第124話 戦いの後の休息
その日の夜―――――
「レナはもう寝たかい?」
「えぇ、アニーと一緒にベッドでぐっすり」
「そうか・・・」
周辺警備を遅番の人達に任せた俺とオルドさんは、家に帰ると遅めのお風呂と夕食をいただき、こうしてワイングラスを傾けている。
レナさんは「大丈夫!」と気丈に振る舞っていたが、いざ立ち上がろうとすると膝が笑ってとても歩けそうになく、俺がおんぶして家まで連れ帰ってきた。一緒にいたいとレナさんからせがまれたものの、周辺警備を手薄にするわけにもいかず、明日は一日一緒にいることを約束してアニーに付き添ってもらうこととなった。
マルナさんやクレアさん、メースさんも同様で、表面上は笑顔を取り繕っていたが一人で帰ることが出来なくなっていた。マルナさんはファンニエールが、クレアさんとメースさんは教師が帰宅に付き添っていった。
「ジンイチローさん」
家事を一通り終えたミレネーさんがテーブルのイスに腰掛け、しっかりと俺を見据えた。
「レナを助けてくれてありがとう。アニーもレナも、あなたに助けてもらえて本当に良かった。あらためてお礼をいいます」
「私からもお礼を言いたい。レナだけでなく学院の生徒たちをも守ってくれた。本当にありがとう」
「いえ、そんな・・・。学院は私じゃなくて教師の皆さんががんばってくださったおかげですよ」
「確かにそれはそうだが、学院長の話によるとその戦いぶりは凄まじかったと興奮していたそうだよ」
覚えている限り、あんなに魔物と対峙したのは確かに初めてかもしれない。
大ムカデを倒したと思ったらグランドベアが現れ、倒したと思ったら今度はフォレストホーンラビット、そして名前も知らない蟲や魔物がワラワラと大群をなして現れた。序盤で気力を使い果たした教師の皆さんは傍から見ているしかできていなかったように思える。
あまりの数の多さに驚いた俺は一緒に戦っていたアニーを離脱させ、教師の避難誘導に向かわせたほどだ。
あんまりしたくはなかったが、剣技や魔法、精霊魔法も組み合わせ、あらゆる飛び技をぶっ放しまくった。アニーが連れ去られそうになったときにブチこんだ『十刀連撃』も連発した。ちなみにあの技は必死にアニーを追った時に咄嗟に閃いた技で、これがまた使える剣技だった。それでも返り血を気にしていたら隙ができるのでとにかくそれらを放ち、あるときは刀で斬りこんだ。
最後の魔物を倒した時点で我に返った俺は、後に訓練場と知った校庭の隅から隅まで魔物の死体で埋め尽くされていたその光景に唖然としてしまった。
帰る間際に学院長から挨拶されたとき、戦う俺の姿はまるで『舞っている』ようだったという。戦いぶりを遠くの校舎から見守っていた生徒たちからまるでハイエルフを崇めるかのように跪かれ赤面してしまった。
そんな話の流れから、グラスを片手にしたオルドさんから闘技会に出てみないかと誘われたものの丁重にお断りした。笑いながら「冗談だよ」というオルドさんだったが、目がマジだった。
ミレネーさんはレナさんが心配だといって彼女の寝室に入っていった。オルドさんも疲れたのかひとあくびしてグラスを片付けると、寝室に行ってしまった。
一人グラスを持ってボーっとしていると、奥の方から歩く音が聞こえてきた。
「まだ一人で飲んでるの?」
「アニー。起きてたの?」
「お母さんが代わるっていうから、起きてきちゃった」
「モアさんは?」
「レナに付いてくれるって」
「そっか。座る?」
「うん」
ネグリジェ姿のアニーが俺の横に座った。ふんわりといい匂いが漂った。
「今日は助けてくれてありがとう」
「うん、どういたしまして」
「やっぱりあなたは大事な時に助けてくれるのね」
「まぁ・・・ちょっと遅れちゃったけど」
「レナのことも・・・ありがとう」
「ファンニエールがいたからだよ」
「ううん、それだけじゃない。あなたがいなければレナはだめだった。あなたのおかげよ」
「そっか・・・でも助かってほんとよかったよ」
「・・・」
アニーはそれから黙ったまま俯いてしまった。
なんとなくだが、彼女の考えていることがわかったような気がして、単刀直入に聞いてみることにした、
「アニー?」
「ん?」
「・・・迷ってるんじゃない?」
「・・・」
「ここに残るべきか否か・・・」
「・・・」
