第177話 父の最期
『この姿になった私を見たことを後悔するがいい』
骸骨公爵はゆらりゆらりと宙に浮きつつ、体を構成する黒いモヤから大鎌を作り出した。その姿はまるで死神のようだ。大きく振りかぶられたそれは俺を真っ二つにせんと迫るも、大して速さのない動きもあって、軽く後ろに跳び避ける。罐を振りかぶって出来た隙を見計らって3発ほど炎弾を飛ばしてみた。
案の定というべきかそれはモヤの中に吸い込まれ、骸骨公爵にさしてダメージを与えている様子は見受けられない。氷、岩、風の刃を編み出し同時に何発もぶつけてみても結果は変わらなかった。
『くくく・・・』
嘲笑う骸骨公爵に目を細めてしまう。続けて大鎌が振られそれを避けつつも、腕に纏わせるのは精霊魔力。魔法と同じく炎弾を放ってみた。しかしこれも変わらなかった。
『無駄だ。私に魔法は通じんよ』
それでも精霊魔力を纏わせ続け、次に浴びせたのは光の矢だ。
『む』
骸骨公爵は僅かに怯み、ほんの僅かばかり横にズレた。しかしそれでも光の矢はモヤの中に吸い込まれ、先ほどの怯みなどどこへやら、くつくつと俺を嘲笑う声が響いた。
『無駄だ無駄。例え『聖なる』光を当てられたとしても私には無意味だ』
モヤから大鎌がさらに生まれ2つとなり、時間差で振られる。後ろに跳び避けるもそこに次なる大鎌が迫る。俺は避けた大鎌が目の前を過るとすぐに骸骨公爵に向かって駆けた。物は試しと、方の間合いまで近づいた俺はモヤに向かって振りぬいた。
しかしまったく何の感触も得られず、空を切るばかり。すぐに骸骨公爵から距離を置いた。
『武器すら私を切り刻むことは叶わん。わからんか、お前はもう詰んでいる』
骸骨公爵の言葉に被せるように『一閃』を放つ。数多の魔物を切り刻んだ『一閃』も骸骨公爵には効果がなく、彼の後ろにあった調度品が音を立てて壊れただけだった。ならば、と『一閃』を幾重にも重ねた『多重閃』を放ってみた。
ほんの僅かに、彼は上に動いた。『多重閃』の衝撃がホールの壁に響き、埃が舞った。
『くくく・・・必死よのう』
もしや、あのモヤの中に攻撃を受けたくない『何か』があるのか?光の矢を放った時も『多重閃』を放った時も、ゆらりと宙に浮いているあの動きとは違う、明らかに攻撃を避けるキビキビとした動作を感じた。
『さて、そろそろ終わりにさせてもらおう。これ以上は時間の無駄だ』
公爵は黒いモヤでいくつもの槍を作り出した。俺は不測の事態に備え魔力を纏わせ身体強化を施し、突いてくる槍をかわし、大鎌も避ける。刀で槍を弾き飛ばしたいところだが、モヤに物理攻撃が効かない以上は避ける他ない。戦場を外に移すべきかとも考えたが屋敷の外に影響が及ぶことは避けたいし、何よりクリアナをホールの傍で待たせている以上は、下手な行動はとれない。
そのときだった。俺がモヤの槍を躱し続けたおかげか、公爵と俺の間に何も邪魔するものがなくなり、ほんの少しの『間』ができた。その隙をみて『多重閃』をさらに幾重にも放ってみた。
『・・・っ!』
骸骨公爵は大きく左にそして上へと移動し、幾重の『多重閃』を避けた。公爵の焦燥が伝わってくる。
やはり何かがある。閃きにも似た過去の戦いが脳裏を掠めると、躊躇なく骸骨公爵のすぐ傍までこの身を転移させた。
『ぬっ!?』
目の前に揺らぐ黒いモヤに向かって掌を突き出し、掌を通じて俺の魔力を一気に放出させた。
『ぬおぉぉぉぉ!!ばかなっ!?』
「残念ながら公爵、大賢者だからといっても魔法だけじゃない。手段はいくつももちあわせているんだよ!」
見えた!薄らいだ黒いモヤの中に、ふわりと浮かぶ赤い宝石がある!これだ!
