『王女』という立場も、俺の気持ちを素直に言い出せない要因でもあった。この世界でいう『平民』格の自分が一国の王女に好意を寄せるということ・・・それが果たして許されることなのか。だからこそか、自分の中に『とある覚悟』が芽生えた。
そう、俺がイリアを守る。この先もずっとそうすると決めた。そしてそのためにできること、それは―――
「言いにくいのなら無理しなくていいの。でもね、これだけは知っておいてほしいの。あなたがどんな立場であろうと私の気持ちは変わらない。王女という立場の私に気を遣うかもしれないけど、そんなのはどうにでもなるものよ。・・・私のあなたへの気持ち、気づいてなかったわけじゃないでしょう?」
「もちろんさ」
「ありがとう。でも優しいあなたの事だから、私に無理なことをさせまいと考えて、どうしたら丸く収められるかかんがえてるんじゃないかしら?だから、その時まで楽しみにとっておくわ。ふふ、大丈夫よ。優柔不断なんて言わないから」
俺の考えていることなんてお見通しか。
すると、瞳を閉じたイリアの顔がすぐ目の前に迫っていて軽く唇を奪われると、ゆっくりと瞼を開けた彼女は優しく微笑んだ。
「だから待ってる。約束だからね」
・・・
・・
・
翌日、宿を出て向かった先は『ミデア奴隷店』だ。ベネデッタがどうしても店長に会ってほしい、いや、会いたがっている、と断り切れずに困っていたので、帰る前に真っ先に向かうことになった。途中でスヴェンヌ店長ともすれ違い別れの挨拶を済ませ、クリアナも感謝の気持ちを伝えていた。あなたは必ず近いうちにスヴェンヌ奴隷店を訪れるでしょうという謎の予言を残し、スヴェン店長は軽く手を振って去った。
ミデア奴隷店は大きい通りに面したやや大きめの店舗を持つ奴隷店で、『カーヴィス奴隷店』がなくなった今となってはアナガンの1、2位を争う奴隷店となった。ドアを開けるとキセルをふかしている女性が眠たそうな顔で手を挙げた。
「おお、きたか」
「おはようございます姐さん。連れてきましたよ」
「おお、あんたがジンイチローか。噂は耳にしてるよ。カーヴィスの野郎をよくぞ叩きのめしてくれた」
「おはようございます。大勢で押しかけてすみません」
「いいってことさ。ベネデッタ、みんなにカフィン出してくれないか」
「わかりました。まったく、姐さんも給仕の一人や二人ぐらい奴隷で雇えばいいんですよ」
「固いこと言うな。まあ皆さんかけてくれ」
応接の一画に招かれ、ソファに腰を落ち着かせた。それにしてもどの奴隷店もロビーがあって応接セットがあるのだが、これがアナガンの奴隷店の基本スタイルなんだろうか。そんなことを考えていると、空いていたソファの一画に乱暴に腰を下ろした『姐さん』は俺を見て手を伸ばしてきた。
「よろしくジンイチローさん。私はこの店の店長をしているミデアだ」
俺も手を伸ばしてガッチリと握手をする。
「よろしく。ジンイチローといいます」
「堅っ苦しい言葉遣いはいらないよ。気軽に話してくれ」
ニッカリ、と笑うミデア店長。握る手の力はかなり強い。
「ミデア店長は冒険者か何かやってたのか?」
「お、鋭いね。いかにも、出身はフィロデニアの片田舎だが王都を中心に冒険者業をしていてね、B級まで伸ばしていたんだ」
「それはすごい。なかなかのやり手だ」
「仲間とパーティーを組んでいたんだが、パーティー内で結婚する奴がいてな、それを機にパーティーは解散して、ひょんなことからアナガンで奴隷店を出すことになったんだ」
冒険者業から奴隷店営業・・・いったいどのような『ひょんなこと』があったのか、気になるところだが話が長くなりそうなのであえてその話はスルーした。
「で、ベネデッタさんから店長が会いたがっているなんて聞いたんだけど、何か話したいことでも?」
「お、いきなり本題か。まあそれでもいいか。特に用事という用事はないんだ。ベネデッタの心を動かした奴に会ってみたいって思っただけさ」
「・・・心を動かした?」
隣に座っていたアニーが、ピクリと反応した。
「ああそうだ。あんたは鈍感そうだからわからないかもしれないが、澄ましてるように見えてもあいつはかなり気を許してるんだ」
「へえ・・・」
「姐さん!変なことをジンイチローさんに吹き込まないでくださいね」
カフィンを淹れているベネデッタさんが、遠くから声を飛ばしてきた。
「照れるんじゃないよベネデッタ。それに、あんたもジンイチローに頼みたいことがあるんじゃないかい?」
「それはまあ、そうですけど・・・」
「頼みたいこと?」
「ふふ、まあ聞いてやんな。わたしもこの話には乗りたいと思っていてね。アナガンに一風吹かす話だ」
しばらくしてベネデッタさんが淹れてくれたカフィンが振舞われたところで、早速ベネデッタさんに聞いてみた。
「で、どんなことを頼みたいの?」
「昨日の奴隷のことについてです」
「ああ、あの子たちのこと?」
「はい。今はこの店の中で休ませています。彼女たちの今後についてお話ししたいと思います」
「ベネデッタさんがしたいことといえば・・・カフィンがらみ?」
「そうです。カフィンを振舞う第1号店を、このアナガンでに出店したいと思うんです」
「アナガンで?なるほど、だからあの子たちを?」
「はい。給仕ができるように教育しながら、しばらく私も付きっきりでここにいたいんです」
彼女の話をざっとまとめると、給仕として奴隷の子たちを教育したり、カフィンの淹れ方をマスターさせたり、店の準備や資金の調達、エルドランとの話し合いやその他諸々で多忙になるという話だった。
「ですが、ミニンスクの動きもありますし、王都での活動も相まって、とても一人では活動できません」
「そりゃそうだ。おまけに距離がある」
「エレナと一緒に飛んだとしても限界はありますし」
「・・・そこで俺に相談ということか」
「はい。差し出がましいようですが、いくつかお願いしたいことがあります」
ベネデッタさんは静かにうなずいた。
「しばらくジンイチローさんを私に貸してもらえませんか?」
投稿が大分遅れてしまいました…
執筆ペースを取り戻せるようがんばります!
次回もよろしくお願いします。