第13話 ミルキーばぁば その3
通された部屋は先ほどの部屋と比べて少し狭いが、こちらも棚が据えられていて、何かが入っている瓶や古めかしい本が並んでいる。液体の入った樽もある。半畳ほどの大きさの作業テーブルが置かれていて、その上にはいくつもの小瓶や試験管のような細長い瓶もあって、その中の栓をしてあるものには色のついた液体が入っていた。
「これが私の作業場さ。いつもここで依頼のある薬を作っているんだよ」
製薬場か・・・。小さな作業テーブルだけど、やっていることはとても大きい。
「だいたい卸しているのは小ポーションと中ポーションだね。大ポーションとなると材料が高価な分、購入額が割高になってしまうから普通の人は買わないのさ。買うのは専ら国だね。あぁ、すまない。ポーションは体力回復薬のことさ」
ばぁばが手に取って見せてくれた。見た目と量は小も中も変わらないらしい。陽の光に瓶が反射してとてもきれいだ。ポーションのあった横に緑色の液体が見えた。
「ばぁば、この緑色は?」
「こいつは毒消し薬だよ。だいたいの毒に効果があるけれども、魔物の中には特殊な毒を出すものもいてね、そういう魔物専用の薬はその魔物の生息域にある街なんかでよく作られているんだ。そういう毒消し薬にはその魔物の毒を上手く利用して作るようだけどねぇ。ちなみに、この辺りにはそういう魔物はいないから、この毒消し薬で十分。安心おし」
なんだか蛇の抗毒血清みたいだな。そのあたりは元の世界と同じか。
すると、ばぁばが棚にある本に手を伸ばした。
「これを見てみな」
ぱらぱらと捲ってみると、薬草や植物の図解が載っていた。植物の細部まで描かれた絵にあわせ、薬にした時の効能、そしてどの部分を薬に使うのかも矢印を使って説明されていて、1ページに2,3種類掲載されている。しかも、この家の周囲で採取できるもの、『フィロデニア大森林』なるところで採取できるものなど、分布域でインデックスしてある。あ、最初のページには音順でページ数が・・・。これは初心者でもわかりやすい。いい勉強になる本だ。
「ジンイチロー、よければあげるよ」
「えっ!」
「それは私が長年かけて編集したものさ。すべての植物を網羅したわけではないがね。主要なものは載せたつもりだよ。忘れないようにと絵もつけてみたけれども、結局全部頭の中に入っているからね」
「いいんですか?」
「あぁ、かまわないよ。それとねぇ・・・」
ばぁばはもう1冊取り出した。
「これも読んでおきな」
渡された本には、さっき教えてもらった薬の作り方が載っていた。もちろん、なんの薬草を使うのか、どれくらいの量を入れるのか、温度、製作段階ごとの注意点なども詳細に記されている。これは細かい!
