アザラシと彼女とリアル僕
一九歳。夏。僕は、決断を迫られた。
僕は、R大学に通う大学生。大学生の夏休みは長い。楽しみもいっぱい、なはず…。だけど、僕にとって楽しみは二の次だった。今は、まず勉強だ。在学中に早ければ、司法試験に合格し、法曹になる資格を得る。それが目標だった。
法律マイラブなネクラ大学生…。だから夏休みは受験予備校に通って喝を入れている。
さらに、予備校の講義がない日は、大学の図書館に通うのが日課だ。毎日、毎日、青春を太陽から遠ざけて、机に向かっていた。そんな僕の、絵に描いたようなルーチンワークと同じ行動をしている子がいた。
それが、「彼女」だった。予備校でも会うし、図書館でも会う。あまりに同じ行動パターンだったので、どちらからともなく声をかけ、知り合った。
それから、ほどなくして付き合うことになった。彼女は、僕と同じ目標を持っていた。心強く愛のある同志だ。
僕は、青白かったけど。彼女ができた夏。勉強ばかりではない、大学生の夏。そのつもりだった。本当に。
付き合ってしばらくたった頃。いつものように図書館での勉強を終えた僕は、彼女と連れだって出た。たいていは、晩御飯を一緒に食べてーといっても、そんなに長い時間ではないー帰る。ただそれ以上の関係にはなかった。だから、僕は彼女ともっと親密になりたくて。彼女に、言った。
「今日も、一日終わったね」
「うん。また、明日もがんばろう!じゃあね」彼女は言った。いつもと同じ、笑顔で。
「今日は、まだ帰りたくないな」
「えっ?どうして」
「いや・・。君は…独り暮らしだろ?君の家に行ってみたいな!」
「えっ。何で?」
「だ、だからさ。も、もっと君と一緒に居たいんだよ」
「勉強しなきゃ」彼女は言った。きっぱりと。
「勉強は、一緒にできるよ」僕も負けていなかった。
「だめよ」
「どうして?」
彼女の瞳は淋しそうだった。彼女は、僕を見つめているようで、心は遥か彼方に行ってしまったように。
「一度はっきり言っておかないと。ずっと思っていた。丁度今が良い機会だわ。わたしは、アザラシなの」
あまりにさらっと言うので僕は、からかわれているのだと思った。
「何言ってんの?馬鹿にしてるのか」
「違う、違う。本当よ。ほら!」彼女は、そう言ったかと思うと見事変身した。アザラシに…。
「う、うそだろ…」
「私はアザラシ。ワモンアザラシ」
ワモンアザラシ。確かに、灰褐色から黒い斑点があるな。彼女は、アザラシ?嘘だろ。嘘だと言ってくれ。僕の心の中の叫びを知ったかのように
「嘘じゃないわ。これが、現実」
「アザラシなんて。訳が分からないな」
「実際、私も何がなんだか」
「どういう事だ?」
「わからない。ある日、目覚めたら私は、アザラシになっていた…」
「じゃあ、元は人間だったの?」バカな質問をしたものだ。彼女は寂しそうに
「そう。あなたと出会った頃はね」と、一言。
「でも、アザラシは、哺乳類といえども、陸上で暮らせないのでは…?」
「私は半分人間、半分アザラシなのよ。何の因果か人間の姿になったり、アザラシになったり。自由に変身できるようになった。アザラシとしての私はどこで生まれて今までどんな風に生活していたのか、わからない…」
「ああ、なんてことだ!」
「私も自分の身体に困っているのよ。助けてほしいくらい」
「じゃあ、どうすればいい?」
「わからない。これは、突然の変異なの。人間だった私の記憶も失ってしまったから。だけど、これだけは言える。アザラシを代弁して…」
彼女の話は、真実なのか。だけど、そんな現実ってアリなの?アザラシ彼女は僕に審判を下すかのように
「そう。もう人間の晒し者になりたくなかったから。アザラシは人間のための癒しじゃないわ。どう?こんな私とまだ付き合っていく?」
彼女の問いは残酷だった。彼女とずっと付き合っていきたい。遅まきながら、僕が「好き」って感じた初めての女の子だ。
これからの事を考えると、もっともっと好きになって。いずれ、結婚とかしたくなるかも、だ。
飛躍しすぎだって?
こんな、法律オタクにこれからどんな女の子が振り向いてくれるっていうんだ。半人間だっていいじゃないか。彼女は、十分魅力的なんだ。彼女とは、これまで普通の人間として付き合っていけたのだから。
だけど。結婚まで考えたとしたら。血縁を持つことになる?二人の間に子供が出来たとしたら…。
それは、アザラシと血縁関係を結ぶという事?そんなことってリアルありなの?
19歳の夏、辛い夏の始まりだ。
半アザラシが僕の愛しい彼女なんて。ああ、困った。
数日後。
勉強の合間、何気につけたテレビのニュース…。
「…火星から派生したと思われる、小さな惑星が発見されました。そこでは、なんと、アザラシが。アザラシの大群が生存していると確認されました…」
なんだって。アザラシの大群?アザラシ星が発見された。彼女と関係あるかも?
