第117話 イリアの仕事
一方その頃旧ハピロン伯爵邸の執務室に、一心不乱にペンを走らせるイリアがいた。
数日間の執務、訪ねてきた貴族の様子や言動を書き記していた。これはジンイチローから助言された『記録』を元にして、王への報告書を書き溜めることを彼女は日課としていた。
一通り書き終えたところでペンを置き、彼女は深く息をついた。
伯爵の残余財産管理と接収の準備を行うため、数日前に王都から文官が10名派遣された。今頃別の部屋では、その文官たちが手分けして帳簿付けに勤しんでいるだろう。
この文官派遣の主たる理由に、派遣される数日前に伯爵領を「王都直轄領」とする宣言がなされたためだ。この宣言がミニンスク市全土に発布されると、市民からは驚きをもって迎えられた。
しかしこの宣言は時限を付するとされ、宣言の効力を失うとき、伯爵領を後日定める貴族が管理すると合わせて付された。
この宣言の直後から「我が家が治めるにふさわしい」と、ミニンスク内外から貴族達が白亜の豪邸に押し寄せ、イリアとの謁見を申し出てきた。仕事が増えて頭を悩ます彼女ではあったが、自らの目で見極める力も養いたいと、希望する貴族全てと謁見を行った。
しかし予定が重なることも見受けられたためか、彼女は資産調査と事務を補助する文官の派遣を王城へ要請。王都直轄領宣言書と、ミニンスク市に邸宅を構える貴族の納税検め帳を抱いて、文官たちが派遣されたという経過である。
多くの貴族との面会を実施し辟易としてしまった彼女であったが、それでもやる気には満ちていた。
この地の安定のためには適切な人物を置かねば事件は再び起こりうる・・・と、使命感をもってあたっていたからだ。
しかし、そんな思いとは裏腹に未だにイリアとのお見合いを希望する貴族も少なからず存在し、その扱いの方が彼女にとっては苦労の種であった・・・というのは別の話である。
幾人、幾家との面談を終え、彼女はどの家のどの人物と会ったのかを記録。またその時の態度や発言などもできる限り書き記した。
大勢の貴族と面会したこともあってか、『次なる治政者』の候補を中間報告にしなければならない・・・そう思った彼女は、その記録を持ってエナリア商会のドン、グォールのもとへ足を運びチェックを入れてもらった。
彼女は「伯爵と行動を共にしていたか否か」を特に注目することと、グォールの見識の高さと人脈伝手で聞いた噂を合わせて判断しようとした。
また、イリアは文官たちがもってきた納税検め帳にも注目した。
納税検め帳とはその名の通りどの貴族がどれほど納税したかということと合わせ、納税を誰が行ったのかということまで記されている書類である。
貴族は王城に対して一定の納税義務を課せられていて、検め帳を彼女が見る限り現在のところ納税を怠った貴族はミニンスクには存在しなかった。
そこで彼女は『誰が納税業務を行ったのか』に注目した。
ハピロン伯爵の執事は、主人の亡骸を確認後すぐに行方をくらました。同じく行方をくらましたドルアンドと呼ばれた男はあくまでも助言者としてだけの立場だったようで、執事による納税がされていたことがはっきりとした。
しかしイリアが目を見張ったのは、その額である。伯爵が納税すべき金額と実際に納税された金額の比較を見ると明らかに後者の方が大きく、但し書きをみると『他男爵、子爵家の納税を代行した』と記されていた。
これだ、とイリアは確信した。
証拠はないものの、ハピロン伯爵が様々な貴族の納税を肩代わりしていたと思わせるには十分すぎるものだった。規定の納税がされれば、王城は貴族家の帳簿にまで調査を及ぼさない。
ハピロン伯爵は納税を肩代わりすることで、他貴族の私腹を肥やす手伝いと自身の影響力を高めていた・・・イリアはそう推測した。
そして再びペンを走らせる。
自分の元にハピロン伯爵の後釜として自薦してきた貴族はまず疑ってよいのだろう。
発展と拡張を続ける王国の中核都市を治めるとなれば、伯爵のように影響力を高められると思っても不思議ではない。もちろん彼女に見合いを勧める貴族もまた、王城への影響力を熟慮した政治性の強い活動の一環であろう。
自身を取り巻く環境が、いかに欲にまみれたものであるかをイリアは痛感したのだった・・・。
ペンを置いて机に突っ伏す彼女に、ドアをノックする音が舞い降りた。
「・・・どうぞ」
失礼します、と言って入室したのは王城から派遣された女性文官だった。
「イリア様、エナリア様が面会をご希望です」
「・・・すぐにお通しして。応接室かしら?」
「はい」
