第172話 カーヴィス奴隷店の黒髪奴隷
部屋のドアをノックすると、あてがわれた緩いドレスを纏ったイリアが現れた。
「ジンイチローじゃない。どうしたの?」
「入っていい?」
「いいけど・・・シアは?」
「イリアのところに行けって追い出された」
「あー、はいはい。なるほど。どうぞ」
一人掛けのソファが小さなローテーブルを挟んで設置されている。俺はそのソファに腰掛けると、イリアも座った。
「何度も言うようだけど、助けてくれてありがとう。きっと来てくれると思ってた」
「遅くなっちゃってごめん」
「そんなことない。それに豚達を一網打尽にできたから」
ふふ、と口元に手を当てて笑うイリアの顔は、全く疲れを感じさせない柔和なものだった。
「ジンイチローに聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「・・・アニーを抱いた?」
真っ直ぐに俺を見つめる瞳からは、誤魔化しも茶化すことも許さないという意志を感じた。
「ああ。プロポーズもした」
「そっかそっか・・・」
「その、ごめん」
首を傾げるイリアは、ほんの少し引きつった笑みを浮かべた。
「どうして謝るの?悪いことしたわけじゃないじゃない?」
「そうなんだけどさ。イリアが大変なときに何してたんだろうって思うとさ・・・」
イリアは盛大にため息を吐き、額に手を当てて天井を見上げた。
「あなたがそんな態度じゃアニーが可哀想よ。あなたたちはお互いに想い合っているんだし、自信もちなさいよ。それに、謝られた私が惨めじゃない?私はあなたの謝罪に対してどうしろっていうの?」
「ああ、確かにそうだね・・・」
「・・・モアの言うとおりになったわね」
「ん?モアさんがどうかした?」
「なんでもないわ」
呆れたようにため息をつかれるイリアに、俺は頭を掻いて場を濁したが、ソファに深く座り直して姿勢を正した。
「イリア」
「ん?」
「パーキンス公爵のことが落ち着いたら・・・あらためて時間をもらえないかな?」
「ええ、それはいいけど・・・何かあったの?」
「大事な話をしたいんだ」
「大事な話?」
「そう。イリアに話していない俺のことで」
「・・・」
プンスカしたり目を丸くさせたり忙しい王女様だ、なんて思うと、真面目に話していた口から笑いが漏れてしまった。
「な、なによ・・・そんなに笑って」
「なんでもない。こっちの話だよ」
「っ・・・」
真っ赤な顔をして、それでもがんばって俺を見つめ続けるイリアに、胸の奥が熱くなった。
アニーに心の中で謝った。イリアをここまで愛しいと思ったのは初めてかもしれない。
今までのイリアに対してあいまいにしていた自分の気持ちがはっきりした。大事なことを伝えたいと思った気持ちも嘘じゃないと自信を持って言える。
本当ならば今すぐそれを伝えてもいいのかもしれないし、不遇に見舞われた彼女を思えば少しでも安心につながるかもしれない。それはまた、彼女もまた俺のことを想ってくれているという確かな自信があるからであって・・・。
しかし、大事な話として俺の気持ちを『素直』に伝えていいのだろうかと、心の中に引っ掛かりを感じてしまい気持ちが悪い。確かにイリアは俺に好感を持って接してくれているのはわかるし、俺自身もそうだ。だけど―――――。
ああなんか・・・今までにないぐらい女性のことで頭を悩ませる自分がいて・・・経験のない領域に足を突っ込んでいるからなのか、「大事なことを話したい」なんて言ったことすら大丈夫だったのかと冷や汗が噴き出そうだ。
「わかったわ。あなたのこと信じて待ってるから」
杞憂だったか。彼女はそんな俺のグルグル思考なんか全部御見通しで、アニーに相談した方がいいかなんてことも織り込み済みで、でもそんなヘタレな俺のことも受け止めてくれるほどの女神な笑顔を向けてくれた。
・・・
・・
・