僕の頭は混乱していた。というか、頭は勝手に飛躍し、彼女はアザラシ星からの「アザラシ」に乗り移られた可哀そうな被害者だと決めつけていた。
でも、そうだとすれば、また完璧に人間に戻ることができるかも知れないじゃないか。
そうだ。彼女に話してみよう。
数日間、連絡を取ってなかったけれど。大学の図書館に行くと、いつもの場所に彼女はいた。
「やあ」
「こんにちは」
「ちょっといいかい?」
「そうね。少し待ってくれる?この問題を解いておきたいの」
「ああ。いいよ。外のベンチで待っているよ」
彼女を待つこと、約十分。だけど、数時間にも感じられた。僕は、待つことが苦手だった。
本を抱えながら図書館を出る彼女が見えたときは、正直ほっとした。僕が呼び出しておきながら、帰りたくてたまらなくなっていたから。
ああ、やっとこっちに来てくれる。彼女は、本当に完璧に人間なのに。若々しくて(僕もだけど)、キラキラ弾んで(これは、僕にはないな)る。なのに、半アザラシなんて馬鹿げている。
半アザラシだって、彼女のことが好きだ。でも、人間であり続けてくれたらもっと好き。
好き。
好き!
好き!!
「お待たせ」
「ああ。いや」
「どうかした?」
「う、ううん。別に。暑かったから」
「そうね。まだまだ夏だもん。久しぶりね。といっても、ほんの数日会ってないだけど」
「う、うん」
「予備校も来ていなかったから。具合が悪かったの?」
「いや、そんなんじゃない。なんか、やる気がでなくて。でも、もう大丈夫。やる気、復活!」
「そう。良かったね。で、何か話でも?」
「付き合うよ。これからも、ずっと。君と」
「付き合う?ずっと?いいの?わたしは…」
「君はアザラシなんかじゃない。ただ、何の因果か、乗り移られただけにすぎないんだよ」
「はあ?」
僕は少し前に見たニュースと、僕の妄想を話し聞かせた。
「どうにかしてアザラシ星のアザラシとコンタクトを取って、その呪いを解いてもらうんだよ。そうすれば、きっと君は完璧な人間に戻ることができるはずだ」
「そんな」
「できるよ。できる!君なら、呪いを解くアザラシと会える」
「呪い、呪いってなんなの?私は呪いでアザラシになったの?」
「そうとしか考えられないじゃないか。現に、こうして僕と会っている今は、人間として完璧じゃないか」
「それは…」
「だから、人間度が高いうちにアザラシ度を無くせばいいんだよ。そうすれば百パーセント人間に戻れるよ」
「そうかも」
「君は、今のままがいいのか?余り嬉しそうじゃないけど」
「だって、あなたの話は飛躍しすぎていて。ついていけないもの」
「僕だってそうだ。君がアザラシなんて信じられない」
「じゃあ、やっぱり…」
「違うよ!好きだから。君とずっと一緒にいたいから。諦める前に、元の君になるよう闘う!」
僕は、自分の口から出た言葉にビックリした。我ながらなんと大胆なことを言うものだと。
それにしても、中途半端に責任のあることを言って、どうする。僕は、勉強が優先順位の一番だったはずなのに。
いつしか、バカな妄想に憑かれるヒーロー擬きに成り下がっていた。
また、数日後。
僕は、彼女の家に行くことになった。彼女は乗り気でなかったけれど。説得したのだ。本当なら、ワクワクする日…。
だが愛より現実が先だ。彼女がアザラシとコンタクトを取ってくれなくては、何も始まらない。彼女は放っておくと、なにもしない。それだと、困るのだ。
「おじゃまします」
「どうぞ」
彼女の部屋は、きちんと整理された2DK。女の子してる部屋だな。ああ、だめだ。今日は、ロマンチックな気分で部屋に来たのではないんだ。アザラシと闘うためだ。心はグレーにしよう。
「なに、キョロキョロみてるの?変な人」
「ご、ごめん」
「で、今日はここでアザラシ星のアザラシにコンタクトを取れというのね?」
「そうだ」
「前にも言ったけど、あなたの話にはついていけないわ」
「だけど、君はアザラシでもあるんだろ。普通に考えていちゃあ解決できないよ」
「わたしはこのままでも、いいのよ」
「半アザラシで?」
「ええ。何がいけないの?」
「だって」
「あなたの都合でしょ。いいの。もう、付き合うのはやめましょう。お互い、これからも勉強仲間でいられたら。それでいいでしょ」
「僕は、いやだ。人間のきみ…人間であるだけのきみとずっと一緒にいたいんだ」
「勝手な人ね」
それが、彼女の最後の言葉だった。
彼女は瞬く間にアザラシになり、それきり人間に戻らなくなってしまった。放っておきたかったが、それもできなかった。
でも、僕に何ができる?アザラシのことなんかちっとも知らないのだ。
物言わず、円らな瞳で僕を見つめているワモンアザラシこと彼女。風呂に水でも張ってそこにいれれば、この場はしのげるかな。
バスルームに行こうとしたとき、アザラシ彼女に圧し掛かられた。
「何するんだ」
いつしか、ぼくは意識が遠のいていた。
目が覚めたとき、彼女の部屋で僕は一人ぼっちだった。
置手紙が一通。
「私は、アザラシ星からきたアザラシ。人間になるのは突然変異型アザラシ。遺伝子の組み換えが、何らかの形で行われた。 やがて、時を超えて私のように自由自在に人間とアザラシとに変化するものも現われるようになった。
これは、地球における人間の動物に対するメッセージともいえるわ。
概ね人間は、動物をペットにするかショーでの見世物にするか食用とするか、だけど。対等なパートナーとしてはあり得ない、と思うのが大半よね。だけど、わたしのような半獣半人の場合はどうなる?
もし、ありのままの私を受け入れてくれるなら、またあなたのところに戻って来るわよ。
それにしても、あなたの妄想は、的を射ていた所もあったからびっくりしたわ。
あれほど、アザラシ星のアザラシとコンタクトは無理って言ってたのに。
そんなのは、嘘だった。
だとして、彼女の問いにどう答えればいい。
もうすぐ二十歳。秋。未成年からの脱皮は、先延ばしにしたい僕だった。
了