第137話 誤解
「とはいっても、父上の病態を知らずに治療も何もできないでしょう。父上の床に案内いたします。エイルケン、大賢者は私が預かるわ。いいわね?」
「ライラ様がそうおっしゃるなら・・・。皆様のお部屋と食事の手配は私がいたします」
「ありがとう、お願いね。ではジンイチロー、私についてきなさい。お付きの2人もよろしければご一緒に」
「・・・そうね。ぜひ一緒にジンイチローと行かせてもらうわ」
俺が返事をする前に、アニーがフンスと鼻息を荒げて噛みつくように言い放った。その様子にくすりと口元を緩めたライラは、ソファから立ち上がるとすぐに扉へ歩き出した。宰相に一礼してからライラの後に続くと、長い廊下をひたすら歩いた。
だが、気が気ではない。
アニーを前に不謹慎だが、体のラインが分かる黒いドレスは目の毒だ。絞られた腰から臀部の膨らみが歩くたびに左右に振られ、意識しないとずっと見てしまうのだ。これはさすがにまずいと思い、俺の後ろを歩いていたアニーに先頭を譲った。訝しげなアニーには緊張してうまく歩けないとか自分でも訳の分からない言い訳をしてやり過ごした。ほんとゴメン、アニー。俺の理性を保つためだ。
やがて魔王の間に到着し、ライラがノックもせずに扉を開けた。
「いいんですよ、どうせ意識がないのですから」
窓際のベッドに寝かされているのが魔王か。
大胸筋がせり上がっているのが寝ていてもよくわかる。茶褐色の肌は健康的に見えるものの、布団の外に出ている腕を見ると、不気味な黒い紋様が浮かび上がっているのが見えた。
「これですか、例のやつは」
「えぇ。全体的にはこんな感じです」
ライラは躊躇なく布団を剥ぎとり、魔王の着ていた服も脱がせ上半身を露わにさせた。そこには黒い線状の紋様がところどころ渦を巻いたように描かれていて、よくよくみるとそれ自体が蠢いているのがわかる。まるでこの黒い紋様自体が生きているようだ。
「これは一体なんなのです?」
「それがわかっていればあなたに頼ることもないでしょうね」
「ですよね・・・」
「これがなんなのかはさっぱりわかりません。何かの病気なのか、誰かの仕業なのかすら見当がつかず、ただただ弱っていく姿を見届けるしかないのです」
ライラの表情が曇った。今日初めて見る悲しみに満ちた顔だった。
「ジンイチローはこれを見て何か思い当たる節はありませんか?」
ライラがじっと俺を見つめる。いや、その眼は相当なプレッシャーです。そんなプレッシャーを感じつつも、この黒い紋様が一体何なのかを考えてみる。とはいっても経験のない事象だからか、皆目見当もつかないのも事実。
だが、俺はこれを知っているような気もする。見たことがないはずなのに知っているということは―――
「いますぐ父上がどうかなるということではありませんが、少なくとも残された時間はそう長くはないと私は思います。だからジンイチロー、あなたが頼りなのです。褒美はなんでも差し上げます。本当に、父上を助けたいのです。お願いします」
今日イチの真剣な眼差しをもらった俺は、もう引き返せないなと腹を括った。
「わかりました。魔王様のこの状態を治せるとは断言できませんが、出来る限りの努力はしてみます。でも本当に期待しないでください。本当に何もわからないんですから」
「えぇ、それで構いません。何か少しでもきっかけになるようなものが見つかれば、それだけでも構いません。よろしくお願いします」
「ねぇ、ジンイチロー」
「なぁに?」
「あの女に甘くない?」
「え?」
「それにあの女、自分の父親を本当に助けたいと思ってるかしら・・・」
部屋を案内されて早々に、俺の部屋に乗り込んできたアニーが妙な威圧感をもって俺に迫った。だがそれ以上に、魔王の娘であるライラに対して猜疑心を抱いているようだ。
「俺はそこまで変な風に感じなかったけどね」
「変な風ね・・・。それにしてもあの人、どうも男を魅了する何かを持ってるのよね・・・。カナビア様がいれば鑑定でわかったかもしれないけど・・・。ジンイチローは何にもなかった?妙にオドオドしてたようにも見えたけど」
「う、ううん。特には」
「そう。ならいいんだけど」
ライラのボディラインが不意に脳裏に浮かび、それがこびり付いて消えない。心の中にモヤモヤとしたものが沸き起こり、いてもたってもいられなくなる・・・なんてことはアニーには言えない。
でも女性に対してここまでの感情を持つことは初めてだった。綺麗だと思うアニーにさえここまでの情欲にほだされなかったのに、なぜライラにだけ・・・?
