第151話 クレーメンス
ベネデッタさんに案内され『マリウス商会』という看板の立つ建物に到着した。すぐに入ると会頭と思しき中肉中背の男がカウンターに立っていた。
「こんにちは、マリウスさん」
「おお、ベネデッタ様。その節はどうも。もしかして物件をお決めになられたので?」
「いえ、今日は『クレーメンス』について相談したいのです」
マリウスと呼ばれた男は一瞬顔を強張らせるも、すぐに努めて平静を装った。
「ベネデッタさん、悪いことは言いません。私もぞんざいにあの者たちを扱うことはできませんから、無理やり引き合わせた・・・いや、引き合わせざるを得なかったんです。金貸しなら他を紹介しますよ?」
「いえ、今回は少し別件もあって繋がりたいんです。この方のお話を聞いてください」
ベネデッタさんに紹介される形であいさつをした。
「こんにちは。ジンイチローと申します」
「はじめまして。マリウス商会のマリウス・コンダと申します。以後お見知りおきを」
『クレーメンス』に引き合わせを強要されていたと知り少しほっとした。マリウスは良識のある人物だと思った。
「事は急がないと取り返しがつかないんです。『クレーメンス』とどうしても会わなければならないんです」
「もしや・・・長と会いたいとおっしゃるので?」
「そうですね・・・」
「なおのことお勧めできませんよ。あなたはまだ若い。あの者たちと付き合うのは人生を壊すのと変わりない。どうしてもお金が欲しいというなら、このマリウスが特別に職を紹介しますよ」
「お心遣いありがとうございます。ですが目的はお金ではないんです。ある人間を探しているんですが、もしかしたら『クレーメンス』が関わっているかもしれなくて・・・」
「・・・・・」
マリウスさんはじっと俺を見つめると、ため息をついた。
「そうですか。わかりました。本来ならどんな理由でも引き合わせたくないんですが、意思は固そうですね」
「ご迷惑をおかけします」
「いえいえ。ベネデッタ様からのお申し出ともなれば力を貸しましょう。実は私もカフィンの魅力に取りつかれた人間でしてね、ベネデッタ様がカフィン専門店を作りたいと相談されたときは両手を挙げて喜んだものですよ」
「そうだったんですか」
ベネデッタさんは無言でうなずいている。どうやら本当のことらしい。
「少々お待ちください。遣いの者に伝えます」
カウンターの奥に引っ込んでいったマリウスさんの背中を目で追った。
「カフィン事業、いよいよ進みはじめたんだね」
「まだまだです。王都ではまず直営販売店を作ろうと思ったんですが、いい物件が見当たりません。マリウスさんが熱心に物件を当たってくれていますが・・・」
「ミニンスクはどう?」
「ミニンスクではエナリア商会がかなり力を入れて進めてくれています。おそらくミニンスクから販売が開始されるでしょうね。まだまだ試飲会を続けているところではありますけど」
「そっか・・・」
「あの、ジンイチローさん」
「ん?」
「・・・雰囲気、変わりましたね」
「え?」
「なんかこう・・・一皮むけた感じです」
「・・・」
「・・・そういうことですか」
納得と頷くベネデッタさんの顔は、それでも無表情だ。
「ベネデッタさん」
「はい」
「子どもたちのことよろしくお願いします」
「・・・ええ、私なんか力になれるかどうか・・・」
「ばぁばは真っ先にベネデッタさんを指名したよ。大丈夫、きっと子ども達と上手くやれるよ」
「だといいのですが・・・」
そんなやり取りをしていると、すぐにマリウスさんが戻ってきた。
「お待たせしました。遣いの者を外に出したら偶然『クレーメンス』の遣いの方が近くを通っていたので声をかけましたところ、支店のある建物に来てほしいとのことです」
「ありがとうございます。助かります」
「何度も言うようですが気を付けてくださいね」
「心得ています」
マリウスさんにお礼を言って建物を出ると指定された支店目指して歩いた。支店はすぐ近くの古いレンガ造りの建物だった。軋むドアを開けると少しだけかび臭い匂いがして、狭くて薄暗い。
「あんたが『クレーメンス』に用事のあるジンイチローってやつか?」
「そうだ。あんたは?」
「この支店を任せられているラインムントだ。会頭からは話は聞いた。人を探してるんだって?」
ラインムントが乱暴にカップに水を入れると、それをテーブルに置いて椅子に腰かけるよう促した。俺たちは促されるまま座る。