ジンイチローが去った部屋にアニーとモアが訪れた。疲れを微塵にも見せないイリアを慮ってのことだったが、今しがた交わされたジンイチローとの会話の内容に話が流れた。
「予想以上の発言にこの私でさえ驚きのあまり目が飛び出そうでした」
「じ、ジンイチローは何て言ったの?」
「『大事な話がしたい』』」
「ほえっ!?イリアに何にも言わないようだったら短剣を突きつけようかと思ったけど・・・その必要はなさそうね!!」
我が事のように舞い上がるアニーを見て、イリアは思わず笑ってしまった。モアは感心したように何度もうなずいた。
「最近のあの方はご自身のお気持ちに正直になられているようですね」
「あー、私もそう思うわ」
「このままいけば、あと数か月後にはアニー様とイリア様のご懐妊が待っておりますね」
「・・・そこまでとは思えないんだけど」
「一度してしまえばあとは獣になりますよ」
「ま、まるで私とジンイチローがもう何度もそうしてるみたいな言い方じゃない」
「ええ、まだ2回だけですがね」
「でしょう?そんな猿みたいな―――――どうしてモアは2回目を知ってるのよ!?」
「ふふふ・・・」
モアは引きつるように笑って見せるが、すぐに顔を引き締める。
「さて、この後いかがいたしますか?ジンイチロー様はムルノ様とお会いするようですが」
「ムルノのところに?何しに行くのかしら?」
「・・・奴隷の購入でしょう」
「へ?なんでムルノがジンイチローに?」
「おそらくはアナガンの長がカーヴィス奴隷店の処遇を決めたからでしょう。カーヴィス奴隷店は主人を失ったお店ですから奴隷もまた宙に浮くわけですが、長がそれを放っておくとは思えません。となればお金持ちのジンイチロー様に買っていただこう―――と推測できるわけです」
「尤もね」
「場合によっては『貰え』と言われるかもしれません」
「さすがにそれはないんじゃない?」
「ありえますよ?お金もそこそこ持ってて、誰にもお優しいお方だとわかればお付きしたいと思っても不思議ではありません。もし私が奴隷の立場なら、無下に扱われないとわかれば喜んでついていくでしょうね」
2人に放っておかれていてもイリアは気にも留めなかった。この数日のことを思えば2人のこんなやり取りでさえ楽しく思えてならないからだ。
(そうそう、この感じ。王女という立場をまったく考えずに楽しめるこの雰囲気。サロンで貴族の婦人方やご息女とお茶をするのとは訳が違う、心から楽しめるこの空気・・・。王城にすぐに帰りたくない理由の一つよねえ・・・)
澄まし顔で温くなったお茶を飲み、訪れた平穏をかみしめるイリアだった―――。
・・・
・・
・
「ということでムルノのところへ行こうと思うんだけど・・・」
これはどうしたことか。アニーにモアさん、さらにはベネデッタさんまでもが一緒に行くと言い出す始末。ウィックルは相変わらずの胸の中の定位置である。
「ムルノに何を言われるかわからないわ。押し付けられそうなら私たちが止めないと」
「押し付けられても買わないよ」
「そこは信用ならないのよね。ムニャムニャしてる間に大行列ができてるなんてこともありえそうだし」
「ほんとに信用されてないっスね」
「ジンイチロー様、その奴隷についてひとつ」
モアさんが一歩前に出た。
「以前お話しした奴隷はカーヴィス奴隷店におりました。一度お目を通していただければと」
闇オークション前にモアさんが見たという奴隷のことか。彼女が念を押すほどの人であるならば会っておいた方がいいかもしれない。
「お、いらしゃいましたかジンイチロー様」
「お待たせ」
「いえいえ、私も今しがた到着したところです」
「で、ここに呼んだということは、やっぱり奴隷のことだよね」
「もちろんです」