不可思議なスキルを持っているというのだろうか。だとしたら・・・あまり目を合わせないようにするとか・・・とりあえずは試してみようと思うけど。
そうするうちにあっという間に夜になり、広い広間で3人で食事をした後、湯あみもそぞろにお互いあてがわれた部屋で眠りについた。
・・・
・・
・
針葉樹にも見える木がうっそうと生い茂る森の中を歩いている。どうしてこんなところを歩いているのかはわからない。でも歩いていけば何かがある、そう思っているからだろう。だろう、などと断定できないのは、今ここが夢の中だとわかっているからだ。
体が浮くようでふわふわとしているけれども、踏み入る足は確かに土の感触を実感している。
やがて開けてきたのか、その先に見える景色もはっきりとしてきた。
どこかの山の頂上にも見え、そこには高さ5mほどの岩が鎮座していた。
その岩のてっぺんに、青い髪をなびかせて座っている少女がいた。
岩の近くまで歩み寄ると少女は岩から飛び降りたのだが、「ふわり」と音をたてるようにゆっくりと地面に降り立つのだ。
「うん、ここまでこれたね」
首を傾げるとクスクスと笑って、俺の手を取った。
「わたしの声、聞こえるでしょ?」
うんうん、と頷くと少女はにこりと笑った。
「ね、来て」
俺の手を取ったまま少女は駆けていく。引きずられるようにして一緒に走ると、岩の裏で止まり、少女は指をさした。
「そこにあるの」
指をさしたところは岩の裂け目。俺は何かと思いそこを見ると、暗い裂け目の中にほのかに光り輝く白い花が咲いていた。綺麗な花だな・・・。
「わかった?」
うんうん、とうなずくと、少女はまたにこりと笑った。
「お手伝いできてうれしい。また会おうね」
・・・
・・
・
夢から覚めると高い天井が見えた。
そうだ、ここは魔王のいる居城で、あてがわれた部屋で、寝てて、夢を見て・・・あれ、なんの夢だっけ・・・。花をみていたような・・・。
それにしても妙に目が冴える。慣れない場所だからだろうか。昨日ザニアさんの宿に泊まった時にはなかったのだけ―――――
「っ!!!」
なんだ今のは!?
禍々しい空気が全身を刹那に包み込んだのだ。立ち上がってその発信元を探るように目を閉じる。
――――魔王のいるあたりか?
嫌な予感がする。行かない方がいいのかもしれない。でももし魔王の身に何か起きていたら―――。
躊躇する気持ちを押さえつつ、服を着替えてから部屋を出た。
ほんのり明かりの灯っている廊下を歩いていく。不思議なことに誰一人とすれ違うことがない。これだけの禍々しい空気が漂っているのに誰も気が付かないのだろうか。アニー達を起こそうとも思ったが、何かあってはいけないと思い自分だけでいくことにした。
やがて魔王のいる部屋に辿り着く。やはりあの禍々しい空気はこの部屋から出ている。ごくり、とつばを飲み込み、ゆっくりと部屋の扉を開けた。
廊下と同じく灯された部屋は、薄暗くとも魔王の寝ているベッドをしっかりと映していた。
鼓動が急激に高鳴った。
黒いロングコートを羽織り、ご丁寧にフードまで覆って顔を隠した何者かが魔王のベッドサイドに立っていたのだ。そしてその手には、黒く蠢く何かを漂わせた短剣を握り締め、今にも魔王に突き刺さんと構えていたのだ。
「何をしている!!」
大声で呼ぶと、俺をチラリと横目で見たそいつは短剣を投げ捨て、窓を開けて外へ飛び出してしまった。
「ちっ・・・」
急いで窓に駆け寄るも外は暗闇でまったく見えず、ましてや気配まで完全に消えていた。なんて逃げ足の速い奴だ。
俺は魔王の傍に寄り、あいつの持っていた短剣を手に取った。未だに黒く蠢く何かが剣の腹をぐるぐると漂っている。あいつはこれを使って魔王に何をしようとしていたのか・・・。いや、そもそもこの黒い奴こそ魔王の昏睡の原因なのでは?
