第143話 魔王妃ダニエラ
崩れ落ちてきた体を、そっと横たわらせる。
泣き喚くライラを余所に、薄気味悪く笑う男が宰相の肩に手を置いた。
「いひゃひゃひゃひゃ!!こういうときはどうするんだ、宰相さんよぉ?」
宰相は舌打ちするような顔つきでその男を睨んだが、すぐに目を閉じて自らを落ち着かせたのか、再び開かれた瞳は静かに観衆を捉えた。
「魔王は死んだ!!我らが法の下に、しばらくは宰相である私が魔王となってこの国を統治することを宣言する!!」
・・・そして居城の客間へ丁重に案内された俺達はソファに座り、これまでの流れを整理した。
「なるほどね。『年替わり草』があれば魔王の症状は治ると言われた、と」
「そう。だからアリッサを呼んで色々探し回ったんだ」
「見つかったその花、ジンイチローがすり潰したの?」
「ん?ばぁばにお願いしてやってもらったんだよ」
「・・・・・」
アニーが半開きにさせた口を震わせている。何かおかしなことを言ったかな。
「ねぇ、どうしてこの魔王国でばぁばが出てくるのよ」
「ん?転移でスイっと行ってきただけだよ」
アニーは頭を抱えた。何か悪いことしたのかな。
「ちょっと・・・いつからそんなことできるようになったの?転移って簡単に言っちゃってるけど、そんなのエルフでも使える人なんかそうはいないわよ」
「モル爺さんなら使えるよ。その人に教えてもらったし」
「モル爺さん・・・って誰よ?」
「前の長老司さんだね」
半開きだった口がピクピク引きつっている。
「爺さんって!失礼にもほどがあるでしょ!」
「いやぁ、今さら言われても・・・」
はぁ、と大きくため息をつかれる。
「・・・その話はもういいわ。これからどうするか決めましょ」
「そうだね」
ライラは『魔王の暗殺と国の転覆を謀った罪』の容疑で、牢獄に入れられた。もちろん俺達にかけられていた容疑は晴れ、侘びのつもりかこうして居城の客間を用意された。俺達がこの地にやってきた目的が無くなった今、こうして客間でのんびりとお茶を飲む必要さえないのだが・・・。
「そもそもの目的が『魔王に聞いてみる』だったから、もうこの国には用がないでしょ」
「まぁ・・・ね」
「どうする?もう帰る?」
アニーの問いに、何も答えずに目を閉じる。
「何?気になることでもあるの?」
「まぁ、ちょっと。・・・ね、提案なんだけど、どうせすぐにでもアニーの家まで転移で飛んで行けるから、もう少しここにいない?」
「・・・私は構わないけど、何かしたいの?」
「ライラの処刑を見る」
俺の言葉に一瞬驚いたように目を丸くさせたアニーだが、すぐに顔をしかめた。
「どういうこと?そんなにあの子に恨みでもあった?」
「ううん、そうじゃないけど・・・」
「・・・」
アニーはジッと俺を見つめた。
「大概こういうときって、あなたは何か企んでるのよね。なんだかんだいって、面倒事を引きつけちゃうし」
アニーの言葉に思わず苦笑いしてしまう。
「そうだね。でも聞いちゃった以上は処刑に立ち会わなきゃいけない」
「・・・聞いちゃった?」
「・・・ここでは言えないことさ」
客間をあてがわれた時にすぐに帰ると言わなかったのはそのためだ。処刑はすぐにでも実行されるとのことだが、それがいつになるかわからない。
「ちょっと魔王のところに行ってくる」
「魔王?元宰相の?」
「違う。死んだ魔王のところ」
「・・・気を付けて行ってきてね」
余計なことはするな、とアニーの目が訴えていた。大丈夫だよと小さく返して部屋を後にすると、客間の扉には衛兵が立っていた。壁が薄いからか、中にいるアニーとモアさんの声が漏れ聞こえる。やはり喋らなくて正解だった。
「衛兵さん、魔王のところに行きたいんですが」
「魔王様の・・・えっと、どちらの魔王様でしょうか」
「・・・眠っている方です」
「あー、はい。それでしたらこの先にある自室のベッドで安眠しております。御妃様もおられますので・・・その・・・ご注意ください」