アナガンの長の行動は早かった。ムルノがカーヴィス店長の捕縛を長に知らせるとすぐにカーヴィス奴隷店の営業廃止を勅令し、系列店においても同様の措置が行われた。オークション会場にいた奴隷紋を刻む魔法士はカーヴィスと共に捕えられたが、系列店の魔法士は他店に引き抜かれることになったそうだ。また、系列店にいた奴隷たちも同じく他店に無償移動となった。
「ということは、本店の奴隷たちは?」
「いひひっ!お呼びした理由がまさにそれですよ!それをあなた様にお譲りしようと思っていたのです」
「えっ・・・」
自分でも口元が引きつっているのがよくわかる。アニー達の視線が俺に集中した。
「全員お譲りします」
「いやいや、ちょっと待ってよ。譲るも何も、どうして俺が譲られなきゃならないのさ」
「なぜですって?アナガンの困難案件を解決に導いた恩人に報いているからですよ」
「闇オークションのこと?イリア達を助けられたからそれで十分だよ」
「いえいえ、そういうわけにもいきません。長からも必ずといわれています。でなければアナガンの門を越えさせるなとまで厳命されておりますので」
「越えられなければ転移すればいいだけの話だしなあ」
「くくく、いつでも魔道具を発動させて魔法発動を阻止できますがねえ」
「おいおい、まさか赤い石を使ってる魔道具じゃないだろうな?」
「普通の魔道具ですから御心配には及びません。ささ、どうぞ店の中へお入りください」
店の玄関を開けて促すムルノに、ため息交じりに玄関の戸に手をかける。
「私たちは外で待ってるから。やっぱり奴隷になった同性を見るのは気が引けるしね」
「わかった。すぐに終わるから」
そう言うアニーに軽く手を振って入店した。興味津々だったウィックルもここでご退場いただいた。まあ、念のためってやつで。
「いらっしゃいませ」
店長不在でも健気に挨拶する受付の女性はどことなく表情に曇りが見える。自分がこれからどうなるかわからない中で接客しなければならないのは辛いだろう。
「お茶をご用意させていただきます」
「お気遣いなく。ムルノ、彼女は少し休ませた方がいいんじゃない?」
そんな俺の言葉に、ムルノは目礼して女性に向いた。
「ジンイチロー様に感謝なさい。この店にはもう客は来ないから、沙汰があるまでしばらく休んでいなさい」
「・・・かしこまりました。何かございましたらお申し付けください」
そう言って女性は奥にある部屋のドアへ向かっていった。
「真面目に働いていただろうに、不憫だなあ」
「彼女は借金奴隷です。アナガンの1番店の奴隷として働けることを大層喜んでおりました。とはいえ、彼女の借金を肩代わりしたカーヴィスは捕えられ、彼女が借金を返す前提がなくなったわけです」
「ということは?」
「長の裁量で奴隷契約は白紙になります。晴れて自由の身ですが、もっとも、それを彼女が望むかどうかは別ですがね」
いくら奴隷契約が白紙になったとしても、他の町で今と同様の稼ぎができるかどうかは別問題というわけか。奴隷の方が稼ぎがいいというのも、俺にとっては未だに慣れないこの世界の常識の一コマだ。
「どうですか?彼女を買いますか?」
「彼女は働いて稼ぎたいんだろ?俺は職をあっ旋できるほど大物じゃないよ」
「そうですか?あなた様なら大口の職を知っていそうですがね」
意味深に言われたので胸に手を当てて考えてみるが、やはりそんな都合よく思い浮かぶわけでもない。
「ジンイチロー様、こちらです」
ムルノに案内されつつ、奴隷のいる部屋が続くドアに手をかける。スヴェンヌさんのお店と同じような佇まいで、それぞれの部屋に窓が付いている。
「さすがはカーヴィスといったところでしょうか、多くは貴族当主を相手にした商売だったんでしょうね。男の奴隷が一人もおりませんな」
ちらりと窓を除くと、麗しい娘さんが窓の縁側に座ってこちらを覗っていた。その微笑はどこかの令嬢の名残がある。
「不思議とここ最近はノーザン帝国からの上流貴族令嬢が流れてくるのですよ」
