第149話 契りの夜
「アニー、お帰りなさい。無事でよかったわ」
「ただいま。色々あったけどね~」
「それに、随分とお客様も増えたわねぇ~」
アニーの母、ミレネーさんは頬に手を当てて微笑んだ。
「ジンイチローさんも無事で何よりね。オルドは周辺警備で出掛けてるわ。夕方には帰ってくるから、みんなでお茶して待ってましょうか」
転移で飛んだ先はアニーの実家だった。どこに行ってもよかったけど、アニーも色々あって疲れてそうだったし、フィロデニアに帰る前に一度は寄る予定だった。アニーも喜んでいたし思惑通りでほっとした。
お茶をいただく際にライラとウィックルを紹介した。魔王の娘という肩書きには少し驚いていたものの、ミレネーさんは女子会ができるとあって喜んでいた。なぜかウィックルまで混じって大人トークしてたのにはおどろいてしまった。ウィックルは年齢不詳だな。
夕方に差し掛かる前、アニーから出立について尋ねられる。ばぁばのところにも早く帰りたい気持ちもあったので明日にしようと提案。ごねられるかと思いきや、あっさり了承を貰った。理由を尋ねると、来ようと思えばいつでも来られるし、何よりも長老司からの親書を早く届けないといけないからだとか。
・・・あっ!!
そう、忘れてた。長老司から親書を預からないと!!
尖角塔に出かけることを告げると、今日は泊まっていきなさいと勧められたのでお言葉に甘えることにし、俺一人尖角塔へ転移した。
応接間にそのまま飛ぶこともできただろうが流石にまずいと思い、入り口に転移して転移ゲートをくぐる。見たこともない部屋に飛ばされたのでしどろもどろしていると、受付の女性だろうか、ドアを開けてすぐに挨拶され、以前も入った応接間へ通された。
数分後に、以前と同じように応接間の中に入り口が現れた。扉を開けて入って見ると、長老議会の面々が長テーブルに勢ぞろいしていた。ぎょっとすると、長テーブルのお誕生日席から笑い声が響いた。長老司だった。
「ジンイチロー殿すまないな。ちょうど議会の最中でな。都合よく貴殿の来訪を知ったので議会に通したのだ」
「そうだったんですね。びっくりしました」
「かけてくれたまえ」
「失礼します」
用意されていたイスは長老司と同じくお誕生日席だ。
「貴殿がここに参ったということは、魔王国から戻ってきたというわけだな」
「ええ。先刻戻ってきた次第です」
「魔王国から不埒な噂を耳にしてな。不審な先導者が現れたという話なんだが・・・。心当たりはあるかね」
議会の面々が一同に頷く。これはきっと議会の議題に上がっていたんだろう。
「心当たりは大有りです。どこからお話ししましょうかね。口止めはされていませんので」
「申し訳ないが最初からお願いできないか」
「わかりました」
一連の事件について事細かく説明した。しっかり説明したので20分も喋り通した。
「・・・というわけで、無事にこの地に戻ってこれました」
ため息が会場を包み込んだ。
「なるほど。魔王国もついに門戸を開くとな。あの魔王がそれを決断するとは・・・よほどの危機を感じるというわけだな」
「魔王自体もあの『黒い紋様』のしぶとさは予想外だったようですね。それが人族の地から舞い込んだとなれば、むしろ人族と国交を開いて情報を仕入れやすくしたほうが利になると踏んだんでしょう」
「それは我らも同じだ」
「ええ。エルフイストリアの意向も伝えました。魔王もそれに同調してフィロデニア王へのつなぎを依頼されました」
「うむ。これはえらいことになりそうだな」
会場がざわめきで満たされる。ここまでの展開はさすがにこの人たちも考えが及ばなかったのだろう。議論をする顔に驚きが見え隠れしている。
「諸君、静かに。・・・・・さて、以前話した通り、親書はすでにできあがっている。あとはこれをフィロデニア王に持って行ってもらえばよいのだが・・・」
長老司の顔が渋くなる。なんとなく察した俺は『親書だけ持っていきます』と言おうとしたのだが・・・。
「忘れてもらっては困りますね」
会場に透きとおった声が響くと、壇上に一人の女性が現れた。エルフイストリアにして唯一のハイエルフ、カナビアだった。
