第173話 高池綾乃とクリアナ
「日本人・・・?」
「そうだよ。色々あってちょっと顔は変わったけど、紛れもない日本人だよ。高池さん、もしよければこの街をでてフィロデニアの王都に行かない?そこでゆっくり君がこの世界に来たいきさつを―――」
そこまで話したところで高池さんは俺にしがみつき、鬼のような形相で俺の体を揺らした。
「戻して!!帰りたいの!!こんなところもう嫌なの!!」
「おお、お、落ち着いて!!ちょっと!!」
「日本から来たんでしょ!?だったら帰れるんでしょ!?ねえっ!?」
帰りたい、その気持ちはわからなくもない。18歳といえば高校生か大学生になる遊び盛りの年齢だ。でもここには友達もいなければ親もいない。スマホもなければ電気もない。魔道具である程度の生活は成り立つが、地球とは文明の質が異なるから不便といえば不便だ。
彼女はどうやってこの世界に渡ってきたんだろう。俺はよくわからないうちに魔法陣が展開されて連れてこられたんだが・・・。
「君はどうやってこの世界に来たの?」
「わかんない。なんか青い模様の・・・丸い模様の何かが目の前にでてきて、そうしたらそれに吸い込まれて、そしたら灰色の服被った人たちがいて・・・」
そこまで話した彼女は途端に口を閉じ、大粒の涙を流した。
「こわいの・・・あの人たち私の体の中に赤い宝石をずっと入れるの。すごく苦しくて嫌なのに、どんどん入れて・・・。逃がしてくれたのもあの人たちなんだけど、ほんっとサイテー・・・」
恐ろしかったろう。連れてこられた先にいたのは灰色ローブの男たちのいるどこかで、そこで『魔人石』を体に埋め込まれる・・・いわゆる『実験』をされていたんだろう。異世界人を実験に使う理由はよくわからないが、恐怖以外の何物でもないはずだ。
しがみつく彼女の震えが止まらない。今日のところはこの話はおしまいにしよう。
「辛いことを言うようだけど、元の世界には戻れない。俺も最初は大変だったけど、今はなんとか生活してる。もしよければ俺と一緒に行かないか?」
「ーーーもし断ったら、私はどうなるの?」
「別の奴隷店に連れていかれて、誰かの奴隷として買われることになるかも」
「はぁ・・・じゃあ行く」
地球に帰るという最上の選択肢がない中では、唯一の日本人である俺のところに行くしかない。仕方がないという思いもあってか、彼女の口から深いため息をつかせたようだ。
「悪いようにはしないよ。その奴隷紋も消してあげるから」
「わかった・・・」
『魔人石』を取り込んでいるだろうその体も心配だ。魔人石を取り込んでもなお平静を保っていられる彼女がなぜこんなところにいるのか、なぜこの世界に召喚されたのか謎は深まるばかりだ。とはいえ同郷をこのままにしておくこともできない。
彼女を連れて部屋を出ると、ムルノは見たこともないような優しい笑顔で彼女の手を取った。
「よかったですね。あなたに幸あらんことを願っております」
「・・・どうも」
「アニー、こちらはアヤノ・タカイケさんだ。彼女を連れていくことに決めたよ」
「アニーです、よろしくね」
「よ、よろしくお願いします―――うわぁ、本物のエルフだ・・・」
「アニー、悪いんだけどスヴェンヌさんのところにもいかないといけないから、この子を連れて一旦宿に戻ってもらっていい?」
「いいわよ。モア、一緒についてきてもらえる?」
「承知しました。タカイケ様、私はジンイチロー様に仕えるメイド、モアでございます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
高池さんはペコリと頭を下げた。
「アニー、モアさん。高池さんはね、俺の同郷だよ」
俺の言葉に、その場にいたベネデッタさんも目を丸くさせた。
「・・・そうでしたか、私の見立ては間違っていなかったということですね」
「そういうことだね。感謝するよ。そうそう高池さん、もう一人のこの方はベネデッタさんで―――コーヒーをこの世界に広めようとしている実業家だよ」
「ベネデッタです。もしかしてアヤノさんもカフィンをご存じなのですか?」
