第121話 兄の見た光景
「ねぇ~!ちょっと・・・ぜぇ・・・・・ちょっと待ってよぉ!」
「マルナ!早く!ファンが行っちゃうよ!」
レナが振り向きざまに手招きしてマルナを呼ぶ。息を切らして走るマルナの横をメースとクレアが微笑みながら併走していた。
「レナは相変わらずせっかちだな」
「クレアに言わせるほどだから本物よ」
学院の授業を終えた4人は、校門の外を歩くファンを見つけるや否やマルナを焚きつけて猛ダッシュ。スタミナ切れに陥ったマルナは苦しそうにレナに噛みついた。
「レナぁ!もう・・・もういいから!」
「よくない!いつまでも見ているだけじゃだめだよ!」
仁王立ちするレナにようやく追いついたマルナは、膝に手を当てて苦しそうにレナを見上げた。
「レナったら・・・・・お姉さんたち来てから急にやる気になっちゃって・・・」
「そ・・・そんなことないよ!」
「まったくもう・・・あれ?ファンが止まってる」
「あ!!チャンス!!」
レナがマルナの手を引いて再び走り出した。
「うわっ!ちょっ!」
「急げ急げ~~!!」
「あれは絶対にお姉さんが帰ってきたせいだな」
クレアがため息交じりに腕を組む。
「そうね。きっと嬉しいのよ。だから色んなことにやる気になっちゃって」
「とはいえ急にマルナとファンをくっつけようというのは・・・」
「それも・・・きっとお姉さんのことがあるからかも」
「あ~・・・、この前の講堂でのアレか」
「あの時お姉さん、すごく悲しそうな顔してたでしょ?レナったらあの時はすごく心配そうにしてたから・・・」
「ファンが元気になれば、お姉さんも元気になる・・・とか?」
「そう単純じゃないと思うんだけどね・・・。マルナさえよければいいと思うけど」
「そうだね。さて、私たちも行かないと置いていかれちゃう」
「普段の授業もあれぐらい元気だったらいいのに」
メースもまた、ヤレヤレとため息をついた。
「おかしい・・・」
ファンニエールは帰宅の歩みを止め、街並みに行き交う人と近くに見える森を交互に見つめた。
確かに気配がした。背筋が凍るような、おぞましい殺意・・・。
いや、これは殺意というよりも獲物を睨む肉食獣の眼のような・・・。
ファンニエールはそよ風たなびく森の木の葉の擦れた音に耳を澄ませる。しかし、今は何も感じない。
「気のせいか・・・」
再び歩もうとしたその時だった。
「ファーーーン!!」
突如聞こえた高い声に肩を一瞬震わせ、ファンニエールは振り向いた。
「ファァーーン!!待ってぇー!!」
「んだよ・・・レナか・・・」
「待ってってばぁ!」
「待ってるじゃん・・・」
自分に近づくレナを見て、ため息交じりにつぶやく。
いつもならそんなレナを見ても無視して歩き出してしまうのだが、先ほどの『妙な感覚』を覚えたためか、足取りがどうしても重くなってしまった。
やがてファンニエールのもとに走りついたレナがにっこりと笑った。
「一緒に帰ろ!」
「はぁ・・・今日だけだぞ」
「やった!今日はマルナも一緒だからね」
「マルナ・・・?どこにいるんだよ」
「どこに?って、ここに・・・あれ、いない・・・」
レナはあたりを見回すもマルナの影はどこにもいない。
「あれ?マルナ~!どこ~?」
すると、通りの交差点からクレアが顔を出した。
「レナ!大変だ!マルナが倒れてるぞ!」
「ええっ!?」
そんなクレアの声にいち早く反応したのはレナではなくファンニエールだった。
先ほどの気配の主がマルナを襲ったというのか――――――!
