第11話 ミルキーばぁば その1
小鳥のさえずりが遠くに聞こえる。目をこすってから周りをみると薄暗い壁の中に俺はいた。
そうか、袋小路で寝ることに決めて、それでもしばらく起きていようと思っていたら寝ちゃったのか。随分長く寝ていたのか、もう朝の静かな空気が流れているように感じる。
(腹減ったな・・・)
この世界に来てから何も食べていない。ある程度のことは我慢できても、こればっかりはな・・・。マーリンさんの異空間で3日間くたばっていたときは何にもなかったのに。
でも朝なら人通りも少ないから街を出るには今か。そういえば城門に騎士団がいるとかなんとか昨日聞いたような。騎士団を抑えて逃げることなんてできるのか?だったら昨晩のうちに出ちゃったほうがやっぱりよかったのか・・・。
今更後悔しても仕方ない。まずは起きようか。上体を起こして立ち上がろうとしたとき、ふと、手元に何かがあるのが見えた。壊れた魔道具じゃない。
これは・・・布・・・?
手に持ってみると布で何かをくるんでいる。すると、布のすき間から紙片がひらりと落ちてきた。何かが書かれているようだ。一応読める。
『ごはんを食べたら私の家に来なさい ミルキー』
ミルキーって・・・誰・・・?紙片にはそれ以上のことは書いていない。ましてや家がどこにあるとか地図すらない。
ごはん・・・って書いてあるよな。ということは・・・。
布のくるみを取ると、パンが2個と干し肉が入っていた。
はぁあああああ!食い物ぉぉおおお!
「いただきます!」
とりあえず食べてから考えよう!
・・・
・・
・
ぺろりと平らげたあとで、もし毒が入っていたらどうするんだというありがたい深慮の神様のお言葉が脳裏に浮かぶが、腹が満たされれば何も問題ない。それは正義なのさ。
さて、このミルキーさんの家に来いというお誘い、どうしたものか。確かに誰かはわからないけど、相当の手練れであることはわかる。何せ、この『忌避結界』の中を普通に通って俺の横に食べ物を置くくらいだ。それともう一つ気付いたことがある。
壊した魔道具と宝石がなくなっている。
ミルキーさんとやらが持って行った可能性は高い。もしかして灰色ローブの男達の仲間・・・かと思ったけど、そうだったら俺の命もそれまでだったろう。寝ている隙に一撃を入れるんじゃないか?だって、あの人たちからすればきっと大事なものだったろうものを破壊しましたから。
でも、俺の中では結論は考えずとも決まっていた。ミルキーさんの家に行く。
ごはんをいただいたのでお礼はしなければ・・・。
ミルキーさんがあえて家の場所を書かなかったことについては、なんとなくその意図が分かったような気がする。書かずとも、誰かに聞けば分かるからだろう。でも誰かに聞くと言っても・・・うん、やっぱりあの娘、ミーアさんか。
裏路地を出た俺は、足早に果物屋に向かった。誰かの目があるかもしれない。
果物屋の目の前に来た。誰もいないので店に入り、呼んだ。
「ミーアさ~ん」
・・・ドドドドドドドドドド―――バァァァアアアン!
けたたましく走り抜け、戸を壊す勢いで開け放ったミーアさん。目が爛々としていた。朝が強い人なのか。
「ミーアさん」
「ジンイチローさん!おはよーございますです!」
彼女はすぐに俺の目の前に立ち、昨日と同じように手を握ってきた。
「店の準備が忙しいのにごめんね」
「何を言っているんですか。ジンイチローさんが呼べば地の果てからでも駆け付けますよ!」
さっきの勢いからすれば、本当にやりそうだ。
「それにしても、私心配していたのです。街を離れるって聞いたので・・・」
「ちょっと事情があってね。それより教えてほしいことがあるんだ」
そう言うと、ミーアさんは目を輝かせた。
「はいっ!何なりとっ!」
「ありがとう。ねぇ、『ミルキー』さんって知ってる?」
「ミルキーさん・・・ミルキーばぁばのことですか?」
おぉ、やっぱり有名人だったか!聞いてみてよかった。
「ミルキーばぁばって誰?」
「ミルキーばぁばは、フィロデニア王都の・・・いえ、王国の中でも随一の大魔法士なのです。でも、魔法士なんですが、冒険者ご愛用の薬を作る人でも有名です」
大魔法士!それは凄い!どおりであの結界を抜けられたわけだ。それに薬を作るのか。ちょっとどんな人か会ってみたくなってきた。
「あの、どうしてジンイチローさんはミルキーばぁばのことを?」
「あぁ・・・えっと、実は俺、訳あってこの界隈で野宿してて、朝起きたらごはんと手紙が置いてあって、手紙には家に来いって書いてあったから、お礼を言いに―――って、ミーアさん!?」
いつの間にかぼったぼったと大粒の涙を零していたミーアさん。急にどうしたんだ?