「好きかどうかは知らないけど、少なくとも何なのかは知ってるよ」
「そうですか。ではまたの機会にお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします。ジンイチローさん、カフィンってこっちの世界でいうコーヒーのことですか?」
「そのとおり。変わらぬおいしさが楽しめるよ」
「ちなみに私は砂糖と生クリームたっぷり派です」
高池さんの言葉にベネデッタさんの目が光ったが、ここでカフィン談話も何なので早々にアニー達に高池さんを宿に連れて行ってもらった。後姿を追っていると、背後に誰かが立つ気配がしたので振り向く。微笑むムルノがそこにいた。
「ジンイチロー様、奴隷契約はよろしかったのですか」
「彼女に契約は必要ない。宿に戻ればすぐに解除しちゃうし」
「承知しました。さて、それ以外の奴隷についてはいかがなさいますか」
「あー・・・。彼女たちは・・・」
いつの間にか奴隷店を出ていたカーヴィス奴隷店の奴隷の女の子たちは、にこやかな笑顔で俺を見つめていた。よくよく見ると――――目が笑っていない。「私たちはどうするのよ?」と、無言ではあるがオーラで語りかけてくるような凄味がある。
「ムルノ、申し訳ないが彼女たちを連れていくことはできない」
「左様ですか・・・」
彼女たちの目が一様に沈んでいく。
「ジンイチローさん、よろしいですか」
ベネデッタさんがムルノの前に立った。
「ジンイチローさんは連れて行かないということですが、私でもよろしいですか」
「ベネデッタさんが?」
「はい。ムルノさん、それでも構いませんか」
ムルノは躊躇なく首を縦に振った。
「もちろんです。何かお考えがおありのようで?」
「ええ、まずはミデア奴隷店に連れていきたいのです」
「承知しました」
ムルノは居並ぶ彼女たちに向いた。
「このお嬢様があなたたちの新しいご主人様になるそうだ。よかったな」
予想外の『ご主人様』に彼女たちは驚きを隠せないようだが、すぐに姿勢を正し、揃って頭を下げた。
「「「「「 よろしくお願いします。ご主人様 」」」」」
ベネデッタさんも頭を下げ、彼女たちに微笑んだ。
「皆さん、私も元奴隷でしたが今はこのジンイチローさんのおかげで好きな仕事をしています。希望があれば奴隷契約を解除して独り立ちさせることも念頭に、この世界にない新しい仕事をしてもらいます。元貴族であろうが何であろうが、最低給金は平等にし、責任職に就いた者にはさらに給金を上げるように配慮します。詳しくはまだ言えませんが、それでもよろしいですか」
「「「「「 はい! 」」」」」
「その意気よし、ですね。ジンイチローさん、私はミデア奴隷店に彼女たちを連れていきますので、ここから先は別行動してもいいですか?」
「わかったよ。宿はどうすればいい?」
「荷物は特にありませんので引き払ってもらって構いません。宿の当てはありますので」
「わかったよ。それじゃあ後で迎えに行くからね」
「はい。それではみなさん、参りましょう」
ベネデッタさんは彼女たちを引き連れて歩いて行った。残された俺とムルノはその後姿を黙って見送った。列を成して歩く奴隷たちは整然としつつも、隣り合う子と嬉しそうに目を合わせているのが微笑ましい。
「ベネデッタ様は奴隷だったころに比べて、何やら吹っ切れた面持ちでいらっしゃいますね」
ムルノが誰に言うでもなく呟いた。
「昔のベネデッタさんを覚えていたのか?」
「ええ。どこぞやの賊に襲われていたところを、通りかかった商人の護衛が助けたようでしてね。連れていくことはままならないとしてこのアナガンに立ち寄ってミデア奴隷店に預けた、というのが彼女が奴隷になったはじまりです。彼女を明るくさせたのはずっと面倒を見てきたミデアのおかげですよ。まるで母親のように彼女と接していたものですから、客に買われたときは、それはそれは悲しそうにしていましたがね」
奴隷として買われた先は、あのエルドランのオズワンド商会だったというわけか。そこからの彼女の道のりも険しいものだったろうが、今ではカフィン普及のために精力的に活動している。もしかしたら彼女たちを引き受けたのもその一環なのだろう。