ファンニエールはレナを置き去りにして全力で走り、クレアのいる交差点につくや否や、うつ伏せに倒れているマルナを抱き起した。
「大丈夫か!?」
呆気にとられるクレアとメースを横に必死にマルナを呼ぶファンニエールだったが、どこにも目立った外傷がないことを見るや否や、自分が早とちりをしたことを察し口の奥で舌打ちをした。
ゆっくり目を開けるマルナであったが、眼前にいるのがファンニエールだと認識したとたん、顔を真っ赤にしてしまった。
「ふぁふぁふぁふぁふぁふぁ!」
「・・・大丈夫なようだな」
今日何度目かのため息をついて、ファンニエールはマルナを起こした。
「ありがとう・・・ファンニエール君」
「一体何があったんだ?」
「それは・・・レナが・・・」
マルナが言いかけたところで元凶が駆け付けた。
「マルナ!大丈夫!?」
「うん、私はもう大丈夫」
ファンニーエルはレナを見て大きく息をついた。
「どうせお前がマルナを置いて一人で走ってきたんだろ?」
「そ・・・そのようですね・・・ごめんね、マルナ」
「ううん、いいの」
そういうマルナを見て、クレアとメースはニヤニヤとしていた。クレアはマルナの背中を叩いてファンニエールの横に並ばせた。
「さ、帰ろう」
クレアの声に女子団がうなずいた。
ファンニエールはマルナを横にしながら歩くも、一向に黙ったまま話そうとしないマルナには目もくれず、先ほど感じた気配について思慮した。
ここ最近頻発する魔物や魔蟲の類がこの街に現れても不思議ではない。しかし、自分が兄の代わりになろうと一人草原で訓練していたことを思えば、ここに突如としてそれらが現れても対処できる。口元を緩ませ自信をのぞかせた。
『兄』は無能なんかじゃない。それを証明するためには自分が強くならねばならなかった。
『兄は自分以上だった』と。
むかついた奴らをボコボコにはした。しかし復讐とかそんなものではない。兄が必死に守ろうとしたしたものを『守りたかった』。兄はまだ夢の中で戦っている。守ろうとしたものを守り切れなかった戦いを、ずっと心の中で繰り広げている。兄の想いを踏みにじるものは許せない・・・。
そんな思いを巡らすファンニエールだったが、心のどこかで『復讐』したと認めたくない気持ちを巡らせているのも事実だった。
結局はむかついた奴をボコりたかっただけだろ―――――――――
もしそういわれたら自分はどうしてしまうのだろうか。そいつに喧嘩を吹っ掛けるのだろうか。
もしその言葉を兄の婚約者から聞いたら、自分はどうなってしまうのか・・・。
「ファンニエール君、いつも難しそうな顔してるね」
「え?」
突然かけられた声に、自分の世界から戻ってきたファンニエールはついつい素っ頓狂な声で返してしまった。
ファンニエールがマルナを見ると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「どっか行っちゃいそうなぐらい、いつも遠くを見てるから」
「そう・・・か・・・」
「わたしね、ファンニエール君のこと凄いなっていつも思ってるの」
「俺を?」
「そう。精霊魔法も凄くできるし、この前の講堂のやつも凄かった!」
「・・・お前、あれ見て引かないのか?」
「え?どうして?」
「どうしてって・・・。俺はみんなの前でレナの姉貴に当たるかもしれない魔法をぶっ放したんだ」
「そうね、当たっちゃったかもしれない」
「だからお前は引かないのか?」
「だって、本当は当てるつもりなかったんでしょ?」
「・・・」
「私ね、先生から聞いてたからわかったよ。ファンニエール君は他の誰よりもこっそり練習してるから、誰もできないような精霊魔法の『管制』をしてるって。あの時ジンイチローさんがもし何もしなければ、当たる直前であの魔法陣の中に全部入れちゃうつもりだったんでしょ?」
「・・・」
「それにね、偶然見たの」
「・・・何を?」
「一人草原の木の下で寝てるファンニエール君を」
「っ!おまっ・・・!」
「お母さんのお使いの帰りにね、ふらっと寄ったの。あの木の下って気持ちいいよね。小さいころ私もよくあそこで寝てたから。そこにファンニエール君がすやすや寝てて・・・」
「・・・起こせばよかったじゃないか」
「あんまり気持ちよさそうに寝てたから・・・。それにね、面白かったのがね、小さなリスとか木ねずみまで隣に寝てたんだよ?」
ファンニエールはいぶかしげにクスクスと笑うマルナを見た。
そんなマルナは、途端にまじめな顔でファンニエールを見つめた。
「だからね・・・ファンニエール君て、みんなが思うような人じゃないんだなって思った」
ファンニエールは顔を険しくさせ、歯ぎしりするように口を閉じた。
「俺はお前の思っているようなやつじゃない。講堂のあれだって、本気でレナの姉貴に当てようとしていたんだ」
「・・・そっか」
「俺に構うな。詮索もするな」
速度を上げて歩くファンニエールに、マルナは遅れながらも早足で付いて行った。
「あのね、私ね――――」
「付いてくるな」
「っ・・・」
兄が孤独なのに自分がのうのうと遊んでいていいわけがない―――――――――
もっと前進しなければ兄の――――――
思いを巡らそうとしたそのときだった。
ファンニエールが歩いて行こうとする方向の遠くで、人々が後ろを見ながら走る様が見えた。
目を細めて凝視すると、ゾクリと背筋に緊張が走った。
ゆっくりと四つ足で歩く黒い巨体は、その口に四肢をだらけさせた人を咥え、逃げる人々を目で追っていた。
ファンニエールはとっさに振り返った。
「お前たち!逃げ――――――」
最後の言葉を出そうとしたそのとき、先ほどマルナを抱き起した通りの方からものっそりと歩く巨体が顔を出した。あたりを窺うようにキョロキョロしたあと、ファンニエールと目が合った。
「マルナみんな!あっちへ逃げろ!」
きょとんとするマルナに駆け寄り、通りに面した建物へ指差しした。
「あっちだ!早く!」
ファンニエールの目にはゆっくりと近づく黒い巨体―――グランドベアが映っていた。
「ちょっと、あれ見て!なんか熊っぽいのが・・・え?人・・・」
レナが口を押えて目を丸くするも、その背後にも獲物を狩らんと音もなく忍び寄るグランドベアには気づいていなかった。
「くそっ!」
ファンニエールは片手を上げると、炎のブリッドを生み出し、グランドベアに向かって放った。
GROOOOOOOOOOOOOOOO!!