何も言わずに俺を見るめるアニー。やっぱりそうだったか。
俺はアニーの髪をそっと撫でた。
「アニーの好きなようにしていいと思うよ」
「・・・」
「ここは君の故郷だし、故郷を守りたいと思うのは当然だよ」
「・・・もう、こういうときはどうして鋭いのかしら・・・」
「え?」
「なんでもない。ジンイチローにはやっぱり隠せないなぁ」
「アニー・・・」
「わたしね、ここに戻ってきて懐かしいと思ったけど、ここにずっといようとは思えなかったの。だからまたあなたとこの地を出るつもりでいた―――ううん、それは今でも思ってるの。でもね、今回のこともあって、少しでも何か役に立ちたいって思って・・・」
「うん・・・」
「みんなが大変な時に何もできない私は・・・私は・・・もっとあなたみたいに役に立てたらと思うと・・・なんだかソワソワしちゃって・・・」
「アニーだってみんなのために戦った。学院の卒業生が果敢に魔物に向かって剣を振るった姿は、きっと生徒のみんなに勇気を与えたんじゃないかな」
「だといいんだけど・・・」
「それに・・・俺が嬉しかったのは、アニーが子ども扱いされていなかったことかな」
「私が?」
「うん。普通ならいくら卒業生でもあんな魔物の大群が出てきたら「逃げろ」って言われるよ。でもそうは言われずに頼られたってことは、アニーはエルフイストリアの戦士として扱われたんだ。もっと自信を持っていいんだよ」
「うん・・・そっか・・・そういうふうにも言えるよね。なんだかずっと考え込んじゃって・・・不安そうにしてるレナを見るとね・・・。これからどうしようって思っちゃったの」
アニーはそっと頭を俺の肩に預けてきた。
「やっぱりあなたに話してよかった。ちょっとすっきりした」
「お役にたててなによりです」
「・・・でも・・・やっぱりレナのことが心配だな・・・」
「そうだね、明日は一日一緒にいるって俺も約束したんだけど・・・。笑顔なんだけど、震えてたんだよね」
「・・・でも、あの子は強い子よ。きっと立ち直る」
「そうだね、俺もそう思うよ」
「レナから頼まれててね、私があの子の代わりに襲われたお友達のところに行くことになってるの。明日はレナのことよろしくね」
「うん、任せて」
アニーは首を伸ばして俺と軽くキスした。
「おやすみなさい。ジンイチローも疲れてるだろうから早く寝てね」
「ありがとう。おやすみ」
そして翌日―――――
朝食を済ませたアニーはモアさんを連れてレナさんのお友達の家に見舞いに行った。レナさんはまだ起きないようで、しばらく寝かせてあげることにした。
そんな折、家を訪ねてきたのが長老司だった。
オルドさんもミレネーさんも用事で出かけてしまったため、勝手ながらキッチンを使わせてもらい、カフィンを淹れ、もてなした。俺も自分用のカフィンを淹れ、長老司と相対するように座った。
「学院での事件については報告を受けた。本当にありがとう」
「いえいえ。教師の方が一人犠牲になってしまったようで残念ですが、生徒にけががなくてよかったです」
「うむ・・・貴殿がいてくれたおかげで犠牲が最小限で済んだ。それに生徒たちに遠巻きながらも君の戦いぶりを見せることができた。犠牲者が出てしまった手前不謹慎ではあるが、実戦のない者にとって生きた見本となっただろう。それに自分の身は自分で守るということがいかに大切かを学べたと思う。将来はフィロデニア王国にも足を伸ばす者もいるだろうから、貴殿を見た経験が物をいうだろうな」
「そんな大したことはしていないんですが・・・。それでも少しでもお役にたったならば・・・」
こうしてしばらく雑談をしていたが、長老司はあっと顔を固まらせ、俺を見て何度もうなずいた。
「いかんいかん、本題を忘れとった」
「本題?」
「2つばかり伝えておくことがある。一つは学院のことだが、今回の事件で学院はしばらく休校することとなった。よって貴殿たちがイストリアに滞在する間の学院への派遣は事実上終了となる」
「あぁ・・・確かにそれは仕方ないですね。承知しました。で、もう一つは?」
「事実上派遣が終了となるもう一つ理由があってな、貴殿が魔王国へ越境する日取りが確定したからだ。魔王国への輸送便に同乗して魔王国へ渡ってもらうこととなるんだが、それは明々後日だ。輸送便といっても船で渡ることになるがね」
「船・・・。海を渡るんですか?」
