第132話 望まぬ仕事
事件の5日前―――――イリアが公爵邸を出立した直後にまで遡る・・・。
馬車の御者が慌てて馬を走らせたのを窓から眺め、いびつな笑みを浮かべた。
王女を自らの持つ『力』で囲うことを目論んだが、彼自身思いもよらなかった『王紋』によって邪魔をされた。古のエルフがかつてフィロデニアと交流を盛んにしていた時代の遺物が、まさかこの時代に受け継がれていたとは、公爵も考えが及ばなかった。
だがそれでもいい。
公爵は不敵な笑みを浮かべる。
取り囲うことができなければ、王女に用はない。王家にイグル神を伝える者が現れればフィロデニアの活動の楔に成り得たものを・・・。いや、良質な魔力があれば『魔人石』に変えてもよかったのかもしれない。もっと自分に力があればドルアンドのようにできただろうが、それをするには自分の体力が追いつかない・・・。
だからこそ、公爵は取り囲うことのできなかった時に備えての、面には出せない苦肉の『Bプラン』を用意していたのだ。
「ご主人様、お客様がお待ちです」
「連れてこい」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げた執事は公爵よりも年齢が高く、どことなく背骨も丸く見える。この屋敷にいる数少ない御用人である。
執事はある人物を公爵のいた応接間に招いた。
「お連れいたしました」
窓の外を見ていた公爵は、その言葉に身をひるがえすと、体格の良い男が口元を下品に緩めていた。
「よぉ、ご機嫌麗しゅう」
「慣れもしない言葉を使うな」
ふん、と鼻息を鳴らし、公爵がソファに腰掛けると、男も勢いよく腰をソファに落とした。
「あんたの顔を見る限り、失敗だったようだな」
「もともと想定の範囲だ。どうこう言われることもない。だからお前に準備させていたんだ」
「ま、そりゃそうだけどよ」
「で、準備はどうだ?」
「あぁ、いつでもいける」
「予定が大分早まる。おそらく数日以内―――いや、今日にでも決行してもらう」
男がいぶかしげに公爵を見つめた。
「随分早いな」
「元々数日後に、王女はケヴィン皇太子の葬儀に参列するために、一旦王都に戻る予定になっていたんだ。ところが今回の私の一件も伝えねばならない。そうなれば一刻も無駄にできんと考える王女が取る方法といえば―――」
「早めにここからズラかって、さっさと王に報告となるな」
「私としたことが、ついケヴィンとの繋がりをほのめかしてしまった」
「んなこたぁ俺に話している時点でおしまいだ。俺だって大金積まれればこのことを別の奴に話しちまうかもしれねぇぜ」
「だが私はそれ以上の金をお前に授けたぞ」
「ふふ、まぁな。安心しろ、簡単には顧客のことは話さん」
「盗賊風情に信用を求められてもなんの信用もないがな」
「ま、それは言いっこなしだ」
男は脚を組み直し、腕組みをした。
「で、本当にやっちまっていいんだな」
「何を今さら・・・」
「もちろん準備は抜かりなくやった。王都にも少しばかり痕跡を残したから、兵士たちの足止めに多少なり貢献するだろうさ。それにまぁ、俺もこの仕事はやりかけのことだったからな、あんたから持ちかけれなくてもやっていただろうが・・・。金があるのとないとでは手段が変わってくる」
公爵は男の話を聞き、少しだけ眉を動かすとおもむろに立ち上がって、隅に置いていた小棚の引き出しを開けた。小袋をもってソファに座ると、それを男に差し出した。
「50枚入っている」
「・・・すまねぇな」
男は中身を確認してから懐にそれを忍ばせた。
「他にやれることはあるか?」
「そうだな・・・。できれば目的地に向かっている7日間は追っ手を付けられて欲しくない」
「それで間に合うのか?」
「7日でもギリギリだ。何せ幌馬車で行くんだ。速さは見せられん」
「わかった。善処しよう」
男が立ち上がり、「じゃあな」と呟くように公爵に言葉を向けると、公爵は立ち上がった。
「ドナートよ」
「ん?なんだ?」
「これでお前と会うこともないだろう。達者でな」
「・・・あぁ、辛気臭ぇことは嫌いだが・・・世話になった。無事に荷物は届けてやるさ」
ドナートは一度頷き、部屋をあとにした・・・。
そして一夜明けた旧ハピロン邸は騒然となった。
首を掻き切られた衛兵の遺体が屋敷の門前で発見されたのだ。さらに凶器と思われる剣が現場に捨てられていたのだが、それは王城の騎士団がもつ王家の紋入りの両手剣であった。衛兵殺しの犯人を捜そうと兵士達が奮ったとき、その兵士たちはさらに驚愕の事実を突き付けられた。
イリア王女の行方不明――――。
兵士、給仕、文官共々、屋敷の隅から隅までイリアを探すも誰も彼女の姿を見ることはできなかった。
そしてこの日、かつてから出立が予定されていた第一近衛騎士団が屋敷に到着した。