「えっ!?ええっ!?」
驚くレナに、ファンニエールはもう一度怒声を飛ばした。
「いいからあっちへ逃げろ!!ここはヤバイ!!」
「わ・・・わかった!みんな!」
女子みんながうなずいて、通りの反対側へ駆けたそのときだった。
「こっち来てるよ!あの熊!」
レナの指さす方向には、先ほどまで人を咥えていたグランドベアが、狩った獲物を捨ててファンニエール達の元へ駆けていた。
その様子を見て、ファンニエールの足が思わず止まってしまった。
「くそっ、どうす――――」
「ファン!危ない!」
「えっ――――――」
炎のブリッドを浴びたグランドベアが立ち直ったことを、ファンニエールは見逃していた。
巨体に似合わない跳躍と舞い降りる巨体から目が離せず、同時に動けない。
「しまっ―――」
目をつぶろうとしたその刹那、ファンニエールの体が不意に横に押し退けられた。地面に両手をついて転ぶもすぐに視線を元居た場所に向けた。
「マル――」
鋭いかぎ爪がマルナの首元から腹部にかけて切りつけ、皴のない綺麗な制服が瞬く間に血で染められた。
何が起きたか理解できなかったファンニエールは、まったく立てずにその様子を見守るしかできなかった。勢いよく地面に転がされ浅い呼吸しかできずにいるマルナは、引きつった笑顔をファンニエールに向けた。
「に・・・げ・・・」
か細く聞こえた声と涙を流す顔に彩られた鮮血は、非常事態を彼に悟らせるにはあまりにも大きい代償だった。
グランドベアがマルナの血を嗅ぐと、その口でマルナの体を咥えて誰もいないほうへと歩こうとした。
ファンニエールは慌ててバッグを漁りナイフを取り出すと、グランドベアに向かって駆けて突き立てた。
GROOOOOOOOOOOOOOO!!
グランドベアは頭を振って咥えていたマルナの体を放り投げると、彼女はそのまま通り沿いの壁に放り投げててしまった。
「お前たち!!マルナを連れて早く逃げろ!!」
しかし、残りの3人は腰が抜けたのか尻餅をついてしまい、歯をガチガチと震わせるだけで精いっぱいだった。
それでも動いたのはレナだった。
突き立てたナイフを必死に抑えるファンニエールの横を抜け、壁に横たわるマルナに声をかけた。
「大丈夫!マルナまだ息がある!」
「早く連れてけ!そこの2人もレナに付いていけ!」
クレアとメースは半泣きでうなずき、震える足を引きずるようにして走りレナの元へと急いだ。
「マルナぁ!マルナぁ!」
「しっかりして!マルナ!」
掛け合い声でマルナを励ますも、マルナの瞳からは力が徐々に抜けていった。
ファンニエールは暴れる巨体を押さえるように、突き立てなナイフの柄を持ちながら押さえこむ。
しかし力ではかなわない。やがて抑えきれずファンニエールも放り投げられてしまった。
すぐに立ち上がるファンニエールだったが、レナ達に視線を移した時には手遅れだった。
悲鳴すら出す暇もないほどの速さで、巨体はマルナを抱えようとしたレナ達を襲っていた。
「くっそおぉぉぉおおおおお!!!」
ファンニエールは震える足に檄を飛ばして立ち上がり、腕を伸ばした。
「アイスニードル!」
幾本もの氷の矢が巨体に向かって突き刺さった。
しかし唸りはしたものの巨体は怯むことなくその牙を誰かの身体に突き刺していた。
精霊魔法を放った腕が力なく垂れた。
兄が見たであろう風景が自分の目の前で起きるとは思いもしなかった。
訓練と思って一人練習していた精霊魔法や剣技も、結局何だったのか。
兄のためと思ってしたことは何だったのか。
結局自分は何もできないやつだったのか・・・。
噴き出た血しぶきが見えた刹那、ファンニエールは我に返った。
誰かが地面に落ちた音がしてそちらに視線を向けた。グランドベアの足元に横たわったのは、レナだった。
「っ・・・!」
右腕が欠損し、首元からは血の滝が流れ落ちていた。
「あ・・・ああ・・・・・レナ・・・そんな・・・」
そうか――――――ファンニエールは初めて兄と分かり合えた気がした。
兄はこれを見てしまったのだ。自分が助けられなかったものが無惨に食い散らされたその様を。助けてほしかった者にそうしてもらえず「なぜ?」と問うているような悲しみの涙を。
遠くから地響きを立てて駆けてきたもう一頭のグランドベアが、ファンニエールめがけて跳躍していた。
ファンニエールは気付いていたものの、もはやどうでもよくなってしまった。
ああそうか、兄は今まさに・・・。
ファンニエールは不意に足の力が抜け地面に腰を落としてしまうも、薄笑いを浮かべて迫る爪を見ていた。
「みんな・・・ごめん・・・」
彼はそっと瞳を閉じた。
GROOOOOOOOOOOOOOOO!!