衛兵は前魔王の『安眠』の理由を知っているためか、少しバツの悪そうな顔で教えてくれた。そりゃそうか、娘が涙ながらに止めたのに、俺は容赦なく倒してしまったから。妃も事情は聞いただろう、それでも客間にいる俺達のところにこなかったのは、単に忙しいからかと思っていた。だが、眠る魔王の傍を離れないとなると、少しでも傍にいたいからか・・・。
牢獄に叩き込まれる前に訪れたので部屋はすぐにわかったし、部屋の前には溢れんばかりの花で彩られていた。給仕の女性がせっせと花を運び、部屋の前に置いていく。俺はそれを横目に見ながら部屋のドアをノックした。
『どうぞ、お入りになって』
「失礼します」
ドアを開けると、この部屋にも花が一面に飾られていた。やわらかくて甘い香りが鼻をくすぐった。
「あなたは?」
「失礼します。ジンイチローと申します」
「あなたが・・・。お話があるの。着て頂戴」
「はい」
激高して殴りかかってくるんじゃないかと内心ビクビクしていたけれどそうではなく、俺の名を聞いても落ち着いている様子だ。俺は言われたとおり妃の元へ歩み寄ると、魔王の寝ているベッドの傍らにあるイスに座るよう促され、腰を下ろした。
「御妃様――――」
「かしこまらなくていいのよ。もう私は『元魔王の妻』ですから。ダニエラと呼んで」
「ダニエラ様、正直に言います。私が魔王を――――」
頭を下げようとしたその瞬間、ダニエラは手で制した。
「いいの。その時の状況も聞いたし、この人がこの城を出ていくときも遠巻きに見えていたから。だから謝らなければいけないのはこの私よ。身を挺してでも夫を城から出すべきではなかったの。多くの国民を傷つけてしまったから」
「そうは言っても、助ける方法が他にもあったはずです。それに、ライラ様も・・・」
「ライラは・・・ええ、そうね・・・」
ダニエラはベッドの布団越しに魔王の体を撫でた。
「ライラがこの人を殺そうとするはずがないわ。幼いころは父上父上と言ってくっついていたし、成人しても暇があればこの人の政務のお手伝いをするぐらい、ライラは父としても魔王としてもこの人を好きでいたんだから」
ダニエラは瞳を細くして、大粒の涙を突然流した。嗚咽することなく、無言で魔王の体を撫で上げる。
「ごめんなさいね、短い間に色々ありすぎて、もう何が何だかわからないのよ」
「お気持ちお察しします」
ダニエラは持っていたハンカチで涙を拭くと、今度は俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「あなたはどう思う?ライラは本当にこの人を貶めようとしたと思う?」
応えるべきか否か――――
判断に迷うも、真っ直ぐに見つめ返した。
「この場ではその問いに応えることはできません。目と耳がどこにあるかわかりません。ダニエラ様の身に危険が迫ることも考えられます」
ダニエラはそれを聞くと、眉間に皺を寄せた。
「いいのよ、私はどうなってもいいから、ライラだけでも助けたいの」
この言葉を聞く限り、ダニエラはライラが犯人でないと確信しているようだ。親の贔屓目というよりも、何かを掴んでいるからこその発言かもしれない。しかし、それよりも疑問に思うことがひとつだけあった。
「一つお聞きしたいのですが、なぜ私にそのようなことをお話しなされるのですか?もし私が本当の犯人だったり、犯人につながる人間だったりしたら、主犯に暴こうとするあなたを間違いなく闇に葬ろうとしますよ」
俺の言葉を聞いたダニエラは険しい顔から一転して、柔和な笑みを浮かべた。
「不思議ね、あなたになら打ち明ければ何でも解決してくれそうな気がしたのよ」
「そうですか・・・。解決できるほどの力なんてないんですけど」
「能力は関係ないわ。あなたの持ち前の雰囲気がそうさせるのかもしれないわね」
「はぁ・・・」
「さて、もし心配なら遮音結界でも張りますか。攻撃魔法は不得手ですがこうした支援系は得意なの」
「それなら大丈夫かと」
ダニエラは顔を少し動かしただけで、この部屋一面に何かしらの魔法を放った。ほんの一瞬だが甲高い耳鳴りがした。