「ところでジンイチロー様、スヴェンヌのところに行かなくてよろしいのですか?」
危うく忘れかけた自分に反省しつつ教えてくれたムルノとはそこで別れ、一人でスヴェンヌ奴隷店へ立ち寄った。スヴェンヌさんは店に入った俺を見るや否や俺の手を握って挨拶してきた。
「お待ちしておりましたよ!ジンイチロー様!」
「あ、はあ・・・」
「いやあ、まさかあなたがカーヴィス奴隷店を潰してくれたとは!!恩に着ます!!」
「いや、潰したくて潰したわけじゃないんですけど・・・」
「あの男、何か裏でやっているんじゃないかと疑っていましたが、やはり裏オークションをやってやがりましたか。ですがそれをあなたが潰したと知った時には―――ああ、それはもう!感謝感激雨あられでございます!」
グイグイと顔を寄せてくるからどんどん顔を引く俺。百歩譲るでもなく、おじさんとそういう関係にはなりたくない。
「クリアナもあなたのことを首を長くして待っていますよ。本当のことを言えばカーヴィスのことで無償でお譲りしてもいいぐらいの気持ちなんですが、如何せん商売ですし、奴隷たちを食べさせるにもお金がかかるものですからね」
申し訳なさそうに話すスヴェンヌさんにはしっかりお金は払うと伝えて宥めた。
カーヴィス奴隷店がなくなれば目障りな商売敵はいなくなるので心も晴れるだろう。ましてや噂によると、顔立ちのよさそうな奴隷としてスヴェンヌさんが揃えでもすぐにカーヴィスがその奴隷を買い漁る始末だったんだとか。そしてそうして買った奴隷を自分の店で元の店よりも倍額以上で売買する手法を取っていたらしい。そして高池さんもそれに巻き込まれた形となった。黒髪はこの世界では珍しいようで、貴族たちの愛玩にちょうどいいと笑いながら買われていったそうなのだから、スヴェンヌさんは内心腹を立てていたご様子。だが、その彼女はつい先ほどムルノの仲介で俺が譲り受けたので、彼はほっとした様子で「彼女をよろしくお願いします」と頭を下げた。
「ジンイチロー様、お待ちしておりました」
「こら、お待たせいたしました、だろうに」
「だって、本当に待ちくたびれたんですもの」
「まったくこの娘は・・・。ジンイチロー様、申し訳ございません。教育が行き届かないばかりに」
「はは、待たせたのは事実ですから。同行者の許可も貰えましたし、正式に買わせていただきますよ」
「ありがとうございます。それでは書類と・・・魔法士も呼びますので少々お待ちください。クリアナ、ジンイチロー様にお茶を淹れて差し上げなさい」
「かしこまりました」
スヴェンヌさんが小走りで奥の部屋に入ると、クリアナさんはお茶のセットをもって俺の座るソファのローテーブルに置いた。彼女は慣れた手つきでカップにお茶を淹れ、俺の手前にそれを置いた。
「ありがとう、クリアナさん」
「クリアナとお呼びください。もうわたくしはあなたの奴隷でございます」
「わかった。じゃあ、クリアナ」
「はい」
「奴隷契約はするけどすぐに解除するよ」
「それはなりません」
「どうして?」
「自由の身になっても、自由ではないのです。この意味がお分かりになりますか」
分かるようでわからないような・・・そんな気持ちで首をかしげて見せた。
「公爵の娘でいたころは『貴族の娘』として振る舞っておりました。そうすることが私の仕事であり必要なことだったからです。そして奴隷の身になり、その生きざまについて店長より教えを頂きました。ですからこうしてお茶を淹れて差し上げることも何の抵抗もないのです。もっとも、貴族のころであれば『なぜわたくしがこんな男のためにお茶を淹れなければならなくて!?』とわめきちらしたかもしれません」
クリアナのお道化た演技とセリフに思わず噴き出してしまい、クリアナも同じく口に手を当てて笑った。