「ノーザン帝国の?なぜ?」
「さあて。詳しいことはわかりませんが・・・。お国に背いた罰というものですかね?同じ派閥にいた貴族が固まって流れてきている、という噂も耳にしますよ。何かが起きているということはわかるのですが、そういったお国の現状については興味の範疇にありませんので」
「そうか・・・」
窓という窓を覗けば、いるのは元令嬢という有様で、中には俺が気に入らないのか顔を背ける者もいた。
「ほっほっほっ、かしましいわけではありませんが、あれではどの殿方にも買っていただけないでしょうな」
「元気があればいいんじゃない?」
「そういう見方もございますね」
そんななんでもない話をしながら歩き進み、やがて最後の窓を覗く手前となった。
「この娘で最後です」
窓から覗くと、そこには肩まで伸びた黒髪を持つ少女がベッドに座っていた。何よりも目を引いたのが、彼女の着ている服だった。
「制服・・・?」
どう見てもブレザー型のジャケットとチェックのミニスカートという、日本の高校生のような装いだ。
「あの子は?」
「この娘もノーザン帝国から流れてきたようですよ。当初はスヴェンヌの店にいましたが、すぐにカーヴィスが高値を付けて買ったらしいですね。黒髪の少女という珍しさもあって目を付けたと思いますが、売る前に店長が不在になってしまった、というわけです」
モアさんが言っていたのはこの人のことだろう。張り付けてある名前のプレートには『アヤノ・タカイケ』と彫られている。いかにも日本人らしい名前だ。
「そうか、こんなときのための・・・」
譲り受けたスキル、『鑑定』を心の中で詠唱した。目の前に半透明のボードのようなものが現れた。
【 LV.98 アヤノ・タカイケ(高池綾乃)(18)
体力 6500/6500
魔力 35221/35221
職業 学生
称号 魔人石を喰らうもの 異世界人 】
「おいおい・・・」
モアさんの直感はビンゴだった。まさかこんなところに同郷がいるとは思えず、思わず唸ってしまった。それにしても窓の向こうの彼女はどうやってこの世界に渡ってきたんだろうか?ノーザン帝国から流れてきたうえに、称号に『魔人石を喰らうもの』という物騒な名前が記されていた。それだけでも彼女に興味を持った。
「どうされましたか?」
ムルノが細い目で俺を窺うので、無表情を装ってうなずいた。
「ムルノ、この子を譲り受けたい」
「ほおお!さすがジンイチロー様ですね。この娘は魔力が豊富ですからな、戦力としては抜群でしょう!」
ムルノの言葉に眉をひそめた。
「知っていたのか?」
「いひひひっ!まあまあ」
まさかムルノも鑑定スキルがあるとでもいうのか?それとも・・・。『鑑定』を発動させようとしたその時、ムルノは俺の顔のすぐ目の前に掌をかざした。
「ジンイチロー様、下手な詮索はおやめください。私に『鑑定』をしないで頂けるとありがたいのですがね」
「どうして俺が『鑑定』すると思ったんだ?」
「ふふふ、まあまあ。知らないほうがいいことも世の中にはあるのですよ。ただの案内人風情でも、ね」
ほんの一瞬、俺の双眼を突き刺すようにムルノは睨みつけたが、すぐに気色悪い笑い声と共にその瞳を細くさせ煙に巻いてしまった。
「いひひひっ!さて、中に入りますか?」
「ああ。しばらく二人っきりにさせてほしい」
「承知しました」
ドアをノックした俺は、かすかな返事の後にドアを開けた。
「こんにちは、失礼するよ」
「・・・」
光りのない瞳を俺に向けるが、すぐに俯かれてしまった。
「高池綾乃さん?でいいかな」
「・・・え?」
重たそうに俯いていた顔すぐに持ち上げた彼女は、驚きの眼差しを俺に向けた。
「こんにちは。三田仁一郎です。あなたと同じ日本人ですよ」
いつもありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。