「・・・?」
引き裂かれると思った彼はその時が来ないことを不思議に思い、また瞳を開けた。
「ひっ・・・」
その刹那、目の前にグランドベアだったものが落ちてきたのだ。跳躍して自分に斬りかかるはずだったものが、どうして真っ二つになっているのか?
そしてさらに、女子達に群がっていたグランドベアからくぐもった唸りが聞こえたと思い振り向くと、大剣ほどもある大きな氷の矢がグランドベアを貫いていた。
「なっ・・・!」
ほどなくして、絶命したグランドベアが静かに横たわった。ファンニエールはまたもや我に返り横たわる女子達に駆け寄ろうとした。しかし立ち上がったその瞬間、金色の光が得も言われぬ温かさで彼をあっという間に包み込んだ。
やがて光が解け視界が元に戻ったところで、女子達に駆け寄る大人たちが見えた。
そこには同い年ほどの見知った影もあった。
「ジンイチロー・・・」
ジンイチローはすぐさま女子達の首元に手を当てていた。
「オルドさん!大丈夫!みんな生きてる!」
「よかったぁ!すぐに学院に向かうぞ!あちらでも魔物が出ていると報告があった!」
「自分が先行します!オルドさんはレナさん達に付いていてください!」
「すまない!用心はしてくれ!」
「はいっ!」
そういうと、ジンイチローは人間とは思えぬ跳躍力で、壁と建物を飛び越え、学院の方向へと駆けて行ってしまった・・・。
「な・・・なんなんだアレ・・・」
「ファン!大丈夫か!?」
「お、おじさん・・・」
ポカンとするファンニエールを見て、オルドは小さくうなずいた。
「よかった。君は大したことがなかったようだな」
オルドはそういうと、倒れているレナの元へ歩み寄り、安堵の息をついた。
「ファンがレナ達を守ってくれたんだな。礼を言うよ」
その言葉を聞いて、ファンニエールはすぐさま首を横に振った。
「俺は!俺は・・・何もできなかった・・・」
オルドは微笑んだ。
「この2頭のグランドベアを倒したのは確かにジンイチロー君だったが、我々が到着するまでに時間を稼いでくれたのは君に他ならないだろう?ジンイチロー君の回復魔法も間に合ったし、結果良ければすべて良しだ」
「でも・・・」
「・・・もし自分をそこまで卑下するのならば、今後はもっと仲間たちに歩み寄る努力をしてほしいね」
「・・・」
「一人で倒せないならば仲間と一緒に戦う。守りたいものをみんなで守る。守りたいものを護るため、自分を強くする。互いに切磋琢磨し、互いに信じ合う。我らエルフはそれを信条に繁栄を続けてきた。そしてこれはこの先、未来も永劫変わることはないだろう。未来を背負う者として、エルフの民として、少しでも誰かを守りたいという想いがあるのならば、君にはぜひそうしてもらいたい。・・・まぁ、これは私の勝手な想いもあるのだがね」
オルドが言い終えるあたりで遠くから誰かが駆け寄ってきた。
「オルドー!」
「ジルイ!そっちはどうだ!?」
オルドの元へ駆け寄ったジルイは、凄惨な現場に一瞬目を凝らすも、すぐにオルドへ視線を移した。
「この子たちは無事か!?」
「あぁ。ジンイチロー君の回復魔法がぎりぎり間に合ったようだ。早いところ安全なところへ移したいんだが、転移魔法陣までは少し歩かねばならん」
「民家とて危険だしな・・・ひとまずこの血みどろの場所からは移そうか」
「よし。ファン、手伝ってくれるか?」
「・・・は、はい!」
眠る少女たちを大人と抱え、ファンニエールは颯爽と現れたジンイチローの戦いぶりを思い返し、胸をえぐられるような悔しさを覚えるのだった・・・。
いつもありがとうございます。
次回予定は4/12です。
よろしくお願いします。