「すぐにいくわ。カフィンを用意してもらえる?」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げた文官は颯爽と執務室を後にした。
応接室のソファにグォールが深く座ってイリアを待っていた。
応接室に彼女が入るや否や、すぐに立ち上がって頭を下げた。
「急な訪問にもかかわらずご都合いただきありがとうございます」
「何をおっしゃいますか。むしろわたくしが商会に行かねばならないのに申し訳ございません」
「滅相もございません。このたびはどうしても直接お伝えしたいことがございまして・・・」
「ありがとうございます。おかけください」
「はっ」
グォールが腰掛けたところで給仕の女性が入室し、淹れたてのカフィンをテーブルに置いた。イリアが礼を言って給仕を外に出させた。
「ジンイチロー殿とベネデッタ殿がもたらしたカフィン、我が商会でも大注目の一品となりましてね」
「先日お披露目会をおこなったとか」
「えぇ。品評会と言えば表現が大きすぎますか・・・物は試しにと、調子に乗ってベネデッタ殿に伝えた順番をすっ飛ばして、飲食物を扱う業者などなどを集めまして実施しました。このカフィン、皆の度肝を抜きました。早速売りたいという申し出が後を絶ちません」
「ですがまだまだ大量納品は難しいのでしょう?」
「ええ。しかしつい昨日ベネデッタ殿から手紙が届きまして、エルドランでは新たにエルズ商会がカフィンの乾燥と焙煎の工場を稼働させたとありまして、早ければ1週間後に60kgの焙煎したカフィンを届けてくださるとのことです」
イリアは目を丸くさせた。
「なんと早い・・・。乾燥させて焙煎する過程はそんなに短いのですか」
「そこがなんとも・・・。少なくとも感想には時間がかかるものと思います。それを1週間で届ける・・・うむ・・・馬車でエルドランからミニンスクだと1週間をみなければ到着しないと思うのですが・・・」
「輸送に・・・何か目途が立ったというのでしょうか」
「・・・まぁ、ジンイチロー殿は多くを語りませんでしたが、愉快なお仲間が周囲にいらっしゃったぐらいです。ものの1時間もしないうちにエルドランとミニンスクを結ぶ新たな物流を考えたのかもしれませんね。ぜひうちでも手に入れたいぐらいですよ」
グォールはカフィンを静かに口に含む。
すると、あっという顔でイリアをみた。
「いけません、本題を忘れておりました。イリア様、単刀直入に申します」
「は、はい。何でしょう」
「悪いことはいいません。今すぐミニンスクを発って王城へ帰還することを進言します」
「・・・どういうことですか?」
イリアは怪訝そうにグォールを見つめた。
「以前、このミニンスクに見知らぬ者達が街を歩くようになったとお話ししましたが覚えておいでですか」
「えぇ、それは覚えていますが・・・それと何の関係が?」
「こういう商売ごとをしていると、あちこちから情報が入り込んできまして・・・。どうやら盗賊風情がいつにもましてミニンスクに拠点を構えはじめたというのです」
「・・・盗賊ですか」
「見知らぬ者がこの街を訪れることは日常茶飯事です。しかし酒場の主人達の話を聞くに、どうもきな臭さを感じるというのです。日ごろ人間を観察している酒場の主人が言うので信ぴょう性はありますし、癖のある皆が一様にそう話すので、大変危惧しております」
「うーん・・・でも、私がこの街を離れる理由にはなりません」
「イリア様、私の情報収集の伝手を甘く見てはいけません。イリア様は先の穀倉地帯での出来事・・・お忘れではありませんよね」
「・・・」
イリアは口を固く閉ざし、そして目を閉じた。
「えぇ、もちろん・・・。エナリア様にはお話ししておりませんでしたのに」
「ふふふ、知られたくないものや秘密にしておきたいものほど、漏れやすいということをお忘れなく」
「敵いませんね。確かにわたくしは穀倉地帯でゴブリンやオークの討伐をしましたが、そのときに盗賊によって誘拐されかけました」
「・・・やはり。私がミニンスクを発つべきという理由がそれです。得体の知れぬ盗賊風情が、イリア様のミニンスク着任と時期を合わせるかのように頻出している時点でおかしいと思ったのです」
「ですが・・・もう彼らはフィロデニアの地からは・・・」
グォールは首を横に振った。
「まだ理由があります。イリア様のここ最近の政務を窺うと、貴族の痛いところを突いているものと思います。ミニンスクに邸宅を構える貴族、あるいは王城に拠点を置く旧ハピロン派にとっては不正を暴かれるのではと冷や汗を流しているでしょう。気を付けなければならないのは、自身の保全の為に間違った方向に権力を使い、いとも簡単にこちらの『駒が外される』という想定外の事態に発展することだってあるのです」