実は、それともまた魔王に何かを施していてその途中だったのでは?
俺は慌てて布団と魔王の服を剥いで確認した。
やはり・・・。魔王の体には昼間見たよりも黒い紋様が広く浮かんでいた。間に合わなかったのか・・・。
寝ているとはいえ、少し苦しそうに顔をゆがめている魔王。なんとかできればいいのだけれど――――
「そこで何をしている!!」
突然響いた怒声にビクリと肩を震わせ、その声に振り向いた。
「ライラ―――」
寝間着のまま扉に立っているライラがそこにいた。
「ジンイチロー!!貴様・・・」
低く絞り出すような声とともに俺を睨むライラは、歯がもげてしまうほど、ぎりりと歯を軋ませた。
「禍々しいものを感じたと思って来てみたら―――やはり貴様だったかっ!!」
端正な微笑みを見せていたライラはそこにいなかった。完全に俺を父親をこのような状態にした『犯人』と思っているようだ。いや、『やはり』と言っていたところをみると、最初から俺を疑っているような口ぶりだ。よくよく考えてみればこの部屋に初めて来たときも『思い当たる節はないか』と聞いて俺を観察するような目を向けていた。
そうか、ライラは最初から俺を監視するためにここに置いたというわけか。
しかし、やはり誤解は解かなければならない。
「違うんだライラ。俺も禍々しい空気を感じてここに来たら、黒いコートを羽織った男がいて、この短剣を握ってたんだよ」
「白々しい嘘をよくもぬけぬけと・・・」
俺を見る目が一層険しくなった。
「衛兵っ!!ただちに魔王の部屋に寄れぃ!!」
廊下に向かって叫ぶライラに、思わずため息をついた。
「ライラ、違うんだ。誤解だよ」
「お前は今、父上の体の黒いものと同じやつを纏わせる短剣を握り、あまつさえその効果を確かめるために父上の体を観察していた。そしてそれを私がこの目で発見した。これ以上の証拠がどこにあるという!?」
ライラの瞳は怒りに満ち溢れ、同時に殺気を込めて俺を睨んでいた。正直、立っているのもやっとと言えるほどの圧力を感じる。これが魔王一族の本領だというのだろうか。脂汗が額に滲み出た。
「ライラ―――」
「気安く呼ぶな。本当なら今すぐ殺してやりたいところだが、白状するまで切り刻んでくれる。貴様の悲鳴をこの魔王国中に晒させてやるからな」
だめだ。もう何を言っても彼女には俺の言葉は入らない。
そう思ったとき、駆けてきた衛兵たちがこの部屋に大勢詰めてきた。
「この者と付き人2名を即刻縛り上げろ!!」
御意の一言だけを発し、衛兵たちは俺を床に押さえつけ、腕を後ろに回されてすぐに縄で縛られた。乱暴に頭を床に押し付けられているところ、ライラがつかつかと俺の元に歩いてきたと思ったら、まるでサッカーボールのように俺の顔を蹴り上げた。ちょうど鼻頭にあたったのか、どろどろと流れ出すものを感じた。
「いい気味だ」
そして何度も俺の顔を蹴り、唾を吐く音が聞こえ、腫れている頬に流れ落ちた。
「ぶち込んでおけ」
ライラの命令の直後立たされた俺は、ライラの冷たい視線を浴びながら魔王の居室をとぼとぼと後ろ手に歩かされた・・・。
いつもありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。