「これでいいわよ。あなたが感じていることや助言があれば聞きたいわ」
俺はイスに深く座り直し、ダニエラに向いた。
「ではまずおききしたいのが・・・この部屋にある花は、ダニエラ様が持ってくるように指示したのですか」
「へ?・・・ええ、そうよ。私がそうするように言ったの」
ダニエラはきょとんとして首を傾げた。
「どうして花を?」
するとダニエラは先ほどと同じような柔和な顔で花を見渡した。
「ライラが幼いころ、この人とライラと私で山の上の花畑に行って遊んだことがあってね、ライラの嬉しそうな顔を見るのがこの人の幸せだったの。そのころからだったかしら、殺風景なこのお城に花の似合う花瓶や水瓶を置いて、花を入れるようにしたのよ。ほら、そこにある花もライラが摘んで挿したものよ」
ダニエラが僕の後ろに視線を移したので振り返ってみると、魔王の頭の上の棚にある小さな花瓶に、デイジーのような白い花が挿されていた。この花は確か、牢獄から脱走した時にライラが持っていたような・・・。
「せめてあの時の幸せを思い出したくて・・・ふふ、魔王のためというか、私のためね。魔王の妻としての最後の贅沢ね」
「そうですか。わかりました。これで私もお話しできます」
「・・・?」
俺の中に一つの疑問があったことは否めない。それは、このダニエラが魔王を貶めたのではないかとする疑惑だ。しかしあくまでも疑惑であるしその上動機がわからない。魔王が死ねばダニエラが魔王になるという法律があるわけでもなさそうだし、魔王のほかに相手がいるという不貞があれば話は別だが、花のエピソードを聞く限りそれもなさそうだった。
ということもあり、俺はここに来たいきさつやライラとの話、当時の魔王の様子、牢獄での出来事、宰相とのやり取り、年替わり草のドタバタ劇、すり潰した年替わり草を飲ませたときの魔王の様子、そして最後に魔王をこの手で終わらしめたときの様子を事細かに話した。ダニエラは口をはさむことなく、最後まで聞いてくれた。
一通り話し終えたところで、俺はある提案と考えを話した。ダニエラは当初驚愕の表情で受け止めたが、すぐに真剣な眼差しを向けてくれた。
「・・・とまぁ、これまでの流れから考えられる単純な結論ですけど」
「まさかとは思っていたけれど・・・確かに考えられるわ」
「それでも疑問点はありますよ。どうしてわざわざ魔王を生かしたのか、あんな黒い紋様の浮き出るような回りくどいことをしたのかが」
「そのあたりは色々と事が済んだ後に聞いてみるのがいいのかもしれないけど、残念ながら私にはもう権力がないわ。それに・・・いえ、やってみるほかないわね。ライラの命がかかっているんですもの」
そう、ライラの命がかかっている。
俺はダニエラにいきさつを話すうちに、ライラが冤罪であることを強く意識するようになったのだ。
「ともすれば、時間がありません。ライラが処刑台に上げられる前にそれを解決したいんです」
「わかったわ。私の陰兵を使いましょう」
ダニエラが片手を上げると、突然彼女の横に、跪く小柄な女性が現れた。今までそこに誰もいなかったことを考えれば・・・空間魔法か?
「宰相の家族について洗ってちょうだい。緊急なの」
「かしこまりました。1刻もかけずに報告いたします」
小さく呟くように返すと、すぐに消えてしまった。
「すごい使い手ですね・・・。もしかして3武神なんか目じゃな―――」
しーっ、とダニエラは人差し指を口に当てた。
「知らない方がいいこともあるのよ、ジンイチロー」
「そ、そうですね」
そしてダニエラは再び魔王の体を優しく撫でた。
ダニエラとかなり突っ込んだ話をしたのだけど、実はダニエラにも・・・いや、誰にも言えない事実があるのだ。
どうしようかな、なんてことを思いながら、花に包まれたベッドにいる魔王を見やった―――。
いつもありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。