「もしかして、これもばぁばが?」
ばぁばは首肯した。
「これだけのものを1人で編集するなんて凄い!」
「それもやるよ」
「え゛っ!いいの!?」
またもや首肯するばぁば。こんな大事な本を俺にくれるなんて・・・。
「その代わりといってはなんだけど、頼みがある」
そうか、そうだよね。代価は必要ですよね。
「あの、お金はありませんけど」
「ははは、金じゃあないさ。ジンイチロー、しばらくこの家で私の手伝いをしてほしいのさ」
思わぬ提案に驚き、目を丸くしてしまった。
「いいんですか?まだ何にも薬草のこと分からないし、それに俺、魔法のこともよく分からないぐらいの奴なんですけど・・・」
「はっはっはっ!気になさんな。私も年でね、薬草採取や配達も堪えてきたところさ。それに魔法なら使い方を教えてやってもいい。薬の作り方もね。色々やっていくうちに『鍵』なんざすぐに外れちまうさ」
薬草採取にこの家で薬づくりのことまで・・・。何かに打ち込めそうな雰囲気のあるこの部屋で、この家で、住み込みのお手伝い・・・。やりたいことも見いだせていない今、地に足をつけて取り組めるそうな気がした。それに対して能力もないような俺に手を差し伸べてくれたばぁば・・・。本当に嬉しい。
それに『色々やれば鍵がすぐに外れる』・・・か。マーリンさんと同じことを言うんだな。
「ばぁば、こんな俺ですが、お手伝いさせてください!」
「ふふ、そうかね。じゃあよろしく頼むよ。この部屋に案内した甲斐があったもんさ。いずれジンイチローもこの部屋で薬を作ってもらうよ。それまでは少しずつ、色々なことを覚えていけばいいさ。『大賢者』は否定的であってもいいが、ジンイチローとしての生き方には必要かもしれんしな」
心に沁みる。大賢者としてというより、ジンイチローだからこそ!と自他ともに感じられるようになりたいな、と素直に思えた。
「さて、じゃああっちの部屋に戻るかね。ジンイチローにはまだ聞きたいことがあるからね」
・・・
・・
・
ばぁばはお菓子をもってくると言って、キッチンで支度をしている。
そのばぁばは、俺が住み込みで手伝いをするかわりに魔法の使い方や薬の作り方まで教えてくれるという。読めと言われて渡された薬の本を捲ってみる。薬の中には回復魔法を仕上げに掛けるものもあるようだ。植物図鑑や薬の本を読み、ちょっと高揚している自分がいる。色々なことを勉強できるチャンスがあって、しかも先生が屈指の大魔法士。大賢者が大魔法士から魔法と薬を教えてもらう、か。おかしな気もするけど、俺の存在自体が明らかに特異だから『気になさんな』だな。
何にせよ、文無しの俺が住み込みのお手伝いをする、これが一番大きい。ばぁばに出会わなければ野宿連泊は間違いなかったし、飯にもありつけなかったよ。
ばぁばには感謝しかない・・・。
ばぁばがお菓子をもって席に着くと、またお茶を入れてくれた。お菓子はクッキーに似たものだった。ほのかに甘く、クッキーよりも柔らかい食感だ。
「さてジンイチロー、さっき言った魔法の使い方はあとでやるとして、これについて聞きたいの」
ばぁばが下に置いてあった籠から取り出したのは、あの壊れた魔道具と宝石だった。
「見覚えがあるだろう?これはジンイチローが裏路地で寝ていたところから、私が拾ってきたのさ」
俺は首肯した。
「これが何だか・・・わからないだろうね。一応確認しておくが、ジンイチローがつくったものではないね?」
もちろんそうだ。俺はもう一度忌避結界のことや灰色ローブの男達のこと、魔道具を壊したときのことを話した。ばぁばは唸った。
「む~~、今すぐどうこうなるものじゃないと思うけれど、おそらくこの魔道具はまだ王都にいくつかあるんじゃないかと私は思っている。これは・・・あくまでも私の想像だよ。これはおそらく大きな結界を張るための道具だったんじゃないかと思う。理屈じゃないよ、ただの勘さ。だが一つ言えるのは、あんなヘンピなところにこの魔道具を置いても何の意味もないと思う。その反面、いくつも置けば意味を成すものに変化する・・・。そんな気がしてね。置いたあったところが王都の端っこだったというのが気になるんだよ」
うんうんとうなずく俺を見て、ばぁばは笑った。
「ふふふふふ、そんな得体の知れない魔道具とこの宝石、魔法陣を、何の検証もしないでぶった切ったジンイチローは度胸があるねぇ!」
