第12話 ミルキーばぁば その2
通された部屋は林の中にある家とは思えないほど光が差し込んでいた。部屋のテーブルの上には一輪の紫色の花が小瓶に活けられていた。大小の棚が据えてあり、その棚にたくさんの大瓶小瓶が置いてある。その瓶には、土を入れて植物を育てていたり、鉱石のようなものが入れられていたり、色のついた粉を置いていたりと、それぞれ種類ごと分けられて並んでいた。
「さぁ、座って頂戴。今お茶をもってくるわ」
「ありがとうございます」
遠慮なく椅子に掛ける。
外の林を眺めながら、昨日からのドタバタを思い返す。
昨日は本当にめまぐるしい一日だった。出来事を思い出すだけでどっと疲れが出るようだ。こうして椅子に掛けるだけでゆっくり時間が流れているように感じる。これだけでもこの家に招待してくれたミルキーさんには感謝だ。
ミルキーさんはトレーに白いカップとポットをのせてやってきた。
「今日はいいのを見つけたんだ。摘んでおいてよかったよ」
もう香りがする。ハーブティーかな。
ミルキーさんがカップに注いでくれたお茶は、かすかに黄色く色づいていた。ミルキーさんは俺の正面に座った。
「さてと、わたしはミルキーだよ。こんなばあさんだから、みんなミルキーばぁばと呼んでくれる」
にっこりとしてミルキーさんは話す。
「私はジンイチローといいます。よろしくお願いします。それと、今日はパンを置いて行ってくださってありがとうございます。とっても助かりました」
頭を下げてお礼を言った。
「ふはっはっはっ。そんなにかしこまらなくていいさ。いつも通りでいいんだよ。私のことは「ばぁば」と呼んでくれるかい、ジンイチロー」
「はい」
ばぁば、か。おばあちゃんができたみたいでいいな。
「パンと干し肉しか売ってなくてねぇ。もっと置いていきたかったんだよ、本当は」
「いえ、本当に嬉しかったです。何にも食べてなかったので」
「そうかい。さ、ほら、お茶をお飲み。香りの強いのは嫌いかい?」
「こういうお茶好きです。いただきます」
実際に元の世界で買って飲んでいたお茶はジャスミンティーばっかりだった。
飲んでみると、香りが鼻の奥を突き抜けるけど、後でかすかな甘みが口の中に広がった。
「おいしい・・・」
「それはよかった」
ばぁばもお茶を軽く口に含み、ふぅ、と息つく。
そうだ。そういえば、あの袋小路で壊した魔道具と宝石は、ばぁばが持って行ったんだろうか。
「あの、聞きたいことがあるんですけど、俺があそこで寝ていたところに壊れた魔道具とかあったはずなんですがどうなったんでしょう。あ、それと、どうして俺が」
続けようとしたところでばぁばが手で制した。
「まぁまぁ、まずは、ジンイチロー。あんたの話を聞かせてくれるかい?あんなところで寝るまでの出来事を。『大賢者』になった理由もさ」
目を丸くしてしまった。ばぁばはなんで俺が大賢者だと知っているんだろう。そうか、冒険者達が探しているという話をどこかで耳にしたのかもしれないか。
「確かに、俺は『大賢者』です。でも色々と事情があってですね―――」
俺は異世界から転移してきたこと、マーリンさんから『大賢者』を譲られたけどスキルに『鍵』をかけてもらい中身がないこと、ムキウサ達と戦ったことやギルドであった出来事、あの裏路地や袋小路であったこと、全て包み隠さず話した。
不思議と、この人になら全てを話しても安心できると思えた。ばぁばはその間何も口を挟まず、うんうんとうなずき聞いてくれた。
「・・・という感じです」
「そうかそうか、大変な目にあったもんだ。それにしても、マーリンは面白いことをするもんだねぇ。ただの気分なのか、それとも・・・」
ずず、とお茶をすするばぁば。思案顔だ。
「ジンイチロー、『大賢者』になってどんな気分だい」
「・・・気分、ですか?気分と言われても、なんとも・・・。『大賢者』自体なりたくてなったわけじゃないから、嬉しいということはないです」
「ふっはっはっはっはっ!そうかい!世の魔法士は皆羨ましがる『大賢者』を、嬉しくないというか!」
ばぁばは愉快そうに大口で笑った。皺が余計に深くみえる。
「でも本当なんです」
「ふむふむ。まぁ気楽にやればいいさね。ジンイチローは先が長いんだ。『大賢者』についてゆっくり向き合うがいいよ。そうしていくうちに、やりたいこと、やらなければならないこと、そういうものが自然とわかるようになるさ」
「そうでしょうか・・・」
うんうん、とばぁばがにこにこしてうなずいた。
「そういうもんさ。特にジンイチローは、それでいいのさ。ちなみにギルドでは『大賢者』に対する期待の大きさを感じたかい?」
「ええ、まぁ・・・」
「他人は大きな期待を『大賢者』に寄せる。確かにそれは当然さ。なにせ『大賢者』だからねぇ。でもそれは、悪い言い方をすればそれは『欲望』や『願望』さ。それをジンイチローにぶつけてきているだけ。それならジンイチローも、自分の『欲望』『願望』にもう少し忠実に動いてみてもいいんじゃないかい?つまり、自分のしたいように、気楽にやりなさいということさ。」
「やりたいこと・・・か」
俺は見つけられるだろうか。何かに没頭できるような・・・。
元の世界では仕事に追われてばっかりで、特にやりたいことなんてなかった。
いや、見つけられなかった。
あらためて思う。俺には『何もない』のではないか、と。
のんびり生活したいとは思ったけど、このままそうしたら、俺に何が待っているのか。何が喜びなのか。何が俺の嬉しさ?