「ジンイチロー殿と約束したはずですよ。いえ、ミストレルとジンイチローがといえばよろしいでしょうか?」
全員が立ち上がるとすぐに跪き、頭を下げた。
「・・・やっぱり覚えていましたか」
「ミストレルの意志です。長老司、わかっていますね」
「・・・ミストレルの意志であれば仕方がありません。ですが人族の地は危険も伴います。いつぞやの者達が現れるやもしれません。ハイエルフを失うことはあってはならないのです」
「危険は承知の上です。それにそこにいるジンイチロー殿が護ってくださるわ。そうでしょう、ジンイチロー殿?」
女神のような微笑みを俺に捧げてくださるのは大変ありがたいのだが、議会の面々はちらちらっと俺を見るなり『断れ』オーラをビンビンに放ってくる。はいはい、一応やってみますよ。
「ミストレルからは確かに直接聞きました。カナビア・・・様を連れていけと。だが今すぐじゃなくてもいいんじゃないですか?結界の綻びで侵入した魔物によるダメージも少なくないでしょう?ハイエルフがいるのといないのでは復興のスピードもだいぶ違うんじゃないでしょうか」
「それには及びません。優秀なエルフ族の前には魔物が荒らした地であろうとすぐに立て直します。幸いにもジンイチロー殿が魔物狩りに協力してくださったおかげで、魔物による人的犠牲は大変少ないものとなりました。インペリアハザードピギィの出現が確認されたにもかからわず、それによる壊滅的被害を避けられたのもジンイチロー殿のおかげです。いるのといないの違いで言うならば、それは私ではなくむしろジンイチロー殿に向けられるべき言葉であります。そうでしょう、みなさん?」
ああ、はい・・・という呟きにも似た返答がボソボソと聞こえる。『お前やりすぎなんだよ』という痛い視線が飛び交う。だってたまたま偶然歩いていたらあんなのやあんなのが出てきたんだって!!
「私は確かにエルフイストリアになくてはならない存在ですが、毎日いなくてはならない存在ではありません。ミストレルの意志を全うすること・・・これがハイエルフの使命であるのならば、私はそれを生業にするエルフイストリア臣民の一人として行動したいと思うのです。この考えに異論のある者はいますか?」
しん、と会場が静まる。いるわけないだろとツッコミをいれたくもなるが、そんな冗談を言える空気ではない。
「では決まりですね。わたしはジンイチロー殿と共にこの地を発ちます。ジンイチロー殿、出立はいつになりますか?」
「あー、えっと・・・明日です」
「まあ!お早いこと!とはいっても今すぐ出立できるぐらい荷物は整えておりますのよ?うふふふふ」
『なにかあったらタダじゃすまない』とあちこちから目で訴えられる。とっても居心地の悪い議会の出席となった・・・。
そんな議会の中で親書を預かった俺は、明朝にオルド邸に集合するようカナビアに伝えると議会の会場をあとにした。
「ただいまぁ~」
「おかえりなさい。早かったわね」
「早々に切り上げちゃった。居心地が悪いのなんの」
「・・・カナビア様の件ね」
「さすがアニー。ご名答。やっぱり付いてくることになっちゃった」
「想定の範囲内ね。ジンイチローが断れるわけないと思ってた」
「あはは・・・」
アニーとのやりとりを聞いていたライラが不思議そうに話しかけてきた。
「カナビアって・・・どなた?」
「えーっとね・・・これ話していいやつ?」
「そうね・・・。ライラ、明日本人に聞いてみれば?」
「ふーん・・・わかった。そんなにエラい人なんだ?」
「そう考えてもらえばいいわ。ちなみにバインバインの女性よ」
「バインバインって、こうですかぁ?」
ウィックルよ、胸をメロンみたいにそこまで丸く表現しなくてよいのだよ。まったく、そんなはしたないことをどこで覚えてきたんですか?
「アニーのいいライバルね、そのバインバイン。同じエルフなら相当の美人じゃないかしら?」
ライラがクスクスと笑うと、無表情のアニーが俺を無言で責め立てる。はいっ、アニーさん!まだ何もしていませんよ!