「もらった!」
すぐさま赤い宝石を掴むと、逃げようとした骸骨公爵の動きも止まった。
『やめろ!』
「そろそろ終わりにしようか、時間の無駄だもんな」
骸骨公爵の言葉をそのまま返し、俺の魔力を当てながら力を込めて握った。
思いの外簡単にヒビが入り、そして砕け散った。
『・・・』
黒い洒落頭がガクリと力なく垂れた。
魔王国で魔王に放ったアレを咄嗟に閃き、試したらドンピシャだった。やはり経験に勝るものはないということだ。
『くくく・・・』
「え?」
『くははは!!片腹痛いわ!!まさかこんなに簡単に引っ掛かるなど思いもよらんぞ!!』
まさか、俺の潰した赤い宝石は・・・
『そうよ、それはただの石に過ぎん。ちょっとした仕掛けのある、ただのな』
垂れた黒い洒落頭が元に戻ると、愉快そうに歯をカチカチ鳴らした。脂汗が噴き出るのを感じた俺はすぐにその場を離れようとしたのだが、体が動かない―――――――。
『貴様はもう私の思うがままだ。イリアのように王家紋のない貴様は抗えないまま朽ちていくがいい』
何を偉そうに――――――――そう思ったのも束の間、自分の中に何かが入り込むのを感じた。けたたましい警報のように心臓が無意識に高鳴る。体が危険を感じているのか、それともこれが危険察知というのか、そのどちらかはわからないが、自分の中に『異物』が侵入しているのは間違いない。
まずはこの骸骨公爵から離れなければならない。そう思い腰に力を入れた。が、力んでも力んでも体がピクリとも動かない。何度も試すが動かない。そうこうする間にも何かはどんどん侵入する。
この世界に渡って、初めてともいえる『マズい』状況。それでもなんとかなる、体を動かそうと必死に力んだ。
『心の何処かでどうにかできると思っていたら、自惚れも甚だしいぞ』
いや、何か手はある筈だ。どうにかして―――――――――
『貴様はもう、死ぬ』
ゆっくりと、それでいて低い声が目の前の黒い骸骨の口から奏でられた。ぶわっと汗が吹き出す。まずいまずいまずい!
『貴様が最期に感じる恐怖、絶望、悲しみ、全てを我が主に捧げてくれるわ』
侵入している正体はまさしくこの黒いモヤだ。それにより視界が奪われ、息もできなくなるほどの黒い奔流が俺の体内に流れ込んでいるのだ。自身に流れる魔力でそれを押し返そうともしたが、体が動かないだけでなく魔力の流れまでもが制限されているようで、思ったように操作できない。だからだろうか、いつの間にか身体強化すら解けていた。
そしてその黒いモヤは俺の肺にまでなだれ込み、呼吸すらままならなくなり、窒息になりかける。
「はっがっ!!が!!」
『底無しに近いであろう貴様の魔力も止まってしまえば役立たずよの』
呼吸が苦しくなる一方で、それでも頭は不思議と冴えていた。俺の魔力が儚くも最後の抵抗を試みてくれているのかもしれない。
『くくく、無駄だと言ったであろう。あがくお前の抵抗は手に取るようにわかる。だが、それも無意味だ』
堰が切れた。頭の中にまで黒い奔流が押し寄せ、途端に意識が薄れていった。
本当に、このまま俺は―――――――――
「お父様っ!!お止めください!!」
なんということか。ホールに響き渡る凛とした声が、どんなに足掻いても止められなかった黒い奔流をいとも簡単にせき止めたのだ。しかし俺の意識はもう限界に近づいていて、彼女たちの会話が朧げに聞こえるだけだ。
『クリアナか。久しいな』
「お父様、もうお止めください。なぜ・・・なぜこのようなことをなさるのですか!!」
『なぜ?決まっているであろう。私の行動は全てイグル神に捧ぐためだ。お前には関係のないことだ』
「ジンイチロー様を離してください。私の大切なご主人様です!」
『主人?そうか、アナガンでお前はこの男に拾われたのか。これはまた因果だな。しかし残念ながらそれは叶わぬ。見ろ。私の手足が感じているのだ、この男の苦しみと絶望をな。そして死ぬのだ。為す術なく死を待つほかない自身の愚かさも感じながらな』
「ではお父様、ジンイチロー様を殺したら、私も殺してください」
『・・・?』
「私はジンイチロー様と生きていくことを決めたのです。主人なき人生はもはや有り得ません」
『・・・折角長らえさせた生を敢えて捨てるというのか。よかろう。クリアナ、お前の苦しみもすべて我が主であるイグル神に捧げてやろう――――――』
「いいえ、例え私を殺そうとしても苦しみは生まれません」
クリアナ・・・