だがその出立もイリアからの要請で急きょ早められたものであった。任務は無論、王女の王城までの道中の警護をするためだ。
ところが彼らを待っていたのは仕える主人ではなく、行方不明の知らせと騒然とした屋敷の者達の慌ただしい様子であった――――。
「屋敷の兵士は何をしていた!!」
第一近衛騎士団長は自らの剣を振りかざし、屋敷の兵士長に怒鳴る。部下の死に涙する間もなく届いた王女の凶報に愕然としたのは言うまでもない。
「申し訳ございません!!それが――――」
「言い訳は聞きたくない!!王女はどこにもいないのかっ!!」
「はっ!!屋敷を隈なく探しましたがどこにもいらっしゃいません」
「くそ・・・」
第一近衛騎士団長を任されまだ間もないフレア・チェンバルは、まだ20歳になったばかりのうら若き女性であるが、剣を握ると性格が変わるのはご愛敬である。
前団長のメルウェル・ランドから引き継いだ団長職の一番最初の仕事は、団の人材確保と強化であった。メルウェルでさえ上層部と掛け合わなかった賃金の昇給を果たし、積極的な騎士団加入のための『選抜試合』を繰り返し、剣に覚えのある者の加入を5名も果たしたのだ。
日々の訓練を積み重ね、フレアの元で団としての一体感も生まれた頃に命令された『イリア王女の警護』の任は、フレアにとって身に余る光栄だった。
だが、着任早々待っていたのはイリアの行方不明の凶報。
フレアは持っていた剣の柄を力強く握った。ここで怒鳴っているだけならだれでもできる。自分にしかできないこと、現場の混乱をいち早く鎮めること、冷静であれと頭の中で繰り返しながら、深く息をついた。
「・・・兵士長」
「はっ」
「門前の兵士を殺した凶器は騎士団の剣だと聞いたが」
「はっ、その通りです」
「ここに持ってこい」
「はっ!!」
兵士長が慌てて持ってきた両手剣を掴む。剣には血糊とわずかな肉片が残っていて、現場の凄惨さが覗える。それを見たフレアはあることに気が付き、剣を睨む目を一層細めた。
「兵士長」
「はっ」
「イリア王女はもうミニンスクにはいない」
「・・・え?」
「この剣をみればわかる」
「それは・・・どういう・・・」
「それについてはいずれ知ることになろう。この剣は証拠として王城へ持ち帰ることとする。兵士長、一つ頼みごとをしたいのだが」
「はっ!」
「屋敷に帯同していた文官に、王女がこのミニンスクで最も信用していた人物とは誰かを聞き、その者と早急に顔合わせを図りたいと伝え、合わせてその者へ伝令してほしい。返事は聞くまでもない」
「はっ、すぐに申し送りいたします」
「頼んだ」
屋敷に急いで走る兵士長を見送ると、抜いていた剣を納めた。
「はぁ・・・もうなんなの・・・」
剣を納めたフレアは、近衛騎士団長を命じられる以前のおどおどしい表情に戻った。
「団長、お疲れさん」
フレアは咄嗟に振り向いた。彼女の肩を軽く叩く男が気の抜けたような表情を見せた。
「グレースさん・・・」
「おいおい、あんた俺の上司だからな。もちっと、こう、『副団長』とか言ってくれよ。俺が上司みてぇな言いぐさは困る」
「だってえぇぇ・・・」
「はぁ~、まったく・・・就職先間違えたかなぁ~・・・」
ぽりぽりと頭を掻くこの男、グレースは、王城での兵士経験はまだ浅い。昨今の兵士一般募集に応募し見事王城勤務を命じられたのだが、勤務日数日で迎えた『近衛騎士団選抜試合』に興味半分で参加したところ、第一近衛騎士団長フレア・チェンバルの猛撃を軽くいなし、彼女に一度も一本を取らせなかったとして一躍王城の有名人になったのだ。フレアはこのグレースを近衛騎士団に入団させることにその場で決断し、さらに副団長職も任命するなど、異例ともいえる采配に周囲を驚かせた。しかしフレアが即決したのは言うまでもなく人材不足の背景があった。
フレアは就任当時、メルウェル時代からの副団長を頼りにしようと決めていたのだが、運悪く副団長の両親が高齢による体調悪化を見せたことから、副団長までも退職してしまったのだ。
選抜試合にかつてないほどの揚々たる気合を見せたフレアは、挑戦者をことごとく蹴散らした。その中でも特に磨きがいのある兵士を登用したのだが、グレースだけは様相が違った。彼女の剣劇を受け止める者などいないと囁かれていたにもかかわらず、グレースは難なく彼女の剣を受け流し、一度も木剣をその身に受けることなく試合を終えた。
このとき居合わせた観衆は、フレアの顔を見て戦慄を覚えた。それだけ彼女の笑みが歪んでいたという。
「で、団長殿。なんであんな指示を?」
「え?あぁ、そのですね・・・。一番近しい人ならイリア王女様の行動や気持ち、動きのことについてよく知っているのではないかと。それに・・・」
「それに?」