「まだ何もしてないって顔してるわね。せいぜい鼻の下伸ばさないように気を付けることね」
心情を読み切ったアニーはわざとらしくため息をついてみせた。俺はサトラレの気質でもあるのだろうか。そんなやりとりをしているうちに周辺警備で出ていたオルドさんと、学院から帰ってきたレナさんが居間のドアを開けた。
「あー!お姉ちゃんだー!」
「おお、アニーじゃないか!魔王国から帰ってきたのか!」
「おかえりなさい。これで勢ぞろいね」
「お姉ちゃーん!」
レナさんがアニーに飛び込んで抱き着くと、アニーはそんなレナさんの頭を優しく撫でる。
「ジンイチロー君も久々だね。魔王国はどうだったかい?」
「色々ありましたよ。ドタバタしてお土産は買えませんでしたが土産話は積もるほどありますよ」
「いいねぇ!今日はそれを肴にお酒を飲もう!」
そんなこんなでわいのわいのした夕食とそのあとのお酒の会は盛り上がった。ライラとウィックルを紹介したときは流石に驚かれたが、この家族のいいところはカナビアさんだろうとライラだろうと、なんやかんやで堂々と受け入れてしまえる器の広さがあるところだ。
ところが、本日の部屋割りが発表されたときだけは空気が固まった。なお、発表者兼提案者はミレネーさんだった。
「お部屋はね、まずはライラちゃんとウィックルちゃん、レナとモアさん、アニーとジンイチロー君でどうかしらね」
「異議あり!!」
声高に叫んだのはライラだった。
「年頃の男女が同じ部屋なんて不埒ですわ。ねえ、オルド様」
オルドさんはミレネーさんをチラリと窺うが、にっこりと微笑み返されてごほんと咳ばらいを一つするだけにとどまった。レナさんは頭に「?」を浮かべているが、下手な説明をすると質問攻めにあいそうだ。
結局、ミレネーさんの笑顔の前には誰もそれ以上文句を言う人はいなかった。斯くいう俺も、そんなミレネーさんに一言も口に出せずに提案を飲むしかなかった。
「手筈通りです」
「・・・やっぱりモアが一枚噛んでたのね」
「ミレネー様に、ここに到着して真っ先にお話ししたら喜んでおられましたよ」
「でも・・・レナまで部屋を移動することないんじゃないかしら」
「レナ様のお部屋はジンイチロー様とアニー様のお部屋の隣です。空き部屋にしないと声が漏れますよ?」
「・・・本当にうまくいくかしら・・・」
アニーとモアは星空の下で声を潜めながら話をする。二人とも視線を合わせないが、同じ星空を眺めている。
「ばぁば様の家に帰れば、ジンイチロー様にとっては『日常』となります。『日常』を送るとなかなか手を出しづらくもなるでしょう。他の皆さんがいればなおのことです。今日、この日が最善日です」
「そうね・・・。がんばってみるわ」
「ええ、よろしくお願いします」
「モアは・・・いいの?」
「・・・何がでございますか」
「モアだって・・・ジンイチローのこと・・・」
「・・・一生をジンイチロー様のために尽くすと決めたのです。アニー様へのご提案もその一環です。方向性は間違っておりません。それに・・・」
「・・・それに?」
「いえ、これは後々お話しすることにします。さて・・・次なる手立ては皆様方への『配慮』をいつ行うのかという点です。これはフィロデニアに帰った後に機を見て実施することにいたしましょう」
「色々考えてるのね」
「ジンイチロー様が次々に拾ってくるからであります。断れない状況を作られているジンイチロー様も不甲斐ないのですが、女性たちは皆どこかしらでジンイチロー様に救われているところがあるので憎めないところですね」
「・・・私もそうかも」
「・・・私も、その一人です」
「モア・・・」
「さて、ご自宅の宴会もそろそろ佳境に入りそうですね。戻りましょうか」
「うん・・・」
自分を応援するモアを嬉しく思うも、複雑な面持ちで前を歩くモアの背中を小走りで追うのだった・・・。
眠れない。
オルドさんに勧められた酒を飲んでから目が回り始め、気持ちよく夢の世界へ飛び込めるはずだったのに、モアさんが出してくれたお茶を飲んでからというものの、眠りの世界は遠のいてしまった。次々と部屋へと消えていくみんなを見送るとオルドさんも欠伸をついたので、今日はお開きとなった。
部屋に戻ると、いるはずのアニーがどこにもいない。居間にもいなかったところを考えれば、外だろうか。
『ここはアニー様を追うべきです』
心のモアが助言した。え?っていうか今本当に聞こえたような・・・。うん、気のせい気のせい・・・。
それでもそんな声に応えて、俺は玄関のドアを開ける。月もない暗闇に、満天の星空が広がっていた。一瞬でもアニーを探すのを忘れてしまうほど、美しかった。
「ジンイチロー」
どこからともなく聞こえてきた声を探ると、暗闇に慣れた目がアニーの姿を遠くに見つけた。小走りでアニーのもとへ駆け寄ると、彼女は俺の手を握った。
「ジンイチローも来たんだ」
「アニーを探しに来たんだよ。部屋にいなかったから」