「そうだ。名を言った方がいいか?」
「そうだな・・・。しかし、それで『クレーメンス』の長が会ってくれるかどうかなんてわからんぜ?何せ俺だって会ったことないんだからな」
「そうなのか?同じ組織だろ?」
「こんな小せぇ建物にいる小者にわざわざ会いに来る長がどこにいる?会いに来たときは殺される時だな」
ケタケタと笑ってはいるが、本当のようだ。
「それだけ恐ろしい人物なんだな」
「まあな。名前もほんとなら口にしたくない。その名の組織にいる俺が言うのも変な話だが・・・」
「そうか・・・。ここでは金貸しをしているのか?」
「ああ、一応な。」
「・・・情報は集まるのか?」
「・・・集めようと思えば集まる。報酬次第だ」
「人探しもできるわけだな」
「ご希望とあればな。だからこそ、長が動くほどでもない。だから会ってくれる保証もない」
「会うにはどうしたらいい?」
「・・・さあな。でもあんた、やめたほうがいい。何人かの兵士も身分を隠して組織に潜入したそうだが、結局殺されたかどこかに売られちまった。長に会おうなんざ死にに行くようなもんだ」
カップの水をぐびりと飲み干すラインムント。俺も同じく水を口に含んだ。
「じゃあ交渉だ。これで何とか長に会える手筈を整えてほしい」
俺は魔法袋に入れてある金貨袋から、金貨50枚を置いた。
「おいおい・・・まじかよ・・・」
「それだけ俺にとっては大ごとだ。できれば今すぐにでも会いたい」
「待て待て待て。お前落ち着けよ。こんな大金ホイホイ出してまで探したい奴ってなんだ?そんなに『クレーメンス』に関わってるやつなのか?」
「名前を出して長が動いてくれる保証があるなら、教えてもいい」
「そこまでのやつか・・・。わかった。久々の大仕事だな、こりゃ」
「俺はジンイチローだ。よろしく頼むよ」
「よし、引き受けてやる。ちょっと待ってろ」
そういうと、ラインムントは身支度を整えて建物を出ようとするが、すぐに引き返してきた。
「言い忘れた。金だけ貰って戻ってこないなんてことはないからな。そこだけは安心しろ。トンズラしたなんてバレればどこにいても刺客が殺しに来ちまうからな。1時間だけ待っててくれ」
そう言ってラインムントは慌てて飛び出していった。悪いことに足を突っ込んでいるかもしれないが、『クレーメンス』の名を汚す行為だけは厳重に取り締まられているようだ。言われた通り待つことにした。
・・・1時間後、ラインムントは息せき切って建物に入ってきた。
「ま、待たせたな・・・」
「これでも飲んでちょっと落ち着いてよ」
「すまねえ」
カップの水を受け取ったラインムントは、のどを鳴らして飲み切った。
「ぷはああ!あ~・・・しんど・・・。さてと、まずは結果からだが・・・」
眉をひそめているラインムントの様子からして、交渉に失敗したのだろうかと思いきや、急にその顔が破顔した。
「あんた何者だ?ジンイチローって聞いただけでかなり早く動いたぜ?それによ、特別給金までもらえたんだ。感謝するぜ!」
バンバンと肩を叩いてくるラインムントはご機嫌だが、俺は怪訝そうに彼を見やる。
「『クレーメンス』なんて俺だって会ったことはないのに・・・。長は俺のこと知っているのか?」
「さあな。だけど繋ぎの奴はあんたの名前を出した途端に驚いてたから、少なくとも繋ぎの奴と本部はあんたのこと知ってるんだろうな」
「そうか・・・」
「本部は今すぐ来いって言ってるが、どうする?」
「もちろん行くよ」
「言うと思った。場所を指定された。平民街の1番町、赤い壁の家に入れだとさ」
「ここから近いのか?」
「歩いて15分ってとこだな。何ならそこまで案内するか?」
「頼む。王都はそれほど詳しくない」
「わかった。じゃあ行くか。・・・お嬢さんはどうする?」
俺はベネデッタさんを見る。無表情の奥に不安が見えた。
「君はもう帰っていいよ。報告だけしてきて」
「わかりました」
「よし、話は済んだな。行くぞ」
特に話すこともなく俺たち二人は王都の街を歩き、やがて指定された『赤い壁の家』の前に立った。
「じゃあ俺はここで帰る」
「ありがとう」
「いいってことさ。十分すぎる報酬はもらったしな」
すると、ラインムントが耳打ちしてきた。
「いいか、おそらくこの中であんたは拘束されて馬車で連れていかれる。そこで抵抗したら長には会えねえ。長に会いてえなら言われたとおりにしたほうがいい。乱暴にはしねえとは思うがな」