「ジンイチロー」
ハッとした。
「ごめんなさい、考え事をしてぼーっとしてました」
ばぁばは優しく微笑んでくれた。
「少し、私の話をしようかね」
そう言って、ばぁばは俺のカップにお茶を注いでくれた。
「私は今では大魔法士とか呼ばれていて、みんなが頼りにしてくれるようになった。決してそれを望んでやっていたわけじゃないけれども、結果的にそうなった。ミルキーばぁばとも呼ばれるようになって、街へ出ればみんな声をかけてくれる。自分に親しくしてくれるんだ。そりゃあ嬉しいことさ。でも、昔はちょっと違った。私がまだジンイチローと同じ歳くらいのときだ。まだまだヤンチャでね。大した実力もないのに大見得切って魔物退治だとか薬づくりの依頼を受けていたんだよ。ある日のことさ。ある病気を抱えた子どもが重篤になってね。母親が私を訪ねてきてくれた。子どもを助けてほしい、薬があれば治る病気だけど、飲まなければ死んでしまうと言われた。だから薬を作ってほしいとね。材料さえ揃えば作り方は単純だ、すぐにでも母親のもとへ届けられる。そう判断した私はフィロデニア大森林に足を踏み入れた。その森に行けば材料が簡単にほとんど揃うからね。でもそうはいかなかった。探しているときにレッドベアという大きな魔物と遭遇してね。魔物の強さを過小評価していた私は、何とか倒せたものの、深手を負って薬草採取どころじゃなくなってしまった。這う這うの体で森から抜け出したはいいものの、城門で力尽きた。次に目が覚めたときはどこかの宿屋でね。依頼が失敗してしまうと思った私は、ひとまず母親のところに行くことに決めた。母親のもとを訪ねると、子供を抱きながら何度もお礼の言葉をもらった。そして直接、達成報酬をもらったのよ。何のことかさっぱりだった私は母親に聞いてみた。依頼が達成できていないのにどうしてお礼を言うのか、と。それは私ではない誰かが「ミルキーから託された」といって薬を子どもにくれたらしいんだ。一体誰がやったのか・・・未だにわからないね。でも、結局私は何にもできなかった。いや、もし誰かが薬をあの子にあげていなかったら・・・。それはとても怖いことだった。それから私は、魔法の練習もサボらず、かつ薬の調合のこととかなんでも勉強した。傲慢だった私はね、やりたいことに忠実すぎて、やらなければならないことに全く目が向いていなかった。自分の好きな生き方を貫こうとして失敗した。
でもジンイチローは違う。その謙虚たる姿勢なら、やりたいことをやるうちに見つけられるものがあるかもしれない、と思った。スキルの『鍵』は、この世界でどう生きるかをゆっくり考えるための、いわゆる猶予のためにあると思えてならないね。結果的にはよかったってことさ」
ばぁばはカップのお茶を飲み干した。このばぁばがヤンチャだったとは。想像がつかない。
「そうはいっても、ジンイチロー。やりたいことといっても一体なんだろう・・・なんて思っているんじゃないかい?」
「う・・・」
確かにそうです。
「そういうときは、いろいろ見て回るのが一番だ。今や私の生業になっている薬づくり・・・参考にどんなものか見てみるかい?」
「いいんですか?」
「あぁ、もちろんさ」
そういうと、ばぁばは立ちあがった。
「こっちの部屋だよ」
俺は慌ててカップのお茶を飲み干した。
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