「そっか。ありがとう」
「うん。アニーは空を眺めてたの?」
「まあね。しばらくこの景色も見られないと思って。それに、部屋にいなければジンイチローも来てくれるかと思った」
「さすがアニー。よくわかってる」
「ふふん」
得意そうに笑うアニーを見たあと、俺は再び満天の星空に目を移した。
風もない静かな夜。星しか見えないぐらい暗いはずなのに、アニーの姿だけははっきりとわかる。握る手からもアニーの温い体温が伝わってくる。
うん、今なら・・・。
「アニー」
「なあに?」
「・・・色々あったね」
「・・・そうね。本当に色々あったわね」
「この世界に飛ばされたとき、自分がどうなってしまうか本当に不安だった。でも、ばぁばやアニーに出会って本当に救われたよ」
「・・・ふふ、冒険者ギルドのあのやり取り、今思い出しても笑っちゃうわね」
「懐かしいね」
二人でクスクスと笑って、そして再び静けさに包まれた。
「私も・・・不安だった。いろいろなところに行って旅をして・・・。エルフの仲間もいない、ひとりぼっちの旅・・・。今思えば結構限界だったのかもしれない。もしあの時変な人が優しく声をかければホイホイついて行ったかもしれない・・・」
「・・・初めて聞く話だね」
握る手が思わず力んでしまった。
「たとえ話よ。それぐらいさみしかったんだと思う。実際そんな人にはついてかないわよ。安心して」
「うん」
「でもね、そんなときに、私もばぁばやジンイチローに会って救われたわ。楽しくて、毎日忙しくて、辛いこともあったけど、でもそんなときはいつもあなたがいてくれた」
「俺もだよ。アニーがいてくれたから今の俺があるんだよ」
俺は繋いだ手を解いてアニーに向き、その体を抱き寄せた。アニーも俺に身を寄せてから目を合わせ、そのままキスをした。そしてほんの少し顔を離してアニーを見つめた。
「・・・・・アニー、君のことが好きだ」
アニーは驚きの眼差しで俺を見つめ続けている。そんな彼女の表情に微笑みを向けた。
「だから・・・これから先も俺と一緒に・・・ずっとそばにいてほしい」
「ジンイチロー・・・」
「アニー・・・俺と結婚してくれないか」
「っ!!」
「だめかな・・・?」
「だめじゃないわよ・・・まさかそんなこと聞けるなんて・・・もう・・・」
アニーの顔がくしゃくしゃに歪んで涙に溢れてしまった。指で拭ってあげると、少し落ち着いたのか笑顔を向けてくれた。
「私もあなたのことが好き。あなたとならどんなことも乗り越えられそう。ずっと一緒にいたい。好きよ、あなたのこと大好きよ」
「それじゃあ・・・」
「うん。これからもよろしくお願いします」
俺たちはもう一度抱き合い、そして熱い口づけを交わした。
「でもね、ジンイチロー。お願いがあるの」
「なに?」
「私から言うのも変な話だけど・・・イリアのことも・・・その・・・ジンイチローはイリアのことどう思ってる?私はね、イリアの気持ちがわかるの。イリアだってあなたのこと・・・真剣なのよ?茶化さないで教えて」
まさかアニーから彼女のことを尋ねられるとは思いもよらなかったので、今度は俺が驚きの眼差しでアニーを見つめることになってしまった。
「気にならないなんてことはないんでしょ?」
「それはそうだよ。イリアだって・・・その・・・大切な人さ」
「あの子はね、王女の立場があるからはっきり言えないの。ほんとは誰よりもあなたの傍にいたいはずなのよ」
「アニー・・・」
「だからお願い」
「・・・考えておくよ。帰ったらイリアにも会うだろうからその時に話すよ。もちろんアニーのことも包み隠さず話す」
「ありがとう」
そう言ってアニーは俺の胸に顔を埋め、安堵の表情を浮かべる彼女をそっと抱きしめた。しばらくすると風が吹きはじめた。冷えてきたのか、アニーの体も冷たさを感じた。
「ねえジンイチロー。ここはもう冷えてきたし・・・その・・・部屋に戻ろうか」
「うん・・・そうだね」
手をつないで家まで戻り部屋に入ると、俺はもう一度アニーを抱きしめた。
「ねえジンイチロー、イリアのこともあるけど・・・その・・・これだけは私が最初にもらうからね」
ほんの少し悪戯っぽく笑う彼女をみて急に愛おしく思い、もっと強く抱き寄せた。そしてお互い向き合って、俺は彼女の頬に両手を乗せた。
「アニー」
「ジンイチロー」
お互いの名前を呼び合いながら再び熱く口づけを交わす。アニーをベッドまで連れていき腰かけると、再び唇を重ねた。そのまま彼女を横に寝かせると、遅く出た月の明かりが彼女の微笑みを映し出した。
静かで熱い夜が過ぎていった・・・。
いつもありがとうございます。
次回以降は『奴隷都市アナガン編』となります。
それと先週気が付きましたが、いつの間にかPVが10万超えてました。連載開始1年でようやくですが、数字見たときは本当に嬉しかったです。ここまで続けてこられたのも、いつもお読みくださっている皆さんのおかげです。ありがとうございます!