「わかった。心得ておく」
「気をつけろよ」
そう言ってラインムントは走り去った。その様子を見届けたあと、その赤い壁の家に入った。ラインムントう通り、家の中にはほんの少し殺気を漂わせた人間が隠れているのがわかる。正面には項垂れつつもこちらを覗う男が座っていた。
「ジンイチローか?」
「ああ、そうだ」
「一人か」
「見ればわかるだろ」
「ここからは俺たちの指示に従ってもらう。抵抗は無意味だ」
「心得てる」
玄関から、家の中から、瞬く間に大柄の男たちが流れ込み、俺を床に押さえつけた。目隠しをされ、手を後ろに縛られ、挙句刀も奪われた。
「よし、連れてけ」
家に横付けされた馬車に押し込まれると、そのまま馬車は走っていく。もと来た道を戻っているようにも感じたが目隠しをされているのでよくわからない。
そして何十分か乗っていただろうか、馬車がようやく止まると拘束されたまま降ろされ歩かされた。建物の中のようだが、一体何の建物なのかは全くわからない。
ようやく止まったかと思えば椅子に座らされ、そのイスに俺の体をロープで巻き付け固定されてしまった。俺はよほどの危険人物扱いとされているようだ。
目隠しをここで解かれると、窓のないほんのりと明かりが灯っている土壁の部屋に座らされているのが分かった。広さにして10畳ほどだろうか。
すると、背後から足音が聞こえてきた。振り向こうにも固定されていて、首の周る範囲でしか見えない。
「こんなに汚い部屋にあなたのような救国の英雄を閉じこめてしまい申し訳ございません」
若々しい声が後ろから聞こえた。
「あんたが『クレーメンス』か?」
「ええ、そうです。私が『クレーメンス』の本元です。名は・・・クレーメンスとしてください」
「顔を見たいね」
「いいでしょう。あなたは口が堅いと見える。それに、この先いいお客様になりそうな予感がしないでもない」
「お客に対してこの無礼はないだろ」
「申し訳ございません。部下は心配性でしてね。顔を見せるだけでもよしとしてください」
俺の横を通り、正面に来たときにわかった。この男は『本物』だと。
「あらためて、私がクレーメンスです」
「ジンイチローだ」
「お噂はかねがね聞いておりますよ。王城を守った英雄、王女を救った英雄、ミニンスクの豪族から王女を取り戻した英雄・・・名を馳せる大賢者に会えるとは、至極恐縮です」
「俺のことはどうでもいいよ。人を探してるんだ」
「ん~・・・だいぶ焦っているご様子のようですね・・・」
クレーメンスはゆっくりした動作で、部屋の隅にあったイスを俺の正面に置いて腰かけ、足を組んだ。全身を白いスーツで纏い、やや長い黒い髪をかき分け極めて涼しい顔で俺を見た。口元は微笑を浮かべているように見えるが、そうでもないとも見える。全く感情が読めない男だ。
「私に会いたいとおっしゃるので、予定していた会合をすべてキャンセルしました。私もあなたに以前から会ってみたくて情報を集めてはいたんですよ。今は大魔法士ミルキーのご自宅に居候しているとか」
「その通りだね。隠してもいないけど」
「そうですか・・・」
笑っているように見えるが笑ってはいない。細い釣り目がじっと俺の奥底を観察しているようで気持ちが悪い。
「確かに焦っている・・・。後悔・・・。複雑な気持ち・・・。愛・・・。色々ですねえ・・・。お探しなのは女性ですか」
心を読まれたかと思うもそうではないとも思える。クレーメンスは観察しているだけなのだろうが的確すぎるのだ。
「そうだ」
「もしよろしければその方の名を教えていただけませんか」
「シアだ。シア・ハンス」
驚いた。何が驚いたって、この男が一瞬でも動揺したことにだ。
「聞き間違いではありませんね。シア・ハンスと言いましたか」
「ああ、そうだが・・・」
「・・・事情を聴きましょう。場合によっては全力で探しますよ」
飄々とした雰囲気から一変、クレーメンスの瞳は瞬く間に怒気に満ちた・・・。
いつもありがとうございます。
我が家でも台風19号の関係で避難しました。あともう少しで川がっ・・・というところでしたが無事でした。ちなみに、水に浸からないようにとPCをこっそりと避難させたのは家族には内緒の話です。避難して実感したのは、普段通りに暮らせること、執筆できることというのはとても幸せなことなんだとつくづく思い知らされたことでしょうか。
次回もよろしくお願いします。