『・・・そんなことは有り得ん』
「いいえ。ジンイチロー様と私は共に在るのです。例え命を奪われたとしても、魂までお父様は触れることはできません。お父様は苦しみを与えるだけの、ただの人形でございます」
『ふん、なにをばかげたことを』
「それに、お父様に殺されるならば本懐でございます。どこの馬鹿者に剣を突き立てられるよりも、愛したお父様に殺されるならば、私は笑顔で死を迎えられます」
『冗談も大概にしろ』
「冗談ではありません。私は本気です!」
『・・・はっきり言って幻滅した。我が娘であればこんな戯言を抜かすはずなどありえない』
「いいえ、あなたの娘だからこそ、こうして向き合って諭そうとしているのではありませんか」
『もう話は終わりだ。お前に話したところで何も変わりはしない』
助かったよ。
「話はまだ終わっていません。まだ聞きたいことが―――」
『では聞いてやる。大賢者の最期を看取ったあとでな』
「っっ!!」
もう十分だ。
『すまんな大賢者よ。興を削いでしまうところだった。今すぐ苦しみを与えて――――――――なんだと!?』
まだ目の前は真っ暗闇だが、骸骨公爵のうろたえる姿が容易に想像できた。
『貴様、なぜ笑える?』
「へへ・・・」
『動けなくしたはず・・・まさか私の力が?いや、そんなはずは―――――――』
「経験が物を・・・ってこと、ば、知ってる、か?げほっ!!ごほっ!!・・・ふふふ、大分戻ってきたな」
『なぜだ!?なぜ話せる!?私の力が・・・貴様から抜けている!?』
「クリアナ!君のおかげで勝負はついた!いいタイミングだった!」
「ジンイチロー様!」
『なんだこれは?私の力が・・・抜けていく・・・ああ・・・なんだ!!なんなんだ!!やめろ!!』
「まだ気が付かないところを見れば、力に振り回されていただけだったみたいだな。屋敷に引きこもってたあんたと違って、俺は色々と修羅場は潜り抜けてきたつもりだから」
『貴様ぁっ!!何をした!!何を・・・ぐおおおおおおおお!!』
ここでようやく全身が動かせるようになり、一歩離れて骸骨公爵の様子を窺うことにした。俺の体はすっかり元に戻り、黒いモヤの感触もきれいさっぱりこの体から抜けていた。
「あんたがクリアナと話している間に、この黒いモヤについて調べさせてもらった。なるほど、イグル神の欠片から生まれた力というのは本当のようだ。確かにあんたはその欠片を使って自身の身を犠牲にしてまでその力を行使しようとがんばったんだろう。だが知ってるか?この黒いモヤ、あんたの魔力が欠片によって変わったやつなんだってさ」
もちろんこれは『鑑定』によって得られた情報だ。クリアナが骸骨公爵とタイマンを張ってくれたその僅かな時間を使ってヒントを得ようと足掻いた結果だ。
【黒いモヤ イグル神の欠片を使って得られた力により可視化され物理的作用をもたらす変質した持ち主の魔力。『瘴気』とも呼ばれる。『瘴気』を欠片に取り込むことでその代替が可能となる 】
『鑑定』がここまで鑑定してくれるとは思いもよらなかった。これは後でばぁばにしっかりとお礼を言わなければなるまい。おかげで骸骨公爵を無力化するヒントが得られたのだから。
「だからすぐに探したんだよ、そのイグル神の欠片ってやつをさ。早くに気づけなかった俺の経験不足も否めないけどね」
『だから何をした!?やめろ!!やめろ!!』
「骸骨だから中身は空洞と思っていた俺は、あんたが誘った罠に引っ掛かった。でもあんたが本当に隠したかったのは、その骸骨の内側に張り付いていた欠片だったわけだ」
骸骨公爵の体、もといモヤは見る見るうちにその展開範囲を縮め、今では幼い子の大きさにまで萎み、やがて髑髏もろともホールの床に落ちてしまった。
「イグル神の欠片を使えば比類なき力は発揮できるだろう。だが俺はそれを逆手に取った。あんたが使った欠片の力を『元に戻す』というやり方でね」
『なんだそれは・・・』
「俺にとっても誤算だったのは、俺の魔力そのものをあんたが無効化していなかったということだ。俺の魔法や魔力の塊をぶつけられても効果がないことが分かったあんたは、タカをくくって手を抜いたな。魔力が少しでも動かせる以上、俺はどんな魔法を使ってでも足掻けるんだ。今みたいに、その欠片へ黒いモヤを『吸収』し続けて結晶化させる魔法を発動させることもね」
『なっ・・・ということは!』