「宿なら・・・いっぱい・・・あるのですよ?どうして野宿です?」
「仕方ないよ。無一文だったから。ごはんも食べられなかったしね。ははは」
だばだばだば、と決壊した川のように目から流れ落ちていく涙。
「じんばい・・・なのでず。じんいぢどーざん、なにやっでるでずが」
鼻水も決壊しはじめたようだ。これ以上はかわいそうと思い、頭を撫でてあげたり俺の服で拭ってあげたりした。やがて落ち着いたようで、彼女にいつもの笑顔が戻った。
「えへへ」
「心配かけてしまって・・・」
「大丈夫です。今度わたし、ジンイチローさんに金貨200枚くらい貢ぐのです」
「ブフォ!」
突然何を言い出すんだ!?ちょっとレートはわからないけど、多分無茶苦茶高額だろ!?
「い、いいよ!いいって!お金はいいから!」
「そうですか?気にしなくていいのです」
口は笑っているが目が本気だ。スルーしよう、うん。
「そんなことよりさ、ミルキーばぁばの家を教えてくれないか?どこかな?」
「ミルキーばぁばの家はすぐわかるのです。あそこに大きな木がにょっきり出ているのが見えますか?」
ミーアさんが指差した方向を見ると、少し遠くだけど、確かに木の頂上がにょっきり顔を出しているのが見えた。
「そこにちょっとした林があるのです。その林の小道を通れば、ミルキーばぁばの家があるのです」
林か・・・。そういえば、王都に入る前に木が生い茂っているところがあるのを丘の上から見たな。公園か何かと思ったけど、もしかしてミルキーばぁばの家のあたりだったのかな。
ミーアさんにお礼を言って果物屋さんを後にする。今日は誰かの目があることを考えて振り返らずに大通りを抜けた。別の裏路地を通って、違う通りに出る。大通りに比べれば狭い通りだ。露店も住居も並んでいて、洗濯物を干している家もあってか、生活感がにじみ出ている。
時折冒険者風の人たちがあたりを見回しながら歩いてくるので、物陰に隠れながら進んでいく。色々あるところだから隠れやすくて都合がよかった。
そんなことを繰り返していくと、完全に住宅街・・・とはいっても造りが粗末なので、低所得の人が住まうところか、そこを通りぬけていくと、林が目の前に迫ってきた。小道の入り口は、誰も住んでいない粗末な家が並ぶ路地の奥にあった。
ここだな・・・。
王都にいるはずなのに、そんな気がしないほど城外にいるような錯覚を起こす。森ではないのだが、しんと静まり返った雰囲気はまさにそれだ。
俺は小道に踏み出す。この林は原生林といったところか。適度に手は入れられているが、それ以上の管理の痕は見られない。木漏れ日が時折小道を照らしている。家へのアプローチが林だなんて、お洒落だな。
小道の端は色々な植物でいっぱいで、見て楽しめる。
これは白くて美しい花。
これは黄色い可愛らしい花。
これは珍しい種子をつけた花だ。花のすぐ下に大きな種子が2つついている。花が咲いているのに種が大きく出来上がっているなんて。
これは・・・気味の悪い色だ。黄色と黒のまだら模様の花だ。一見しただけでも毒があるとわかる。
そして・・・あれは・・・。小道からは少し離れているが、あれはどう見てもハエトリグサだ。だが、元の世界のそれとは違う。人間と同じ大きさのそれがウネウネ動いている。不気味だな。それに何が不気味かって?そりゃあ、大きな捕食頭をこちらに向けて様子を窺っているところからして気持ち悪い。俺と同じでしばらくごはんにありつけていない奴かもしれない。
しばらくも歩かないうちに、辿り着いた。ここがミルキーばぁばの家だ。古い作りで、煙突もある。つる性の植物が家の一角を占拠し大きく絡まっているのも見える。家自体も大きく、一人で住むには広すぎるほどだ。でも、「大魔法士」の肩書の家なら妙に納得の雰囲気だな。
小道から開けた丁度正面に、家の扉があった。
ノックしてみた。
「こんにちはー」
しばらく反応がなかったが、家の中から『はぁ~い』と聞こえてきた。ガチャリ、と戸が開く音が林にも響く。
ミルキーばぁばは俺の前に姿を現した。白髪がほとんどで、背は小さく、背骨も曲がっている。温和な表情がとても印象的だ。黒っぽいマントのような服を着ているので「大魔法士」としての威厳を感じる。
「あら、こんにちは」
「こんにちは」
「お話は中に入ってからにしましょ。お茶入れるわね」
ミルキーばぁばは部屋の奥に案内してくれた・・・。
いつもお読みいただきありがとうございます。
※7/23 一部修正しました