あはははは、と苦笑いをする俺。確かに検証らしい検証はしませんでした。
「罠が仕掛けられているとは思わなかったのかい?」
思い返せばそこまで考えなかった。やばい物であるのはわかったけど、一緒に寝るのは嫌だという実に自己中な判断でやったのだ。
「設置した連中も、まさか壊されるとは思いもしなかったんだろうに。しかし、この宝石は・・・」
ばぁばはジッと真っ二つになった紫色の宝石を睨む。
「見たこともないねぇ・・・。鉱石でもない。つまり、宝石でもない。ん~・・・わからん。わからんが、明らかに言えるのは、人工物ということだけだね」
ばぁばはこの宝石のようなものから目を離し、お茶を一口すする。
「ジンイチロー。今度王都を歩いているときに同じようなものをどこかで見つけたら、同じように破壊してもいい。ぶった切ってよし。生きたまま持って帰ってくれば研究できるけど、何が起きるかわからないからね。壊しても何もなかったんだから、それが一番いい」
うん、心得た。
「注意点とすれば、設置してある場所をしっかり覚えておくことだ。2つめ、3つめと見つかってくれば、おおよその意図が掴めてくる」
とはいえ、今のまま街の中を歩くのはいささか気が引ける。ほとぼりが冷めたらこっそり探すことにしよう。
「誰かがよからぬことを考えているようだね。何事もなければいいんだけどねぇ・・・」
そんな心配そうにするばぁばに、俺はちょっとズレた質問をしてみた。
「どうしてばぁばはあの裏路地に来たの?」
ばぁばは微笑みながら応えた。
「あの時はたまたま用事があって出かけていたのさ。すると何となく妙な気配がすると思ったら、裏路地に続く道にジンイチローの言うとおり忌避結界が張られているじゃないか。気になって私はそのまま入って確かめたのさ。あれくらいの結界だったら問題はないよ。そしてさらに奥手の袋小路には、ジンイチローと壊れた魔道具が転がっていた、というわけさ。ちなみにあえて結界を壊さずに残しておいたのは、ジンイチローのためだけじゃなく、魔法をかけた者に知られたくないというものもあったんだよ。もしかしたら近くで見ていたかもしれないからねぇ。そんな可能性もある中で魔道具と魔法陣をぶった切ったんだよ、アンタは。もちろん咎めるつもりもないから安心おし。そんな裏路地の袋小路で寝ているアンタの横にあった魔道具と削られた地面を見て、これはこの子がやったんだなとすぐにわかった。というのが流れさ」
―――ごんごんごん
玄関からノックする音が聞こえた。
「おやおや、誰だろうねぇ」
ばぁばは立ち上がり、玄関へと向かった。すぐに玄関を開ける音がした。
『こんにちは。あらあら、綺麗なお嬢さんね』
『こんにちは。すみませんが・・・』
急に声の主が小声になる。
『あ~~、はいはい、いますよ。それなら上がってもらおうかしら。どうぞ」
玄関からこの部屋に戻ってきたばぁばは、にまにましながら俺を見た。
「ジンイチロー、あんたも隅におけないねぇ」
ん?何のことですか?
部屋に通された人を見て驚愕した。
――――あの、エルフさんだ!
血の気が引くとはまさにこういうことだろう。視界が揺らぐ。
まさかこれほどの執念を燃やしてまで謝ってほしいのか!
でもやっぱりあんなに見ちゃいけなかった!ごめんなさい!
そんな俺は、口から魂が抜けたような顔で謝罪スキル『土下座』をいつ発動させるかを真剣に考えてしまった。
でも、よくよく彼女の顔色を覗うと、彼女からは俺に対する憎悪だとか執念とか、そういった類の物は見受けられない。むしろホッとしたような表情だ。
「よかった。やっと大賢者・・・ジンイチローに会えた。私はエルフ族のアニー、あなたに聞きたいこと・・・お願いしたいことがあってきたの。街で聞いたらミルキーばぁばのところに行ったと聞いたから」
俺が街で『ミルキーばぁば』のことを話したのは果物屋のミーアさんだけだ。ミーアさんから聞いたのか。数あるお店の中でミーアさんに聞くとは・・・ドンピシャですね。
しかし、アニーさんはとんでもないことを何の恥ずかしげもなくさらっと口にした。
「あなたを一目見て感じたの。しばらくあなたの傍にいたいの」
※ 7/23 文章一部修正しました
※ 文章にそぐわない前書きがありましたので修正しました