「信頼していると思っている人が、案外怪しいこともあるじゃないですか。王女様がいなくなったと聞いたときの反応がみたいんです」
はん、とグレースは鼻で笑った。
「なかなか根性あること言うじゃねぇか」
「笑いごとじゃないです!こうしている間にだって王女様はどこかで・・・」
「見立ては間違っちゃいないと思うぜ。王女様がこの街にいないってのもな」
「やっぱそう思うです?あの騎士剣、私は稚拙な攪乱だと思うのです」
「あぁ、そうだな。しかもあえてわかりやすいしてな」
「調べればすぐにわかるんですけど・・・。でも、王城に帰らないとわからないものではあります。まぁ、つまりはその『時間』ですよ」
「あぁ、主犯は相当『時間』を気にしてるってことになる」
「『時間』が欲しいということは、『時間をかけないとできないこと』をしようとしてるってことになるのです」
「・・・つまりは、今こうして何もできないような時間・・・だな」
ひとまずフレアは屋敷の者に指示あるまで屋敷内待機と通常業務を遂行するよう命じ、近衛騎士団は聴取を終えたら王城へ帰還する旨も説明した。ただし、彼女は屋敷の文官や兵士たちには伝えなかったことがある。
イリア王女が誘拐されたかもしれないということと、それを手引きした者が身近にいるかもしれないという事実を―――。
フレアは出立の前にイリアの執務室を尋ね、この屋敷での執務状況を軽くあたり、ほどなくして屋敷を出て伝令の向かった建物へと歩を進めた。
建物へはフレアとグレースが入り、他の団員は屋外待機とさせた。
「急な申し出にもかかわらずご都合いただき感謝します。私は第一近衛騎士団のフレアと申します。この者は同じく騎士団副団長のグレースです」
「よろしく」
フレアとグレースはソファに相対して座るこの人物を観察した。
グォール・エナリア―――。エナリア商会のドンと言われる彼は、高齢ではあるがその身なりと背筋の良さから何十歳も若く見られることも少なくない。
「グォール・エナリアです。して、今日は何か?急な用事と?」
「イリア王女のことでお聞きしたいことがあります」
「イリア王女の?」
「えぇ。実は、イリア王女は誘拐されました」
「んなぁっ!?なんと!!あぁ・・・だから進言したのに・・・まさかそんな・・・」
グレースは内心「おいおい、直球すぎるなぁ」とやや呆れ顔でフレアを覗うも、フレアの瞳に揺るぎはなかった。
「進言・・・とは、どのような?」
「ここ最近の話ですが、このミニンスクで盗賊風情の男達の出入りが多かったものですから、イリア王女へは警戒の意味を込めて警備を厳重にするようお話していたのです」
「そうですか・・・。そのような情報はどこで?」
「無論、私の商売の伝手と申しますか、各所に耳はありますので」
「なるほど、愚問でした。お伺いしたいのは、その盗賊風情の出入りが多くなったというのはどれくらいの時期ですか」
「ん~~、確か、イリア王女が着任するかどうかの時期で・・・。厳密に言えば着任直前で、数が増えたのは直後だったと思いますが」
「そうですか・・・」
フレアは微動だにせずグォールの瞳を見据えていた。しかし、深くため息をつくとその眼は閉じられた。
「イリア王女・・・はぁ、そんな・・・」
両手で顔を覆いながら俯くグォールを見て、フレアはグレースに向くと小さく首を振った。
「エナリア殿、頼みたいことがあります」
「はい、私にできることであれば」
「しばらくの間はイリア王女の誘拐については口外しないようお願いします。実はまだ王にすら報告していないのです」
「王にも・・・わかりました」
「それと、イリア様が執り行っていた執務についてなのですが、残った文官達に対してできる限り助力願いたいのです」
「えぇ、もちろんです」
「ありがとうございます。では我々はこれで王城に行きますので失礼します」
「はい。イリア王女の無事を祈っています。何かあればこのエナリア、協力は惜しみませんぞ」
「承知しました」
「エナリア殿は白だ」
「はいです。あの眼は嘘を言っていません」
「あぁ。とにかく城へ急ぐとするか」
「ん~~・・・でも・・・」
「なんだ?まだ気になることでもあるのか?」
「別に今回のこととは関係がないとは思うんだけど・・・。う~ん・・・まぁいいか・・・」
ミニンスクの郊外まで馬を歩ませた一行。フレアは後ろに馬を振り向かせた。
「皆の者、これより王城へ帰還する!!イリア王女の奪還に向けこれからお前たちを忙しくさせるが、主君のために今一度奮起するぞ!」
「「「「「 おおおおっ!!! 」」」」」
馬を駆けあがらせ、赤茶けた髪をなびかせる。
いつもなら爽快に思える馬の風も、今日に限っては妙に重たく思えるフレアだった・・・。
いつもありがとうございます。
次回予定は6/10です。
よろしくおねがいします。