「そう。魔王国は島国だ。大きな島を大きな海が囲っている。魔王国を囲む海と接続する大陸に一番近い船着き場がこのイストリアなんだ」
「へ~・・・」
「今の魔王は昔に比べればおとなしくなった方だから、会うにも問題ないだろう」
カフィンを飲み干した長老司は用事があると言ってこの家をあとにした。カップを片付けてレナさんの様子を見に行かなければ・・・。
そう思った矢先、玄関をノックする音が聞こえてきた。今日は客人が多いな・・・。
玄関のドアを開けると、ファンニエールが立っていた。
「ジンイチロー」
もはや呼び捨ても当たり前になっているが特に気に障らない。むしろ驚いたのは、あのファンニエールが笑みを湛えているのだ。
「ちょっといいか」
「あぁ、構わないよ。どうぞ」
部屋を知っているのか、彼は案内なしでも居間に入りソファに腰掛けた。
「今日はどうしたの?」
「そのさ、昨日のこと覚えてるか」
「昨日のこと・・・。君と約束したこと?お兄さんと話せってやつかな」
「そう。それだよ。あんたに言われたとおり・・・その・・・やってみたんだ」
喜びを隠せないその顔から、きっとうまくいったんだと確信した。
「上手くいってよかったね」
「なっ!!ま、まだ話してないだろ!?」
「だって、話さなくても顔に書いてあるんだもの。『上手くいったぜ!!』って」
「ふぁっ!!」
途端に顔が真っ赤になるファンニエール。この子は年上お姉さんからモテるんだろうな、なんてどうでもいいことを思ってみたりする。
「で、お兄さんはなんだって?」
「あぁ、それで――――」
ファンニエールは家に帰ったあとすぐに兄の部屋に直行。兄は片腕だけで腕立て伏せをしていたそうな。ファンニエールを久方ぶりに見た兄は、「たくましくなったな」と笑顔を見せてくれたという。思わず溜まったものがこみあげてきて兄の前で号泣したというが、この話だけは誰にも話すなとくぎを刺された。
兄は黙ってファンニエールの話を聞いたあと、自分がなぜ鍛えているかを話してくれたそうだ。その理由は至極明快、再び魔物と対峙するためだとか。たとえ歩けない体でも誰かの為に戦いたい、自分をこんな体にし、婚約者を奪った魔物に一矢報いたい、そんな思いから少しずつ始めていたそうだ。
ファンニエールが抱いていた『兄の気持ち』は、確かに兄も事件直後は強く持っていたそうだが、何もしない日々の中、次第に衰えていく自分の体を見て恐怖を感じたという。やがて兄は『このままではいけない』と痛感し、「死なせてくれ」と口にするのをやめたという。このあたりから兄はファンニエールと話したいと思っていたものの、当のファンニエールはなぜか兄の前に姿を現さず、あろうことか婚約者のいた村の人間と決闘を行い、人々から避けられるようになったと両親から告げられショックを受けた。ファンニエールがそういう行動を取ったのは自分のためだったと後で知り、さらにショックを受けた。
だが昨日、ファンニエールは兄の扉をノックした。
互いに分かり合え、ファンニエールは笑顔を取り戻せた・・・。
ファンニエールが興奮気味に話す内容をまとめるとこんな感じだろう。
「回復魔法については何か言っていたの?」
「あぁ。治せるものならぜひお願いしたいって言ってた」
「そっか。じゃあ、約束通りお兄さんのところへ行こう・・・といいたいところだけど」
「ん?なんかあんのか?」
「今日は無理だから、明日でもいいかい?」
「えぇ?なんだよ、すぐに来てくれんじゃないのか?」
「それが―――」
「今日は私がお兄ちゃんを独り占めする日なの!!」
俺の言葉と被せ気味にレナさんの声が背後から響いた。いつの間にいたのだろう・・・。
「レナさん、寝てなくて大丈夫?」
「うーん、寝すぎると反って具合悪くなりそうだから起きちゃった」
そういうレナさんだが、何となく顔色が悪いようにも見える。
「ファン、来てたんだね」
「あぁ、ちょっとこいつに用事があってな」
「こいつ・・・?」
レナさんが舌打ちを合わせてファンニエールを黒いオーラを放ちながら睨むと、蛇に睨まれたカエルのように彼は固まった。
「私の命の恩人に対して『こいつ』ってなによ・・・」
「あぁ・・・いや・・・その・・・じ、ジンイチローさん!そういうことであなたにあらためてお願いしたいです!」