「つまり・・・貴族の誰かが盗賊の手引きをしている・・・と?」
イリアは声を潜め話すと、グォールも静かにうなずいた。
「可能性の話ですが憂慮すべきことです。このミニンスクには王城ほどの警護はついていないのでしょう?」
「それはもちろん・・・はい」
「だったらなおさらです。悪いことは言いません。遅くても明日には出立すべきです」
「ですが・・・」
「もちろんイリア様が為されているお仕事は大変重要な意味を持ちます。今後の領の統治にもイリア様の象徴性が必要となるでしょう。ですが、それもイリア様あっての事です」
イリアは目を閉じてしばらくの間黙考した。
そして、静かに開かれた瞳は熱を帯びていた。
「・・・いえ、できません。ここまで来たのです。王からの帰還命令が下されるまでは全うしたいと思います」
「イリア様・・・」
「ですが折角いただいたご忠告です。警備要員として近衛騎士団を派遣していただくよう王に要請します。今は新規加入者の訓練中とのことですので、その終了を待ってからになりますけど・・・」
グォールは小さくうなずいた。
「承知しました。イリア様がご覚悟をもって臨まれるならば、このグォールも微力ながら力になります」
「頼もしい限りです。ありがとうございます」
グォールはカフィンを一口含ませると、険しい表情から一転、柔和な面持ちでイリアを見据えた。
「話は変わりますが、イリア様から見て次なる領主の候補者は見定めておいでですか」
イリアはグォールを見ながら小さく嘆息した。
「・・・その点については・・・その者のやる気の問題と言いますか、一人の方を候補としては・・・」
「ふむ・・・。もしかするとジョリオン・パーキンス公爵のことですか?」
イリアは目を見開き、そして微笑んだ。
「ご名答です。さすがですね」
「いやいや、私も常々疑問に思っていたものでしてね。というよりも、なんとなくですが・・・私と同じ『病気』に罹っているのではないかと・・・」
「まさか・・・」
イリアは思わず口に手を添え、眉をひそめた。
「エナリア様と同じ、あの・・・」
「えぇ、どうにも引っかかるのです。ハピロン伯爵が台頭する以前には公爵が領主として治めていらっしゃいました。最も位の高い貴族で発言力や求心力もあり、王城も公に領主として据えていました。ところがハピロン伯爵が急速に影響力を広げ、何ゆえか公爵は表舞台から消えるという史上稀に見る静かな領主交代が為されたのです。おそらくは金による王城内部への工作もあったとは思いますが、それ以上に公爵家の『退き』が気にかかります」
イリアは大きくうなずいた。
「わたくしも同感です。事件のあったパーティーにも公爵家は列席しませんでしたし、わたくしが赴任してもただの一度も代理の者の訪問すらありません。ですが・・・気になることがありまして、不思議なことに規定の税金はしっかりと納められているのです。しかも公爵本人によって王城へ届けられているという記録が残っているのです」
「なんと・・・。ちなみに公爵家の退きは、私が『病気』に罹る以前のことです。ドルアンドなる者が伯爵の右腕として活躍する少し前の話になります」
「・・・もしかするとドルアンドは伯爵に接近する前から公爵家に近づき工作していた可能性もありますね。伯爵が自由に動ける環境を作っていたとしたら・・・」
「・・・否定はできませんな」
「となれば、一度ジンイチローに『病気』の回復を試みてもらうべきでしょうか」
「確かに妙案ですが、まずは公爵家に対する調査を行った方がよいでしょう。もしかすると我々の壮大な勘違いがあるやもしれません」
「わかりました。文官を公爵家に派遣して聞き取りをしてみます」
「それでは我々もできる限りの情報は集めます」
こうして両者はしばらく歓談したのち、握手をして別れた。
イリアは父へ送る書簡をもう一通増やすため、さらにペンを走らせるのだった。
いつもありがとうございます。
仕事の都合上、約1週間自宅とPCから離れるため執筆ができません(泣
次話については来週のアップ予定になります・・・。
また、前話の設定を変更したいと思います。『枷』を外すのは一部のみとし、
ある程度を付与されるといったような形にしたいと思います。
この主人公にはまだまだ経験を積ませてあげないと・・・と思った次第です。
変更のアップも来週・・・できればスマホで行えればと思いますが・・・。
よろしくお願いします。