「ジンイチロー様、奴隷契約を解除するということは『何の役にも立たないよ』とおっしゃるに等しく、すなわちわたくしの職を奪うということに繋がります。奴隷と聞けば「かわいそう」と思うかもしれませんが、今のわたくしからすれば奴隷であることこそが大事な仕事でございます。それに、奴隷の身でなければならない理由はもう一つ。あなた様は私の存在が国を救うとお話しくださいました。これはおそらくお父様に関わりのあることでしょうか」
「そのとおり」
「であるならば、『奴隷の身分となったクリアナ』にこそ意味があるのです」
そう話す彼女の眼は真っすぐに俺を見つめた。詳細は分からずとも、父親が国に対して悪いことをしているということを悟ったのだろう。
確かに奴隷の身であれば俺の庇護下にあり、奴隷のままなら俺の命令なくば悪いことができないことになる。パーキンス公爵一家を処分されることとなれば、奴隷でないクリアナは『パーキンス公爵の娘』になる。
自分の浅慮を恥ずかしく思うほどよく考えてくれていることがわかって嬉しい。
「わかった。しばらくは奴隷のままでお願いするよ。もし嫌になったらすぐに言ってね」
「嫌ということは永遠にありえません。この身を一生捧げます故、どうぞなんでもご命令ください。それはもう夜伽でもなんでも―――――」
「いやいやいや、それは間に合ってますから」
「間に合っている、と。では愛人ということですね・・・なるほど」
盛大な勘違いをしているクリアナのこれからについて物思いに耽ようとした矢先、スヴェンヌさんが魔法士と一緒に戻ってきた。
「お待たせしました。それでは契約書を読み合せましょう」
スヴェンヌさんの契約書読み合わせを終え書状にサインをした。遵守事項をクリアナと互いに確認したはずなのだが、彼女は何故かニンマリと笑った。遵守事項に変なところがあったわけではないのだが、気付かない変な箇所があっただろうか・・・。それはともかく、契約に沿い金貨180枚を取り出してテーブルに置いた。スヴェンヌさんは一枚一枚確認しながら数え、小袋に詰めた。
「確かに頂戴いたします。それではジンイチロー様、奴隷紋はどこに施しましょうか」
「見えないところでいいかな」
「お待ちください」
クリアナが俺の提案にストップをかけた。
「先ほどのお話をお忘れですか?見えるところに奴隷紋を施さないと、わたくしが奴隷であることが誰にもわからなくなります」
「なるほど、それは一理ある。いわれもない中傷を浴びることになるかもしれないけど、それでもいいのかい?」
「そんなものはカスにも残りません。あなたにお仕えすることは最上の喜びです」
彼女の中で俺という存在が妙に肥大しているように思えるんだけど・・・気のせいだろうか。
「そこまで言うのならーーー手の甲でいい?」
「はい」
「じゃあスヴェンヌさん、手の甲にお願いします」
「かしこまりました」
魔法士がクリアナの右手に手をかざすと、赤い模様が浮かび上がった。
「クリアナよ、幸せにな」
「はい、店長。今日までよくしてくださってありがとうございます」
スヴェンヌさんはクリアナの手を握ると、その笑う両眼から一筋の雫が零れ落ちた。まるで嫁に行く娘を送り出す父のようだ。
「ジンイチロー様、もしその他に奴隷を御入用でしたら、ぜひ当店にお越しください」
「わかりました。とはいえ、もうそんなことあるとは思えないんですけど」
「ふふふ、人生とはわからないものです。もしかすると、あなた様が奴隷にしてほしい人物をお連れになるかもしれませんしね」
スヴェンヌさんの言葉で思い出した、一人の女性。彼女のことを話すと、早速ムルノに伝えるとして手配してくれるそうだ。
カーヴィス奴隷店で接客してくれた彼女は、スヴェンヌ奴隷店の受付嬢として新たな道を歩むことになるだろう・・・。
いつもありがとうございます。
前回更新より2週間も間を開けてしまいすみません・・・。
先週の更新期に鋭意執筆しておりましたが、思いもよらぬ病気を患ってしまいました。
仕事も休み、もちろん執筆もままならない状態に・・・。発熱も伴うので鳴かず飛ばず
のスマホコツコツ執筆と相成りました。とりあえず今は状態もよくなり、仕事にも行ける
ようになってホッとしてます。
次回更新に向け気持ち新たに活動します。よろしくお願いします。