「そうだ。黒いモヤも、その力も、そして欠片によって維持されているお前の『体』も欠片に吸収し続けられるんだ。オマケにこの結晶化を止めるにはあんた自身が欠片を壊さなくちゃならない。もちろん、俺がやってもいいけど?」
『くそっ!!くそっ!!』
経験が生きた。エルフイストリアで学んだ『精霊石』の作成方法は、この局面を打開するのに打ってつけの経験だった。欠片を見つけた俺は黒いモヤそのものを欠片に取り入れることで本来の欠片の状態に戻すことを考え付いたのだ。それはつまり、公爵の魔力を全て欠片に閉じ込めるということであり、力の全てを欠片に封印するということだ。イグル神の欠片本来の凝縮された石が作られてしまうが、使う者がいなければただの石ころと同じだ。
「でも一番まずかったのは、あんたが手を止めてクリアナと話し、俺に考える余裕を与えてしまったことだ。とはいえあれほど話を続けたなんて意外だったな。なぜ手を止めた?」
骸骨公爵から覇気を感じなくなった俺は、クリアナを手招きして呼び寄せた。もはや赤ん坊サイズにまで縮んだ骸骨公爵は、息も絶え絶えといったところか。
『それは愚問だ。愛娘と再会できたというに手を止めん親がどこにいる』
「お父様・・・」
クリアナは跪き、しゃれこうべだけになった公爵を持ち上げた。
「お父様、一つ聞きたいのです。私を家から出したのはイリア様のことをご自身のみで画策したと言い切るためだったのですか」
『そういうことだ。失敗するなど考えたくはなかったが、何かを為すときは代案を立てねばならん。ふふ、大賢者よ、経験が物を言うのだぞ?クリアナを養うのだからそれくらい懐は深く持て』
「お父様・・・」
しゃれこうべ全体にヒビが入り始めた。
『死が・・・私は死が怖かった。クリアナには話さなかったが、イヴァンナには話していたのだぞ。私が不治の病に曝されていたことを』
「そんなっ、お母様も・・・」
『しかし、どこから嗅ぎ付けたのか、教国の幹部はそんな私に死をも克服するというイグル神の教えを説いた。そして私にイグル神の欠片託した。それを取り込んだ私はまさに見てのとおり、死を越えた存在になった。だからすでに肉体は滅びていたのだよ。お前の父としての姿はもうないのだ』
クリアナの瞳からほろりほろりと零れる涙がしゃれこうべに落ち伝わっていく。ぱきぱき、と音を立てて崩れるそれは、瞬く間に欠片へと吸収されていった。
『大賢者よ、この魔法は不思議なものだ。私に宿っていたイグル神への忠誠すら吸い込んでいくようだ・・・。最期に娘と会えて嬉しく思うよ』
「おとうさまぁ!!」
『最期に父として言わせてくれ。クリアナよ、辛いこともあろうがどうか父のように悲嘆せず、明日を見て生きてほしい。お前には立派な主人がいるからな。ジンイチロー君も頼む』
「任せてください」
「おとうさまぁ、私は・・・わたしは、おとうさまのことを愛しております。家を出された時は悲しく思いましたが、それでもわたしは・・・」
『悲しい思いをさせてすまなかった。しかしこうして最期に会えたのだ。そう、はじめから・・・こうすればよかったのだ。何を恐れることがあっただろうか。私は・・・幸せ者だ』
しゃれこうべの崩壊が進み、欠片そのものが顔を出した。
「お父様・・・」
『クリアナよ』
クリアナの手からしゃれこうべがなくなり、黒い欠片だけが床に落ちた。
『愛しているよ』
「おとうさまぁあああああ!!!!ああああ!!」
掠れるような父の最後の言葉を聞き、クリアナは床に伏せて泣き叫んだ。
これでよかったのだろうか、不意によぎるそんな思いも、鈍く陽光を反す床に転がった黒い石を見て消し飛んだ。
いいわけがない、しかしこれしか方法がなかった、やらなければ俺が死んでいた――――――――そう思うもやるせない気持ちでうずくまるクリアナを見下ろす。
「クリアナ」
俺は膝をつき、床に伏せる彼女の肩に手を置いた。起きて俺を見るその顔は真っ赤に腫れ、頬は水を浴びたように濡れていた。
「すまない。俺は君の父上を殺してしまった」
彼女は首を横に振った。そしてすぐさま、俺にしがみつくように胸に飛び込んだ。俺はなにも言わずに首を横に振る彼女の頭を撫でる。そして彼女は胸の中で嗚咽した。
肉親を殺してしまった俺は彼女のために何ができるだろうか。視界の端に映る黒い石を見つめながら、今はただあやすことしかできない自分自身に、そう問いかけた。
いつもありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。