さっきまで見えていた自然な笑顔が消え、取り繕ったように口をピクピクと引きつらせていた。
「うん、じゃあ明日ね。今日と同じ時間に来てもらってもいい?」
「はい、よろしくお願いします!」
ファンニエールは立ち上がり、レナさんに小さく「またな」といって走り去ってしまった。
二人きりになった居間に、レナさんのため息が漏れた。
「まったく・・・。お兄ちゃんごめんね、ファンがあんなこと言って・・・」
「いいんだよ。彼も今回のことで随分変わったみたいだし、ああいう方がツンケンしてるよりよっぽどいいよ」
「変わったっていうか、元に戻ったってカンジ?まぁ、私もああいうファンの方がとっつきやすくていいんだけどね」
レナさんはやれやれと肩を落として歩き出した。
しかし――――
「あ――――」
「ちょっ・・・あぶない!」
眩暈を起こしたのか、吸い込まれるように後ろに倒れかけたので、咄嗟に駆け込み彼女を抱きとめた。
「ふぅ・・・ギリギリセーフ」
「ごめんお兄ちゃん、わたしまだまだ寝てないとダメかな」
「うん・・・」
フル・ケアをかけて、一日横になっていたので大分回復していると思うのだけど、襲われたことで精神的に傷ついているのかもしれない。
「ベッドに行く?」
「ううん、座って休んでるね。それにしても・・・この香り、何?」
「あぁ・・・これ?」
長老司が来たときに振る舞ったカフィンの残り香だろうか、レナさんがしきりに鼻をスンスン動かした。
「これはカフィンっていうんだよ」
「カフィン?」
「フィロデニア王国で流行らそうと思っててね、大人の飲み物さ」
「・・・」
レナさんがキラキラと瞳を輝かせて俺を見つめた。
「・・・淹れてあげるよ」
「へへ!ありがと!」
居間でレナさんをしばらく待たせて後にカップに注いだカフィンを目の前に置いた。
レナさんは香りを嗅ぐと「ほぉおお」と感嘆の声を上げた。
そしてフィンを一口含んだ顔は驚きに満ちていた。
「すごいね、これ。一気に目が覚めるカンジ」
「でしょ?朝飲むと抜群にスッキリするよ」
てなカンジでカフィン談義を楽しんだが、レナさんがため息をつくと途端に萎んだように体を丸めてしまった。
突然の変わりようにプチパニックを起こした俺は、ワタワタと手を動かしてしまう。
「どうしたの!?」
「・・・いきなり出てくるの」
「え?」
「急にあの魔物が私の目の前に出てきて、大きい口を首に――――」
レナさんがさらに縮こまって震えはじめた。
これはまさか・・・。
「襲われた時のことを急に思い出しちゃうんだね?」
黙ったままレナさんはうなずいた。
専門家でもない俺はどう対処したらいいのかわからないけど、目の前に震える子どもがいれば何をすればいいのかと考えた時に思い出せる方法は一つしかなかった。
縮こまる彼女の体を、ぎゅっと抱きしめた。
彼女は一瞬ビクリと体を固まらせたが、緊張がほぐれるように力が抜けていった。
「怖いよね」
「・・・うん」
「今日は一緒にいる約束だから、怖いことがあっても俺がいるから大丈夫だよ」
「お兄ちゃん・・・」
レナさんは俺の背中に腕を伸ばすと、力強く俺を引き寄せて抱きしめた。
どれくらいそんなことをしていただろうか、しばらくの間は沈黙しかなかった。
「ねぇ・・・」
「ん?」
「聞かせてほしいの」
「・・・何を?」
「お姉ちゃんのこと」
「アニーのこと?」
「うん。お姉ちゃんは・・・ううん、お姉ちゃんだけじゃない。お父さんとお母さんも私に話していないことがあるの。何か隠してることがあるんじゃないかって思うんだよね」
鋭いな。アニーもオルドさんもミレネーさんも、アニーがゴブリンにされたことについては話していないんだろう。話題にすら出さなければわからないと思うけど、家族だからなのか何かを隠しているのがわかるのかもしれない。
「ねえ、お願い」
いやいや・・・上目づかいで見つめられると辛いな・・・。
でも、アニーの体験を話すことでレナさんにも何か吹っ切れるきっかけができるかもしれないし・・・
「わかった。辛くなるようなことも話すから、気分が悪くなったらすぐに言うんだよ」
「うん」
こうして俺は、アニーに降りかかったゴブリンの集落での出来事について話し始めた・・・。
いつもありがとうございます。
次回予定は4/27です。
よろしくお願いします。